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2008年6月 アーカイブ

2008年6月 4日

東浩紀氏が文コミの集中講義に登場

かねてお知らせしているように、文コミの今年の集中講義(3年生以上向け、人文展開III種)に、『動物化するポストモダン1,2』などで現代日本を代表する批評家、東浩紀氏がいらっしゃいます。

080H3171 テクスト文化論B 東浩紀
9月16日(火)~19日(金)

人社系棟の掲示板にも掲示してありますが、聴講票提出の締切は6月6日(金)17:00(学務第一係)です。聴講を考えている学生は、忘れずに提出してください。

2008年6月 5日

詩文は香り,人をくすぐる ― versus digitos habet ―


B先生の「アダルトなロシア語」に応答して,ちょっと連ねて書いてみようと思います。そうしたくなる私への誘惑が,B先生の文章の中には既に仕組まれているようでもあるし,テクストはテクストの上に “superposition” されるものでもあるし,その方が,このブログも面白くなることでありましょう。但し,私は,ロシア語も知らないし,チェーホフの作品すら知らないので,B先生の引用文と地の文だけから,想像して書いてみます。

ところで,「客観的であるべき地の文のなかに,主人公の内面の声が混じりこんできます」とも,「地の文の客観性と主人公の主観性が交差する原文の微妙なニュアンス」が大事だともありますから,B先生の地の文で,「面倒な理屈などいっさい放棄してしまいたくなるような誘惑に駆られます」というのは,チェーホフの文章を前にして嘆息するB先生の感慨だけではなく,「犬を連れた奥さん」こと,二十を少し過ぎたばかりのアンナ・セルゲーエヴナに恋する四十男の気持ちを,そこに交差させているのかも知れません。「経験の少ない若い女にありがちなぎこちなさ」を云々するほどの手練手管の中年男が,「人生にはこんな出会いもあるのだ!」ということを生まれて初めて知ったのだから,さすがに,「分析だ,理論だ」なんて言ってられませんね。

それはさて措き,チェーホフのロシア語の輝きや響きについては,私にはよく分かりませんが,「いいなあ~」としみじみと溜息を洩らすB先生の文章を見ていて,思い出すことがあります。それは,モンテーニュ『エセー』の次の一文です。

Mais de ce que je m'y entends, les forces et valeur de ce Dieu se trouvent plus vives et plus animées en la peinture de la poesie qu'en leur propre essence,
Et versus digitos habet.
Elle represente je ne sçay quel air plus amoureux que l'amour mesme. Venus n'est pas si belle toute nue, et vive, et haletante, comme elle est icy chez Virgile:
(Montaigne, Les Essais, III, v, Sur des Vers de Virgile)

(和訳)
「だが,私がそこで分かることと言えば,この神(愛の神)の活力は,詩に描写されている時の方が,本物以上に,生き生きと,躍動しているということだ。
『そして,詩句には,指がある。』 (詩文は,人をくすぐる。)
その描写は,愛の神そのものよりもずっと愛の神らしい色を帯びた,得も言われぬ様相を呈している。全裸で,生きていて,息を弾ませている本物のウェヌスも,ウェルギリウスの次の詩句に描かれたウェヌスほどには,美しくはないのだ。」
(モンテーニュ『エセー』,第3巻第5章,ウェルギリウスの詩句について)

続くモンテーニュの文章には,ウェルギリウス『アエネーイス』第8巻(Verg. Aen. viii, 387-392, 404-406)から引用され,女神ウェヌスが,前夫であるウルカーヌスを抱擁する場面が描かれる。 “versus digitos habet” とは,ユウェナーリス『諷刺詩』(Juvenalis, Satura, vi, 197)の一句を改編して作られたものだが,生き生きとした精密な描写で,読む人の五感に直接作用する「エナルゲイア」(enargeia)の修辞技法の醍醐味を見事に言い当てたものである。

生身の女性より,詩や絵画に描かれた女性の方が魅惑的だという考え方は,ルネサンスの芸術家たちが口を揃えて言っていたことである。二十そこそこの本物の女性の色香も実感したかも知れないということは敢えて否定する必要もないが,B先生は,チェーホフのロシア語テクストから,極上の快楽を味わうことができた訳なのである。まさに,ご同慶の至りと言うしかない。

前置きはこのくらいにして,さて,本題に入ろう。

私が最も気になった点は,なぜ,チェーホフの「犬を連れた奥さん」から,あの箇所が引用されているのかということである。勿論それは,英訳と対比しつつ,ロシア語読解の肝心要を説明するための適切な材料だったということは明示的なのだが,なぜ,「いいなあ~」とB先生を嘆息させるほどの表現力を持っていたのかということが問題なのである。

「彼女の部屋は蒸し暑く,日本雑貨の店で買った香水の匂いがこもっていた。」

実を言うと,B先生は,この香りにやられたに違いない,と密かに私は思っているのである。「日本雑貨の店で買った香水」とは,「日本製品を取り扱っている/日本人が経営している」雑貨の店で買った「日本製の/日本製以外の」香水であるが,ロシア語としては如何様に解釈できるのであろうか。「犬を連れた奥さん」が書かれた1900年前後の帝政ロシアに於いて,外国製の香水が輸入されているとしたら,筆頭に挙がるのは,フランス製である。「……官營のデパートメント・ストアには佛蘭西産の三鞭酒もあり香水もあり装飾品もあり其他贅澤なる嗜好品,食料品も求めんとすれば總て舊帝政時代の如くこれを得ることが出來る。」(大阪毎日新聞,1923年2月20日~4月5日,勞農露國の現在)といった記事からも窺い知ることができる。

しかし,わざわざ「日本」と言っているのだから,あくまでも日本製の香水なんだとしたら,如何なる理由で,ロシアに入って来たのであろうか。アンナ・セルゲーエヴナは,それを,ヤルタで買ったのであろうか,それとも,生まれ故郷のペテルブルク,あるいは,S市(S市って,どこ?)で買ったのであろうか。二人が初めて二人切りになった女の部屋の,文字通り,空気を描写したこの一文は,五感に訴える強烈な第一印象となって,B先生の感覚を捉えていたはずなのである。避暑地の黒海沿岸での,新鮮な不倫,しかし,部屋の蒸し暑さは,恋の行為の阻害要因になるどころか,それを助長する。まるで,デュラスの『愛人』に登場する仏領植民地サイゴンの隠れ家のようではないか。そして,その蒸し暑さに隠微に混じり合う,日本の香水の香り。二人がS市で再会を果たした劇場で演じられていた芝居も,『芸者』であった。チェーホフと日本という主題は,ロシア文学の大きな研究テーマでもあるのだが,私にはその知識がないので,後日ご教授願うとして,取り敢えず,知らぬままに書き進めてみたい。(先行研究を参照しないで,プロは文章を書かないものだが,参照する以前に,一瞬,どういう想像を巡らせるのかということを,ブログならではの自由さで書いてみようということだ。)

「東露の同胞 其數約四千五百人に達し其内醜業婦第一位にあり其他寫眞洗濯理髪時計直し大工等の諸業最も多く貿易商の如き僅か六十に足らず……」(時事新報,1918年8月15日,東露經濟近況) ここでいう東露とは,バイカル湖以東のシベリアのことである。「からゆきさん」(当時の言葉では,「娘子軍」「醜業婦」)は,明治から昭和にかけての南進日本の先陣を切って,南洋・東南アジアに進出した海外売春婦のことであるが,帝国陸軍が主として推進した北進政策の中でも,シベリア方面に渡った「北のからゆきさん」も多数いたことが知られている。「からゆきさん」が行く所には,その身仕度のために,着物やら化粧品やらを扱う怪しげな商人も便乗して渡っていった。映画『サンダカン八番娼館 望郷』にも,着物を売り付けようとする呉服屋や,写真屋が描かれている。当時,シベリア鉄道は既に通ってはいたが,ヨーロッパに渡った「からゆきさん」がいたことも知られているし,アポリネールの小説にも,蝶のように肢体を開く日本娘(恐らく,からゆきさん)の性の描写も見られはするものの,チェーホフが描く帝政ロシアの主要都市に「からゆきさん」が渡ったという記録は,ここ数日の調査では,残念ながら該当する文書が見つからない。アンナ・セルゲーエヴナが買い求めた香水は,日本の女郎屋周辺に係わる商店にあった物ではなかったかという想像を掻き立てたのである。チェーホフは,シベリアを横断してサハリンまで来ており,「北のからゆきさん」のことは知っていた。

時代はチェーホフより少し下るが,「……今本邦よりの輸入品として掲記せらるゝ品名は精米,寒天,精製樟腦,アンチモニー,薬品,コスメチック及香水類,器械類,眼鏡類,生絲,消毒綿撚絲,麻織物,絹織物,編物及莫大小,鈕釦,小間物類其他なりとす。」(横浜貿易新報,1915年11月18日~11月23日,開戰後の對露貿易)という記事もあり,ロシアが日本から香水を輸入していた事実が分かる。また,更に時代を下り,ソ連時代のことになるが,「モスコー百貨店に初めて,日本品現ると報ぜられた時は,全く一つの出來ごとであつた。……絹地,毛織物を始めとして,ハーフ・コート,腕卷時計,蓄音器のレコード,ボタン等々である。なにひとつ特別に日本品の廣告が出たわけでもないのに,かういうことに特別きゝ耳の早いモスコーつ子の間に「日本品現る」の聲がそれからそれへと傳はり擴まると,憧れの日本品に人々は殺到していつた。世界に名だたる日本品が出てゐるさうだ,殊に日本の絹ときたら世界一だ,人々はかう言い合つて,無理をしてでも日本品をむさぼり求めた。人々はまづ,その表裝の美しさ,模様や色上げの見事さに,歡聲を放つた。かうしてモスコーの女といふ女が,全部,日本の美しい絹服を纏つて,生れ代つたやうに綺麗になるだらうと噂されたのであつた。……日本品が珍らしくもソヴエトに現はれた經路は,もちろん北鐡譲渡によつて,ソ聯が其代償金の一部を日本商品によつて受取つてゐるからであるが,……」(東京朝日新聞,1936年8月4日~8月30日,世界のデパート)という記事も見られる。

ヨーロッパ・ロシアに於ける日本趣味の流行は,パリ万博も含めた,ジャポニスムの影響だというのは,素人にもすぐ思い付くことではあろうが,表の歴史だけではなく,裏の歴史というものもあるのだということが私を引き付けるのであり,アンナ・セルゲーエヴナが確かに買い求め,「犬を連れた奥さん」の極めて重要な小道具になった「日本雑貨の店で買った香水」が如何なるものなのか,私は知りたいと思ったのである。話が勝手な方向に進んでしまったが,チェーホフの研究用リファレンス・エディションを見れば,注釈に書いてあることやも知れないし,周知のことなれば,ご教示下されば幸いである。

B先生は,ロシア語のアダルトな一側面に感動されて記事を書いた。私とは,全く専門を異にするとはいうものの(日常的には,極めてよく一緒に仕事をしている間柄だが),その感動が,もし,「からゆきさん」の歴史的因縁と仮にどこかで絡まっているとするならば,事実は,小説よりも奇なり,と言わざるを得ないのである。


2008年6月14日

「つ」の快楽、むせかえる香り、そして翻訳という現場

I俣先生はあんなふうにおっしゃっていますが、実はロシア語がおできになるに違いありません。そうでなければ、Bがわざわざ原文のまま訳さずにおいた肝心要の箇所をそしらぬ顔で暴露し、さらに、あらずもがなの注釈まで付け加えてしまうなどという芸当はできなかったでしょうから。

「ロシア語もチェーホフも知らない」とうそぶくI俣先生ですが、その実、チェーホフと「からゆきさん」の歴史的因縁に関しては、かなり丹念なリサーチを重ねて書き込みをなさっている様子がうかがえますし、問題の所在を指摘する手つきの正確さには驚かされます。まさしくそのとおりで、チェーホフは日本に深い関心を持っており、「からゆきさん」の存在もよく知っていました。

1890年、30歳のチェーホフは、足かけ9か月にもおよぶサハリン旅行を敢行します。まだシベリア鉄道が開通していなかったころの話ですから、ほとんど想像を絶する苦行ですが、サハリンで流刑囚の生活を調査し、そのあと日本に立ち寄る予定でした。折悪しくコレラが流行していたために日本訪問の夢は実現しませんでしたが、チェーホフがサハリンへの道中ですれちがう日本人たちに生き生きとした好奇のまなざしを向けていたことは、次の手紙からもうかがい知ることができます。アムール川沿岸の町ブラゴヴェシチェンスクから友人のスヴォーリンに宛てた手紙です(1890年6月27日付)。

中国人を見かけるようになるのはイルクーツクからですが、ここまで来ると蠅よりたくさんいます。とても気のいい連中です。<…>
ブラゴヴェシチェンスクまで来ると日本人を見かけるようになります。というか、むしろ、日本女性たち、というべきかな。小柄な黒髪の女たちで、大きくて凝った髪の結い方をしており、胴まわりも美しいのですが、腿が短いような気がしました。きれいな着物を着ています。彼女らの言葉には「つ」という音がよく聞かれます。<…>
ここで言及されている「日本女性たち」こそ「からゆきさん」にほかなりません。上の引用はアカデミー版全集から訳しましたが、<…>のところは原文でも伏せ字になっています。ロシア文学者の中本信幸は、ロシアの古文書館に保管されているチェーホフの手紙の現物を閲覧し、伏せ字部分を復元して翻訳紹介するという執念の仕事をやりとげましたが(『チェーホフのなかの日本』大和書房、1981年。ところが図書館に入っていない!)、それをそのままここで引用すると、それこそアダルトな「裏の歴史」になってしまうのでやめておきます。まあ、だいたいわかるよね。

むしろ、私が惹きつけられたのは、引用の最後の一文です。「彼女らの言葉には「つ」という音がよく聞かれます」(В языке их преобладает звук "тц")。

ローマ字に翻字すれば"tts"になるこの表記は、ロシア語正書法の規範からすればいささか異常なものです。初級のロシア語でもおなじみの"отца"(アッツァー。「父親 отец」の生格)の例に見られるように、この綴りは「ッツ」という感じで破擦音"ц"を二重に重ねて発音されるのですが、前後に母音を伴わずに使われることはまずありません。チェーホフは、たえず笑みをうかべている日本人娼婦の口から発せられた奇妙な響きを思い出しながら、あえてロシア語の規範を歪曲してまでも、それを再現しようとしている。自分では理解することのできない日本語の音の流れに身をゆだねながら、そこにときおり浮かびあがっては消える「つ」の音に魅了されているのです。

それが島原や天草の女たちの方言におけるどのような語と対応するのかを調べることは可能でしょうが、実は私自身はあまりそちらのほうに食指が動きません。むしろ、ほとんど幻聴のように響く「つ」のなかにチェーホフが感受していたであろう快楽の質に惹かれます。記号論の用語を使えば、音(phone)と音素(phoneme)の中間地帯にある「言語未満の快楽」とでもいうことになるでしょうか。それとも、ロラン・バルトにならって「言語のざわめき」とか「声のきめ」と呼ぶべきでしょうか。

文学史の教科書ではサミュエル・ベケットをはじめとする「不条理文学」の先駆者とされることもあるチェーホフですが、その「不条理」とは、案外、こんなプリミティヴな快楽を指すのかもしれません。たとえば、こんな例はどうでしょう。「犬を連れた奥さん」第2節の終わり近く。ヤルタでの一夏の恋が終わり、アンナ・セルゲーエヴナがS市の夫のもとに帰っていったあと、駅のプラットフォームに一人取り残されるグーロフの描写。

プラットフォームに一人とり残されて、闇のかなたを見つめていたグーロフは、きりぎりすの啼き声と電線の唸り声を聞きながら、まるでたったいま眼がさめたような気持がしていた。
И, оставшись один на платформе и глядя в темную даль, Гуров слушал крик кузнечиков и гудение телеграфных проволок с таким чувством, как будто только что проснулся.
狂ったようなひと夏の不倫がいままさしく終わりを告げた瞬間、主人公の耳に外界の騒々しい響きが飛び込んできます。生物と無生物の境界を無化し、なにかを呼びかけるメッセージのようでありながら、意味ある言語として分節することがけっしてできない、そんなナンセンスな響き。ロシア文学者の浦雅春は、まるで山本晋也監督をちょっとだけ上品にしただけのような顔をしていますが(失礼!)、その外見とは裏腹に、チェーホフにおけるこのナンセンスな「響き」に対する繊細な感性の持ち主です。
それにしても何という音の洪水だろう。『往診中の出来事』でも『いいなずけ』でもおびただしい「音」が交響している。それらは小説の具体的描写という枠を超えて、はるかに大きな意味をになっているように見える[…]実際、晩年になるにつれて「音」は作品のなかで格別の意味をもってくる。主人公たちは、あるときは音に脅えながら必死にその音に聞き入ろうとする。あたかもそれが自分に何かを問いかけているかのように思えるからだ。その問いかけのなかに自分を救う鍵が秘められているように思えるからだ。(浦雅春『チェーホフ』岩波新書、2004年、196-197頁)
むかし、さんざん奢ってもらった浦さんだから言うわけではありませんが(笑)、この本、なかなかよくできています。おすすめです。

チェーホフと日本の話題に戻すと、アンナ・セルゲーエヴナが買い求めた香水が、日本の女郎屋周辺に係わる商店にあった物ではなかったかというI俣先生の推測は、残念なことに確認されないようです。

彼女の部屋は蒸し暑く,日本雑貨の店で買った香水の匂いがこもっていた。
У нее в номере было душно, пахло духами, которые она купила в японском магазине.
アカデミー版全集の註によれば、ヤルタの海岸通りには、1899年当時、二軒の日本製品店があり、それぞれA.F.デメンチエフとS.M.ヤトヴェツなる人物の店であったことが、当時の名鑑から確かめられています(したがってここを「日本人の店」とすると誤訳になる)。また、そもそも、当時日本が香水を輸出していなかったことも、ほぼ確実です。といっても、「日本の店」でまさかフランス製の香水でもないでしょうから、アンナ・セルゲーエヴナが買い求めた「日本雑貨の店の香水」とは、ロシア人がそれらしいものを作って勝手に日本らしい銘柄をつけたまがいもの、という可能性が大でしょう。

しかし、インターネット時代は恐ろしいもので、明治・大正期の日本の香水事情についてググってみると、すぐに、こんな記事にぶつかります。「日本に輸入されて初めて市販された香水はロジェ・ガレ社の「ヘリオトロープ」です。[…]明治の文明開化の波に乗って流行しました。夏目漱石の「三四郎」の中にも登場しています。(「日本の香り/香水情報サイト」http://sat01.com/perfume/02.html)。そういえばそうだった! と全集で確認してみると、

女は紙包を懐(ふところ)へ入れた。其手を吾妻(あづま)コートから出した時、白い手帛(ハンケチ)を持つてゐた。鼻の所へ宛てゝ、三四郎を見てゐる。手帛(ハンケチ)を嗅ぐ様子でもある。やがて、其手を不意に延ばした。手帛(ハンケチ)が三四郎の顔の前へ来た。鋭い香(かおり)がぷんとする。
「ヘリオトロープ」と女が静かに云つた。三四郎は思はず顔を後(あと)へ引いた。ヘリオトロープの罎(びん)。四丁目の夕暮。迷羊(ストレイ・シープ)。迷羊(ストレイ・シープ)。空には高い日が明(あきら)かに懸(かゝ)る。
「結婚なさるさうですね」
 美禰子は白い手帛(ハンケチ)を袂(たもと)へ落した。
「御存じなの」と云ひ言いながら、二重瞼(ふたえまぶち)を細目にして、男の顔を見た。(『三四郎』十二)
そうそう、こんなのもあった、と連想が広がります。ただし、香水ではなく、花の香り。
やがて、夢から覚めた。此一刻の幸(ブリス)から生ずる永久の苦痛が其時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失つた。彼は黙然として、我と吾手を眺めた。爪の甲の底に流れてゐる血潮が、ぶるぶる顛へる様に思はれた。彼は立って百合の花の傍(そば)へ行つた。唇が弁(はなびら)に着く程近く寄つて、強い香(か)を眼の眩(ま)う迄嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香(か)に咽(む)せて、失心して室(へや)の中に倒れたかつた。(『それから』十四)
そしてチェーホフに戻る。「日本雑貨の店で買った香水」の直前の場面。人もまばらになった晩のヤルタの埠頭。さきほどまで快活だったアンナ・セルゲーエヴナは、いまはもう黙りがちになって、手にした花束の香りばかりかいでいる。
すると彼はじっと彼女を見つめ、ふいに抱きよせて唇にキスをした。花の香りと露がふりかかり、彼はすぐにおびえてあたりを見回した。誰かに見られなかったかな?
「あなたの部屋に行きましょう」。彼は静かにささやいた。
そして二人は足早に歩きだした。
Тогда он пристально посмотрел на нее и вдруг обнял ее и поцеловал в губы, и его обдало запахом и влагой цветов, и тотчас же он пугливо огляделся: не видел ли кто?
- Пойдемте к вам... - проговорил он тихо.
И оба пошли быстро.
どうでしょう。漱石においてもチェーホフにおいても、「香り」が、男女の関係が決定的に変容する瞬間の記号になっていることに気づくのではないでしょうか。「音」も「香」も、「見る」経験につきものの日常的な「距離」の感覚を失わせるものです。音には包まれることができますが、眼は離れた対象しか見ることができません。香りにはむせかえることができますが、眼は対象に触れることができません。そして(いささか教科書的になりますが)「理論theory」が、そのギリシア語の語源が示すように「観照すること」であるならば、たしかにこれは「理論」のリミットを指し示す事態であるということになるのかもしれません。

眼の前にあるテクストを一字一句追っていく。辞書を引き、参考書を調べて、翻訳し、解釈していく。そのテクストの背後には、I俣先生が「裏の歴史」と呼ばれる膨大な人々の営みがあって、私たちを驚かせる。またテクストに立ち返って、耳をすまし、香りをかぐ。

授業でも論文を読む際でも、私たちはつい華麗な結論に眼を引かれてしまいがちですが、その背後には、こうした地味で時間のかかる仕事があるのです。「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」とは織田裕二扮する青島刑事の名言ですが、それにならっていえば「事件は論文で起きてるんじゃない、テクストで起きてるんだ」となるでしょうか。

そんなとき、ふとした偶然から、ネット上でこんな記事が目にとまりました。「スタンダール『赤と黒』 新訳めぐり対立 「誤訳博覧会」「些末な論争」 」http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080608/acd0806080918004-n1.htm

事の当否そのものは私には判断できませんし、いくらなんでもちょっとやりすぎなんじゃないかという気はしますが、それでも、ふだん、なかなか一般読者が目にすることができない「事件の現場」があらわになる貴重な機会であることは間違いありません。フランス語を学ばれた方は一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。


(それにしても、えらい時間をかけてしまった……)

2008年6月24日

人文学部長杯争奪ソフトボール大会

ソフトボール係の佐々木です。
校舎のあちこちに張り紙をしてありますが、今年のソフトボール大会は、7月6日(日)西総合スポーツセンター(コスポ)多目的広場で、12時から開きます。多数の参加を望んでいるのですが、うわさでは今のところ、チアガール志望がたくさんいるけれど選手志望があまりいないとのこと。選手が9人集まるか怪しい状況なので、誘い合って参加してください。特に男子は、格好いいところを見せるまたとない機会なので大いに参加してください。チアガール志望の女子はスポーツが得意そうな人がいたら、参加するよう、誘う(誘惑する)ようにしてください。

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