人文総合演習B 第10回
- 森口朗,2007,『いじめの構造』,新潮新書
著者が、大人側からの対策としての加害者処罰を強調しているのに対して、報告者は、その有効性を認めたうえで、いじめられている人、中立的な人がどう振る舞うべきかについて、実体験を踏まえて論じてくれました。具体的には、いじめられている人は、本来の性格を隠して中立的グループに参加すること、それができない場合は、孤高を貫くことだと。また中立的な人は、著者のいうように「見て見ぬフリ」でよいのだが、そのやり方に良し悪しがあって、(以下は私の言葉でのまとめですが)いじめの中の悪の要素だけ見ないフリをする(ので正義感から止めることをしない)のが悪い見て見ぬフリであるのに対して、良い見て見ぬフリは、いじめそれ自体の存在を無視し、あたかもそれがないかのように被害者とも加害者とも普通に接する(ことによって被害者を助け、加害者にその行為の愚かさを気づかせる)とのことでした。
オーディエンスからはやはり実体験に基づいて、報告者の提案の困難性が様々な角度から指摘されました。
大人の側の対応、制度のあり方や運用の変革を求める著者には、私も賛成ですが、しかし今まさにこの瞬間にも全国の非常に多くの生徒が「いじめ」に逢っているわけで、そういう人たちは制度変革を待っている暇はないともいえます。そういう意味で、報告者のような観点からの提案も、著者の提案と並んでやはり重要だといえるでしょう。
司会者は謙遜していますが、最初の振り方とか、結構うまかったと思います。もう少し大きな声出せばもっといいですね。(声が大きいだけでいろいろごまかせます(笑))
以下、出席者のコメント。