- 内藤朝雄,『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』,講談社現代新書,2009年
しかし、下のコメントにもあるけど、みんなレジュメ作るのうまいねー。いや、単に、要約「は」うまいね、みたいなイヤミではなくて、イントロから材料の提出、料理、食事、食後のデザートまで、一つの流れがきちんとできている。それに較べて、自分が学部1年の頃の「基礎演習」という人文総合演習に似た授業で作ったレジュメの貧相なこと(ああ恥ずかしい。でも他の人も似たようなもんだったけど)。まあともかく、料理の構想があるからこそ、材料もうまく調達できるってことです。料理のことを考えず、材料選びだけまずうまくなろうったってそれは無理な話。そしてこのことは、実際に料理をしてみた人にしかわからないこと。「演習」という授業の醍醐味はここにあるんですねー。
さて、今回の報告ですが、かなりラディカルな制度変更(学級廃止とか)を含む著者の提言に対して、そのラディカルさゆえのリスクを重視し、そこまでラディカルな変更を行うことなく、現在の制度の枠内でも可能な、しかし現状では行われていない対策を模索する、という形式でした。
その内容は、一言でいうと、生徒と教師の個別面談の機会を増やす、というもので、まあこれについては、報告者自身が「甘い」と思われる可能性を自覚しているとおり、甘いだろうなとは思います。しかし、ここから一般論ですが、著者の提言が「人類滅んじゃえば問題解決」的な、十分条件ではあるが必要条件ではないことまで言っちゃってないか、という観点からの検討、そしてそれに基づく、十分条件を必要十分条件に近づけていく知的努力というのは、「議論を作る」という点からは非常に有効です。実際ここから、出席者たちの活発な議論が出たわけですし。あとはまあ、もう少し報告者自身が議論に加わって、異論を返り討ちにしてあげる、というのがほしかったですが。
司会者は、「びしばし指名型」でしたね。おそらく意識してやったのでしょうが、これまでで一番、出席者間での発言のバランスがとれていたのではないかと思います。もう少し報告者に振ってもよかったんじゃ、というのと、わからなくなったら自分で考え(込ま)ないで、わかってそうな人に振ってしまって時間をかせぐ、というのをやってもいいかなと思います。あんまり流れを気にしすぎると縛られてしまいますからね(私の出身ゼミでは、「じゃあ、どっからでも」で議論が始まるのが通例でした)。
それから今日も、おかしと飲み物の差し入れがありました。私もお茶と紙コップ持っていったんですが、お呼びでなかったみたいで(泣)。
以下、出席者のコメント。
- 制度を大きく変えることは難しいので、いじめの問題もなかなかなくならないのだろうと思うと悲しいです。
- 自分もいじめにあったことがあるので、今日のテーマは身近なものでした。筆者の主張はおもしろかったです。
- 批判ばっかり言ってすいませんでした。「いじめ」の話題は難しいなあと思いました。みんなレジュメうまくてすごいです。
- ○○さんの中学と会社、大学についての指摘はすばらしかったと思う。
- いじめの話はしたくないですね。
- いじめを無くすのは不可能。でも減らすための努力は絶対必要。複雑なこの問題に教育制度だけではなく、教師、親、生徒、社会からの多様なアプローチが必要だろう。
- いじめはどこにでもある問題だけど、だからこそ解決が難しいなと思います。
- 報告者の感想 自分だけでは全く考えられなかったようなことが色々出てきて、うれしかったです。思っていることを言葉にするのは難しいです。
- 司会者の感想 ダメダメの司会でした。司会しようとして討論できなくなるのがまずかった。みんなにしゃべってもらうことで成り立ってた議論なので、ホント、みなさんありがとうございました。せっかくいいレジュメ作ってきてくれたのに生かしきれなかったな。しゃべれないのはキツいです。