劇団俳優座第324回公演 フル・サークル−ベルリン1945−

 文学座の20000ページに続き、ナチスの問題を扱った作品。戦後70年で、そういう作品が多いのだろうか? その一方、ドイツではなく、日本そのものが取り扱われることは、意外と少ない。知らぬうちに、抑制がかかっているのだろうか。
 物語は、ナチスがソ連軍の侵攻で、陥落寸前。アパートの部屋にいるアンナのところに、エーリッヒ・ローデという政治犯が、収容所から逃げ込んでくる。ここにいるオットー・ヴィルケなら助けてくれると言われたというのだが、アンナは、彼は死んだと言う。また、かかってきた電話にアンナは、ヴィルケ夫人も死んだと答えるのだが、実は、彼女は、ヴィルケ夫人だった。初めは、街中を歩けるように、囚人の服から夫の服に着替えさせ、すぐ出てくれるように頼むが、話すうちに、恋愛感情に近いものが生まれたようだ。
 隣の部屋の好奇心の強い女中、グレタには、恋人のようにみせかけ、新しく地区の監視役になったグルーナーもごまかして、部屋に留まらせるが、そのうちにゲシュタポのシュミット隊長がやってくる。脱走した囚人を探しているのだ。彼はローデを疑うが、アンナの助言もあって、軍人で、野戦病院にいたと彼は答える。身分証明書はない。そこで、シュミットは、部下に野戦病院に電話をかけさせるのだが、返ってきた言葉はロシア語だった。愕然とするシュミット。それでも、逃げ出した囚人のうちとらえた一人を連れてきて、この部屋に知っている男はいるかと尋ねる。答えた場合の報酬は、殺してやるということだ(つまり、尋問されるより楽だということだ)。が、この囚人、カッツは、ローデのことには一言も触れず、窓から飛び降りてしまう。さらに、ヒットラーが亡くなったというラジオ放送も流れ、シュミット達は去っていく。
 が、それで万事解決とはならなかった。ソ連軍がやってくると、シュミットは、ユダヤ人で収容所にいたという身分証明書を持って、ここに逃げてくる。尋問するソ連軍の将校に、ローデがナチスの軍人であったと言う。ローデも勿論、シュミットがゲシュタポだと証言するが、証明書がない分、旗色が悪い。彼の方が殺されそうになる。が、ここでローデは、「書類を持っているのは誰だ? 収容所にいた人間か? それともそいつをそこへ入れた人間か?」(『テアトロ』5月号より)と冷静に問いかける。収容所にいた人間は、私物など何も持てなかったということか。この言葉が功を奏して、ローデは生き残る。このソ連の部下の二人が、ゲシュタポが踏み込んできた時の、部下の二人と同じ俳優で、戯曲がそうなっているのか、演出なのかは分からないが、効果的だった。ナチス、ソ連に限らず、権力を持つ側は同じことをするということだろう。ということは...
 そうなのだ。これで、二人で暮らせると思ったローデとアンナだったが、ソ連軍の将校は、共産主義の宣伝のために活動するよう、政治犯であったローデに求める。が、彼は、自分が信奉していたのは自由主義で、共産主義のために働く気はないと答える。となると、今度は、共産主義の教育のためにセンターに入ってもらわなければならないと言われる。アンナは、「口だけYesと答えたら」というようなことを言うのだが、ローデは、首を縦に振らず、連れていかれることになる。この(収容所で暮らした)7年間で学んだのは、こういう時にYesと言わないことだ、という訳だ。自分の思想を頑として譲らない彼に、『るつぼ』のジョン・プロクターの姿が重なった。
 実は、アンナは、それまでの彼との会話の中で、自分の夫の記憶を語っていた。彼女を守るために、夫は、「自分を密告しろ」と言ったというのだ。それによって、彼女は、ナチスに賞賛され、生き延びた。だが、彼女は、それを恨んでいた。一人だけ英雄気取りでと。だから、今度は、二人で生きていくという道を選んで欲しかったのだった。
 原作は、レマルク。ピーター・ストーンの潤色。ただ、パンフレットの解説には、「レマルクが唯一残した戯曲」とある。
 5月17日午後2時 紀伊國屋ホール
22/05/2015

芸能時評の目次へ

齋藤研究室ホームページへ