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2008年2月 アーカイブ

2008年2月13日

卒論評価終了

4年生の卒業論文発表会&口頭試問、そしてそれにひきつづく教員たちの卒論成績会議は、疑いもなく、文コミの一年のなかでももっとも印象深い行事のひとつです。前者に関して言えば今年もいろいろで、笑いあり(意外なようですが、俎板の上の鯉であるはずの発表者自身もふくめて、皆がつい笑ってしまう場面がけっこうあります)、涙あり(今年は、せいぜい、うっすら程度)、質問責めにあった学生の逆ギレがあり(傍で見ていてちょっと同情)、意見の相違からくる教員間のひそかな闘いがあり(教員たち自身は隠しているつもりのですが、学生にはけっこうばれているようです)、驚きがあり(ポジティヴなものとネガティヴなもの両方)、優しさがあり(私自身はたいへん優しかったと自負しています)、幻滅があり(否定しようがありません)、それをのりこえた師弟愛がある(二人のI先生の愛の深さにはだれもが感嘆したのではないでしょうか)といった具合でした。

そして成績会議。文コミでは一つの卒論を必ず複数の教員が採点することになっていますが、先生方の評価がおおむね一致する場合(これが大多数)はいいとして、毎年必ず、バトルが繰り広げられるケースが1、2あります(差支えがあるので今年のことは書きませんが、昨年は私がその主役でした)。いわばネタにされた学生は気の毒ですが、教員の側からみれば、普段の社交的な壁を突き破って、それぞれの学問観や価値観の違いがあらわになる、貴重な場でもあります。少々昔の話になりますが、文字通り怒号がとびかうこともあったような、、、4年生が卒論の評価を知らされるのは晴れがましい卒業式の席で、卒論の成績などはほとんど気にもしないでしょうし、なにより学問の評価基準は一つだと信じているでしょうから、なかなか想像しづらいかもしれませんが、人間について人間が書いたものを人間が評価するとは、おそらく、そうした差異の認識のための機会なのでしょう。

ちなみに、卒論を書き終えたばかりの4年生が、自分の卒論を反省しつつ、レポートにこんなことを書いていました。固有名を伏せて無断引用します(ちなみに「***」とは当該学生の卒論のテーマ)。「***は、私にとって大変魅力的であり、解きがたい問題であり、それゆえに救われたというほかない」。

現3年生も、一年後に、こんなかっこい言葉が言えるようになるといいですね。

たった一度の青春 ― 卒論は,青春!


確かに,B先生のおっしゃるように,卒論に係わる一連の行事では,悲哀こもごも,絶妙に計算された師弟愛の発露も展開される場でもありますね。意図的にずらしてみたり,夜叉面を演出してみたり,はたまた,翁のようなふりをしてみたり,この辺りは,学生の皆さんも先刻,感じていらっしゃることでしょう。また,評価をめぐっては,教員間の死闘もありますが,一戦を交えるからこそ,文コミならではの学問的信頼関係も築くことができる訳で,卒論が,学生と教員の壁を越えた切磋琢磨の貴重な機会となっていることは間違いありません。

たった一度の青春を
悔いなきようにと言うけれど
……

『高校教師』(1974年,TVドラマ,東宝,加山雄三主演)
主題歌「裸の青春」(唄・夏木マリ)

ところで,上記の「たった一度の青春」という文言が,卒論を書き上げた皆さんに送ったエールであることに,気が付いていらっしゃいましたか? 70年代の古い青春ドラマの主題歌だから,意図不明だったやも知れませんが,私が当時(中高生だった),ぐれて,荒れて,反抗していた頃,毎日のように,耳を傾けて聞いていた歌です。「オリゃ,先公(←もう死語),制限用法と継続用法の区別もしないで,関係代名詞,教えようって,それでも教師かッ,ばーか」とか,「あの先公,ブッタ切ってやるッ」とか,相当荒れていて,母の白髪を増やしていた深刻な時期がありました。登校拒否もして,スケバン(←これも死語)に共感すら覚えた時期,それが私の70年代でした。(こんな私の姿,誰も想像できないって?) ただし,既に私は,フランス語とラテン語を自分で勉強していましたし,サルトルの『自由への道』も読んでいましたし,フランクルの『夜と霧』も,『三太郎の日記』(知ってますか,阿部次郎の教養書!)もむさぼるように読んでおり,自分の歩むべき道を必死に(文字通り,必死に!)探しておりました。

皆さんの卒論は,まさに青春の証しだと思います。ダサイ言い方かも知れませんが,思いっ切り考えて,悩んで,書きまくって,そして,あとで過ちを悔やむ,それが卒論の卒論たるゆえんだと思います(学士学位論文なんて普通,言いませんよね)。自分を偽ってまで,カッコだけ,何やら完成されたものを書こうなんて,ゆめゆめ,そんな了見違いだけはしてもらいたくない。かく言う私もまだ,青春! 誰にも私を止められたくない。そして,皆さんにも,お行儀なんて今はいいから,これからもできるだけずっと,風のように,自由であってもらいたい。そう願ってやみません。

今回,卒論を書けなかった,親愛なるあなた,そして,これから初めて卒論に取り組む皆さんも,自分の青春の力に賭けてみませんか。


2008年2月16日

卒論や試験について

 毎年、この時期は、仕事が忙しいのと、1年間の仕事の結果が出るので辛いですね。
 いまだに、今日(というか、正式には昨日)が締め切りの採点が終わらず、研究室で作業しています。家に帰ると、寝てしまうので。

 お二人の先生が、卒論について書いておられますが、私は、毎年、「うまく指導できなかったな」という痛みとともに、発表会=口頭試問を聴いております。担当の学生の皆さん、申し訳ない。多分、自分が論文を書くことに極めて不熱心だからでしょうね。他のことに関心があるもので...が、そうも言ってられないので、来年度の方、頑張りたいと思います。

 うまく指導できないという意味では、レポートや試験の採点も同じです。読んでいて、奇妙な論が書いてあると、「何、これ、何でこう考えるかな!」と、大きく×をつけると、同じような回答が続くんですね。つまり、「えっ、こんな風に教えたの?」と自分の教え方に思いをいたす訳です。

 楽しいのは、実は、誤字です。レポートだとパソコンが考えてくれるらしく少ないですが、試験だとありますよ、面白いのが。「ガートルードは妻を飲んだ」と書いてありました。「毒」ですね。それで、愚かにも、そうか、下が女だと妻で、母だと毒になるのか、何故かな?としばらく考えていたのですが、上の部分が違うじゃないですか! それから、「野田秀樹の作品では忘想が」と書いてありました。「妄想」ですね。心が亡いと忘れるだけですみますが、女が亡いと妄想に走るのか...気をつけよう。って、いやいや。「賛否両論」が「賛否両輪」と書いてありました。と、思ったら、私の目の錯覚。「あっ、これ、賛否両輪、芝居のセリフで使えそう。しめしめ」なんて思ってしまいました。誤字が、世界の新しい見方を示してくれることもあります。これは大した例じゃないけど。

 さて、妄想ではないんですが、今日、昼間からずっと、男性トイレの一つの個室が、閉まったままなんです。いや、閉まっているのか確かめてないんですが、サインが赤になったまま。中はどうなってるのか? 一応、下からのぞいて足は見えなかったから誰もいないんだと思うんですが、誰か体調崩してたらどうしよう、と思いつつ、ノックできないでいます。もう深夜だし。おあとがよろしいようで。

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