文学座4月アトリエの会 20000ページ

 トニーは、頭の上にダンボール箱に入った本が落ちてきたために、その本の内容をすべて記憶するという症状になってしまい、精神病院にいる。しかし、勿論、そのことを誰にも信じてもらえない。しかも、その本たるや、スイスでいかにナチスへの協力があったか、スイスなら安全だと信じて、やってきたユダヤ人が、実は迫害を受けていたのだという内容だった。彼は、誰にも信じてもらえないので、証明しようと、病院をぬけだし、図書館へ、しかし、その本は借り出されていた(ここは彼の口から語られるのみ)。そして、森の中で隠者のように暮らしている著者のところへ行き、その本を発見する。著者も誰にも信じてもらえずに、ここへやってきたようだ。彼は、歴史を守る宗教家のようで、ろうそくを灯し、一方、きのこまで体に(服に)生やしている。
 さて、自分の頭の中にあることが真実である(本に書かれてあることだ)と分かったトニーは、フリーのラジオ局で放送しようとするが、聴いてくれる人は少ないようだ。返ってきた反応も、「〜という曲をかけて」というものだった。それでも、芸能マネージャーのような男がやってきて、彼を記憶力の芸人にしようとする(昔、桂小金治ショーでそんな隠し芸を見せる人物が出ていたのを思い出した。20くらいの互いに無関係なフレーズを記憶するというもので、確か、「お嫁においで」という曲名が記憶できなかったのではないか?)。ここへ来て、彼の恋人、リーザも乗り気になる。彼は100万スイスフランを争奪する番組に出場、決勝に行くが、そこでミスをしてしまう。それは、暗唱するように言われたページに、スイスを信じ切っていたのに、ナチスの支配する国へ送還されたオスカーのことが書かれていたからだ。制止されるのも構わず、読み続けるトニー。どうしてこれが大切なことだと、皆、思わないのだ?と。優勝者は、亡くなった両親に歌を届けると言って歌ったバスの運転手のキャスリーン(だったかな? 私は、スーザン・ボイルを思い出したが)。
 しかし、彼を打ちのめしたのは、そのことだけではなかった。その当のオスカーが現れて、「あの頃のことを思い出したくなかった」と言って、彼と乾杯しようとしたことだ。 実は、途中まで、この物語の展開だったら、スイスのナチス協力の過去を隠したい勢力が、彼の命をねらいにくるのだと思っていた。が、そういうシーンはなかった。結論は、考えようによっては、もっと過酷なものだった。絶望したトニーは、頭の中の本の記憶を消し去ってもらおうと、再び、精神病院を訪れる。彼は、精神科学の先進的な事例となっていた。そこで、検証作業のため、同じ条件下で本を落とし、記憶が入れ替わるかを試すことになる。精神科医が、「何を記憶しましょうか」と次々と挙げていく本が、現在の日本をおおっている経済活動とリンクした科学技術偏重の姿勢を諷しているかのようで、興味深かった。中国語学習書や工学関係の本、物理学の本、そして、彼の趣味のために映画の事典、さらには、教養を身につけるための味付けとしてのゲーテやシラー。めでたく以前の記憶は消え、これらの本を記憶することになるのだが、彼は半ば廃人のようになってしまうのだった。
 精神科医と芸人のテレビ番組に出てくるバニーガール姿の女性が、同じ役者(目黒未奈)で、うーん?と思ったが、ラストの精神科医のはしゃぎっぷりをみていると、それもありかなと思った。重鎮(だな、もう)外山誠二は、きのこをはやしているジャーナリストとオスカー。いずれも、絞り出すような声が印象的。
 トニー(釆澤靖起)とその恋人、リーザ(前東美菜子)のさわやかさが印象に残った。
 4月18日午後2時 文学座アトリエ
21/04/2015

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