Pal's Sharer トーマの頃を過ぎても

 どんな芝居をすぐれた芝居と思うか、自分の判定法として、いつまでもその世界に浸っていたい芝居というのがある。その意味では、自分にとってこの芝居は、間違いなくすぐれた芝居だった。もし、夜に新潟に帰らなくてもよかったのなら、2回目を見るために当日券を買っていただろう。
 最近、篠原久美子という劇作家にシンパシーを感じて、9月以来、すべて異なる劇団でこの作品で4作目。Pal's Sharerのことは全く知らなかった。カーテンコールで最後に二人が残ったので、「あっ、この二人が中心なんだ」と思ったほど。そのため、結婚式のシーンまで、誰が誰なのか、分からないことも多くて、最初に教会に向かう途中、友人の死を告げられたのが誰で、そこに立ち会っていたのが誰だったのか、最後まで想像しながら(そして、その想像は当たっていたが)見ていた。これが、役者を知っていると、すぐに理解できるのだろうが。結婚式の花嫁姿が誰なのかも、実は、理解できていなかった。
 その結婚式のシーンの直前、それまでセーラー服姿だった役者たちが、踊りながら着替えを始めて、パーティー用のドレス姿になる。一瞬、目のやり場に困る。篠原脚本では、『女たちのジハード』にも着替えシーンがあったな。飛び道具? しかし、制服姿から大人の格好になると、また、誰だっけ?という人物が現れる。そういう意味でも、また戻って学生時代のシーンを見たいという欲求にさいなまれた。そして、制服姿の時に、ほとんどの役者は、実年齢に近いのだろうと思っていたが、大人の格好になったら、そうじゃないんだと分かって、高校生らしさを演技で出していたのがよくわかった。
 物語は、高校のボランティア部の合宿(阪神大震災の被災者に支援物資を送ろうとしている)、部長だった清瀬小百合の結婚式の2次会の後に顧問教師だった藤崎の部屋に集まった時のできごと、聡子の墓参りの三つのシーンを中心に進む。そこに、可南枝(かなえ)と亡くなった聡子とのエピソードが絡む。回想的にベッドに横たわる聡子に可南枝が話しかける場面として脚本に描かれるている部分が、年号の表示とともに、セーラー服の女子高生同士の姿で描かれていたが、この時間の移り変わりは、少しめまぐるしいなと感じた。
 萩尾望都の『トーマの心臓』をモチーフとして、同性愛が一つのテーマとなっている。聡子への気持ちが抑えられない可南枝、しかし、それは擬似恋愛として、女子校特有のものなのかとも思っている。現に、彼女の最初のキスの相手であった亜季は、進学するとともに、さっさと宗旨替えして、結婚してしまう。可南枝は、聡子への気持ちを抑えきれないながら、自分を慕う春菜と同棲、やがて、春菜は、「やはり子供が欲しい」と出て行く。そして、ラストシーンでは、レズビアンの告白もの扱いではあるが、本を出しているということが描かれている。
 一方、優希は、合宿では、清瀬から「可南枝に憧れているのだと思ってた」と言われて、「彼氏います」などと答えていたのだが、社会人になってからつきあった男がゲイ、しかも、ゲイだからと離れていったその男は、清瀬と結婚してしまう。当然、その結婚式の2次会では、大荒れで藤崎先生の家に担ぎ込まれる。最後の墓参りのシーンで、優季と清瀬も和解、というより理解したようには見えるが、いずれにせよ、バランスをとるかのように、レズビアンの問題だけでなく、ゲイの問題もさりげなく描かれている。
 他にも、聡子は、親から乱暴されていて、自分をどうやらあまり愛せていないようだし、可南枝の家も、3世代同居なのに、親子、夫婦、いずれも最悪の関係というように、家族の問題が描かれていたり、大人になって聡子は中東にボランティアとして関わっているようだし、彼女たちが社会と関わりながら生きていく姿が活写されている。登場人物は全員女優、派手さはないが、とてもさわやかな演技。
 テイストが近いと、2日経って思い至ったのが、吉田秋生の『桜の園』、そして、むしろその映画化(中原俊監督)。その吉田秋生の『BANANA FISH』について、合宿のシーンで登場人物たちが話しているのは、偶然だろうか。

 4月19日午後0時 中野ザ・ポケット
21/04/2015

芸能時評の目次へ

齋藤研究室ホームページへ