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宮﨑 裕助 アーカイブ


2015年4月 1日

自己紹介  【宮﨑 裕助】

宮 﨑 裕 助 (みやざき ゆうすけ)

専門は、ヨーロッパの現代哲学・思想です。20世紀フランスの哲学者ジャック・デリダの思想(とくにその言語哲学・政治哲学)と、18世紀末ドイツの哲学者イマヌエル・カントの美学を中心に研究をしてきました。

 現在の主な研究関心

拙著『判断と崇高』では、『判断力批判』の崇高論を焦点としながら、カント美学における反省的判断力の現代的な意義とその政治的な射程を探究しました。現在さらにこのプロジェクトを拡張し、「崇高なもの」一般の系譜学を辿り直すことを通じて、「美的=感性的(エステティック)なもの」の歴史のなかで作動してきた「情動のポリティクス」の問題系をいっそう広範に洗い出す研究に着手しています。

それと並行して、デリダ研究を進めており、90年代以降にデリダが提唱していた「来たるべきデモクラシー」の検討を通じ、現代民主主義論の新たな方向性を明確にできないかを模索中です。この研究は、デリダが「政治的なもの」の探究の鍵としていた「友愛」の感情を媒介とすることで、上述の「情動のポリティクス」の問題系に接合されることになります。

また『判断力批判』の研究から派生したさらなる課題としては、現代社会における哲学、人文学、文献学の役割、およびそれに関連した、大学の未来、といったテーマにも関心があります。



 著作一覧

単著

『判断と崇高──カント美学のポリティクス』知泉書館、2009年。⇒[詳細

共著

『新・カント読本』牧野英二編、法政大学出版局、2018年:「フランス語圏のカント受容──「人間」以後の超越論哲学の行方」3-20頁。⇒[詳細

『21世紀のソシュール』松澤和宏編、水声社、2018年:「差延、あるいは差異の亡霊──ジャック・デリダによるソシュール再論」285-308頁。⇒[詳細

『共にあることの哲学と現実──家族・社会・文学・政治』岩野卓司編、書肆心水、2017年:「家族への信──デリダと絆のアポリア」21-38頁。⇒[詳細

『終わりなきデリダ』齋藤元紀・澤田直・渡名喜庸哲・西山雄二編、法政大学出版局、2016年:「人間/動物のリミトロフィー──ジャック・デリダによるハイデガーの動物論講義」51-78頁。⇒[詳細

『続・ハイデガー読本』秋富克哉・安部浩・古荘真敬・森一郎編、法政大学出版局、2016年:「カント──超越論的構想力と構想−暴力」87-94頁、文献案内(24頁)。⇒[詳細

『カントと現代哲学』(現代カント研究・第13巻)、カント研究会(加藤泰史・舟場保之)編、晃洋書房、2015年:「哲学、国家、検閲──カント『諸学部の争い』をめぐる権力と秘密の問題」100-117頁。⇒[詳細

『連続講義 現代日本の四つの危機──哲学からの挑戦』齋藤元紀編、講談社選書メチエ、2015年:「アウシュヴィッツ以後の哲学──表象不可能性と生き延びの生」285-310頁。⇒[詳細

『労働と思想』市野川容孝・渋谷望編、堀之内出版、2015年:「デリダ──職業(プロフェッション)としての言語行為」249-272頁。⇒[詳細

『感性学──触れ合う心・感じる身体』栗原隆編、東北大学出版会、2014年:「自然の多様性と美のかたち」171-189頁。⇒[詳細

『感情と表象の生まれるところ』栗原隆編、ナカニシヤ出版、2013年:「学問の起源とミメーシスの快」70-90頁。⇒[詳細

『人文学と制度』西山雄二編、未來社、2013年:「ヒューマニズムなきヒューマニティーズ──サイード、フーコー、人文学のディアスポラ」43-69頁。⇒[詳細

『世界の感覚と生の気分』栗原隆編、ナカニシヤ出版、2012年:「美的情動のアンビヴァレンス──カント、シラー、美学イデオロギー批判」244-262頁。⇒[詳細

『カントと日本の哲学』日本カント協会編、理想社、2011年:「パラサブライムの問題圏──カント崇高論における戦争の美学と反美学」59-76頁。⇒[詳細

Glauben und Wissen in der Geistesgeschichte, ed. Kurihara Takashi (Niigata: Graduate School of Modern Society and Culture, Niigata University, 2011): "Responsibility of Making Decisions without Decisionism: From Carl Schmitt to Jacques Derrida," pp. 140-155. ⇒[PDF

『ヨーロッパ現代哲学への招待』伊藤直樹・齋藤元紀・増田靖彦編、梓出版社、2009年:「ジャック・デリダ──脱構築とヨーロッパ近代の臨界」229-255頁。⇒[詳細

『哲学と大学』西山雄二編、未來社、2009年:「秘密への権利としての哲学と大学──カント『諸学部の争い』における大学論」26-49頁。⇒[詳細

Phenomenology 2005, Vol.1, eds. Cheung Chan-Fai and Yu Chung-Chi (Bucharest: Zeta Books, 2007): "The Sublime of Judgment: Kant's Aesthetics in Deconstruction," pp. 535-584. ⇒[PDF

『実存と政治』実存思想協会編、理想社、2006年:「構想−暴力──カント崇高論における構想力のリミット」99-115頁。⇒[詳細

『いま、哲学とはなにか』小林康夫編、未來社、2006年:「ヴァニシング・メディエーターとしての哲学」124-137頁。⇒[詳細

翻訳(書籍)

ジャック・デリダ『哲学への権利 2』共訳:西山雄二・立花史・馬場智一・宮﨑裕助・藤田尚志・津崎良典訳、みすず書房、2015年。⇒[詳細

ポール・ド・マン『盲目と洞察──現代批評の修辞学における試論』共訳:宮﨑裕助・木内久美子訳、月曜社、2012年。⇒[詳細

ジャック・デリダ『有限責任会社』共訳:高橋哲哉・増田一夫・宮﨑裕助訳、法政大学出版局、2002年。⇒[詳細

論文

「プロト脱構築について──ルター、ハイデガー、デリダ」『現代思想』第46巻・第2号(2018年2月臨時増刊)青土社、254-270頁。⇒[詳細

「シラーの「遊戯衝動」から、カントの「物質的視覚」へ──ポール・ド・マンの歴史的唯物論にむけて」『シェリング年報』第24号、こぶし書房、2016年、52-63頁。⇒[詳細

「文献学への新たな回帰?」『現代思想』第43巻・第17号(2015年11月)青土社、214-222頁。⇒[詳細

「美的情動批判──ポール・ド・マンの美学イデオロギー論再考」『社会思想史研究』第39号、藤原書店、2015年、23-40頁。⇒[詳細

「呼びかけとしての友愛、哀悼としての友愛──ジャック・デリダの友愛論におけるアリストテレス的伝統について」『現代思想』第43巻・第2号(2015年2月臨時増刊)青土社、256-267頁。⇒[詳細

「国家創設のパフォーマティヴと署名の政治──ジャック・デリダの「アメリカ独立宣言」論」『思想』第1088号(2014年12月)岩波書店、64-87頁。⇒[詳細

「ジャック・デリダ──職業(プロフェッション)としての言語行為」『POSSE』第22号(2014年3月)堀之内出版、230-245頁。⇒[詳細

「限定的ミメーシスから全般的ミメーシスへ──ジャック・デリダ『散種』を読む」『思想』第1078号(2014年2月)岩波書店、94-105頁。⇒[詳細

「「決断の瞬間はひとつの狂気である」──ジャック・デリダのキルケゴール『おそれとおののき』読解」『現代思想』第42巻・第2号(2014年2月)青土社、52-66頁。⇒[詳細

「弁解機械作動中──ルソーの「盗まれたリボン」をめぐるポール・ド・マンとジャック・デリダ」『思想』第1071号(2013年7月)岩波書店、101-127頁。⇒[詳細

「法のテクスト/テクストの法──ポール・ド・マンにおけるルソー『社会契約論』のキアスム読解」『現代思想』第40巻・第13号(2012年10月)青土社、190-206頁。⇒[詳細

「自己免疫的民主主義とはなにか──ジャック・デリダにおける「来たるべきデモクラシー」論の帰趨」『思想』第1060号(2012年8月)岩波書店、45-68頁。⇒[詳細

「海賊たちの永遠戦争──ダニエル・ヘラー=ローゼン 『万人の敵』 に寄せて」(星野太氏との共著)『現代思想』第39巻・第10号(2011年7月)青土社、128-136頁。⇒[詳細

「革命の印璽から残ったもの──ジャン・ジュネ 『恋する虜』 の余白に」『ユリイカ』第43巻・第1号(2011年1月)青土社、190-199頁。⇒[詳細

「脱構築はいかにして生政治を開始するか──デリダの動物論における「理論的退行」について」『現代思想』第37巻・第8号(2009年7月)青土社、142-155頁。⇒[詳細

「決断主義なき決定の思考──デリダ avec シュミット」『SITE ZERO / ZERO SITE──情報生態論:生きるためのメディア』第2号、メディア・デザイン研究所、2008年、8-54頁。⇒[詳細

「ソシュールのグラマトロジー──『一般言語学講義』を読むデリダを再読する」『思想』第1003号(2007年11月)岩波書店、31-51頁。⇒[詳細

「政治的判断力再考──「美の政治」と「崇高の政治」のあいだ」『UTCP研究論集』第10号、東京大学21世紀COE共生のための国際哲学交流センター(UTCP)2007年、113-131頁。⇒[PDF

「吐き気──「不定形」の反美学」『SITE ZERO / ZERO SITE──エステティクスの臨界』第0号、メディア・デザイン研究所、2006年、210-246頁。⇒[詳細

「ミニマル・コンセンサスの条件──デリダにおけるテレコミュニケーションの論理」『哲学』第57号、日本哲学会、法政大学出版局、2006年、240-253頁。⇒[PDF

「読むことの盲目と明察──ジャック・デリダとポール・ド・マンのあいだ」『現代思想』第32巻・第15号(2004年12月)青土社、228-240頁。⇒[詳細

「行為遂行的矛盾をめぐる不和──デリダと討議倫理学の問題」『フランス哲学・思想研究』第9号、日仏哲学会、2004年、172-185頁。⇒[PDF

「物質的崇高について──ポール・ド・マンのカント読解における視覚の問題」『表象文化論研究』第3号、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論、2004年、2-17頁。⇒[詳細

「判断の崇高──カント『判断力批判』と美学の崩壊」『哲学・科学史論叢』第6号、東京大学教養学部哲学・科学史部会、2004年、201-226頁。⇒[PDF

「反覆可能性の法──デリダ『有限責任会社』と行為遂行性の問題」『哲学・科学史論叢』第3号、東京大学教養学部哲学・科学史部会、2001年、71-93頁。⇒[PDF

「弁解、機械、ランダムネス──ポール・ド・マンと読解の倫理」『現代思想』第27巻・第3号(1999年3月)青土社、116-129頁。⇒[詳細

書評・解説・座談会等

「松本卓也・山本圭編『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(明石書店、2018年)書評」『週刊読書人』2018年7月27日、第3249号。⇒[本文

「精神分析の撤退戦をいかに闘うか──松本卓也『享楽社会論──現代ラカン派の展開』(人文書院、2018年)書評」『新潮』第105巻・第6号(2018年6月)262-263頁。⇒[詳細

「『多様体1』(月曜社、2018年)書評」『週刊読書人』2018年4月13日、第3235号。⇒[本文

「串田純一『ハイデガーと生き物の問題』(法政大学出版局、2017年)書評」、表象文化論学会ニューズレター『REPRE』第32号、2018年2月。⇒[本文

「「ラディカル無神論以後の現代思想──デリダ、レヴィナス、メイヤスー」(脱構築研究会、2017年12月23日 東京大学駒場キャンパス)報告」⇒[本文

「ジャック・デリダ『嘘の歴史 序説』西山雄二訳(未來社、2017年)書評」『図書新聞』2017年5月27日、第3304号。⇒[本文

「バーバラ・ジョンソン『批評的差異──読むことの現代的修辞に関する試論集』土田知則訳(法政大学出版局、2016年)書評」『週刊読書人』2016年11月4日、第3163号。⇒[本文

「カンタン・メイヤスー『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』千葉雅也・大橋完太郎・星野太訳(人文書院、2016年)書評」『週刊読書人』2016年3月11日、第3131号。⇒[本文

「書き過ぎる、いや、書き足りない──過剰書字者ジャック・デリダの肖像」『ふらんす』第90巻・第11号(2015年11月)白水社、15-16頁。⇒[本文

「ジャック・デリダ『赦すこと──赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』守中高明訳(未來社、2015年)書評」『週刊読書人』2015年10月9日、第3110号。⇒[本文

「「新たな決定の思想」を再導入する」(文庫版解説)、高橋哲哉『デリダ──脱構築と正義』講談社学術文庫、2015年、344-354頁。⇒[詳細

「ジョルジョ・アガンベン『いと高き貧しさ』(みすず書房、2014年)書評」『図書新聞』2015年4月18日・第3203号。⇒[本文

「デリダ研究の最前線──「生・死」の哲学にむけて」(東浩紀氏との対談)於ゲンロンカフェ、2015年2月24日。⇒[動画

「ポスト・デリダに向けて」(藤本一勇氏、西山雄二氏との鼎談)『週刊読書人』2015年2月20日・第3078号。⇒[詳細

「ジャック・デリダ著作目録 2014」(島田貴史氏との共著)『現代思想』第43巻・第2号(2015年2月臨時増刊)青土社、361-373頁。⇒[詳細

「デッドレターとしての哲学」(東浩紀氏へのインタヴュー)『現代思想』第43巻・第2号(2015年2月臨時増刊)青土社、116-138頁。⇒[詳細

「10年後のジャック・デリダ」(鵜飼哲氏、西山雄二氏、國分功一郎氏との座談会)『思想』第1088号(2014年12月)岩波書店、11-51頁。⇒[詳細

「ジャック・デリダ『プシュケー 他なるものの発明I』藤本一勇訳(岩波書店、2014年)書評」『週刊読書人』2014年9月12日、第3056号。⇒[本文

「ミメーシス、エコノミメーシス──カント/デリダにおけるミメーシス論の脱構築」EconoMimesis R&D ワークショップ#3「エコノミー・ミメーシス・エコノミメーシス」於日本女子大学目白キャンパス、2014年5月17日。⇒[動画

「「借りの礼讃」と贈与の出来事──ナタリー・サルトゥー゠ラジュ『借りの哲学』から考える」『atプラス20』太田出版、2014年、20-29頁。⇒[詳細

「浜野喬士『カント『判断力批判』研究──超感性的なもの、認識一般、根拠』(作品社、2014年)書評」『図書新聞』2014年5月3日・第3157号。⇒[詳細

「ポール・ド・マン再考」(土田知則氏、巽孝之氏との座談会)『思想』第1071号(2013年7月)岩波書店、6-42頁。⇒[詳細

「哲学の危機と抵抗──イギリス・ミドルセックス大学哲学科」(西山雄二氏との共著)、西山雄二編『人文学と制度』未來社、2013年、406-409頁。⇒[詳細

「ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー──ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』土田知則訳(岩波書店、2012年)/土田知則『ポール・ド・マン──言語の不可能性、倫理の可能性』(岩波書店、2012年)書評」『週刊読書人』2013年3月15日・第2981号。⇒[本文

「カントと悪」、有福孝岳・牧野英二編『カントを学ぶ人のために』世界思想社、2012年、239-240頁。⇒[詳細

「PRE・face「思考の同期性」を描き出す」、表象文化論学会ニューズレター『REPRE』第14号、2012年1月。 ⇒[本文

「カント『判断力批判』」解説、熊野純彦編『近代哲学の名著』中公新書、2011年、172-181頁。⇒[詳細

「「哲学と大学」の無条件性にむけて──映画『哲学への権利──国際哲学コレージュの軌跡』をめぐるノート」、加藤泰史編『ボローニャプロセス以後の欧米を中心とした大学制度の変貌と新しい学問状況』南山大学ヨーロッパ研究センター、2010年、67-74頁。

「互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール』(作品社、2009年)書評」『図書新聞』2009年12月5日・第2944号。⇒[PDF

「自著を語る──『判断と崇高』(知泉書館、2009年)」『ほんのこべや』第37号、新潟大学生活協同組合、2009年11月、58-62頁。⇒[PDF

「パラサブライムとしての吐き気──ジャック・デリダ『エコノミメーシス』湯浅博雄・小森謙一郎訳(未來社、2006年)書評」『言語・情報・テクスト』第15号、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2008年、91-96頁。⇒[詳細

「ポストヒューマンの時代における人文知にむけて──トム・コーエン講演会「「気候変動」とアーカイヴ──地表性、再記入、記憶の体制」報告」東京大学グローバルCOE共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)、2008年3月。⇒[本文

「合評会「ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』を読む」報告」東京大学グローバルCOE共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)、2008年1月。⇒[本文

「ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』増田一夫訳(藤原書店、2007年)書評」『図書新聞』2008年2月16日・第2858号。⇒[本文

「デリダ著作目録」「デリダ日本語関連文献」『別冊・環 13──ジャック・デリダ 1930-2004』藤原書店、2007年、381-390頁。⇒[詳細

「斎藤慶典『デリダ──なぜ「脱‐構築」は正義なのか』(NHK出版、2006年)書評」『フランス哲学・思想研究』第12号、日仏哲学会、2007年、186-190頁。⇒[PDF

「コスタス・ドゥージナス編『来たるべきデリダ』藤本一勇監訳(明石書店、2007年)書評」『図書新聞』2007年6月30日・第2827号。⇒[本文

「新しいアソシエーションの形をもとめて」(桑野隆・佐藤良明・中島隆博・門林岳史の諸氏との座談会)、表象文化論学会ニューズレター『REPRE』第3号、2007年6月。⇒[本文

「「人文」の未来」『月刊オルタ』2007年2月号、アジア太平洋資料センター(PARC)20-1頁。⇒[本文

「情動、戦争、スペクタクル──「〈帝国〉以後」に戦争を考えるためのノート」『artscape』2007年2月15日号。⇒[本文

「ジャック・デリダ著作年表」、ニコラス・ロイル『ジャック・デリダ』田崎英明訳、青土社、2006年、337-354頁。⇒[詳細

「ティモシー・クラーク『マルティン・ハイデガー』高田珠樹訳(青土社、2006年)書評」Website『SITE ZERO / ZERO SITE』「SITE ZERO レヴュー」2006年7月26日。⇒[本文

「脱構築」の項と「デリダ」「脱構築」の用語解説。大橋洋一編『現代批評理論のすべて』新書館、2006年、46-49, 203, 251頁。⇒[詳細

「幸福なる複数者たちの栄光」、梅木達郎『支配なき公共性──デリダ・灰・複数性』洛北出版、2005年、栞7-10頁。⇒[詳細

「物質なき唯物論の未来──ポール・ド・マン『美学イデオロギー』上野成利訳(平凡社、2005年)書評」『未来』第464号(2005年5月)未來社、25-30頁。⇒[PDF

「ジャック・デリダ著作目録」『現代思想』第32巻・第15号(2004年12月「緊急特集ジャック・デリダ」)青土社、256-262頁。⇒[詳細

「デリダ『グラマトロジーについて』解説」『現代思想』第32巻・第11号(2004年9月臨時増刊「ブックガイド60」)210-3頁。⇒[本文

「水の上のユートピア──デュットマンのアドルノ講義についてのノート」『[本]のメルマガ』第169号、2004年2月25日。⇒[本文

「固有名の思考/思考の固有名──デュットマン来日に寄せて」『[本]のメルマガ』第154.5号、2003年9月26日。⇒[本文

翻訳(論文等)

アレクサンドル・コイレ「フランスにおけるヘーゲル研究の状況報告」共訳:小原拓磨・宮﨑裕助訳『知のトポス』第13号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2018年、99-159頁。⇒[PDF

フランソワーズ・ダステュール「差異の問い──デリダとハイデガー」共訳:宮﨑裕助・松田智裕訳、『知のトポス』第12号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2017年、91-131頁。⇒[PDF

ヴェルナー・ハーマッハー「文学的出来事の歴史と現象的出来事の歴史とのいくつかの違いについて」共訳:宮﨑裕助・清水一浩訳、『知のトポス』第11号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2016年、173-206頁。⇒[PDF

ジェラール・グラネル「ジャック・デリダと起源の抹消」共訳:宮﨑裕助・松田智裕訳、『知のトポス』第10号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2015年、215-253頁。⇒[PDF

マイケル・ナース「デリダ最盛期」共訳:宮﨑裕助・島田貴史訳、『現代思想』第43巻・第2号(2015年2月臨時増刊)青土社、40-58頁。⇒[詳細

ジャック・デリダ「アメリカ独立宣言」『思想』第1088号(2014年12月)岩波書店、52-63頁。⇒[詳細

ヴェルナー・ハーマッハー「エクス・テンポレ──カントにおける表象(Vorstellung)としての時間」(上)共訳:宮﨑裕助・清水一浩訳、『知のトポス』第8号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2013年、191-216頁。⇒[PDF]/同(下)第9号、2014年、189-212頁。⇒[PDF

エッカート・フェルスター「カント以後の哲学の展開にとっての『判断力批判』第七六〜七七節の意義」[第一部]共訳:宮﨑裕助・大熊洋行訳、『知のトポス』第8号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2013年、153-190頁。⇒[PDF]/同[第二部]第9号、2014年、133-187頁。⇒[PDF

ヴェルナー・ハーマッハー「読解不可能性」共訳:竹峰義和・宮﨑裕助訳、『思想』第1071号(2013年7月)岩波書店、225-246頁。⇒[詳細

アレクサンダー・ガルシア・デュットマン「婉曲語法、大学、不服従」『人文学と制度』西山雄二編、未來社、2013年、261-279頁。⇒[詳細

ポール・ド・マン「ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』のルソー読解」『現代思想』第40巻・第13号(2012年10月)青土社、184-189頁。⇒[詳細

ロドルフ・ガシェ「ヒュポテュポーシス──カントにおける感性的描出(hypotyposis)の概念についてのいくつかの考察」共訳:宮﨑裕助・福島健太訳、『知のトポス』第7号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2012年、175-212頁。⇒[PDF

ダニエル・ヘラー=ローゼン「万人の敵──海賊と万民法」共訳:宮﨑裕助・星野太訳、『現代思想』第39巻・第10号(2011年7月)青土社、106-127頁。⇒[詳細

ニール・ハーツ「ロンギノス読解」共訳:宮﨑裕助・星野太訳、『知のトポス』第6号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2010年、133-177頁。⇒[PDF

サミュエル・ウェーバー「ならず者民主主義」共訳:河野年宏・宮﨑裕助訳、『みすず』第583号(2010年6月)みすず書房、18-34頁、同第584号(2010年7月)6-22頁。⇒[詳細

ジャコブ・ロゴザンスキー「「Ungeheuer なもの」の限界で──カント『判断力批判』における崇高と怪物的なもの」『知のトポス』第5号、新潟大学大学院現代社会文化研究科、新潟大学人文学部哲学人間学研究会、2010年、87-127頁。⇒[詳細

クリストファー・フィンスク「〈言語〉の要求──人文学擁護のために」『現代思想』第37巻・第14号(2009年11月)青土社、190-231頁。⇒[詳細

ポール・ド・マン「批評と危機」『表象』第3号、表象文化論学会、月曜社、2009年、87-105頁。⇒[詳細

サミュエル・ウェーバー「大学の未来──カッティング・エッジ」共訳:河野年宏・宮﨑裕助訳、『現代思想』第37巻・第4号(2009年4月)青土社、222-241頁。⇒[詳細

サミュエル・ウェーバー「人文学の未来──実験すること」共訳:門林岳史・宮﨑裕助訳、『表象』第1号、表象文化論学会、月曜社、2007年、87-104頁。⇒[詳細

ヴェルナー・ハーマッハー「ヘーゲルの読解行為──「吐き気」をめぐるトロープ操作」『SITE ZERO / ZERO SITE』第0号、メディア・デザイン研究所、2006年、248-277頁。⇒[詳細

アレクサンダー・ガルシア・デュットマン「NEVER BEFORE, ALWAYS ALREADY──アガンベンと関係のカテゴリーについてのノート」『月曜社通信』2003年5月25日号、7-15頁。⇒[PDF


2013年4月 8日

【新刊】『感情と表象の生まれるところ』  【お知らせ】

954   栗原 隆 編
  『感情と表象の生まれるところ』
  
  ナカニシヤ出版
  A5判・256頁
  税込定価 2730円
  ISBN978-4-7795-0739-7
  2013年3月29日発行
  出版社紹介ページ

 【本書の紹介文】
 私たちの感情や表象はどのような仕組みで生まれ、
 どのような役割を果たすのか。
 いま人間の「感性」が失われつつあるという危機感の下、
 哲学・心理学・社会学・美学・文学など多彩な観点から、
 人間の「心の動き」に迫る共同研究の成果。

 私たちの人間学講座からは、編者の栗原隆先生をはじめ、井山弘幸、城戸淳の両先生、宮﨑裕助が執筆しています。以下は「目次」です。

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2012年9月24日

ポール・ド・マン『盲目と洞察』  【お知らせ】

『盲目と洞察』書影.jpg   ポール・ド・マン 著
  宮﨑裕助+木内久美子 訳


  盲目と洞察
  現代批評の修辞学における試論
  
  月曜社
  46判・上製360頁
  本体価格 3400円
  ISBN 978-4-901477-98-7
  2012年9月20日発行
  出版社紹介ページ

 【本書の紹介文】
 テクストと向きあう〈読むこと〉の透徹した営みによって、
 現代における批評の新たな方向性を決定づけた古典。
 ブランショ、プーレ、デリダらと果敢に対峙し、
 不可避的な内的齟齬への盲目性によって
 彼らの洞察そのものが支えられていることを暴く。
 鋭利な考察が今なお輝きを放つ、イェール学派の領袖の主著。
 1971年初版本よりの完訳。

 【訳者より】
 本書は、20世紀文芸批評の極点のひとつをなす文学者、
 ポール・ド・マンの代表作であり、訳書が長らく待望されてきましたが、
 このたび原著刊行後40年を経てついに訳書を上梓することができました。
 原文の難解さに引きずられないよう、訳文をできるかぎり工夫し、
 訳註も充実させました。
 文学や批評、芸術、思想に興味をもつすべての方におすすめです。
 どうぞよろしくお願いします。(宮﨑 裕助)

以下、2012年11月20日追記──────────

 早くも以下の書評を頂戴しました。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

■ 土田知則氏(千葉大学)『図書新聞』2012年11月17日号(第3086号)。
──「まさに待望の翻訳[...]。本書の邦訳により、日本におけるド・マン研究はようやく新たな端緒を迎えたと言えるだろう。」

■ 山城むつみ氏(批評家)『週刊読書人』2012年11月9日号(第2964号)。
──「[...]読むことの極北へとひとり進んだド・マンが五十二歳で出したこの第一評論集が四十一年の歳月を経て今、回帰して来たことは、個人的に、耐え難く重い一撃である。」

追記ここまで───────────────

著者:ポール・ド・マン(Paul de Man)
1919年ベルギー・アントワープ生まれ。ブリュッセル自由大学で工学、後に化学を専攻し、哲学や文学も広く学ぶ。1948年合衆国に移住。1960年ハーヴァード大学にてPh.D. 取得(比較文学)。コーネル大学、ジョンズ・ホプキンズ大学、チューリッヒ大学などで教鞭を執り、1970年以降、イェール大学比較文学科教授。1983年没。著書に、本書『盲目と洞察』(1971年、第二版1983年)のほか、『読むことのアレゴリー』(1979年;岩波書店、2012年)、『ロマン主義のレトリック』(1984年;法政大学出版局、1998年)、『理論への抵抗』(1986年;国文社、1992年)、『戦時評論集 1934-1943年』(1988年)、『批評著作集 1953-1978年』(1989年)、『ロマン主義と現代批評』(1993年)、『美学イデオロギー』(1996年;平凡社、2005年)、『ポスト・ロマン主義の窮状』(2012年)。


 以下は「目次」「原著(初版)の紹介文」です。

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2012年5月12日

【新刊】『世界の感覚と生の気分』  【お知らせ】

4779506263   栗原 隆 編
  『世界の感覚と生の気分』
  
  ナカニシヤ出版
  A5判・310頁
  税込定価 3990円
  ISBN978-4-7795-0626-0
  2012年3月28日発行
  出版社紹介ページ

 【本書の紹介文】
 われわれが合理的な知を奉じる中で看過してきた
 共感・気分・雰囲気など、「感性的なもの」による世界の捉え直しを、
 哲学・美学・心理学という多方面から探究。
 世界の豊かさや生の実感の回復を目指す哲学的人間学。

私たちの人間学講座からは、編者の栗原隆先生をはじめ、宮﨑裕助が執筆陣に加わり、前スタッフの山内志朗先生のほか、新潟大学人文学部では、細田あや子先生、福島治先生、白井述先生が寄稿されています。以下は「目次」です。

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2009年4月22日

著書『判断と崇高』  【宮﨑 裕助】

『判断と崇高』書影   宮﨑裕助 著
  『判断と崇高──カント美学のポリティクス』

  知泉書館
  A5判上製328頁
  本体価格 5,500円
  ISBN978-4-86285-055-3

  ⇒ 出版社紹介ページ
  
 今月初旬(奥付の発行日は2009年3月31日)に、博士論文(東京大学、2007年)をもとにした拙著が、新潟大学人文学部研究叢書の一冊として刊行されました。
 詳しくは、裏表紙に記された本書の紹介と目次の詳細(本ページ下部)、下記の「自著を語る」をご覧ください。

自著を語る[PDF]
『ほんのこべや』第37号、新潟大学生活協同組合、2009年11月

以下、2011年8月29日追記──────────

 これまでに以下の書評が出ています。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

■ 江川隆男氏(首都大学東京)「崇高と決定不可能性の問題──宮﨑裕助『判断と崇高──カント美学のポリティクス』をめぐって」、日本カント協会編『カントと日本の哲学』理想社、2011年、77-91頁。
──「本書の企図は、何よりもカントの『判断力批判』の肯定的な脱構築、あるいは「判断する哲学」──決定する思考──としてのカントの批判哲学全体の生産的な脱構築にあり、この点が本書を狭義の「カント研究書」から一線を画するものとしていることは間違いないであろう。」

■ 松葉祥一氏(神戸市看護大学)「〔書評〕宮崎裕助著『判断と崇高 カント美学のポリティクス』」、『フランス哲学・思想研究』第15号、日仏哲学会、2010年10月、187-189頁。
──「カント論の相貌をした、二重の意味でラディカルな政治哲学の研究である。」

■ 酒井潔氏(学習院大学)「〔書評〕宮崎裕助著『判断と崇高 カント美学のポリティクス』」、実存思想協会編『実存の美学──実存思想論集25』理想社、2010年、169-173頁。
──「宮崎氏の本書は、デリダの「決定の思考」に導かれ、崇高と崇高でないものとの区別すらも問題化する「パラサブライム」の領域を開拓し、日本のカント研究を大きく拡大した、と言えるだろう。」

■ 星野太氏(東京大学)「美的‐政治的判断力のリミット──宮﨑裕助『判断と崇高──カント美学のポリティクス』」、表象文化論学会編『表象』第4号、月曜社、2010年、256-263頁。⇒[PDF
──「ひとたび本書を紐解いてみれば、「判断」と「崇高」というこの二つの問題系がカント美学の核心をなしていること、さらにそれらが極めて深い政治的射程を秘めていることにすぐさま思い至ることになるだろう。」

■ 熊野純彦氏(東京大学)「特集:2009年上半期の収穫から」の一冊、『週刊読書人』2009年7月31日号(第2798号)。
──「「判断」について、「崇高」をめぐって、政治的「決断」にかんして、新鮮な思考を展開し、あらたな思考を誘いだす。」

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