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2008年1月 アーカイブ

2008年1月 9日

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。少し遅いですが。明日がようやく、卒論の提出日。毎年、これを過ぎないと正月気分にならないので。今は、ふと生じた空白の時間(全体ではないものの二人分の卒論に目を通したあと)にこれを書いています。すごく長くなりました。途中でやめて下さってかまいませんよ。

 特に、在学生と文コミ卒業生向けの投稿になりますが、1月19日と20日の午後2時より、ある秘密の場所(笑)で自作の音楽劇を上演いたします。興味のある方は、ご連絡いただければ(アドレスは、人文学部のホームページに一覧あり http://www.human.niigata-u.ac.jp/~e-human/staff/index.html)、ご案内を差し上げます。まあ、夢のような話なのですが、これを機会に劇団を立ち上げたいなと考えているわけです。

 ところで最近、自分の授業のレベルが落ちてきているなあと痛感しています。仕事が忙しくて準備の時間がないということもあるんですが、能力が落ちているのも確か。そして、一方で、学生の気質もやはり変わってきたのではないかと思っています。

 一例が、「シアター」という授業。数年前に比べて、悪びれずに遅刻して来る学生が増えた気がするんですね。一応、アンケート用紙を配って、その提出により出欠を取っているのですが、後から来て後ろにたまっているその用紙を取り、平気な顔でそれを出していく(としか思えない)学生がいるんですよ。それで、こちらも、用紙は後ろから配って全部回収し、後から来た場合には私の所に来ないと用紙が手に入らないようにしたり、授業中、黒板に数字を書いて、それに在籍番号を足してアンケート用紙に書く、つまり、その瞬間に教室にいないとそれが書けないというようなことをやったりしています。馬鹿ですね。

 しかし、こういうことを考えるのは、疲れるんですね。それよりは、講義で話すことについて工夫したいのに。昨年読んだ本の中で特に印象に残っているのに、内田樹(たつる)の『下流志向』という本がありますが、その中に教育サービスの買い手となってしまった子供の話が出てきます。新しいタイプの日本人の出現とまで言って、授業内容に対してすぐに「それ何の役に立つんですか?」と聞いてくる子供について書いています。

 上記の学生の姿、直接はこれと結びつかないかもしれませんが、根っこはつながっている気がしているんです。というのは、大学改革、ある段階まではいい方向に行っていたと思うのですが、最近は学生を過度に消費者として、そして、サービスを提供すべき対象として捉えすぎているのではないかと思っているんですね。一例は、どんどん詳しく(詳しすぎる!)なっていくシラバスです。卒業生は、一度、覗いてみるといいと思いますが、この授業を取ると○○についての知識が得られ、~という能力が身につき、××という態度が備わりますというようなことが臆面もなく書いてあります。私も、それを推進している人間なので、書いています! しかし、一度、「この授業に出ても、何の役にも立ちません。でも、自分の考えていることを真摯に皆さんに語りたい」などと書いてみたいものです。語学力が簡単に身につくものか!

 こうした、学生を消費者として捉える教育の中途半端な点は、仮にこれを資本主義的な教育スタイル(まあ、考察あまりしっかりやっていないので、いい加減な命名です)と呼んだ際に、教育を提供する側にはそれが適用されないということです。はるか昔に予備校で働いていたことがありましたが、そこでは、毎年、契約更改があるんですね。勿論、生徒のアンケートなどをもとに授業の査定をやって、翌年の給料が決まる。プロ野球の選手などと同じです。勿論、日々、胃が痛かったけど。

 大学では、こうしたことは、ごく一部にしかありません。つまり原資がないので、功績をあげた人間に報いることはすごく少ないです。勿論、差別反対の声も起こるし。ただ、報いようとしないのに、学生に対してサービスを提供するように迫り、また、学生からサービスの提供者としての質をあれこれ言われる中で誇りをもって仕事をしていくのはなかなか難しいものがありますね。

 勿論、自分の語ることが無条件に価値があると信じ、誰も聞いていないような話をすることにも抵抗はあるのですが、役に立つかどうかではないところで判断されたいという気持ちはあります。今までは、給料安くても、国立大学の誇りみたいなところで頑張っていたとしても、忙しくて、消費者にサービスしなければいけなくて、利益が配分されないとしたら、なかなかね。

 そして、突拍子もない結論に行くんですが(論理的な人間ではないので)、劇団を作ろうと思ったんですよ。何がいいかというと、作品の出来不出来が瞬間瞬間で分かる。単に笑ってもらえるか、喜んでもらえるかどうか、それだけ、その単純さがいいなと思いまして。

 読み返してみて、やはり全然論理的でないですが、まあ、これが私の個性なので仕方がない。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

2008年1月22日

御礼

 1月19日、20日の「秘密の場所」での音楽劇の上演においで下さった方、ありがとうございました。文コミ生に限ると、3年前の卒業生から在学中の2年生まで、何年かにわたる方々に見ていただき感謝しております。
 これからも、8、9月のゼミ単位での公演の他に、音楽劇を1本と、年間2本のペースで上演していく予定(希望的観測)ですので、お時間のある方、是非、次の機会にお越し下さい。また、一緒に芝居を作ってみたいという方(高校生も含め)、歓迎しますよ。

2008年1月24日

卒業論文発表会&口頭試問(2月7日、8日)のお知らせ

文化コミュニケーション履修コースの卒業論文発表会&口頭試問を以下の日程でおこないます。人数はいままででおそらく最多、二日にわたっておこなわれる長丁場です。当事者である4年生はもとより、3年生も原則出席必須。毎年さまざまな修羅場、じゃなかった、活発な議論が繰り広げられます。原則一般公開ですので、見学にいらしたいという方はどうぞおいでください。見ものですよ。


文化コミュニケーション履修コース・卒業論文発表会&口頭試問

2008年2月7日(木) @総合教育研究棟B251

卒論題目
10:00 大島弓子論
村上春樹研究
『ブラック・ジャック』の女たち
メディアにおける妖怪の再生産
11:00 宮藤官九郎論
〈キャラクター〉論
いしいしんじ論
J.D.サリンジャー作品研究
休憩(12:00-13:30)
13:30 リリー・フランキー論
今日の音楽・映像経験の起源――今日的ミュージックビデオの理解へ向けて
14:00 矢沢あい作品における街の描写
後期溝口作品における映像と音響――『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』を中心に
四谷怪談論――その怪奇性をめぐって
休憩(14:45-15:00)
15:00 シンディ・シャーマンにおける自己像のゆらぎ
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の作中描写について
ラウシェンバーグ論――都市文化と視覚経験
ティツィアーノ論
16:00 メディアにおける〈甲子園〉表象の変容


2008年2月8日(金) @総合教育研究棟B251

卒論題目
10:00 現代日本映画における主題歌――物語と歌詞の関係をめぐって
プロデューサー・鈴木敏夫論
ギイ・ブルダンにおける身体の表象
斉藤洋作品における「もうひとつの世界」
11:00 ヘンリー・ダーガー論
美術館における身体
一条ゆかり論
矢沢あい論
休憩(12:00-13:30)
13:30 ジェームズ・タレル作品における光と身体
現代アートとコミュニケーション
14:00 伊坂幸太郎論
ファッション雑誌における女性の表象
R.シューマン論
休憩(14:45-15:00)
15:00 ミケランジェロ・アントニオーニ作品における物語とリアリズムについて
ウォーカー・エヴァンズ――アートとドキュメンタリーのあいだ
乙一作品における死の表象
エンターテイメントとしての「ヴィジュアル系」

2008年1月26日

たった一度の青春


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