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2011年2月 アーカイブ

2011年2月16日

2月のつぶやき

"twitter"を「つぶやき」と訳したのはなぜなのでしょう。やってみたことのない私にはネット上のサービスについてはとやかく言うことはできませんが、純粋に言葉だけに注目すると、なんだかちょっと変な感じがします。いま、手元にある辞書をひいてみると(Longman Dictionary of Contemporary English, 3rd ed. with New Words Supplement, 2001)、"1 if a bird twitters, it makes a lot of short high sounds"(文字通り、「鳥のさえずり」ですね)のほかに、"2 if a woman twitters, she talks very quickly and nervously in a high voice"とあって、「おやおや、さえずるのは女だけなのか?」と笑わせてくれます(皆さんも高校の英語の先生にうるさく薦められたであろうロングマンの辞書のすごいところは、まさにしばしば笑わせてくれるところなのですが)。さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか、Web上で公開されているオンライン版(Webページ上の写真から判断すると、2006年の第4版がもとになっているようです)では、2の意味が"to talk about unimportant and silly things, usually very quickly and nervously in a high voice"と訂正されていていました。「どうでもいいばかげたことについて、高い声で早口に、そわそわしながらしゃべること」といった感じでしょうか。してみると、昨夜の演習うちあげで、子どものころに見ていたナントカというアニメについていっせいに興奮してしゃべりだした女子学生たち(その間、先生はおいてきぼり)は、さしずめリアルな空間で「ツイート」していた、ということになるのでしょうか。「そわそわ」という感じではなく、みな爆笑してましたけど。

それはさておき、文コミの教員たちが集まって、声の高低はともかく、「早口で、そわそわしながら」「つぶやき」あう、そんな会議が年に一回あります。以前のエントリーでも触れたことのある2月の卒論成績会議ですね。卒論指導教員を含む複数の教員が、学生の書いた卒論の評価をめぐって、ああでもない、こうでもないとやりあう。まあ、そこまでは普通のコミュニケーションと同じだ。しかし、しばしば、ひとしきり議論が出尽くして、評価に関しても合意ができたあと、半ばひとりごとのように「つぶやき」はじめる輩が現れることがある。例えば、こんな感じでしょうか(いい大人が、奇妙に視線を泳がせながら、「早口で、そわそわしながら」しゃべっている様子を想像しながら読んでみましょう)。

「いや~、これほどの素材だったのに、うまくリードできなかったんですよね。なんだか忸怩たるものがあるわけですが。★★★★★も読んでいたし、出発点だった☆☆☆☆にしても、◆◆を導入することによって違う方向に進めることができたと思うんですが、う~ん、やっぱり難しいテーマなんですよね~」、とか、

「あの部分が無闇に長いのは、えーと、仕方ないところもあるんですよね。12月の段階でちょっと言ったら、とつぜんものすごいスピードであの分析を書きはじめたんですよ。で、こっちもつい、細かいところを注意して、火に油を注いじゃったりして。バランスが悪いのはたしかですよね~。でも、あれで明らかになったこともあると思うんだけどな~」、とか、

「いや~、なんだか凄いっすよ。卒論っていう感じじゃないですね。院にはぜんぜん興味なかったみたいですけど。なんだか、別に評価なんてしてやらなくっていいような気がしてきますよね。かわいげ、ってもんがない」、などなど。

もちろん「卒論評価」なので、ちっとも"unimportant and silly things"ではないわけですが、かといって、晴れやかに巣立っていく彼ら彼女らにとって、ちょっとした点数の違いなど何ほどのものでもないはず。それに、そもそも点数はもう話し合いで決まっているわけです。それでも、思わず「つぶやいて」しまうことがある。早口で、そわそわしながら。なぜなのでしょう。おそらく、学生の書いた卒論を、いくぶんかは「わが子」のように思っているからなのでしょう。論文はもちろん学生が書いたものに違いありません(教員が学生の原稿に直接手を加えることはない)。しかし、ときには全否定し、ときには部分否定し、ドSになったりドMになったり、悩んだり悩ませたり、がっかりしたりびっくりしたり、ちょっとした発見に興奮したりしながら見守ってきた卒論に対しては、最終的な完成度がどうであれ、やはり、ちょっと平常心ではいられないところがある。卒論指導にはものすごく時間をとられますし、いい気持でお酒などいただいている正月元旦にメールで大量の原稿を送りつけて「添削してください」などと言われると秘かな殺意をおぼえたりすることもあるわけですが(ちょっと嘘)、まあ、仕方ないというほかない。すべてを自力で切り開いていかなければならない焦燥と、膨大な労力と、熱が出るんじゃないかというくらいのアタマの酷使と、そして、そうした努力があってはじめて、ふっと天から舞い下りてくる、インスピレーションの神様。最後の最後にやってくるこの「エクリチュールの快楽」(バルト的な意味とは違うでしょうが)にこそ、文コミのすべての教育研究は注がれているのですし、それが「文コミ」というものなのでしょう。

……などと感傷にふけっていられるのも今だけ。3年生はすでに卒論に向けた第一歩をふみだしています。ああ、今年は★ずと☆代音楽と百◆と▼スプレと●樹と▲リー・シュシュと砂糖■子か。アタマが痛い……

(直々にリクエストがあったので久しぶりに書いてみました。なお、もちろんですが、この文章はフィクションです。間違っても「あ、これってわたし」とか「~番目のつぶやきって、~さんのことかしら」などと詮索しないように。)

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