- 荻上チキ,『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』,ちくま新書,2007年
鼻がつまったりすると、わかるんだ。今まで呼吸を、していたこと。――はい、えーと、というわけで、鼻はつまってないんだけど、熱が出て、ちょっと教員が朦朧としている回でした。朦朧としていると、周りへの気遣いができなくなるんですよね。なので、直観的に正しいと思ったことと論理だけの、すごく簡単なことを口走ってしまうという弊害が出てしまいます。逆に言うと、いつもは正解は求めず、周りへの思考喚起的な発言をしようと試みているわけですがー。
さて、今回の報告者は、いまどき! そしてこのネタなのに! 自宅にネットを引いていない貴重な人材でした(笑)。もちろん、ネット利用体験もかなり少ない。そうなってくると、本書を読んで、また報告の準備をする中で、自分がなんとなく知っているものを言語的に明晰な言説知識(discursive knowledge)にする、ってことはちょっとできない(なんとなくも知らないわけだから)。そういうときどうするか。
報告者が選んだのは、自分が比較的馴染んだネタと、本書から得られる、自分にとって比較的疎遠な知識を比較し、その比較の参照点として要請される抽象的概念を明確にする、という道でした。つまり、「議論」という抽象的観点から、その一つの具体化であるネット上の議論と、またもう一つの具体化であるこの演習という場での議論とを比較し、そもそも議論とはなんなのか、良い議論とはなんなのか、について考察を深めていくわけです。
その際には、対面であるかないか、匿名であるかないか、時空間の共有があるかないか、主題選択の自由度がどの程度あるか、といった、コミュニケイション一般の水準での種類の違いをどう捉えるのか、そして、議論という特殊なコミュニケイションにとってそれらの違いがどんな意義を持つのか、議論というコミュニケイションに参加することが、参加者各自にとってどんな意義を持つのか、といったことが問題になってくるでしょう。
朦朧としながら私が言ったのは、議論というのは、言葉を用いたコミュニケイションによって到達可能であるような正解が存在すると信じる人たちの間の、その正解を求める努力のことだ、みたいな感じだったと思うのですが、朦朧としていたのであんまり覚えていません。しかしまあ、だからこそ、(たかだか共同の意思決定を目標とするだけの)「会議」はつまらないが、「議論」はおもしろいんだ、ってことは伝わったのではないでしょうか。わかんないけど。
以下、出席者のコメント。
- 自分はネット社会には疎いが、この本でどんなことが起こっているのか少しわかってよかった。
- 要約が上手だと思います。
- 議論って難しいですね。
- 議論自体の定義がこんなに難しいなんて思いませんでした。
- 先生を論破できなかった・・・
- せっかく本をまじめに読んだのに議論に参加できないとはもったいないじゃないか。
- 議論って何だ……。難しいですね。司会者も報告者も話し合いやすい部分をつくってくれてよかったと思います。
- 報告者の感想 「議論によって到達可能だと皆が信じて議論するのが議論」の納得できる一つの答えが出たので、いい議論になったと思う。報告者の役割を何も果たしてこなかった。議論が進まってくれただけだ。なるようになるんだな。
- 司会者の感想 全然思ったように議論の流れを作れなかったのが残念。力不足です。