今回の報告は、著者の議論を参考にしつつ、独自に『風の歌を聴け』の評論を試みるという、なかなか野心的なものでした。論点も結構面白く、しかし適度に穴もあって(笑)、作品を解釈していくことの面白さと難しさを体験できたのではないかと思います。作品全体の解釈は各部分の解釈に依存するが、他方で各部分の解釈は全体の解釈に依存する――これを解釈学的循環といいますが、今回話題になった「嘘」についてはこの循環(による解釈の不定性)が現れていたようにも思います。あと、この作品が、「「僕」が書いた物語」であると同時に「「僕」が書いた物語であることが内部に書かれている物語」であり、さらにそれを書いた「村上春樹」が架空の作家ハートフィールドにまつわる架空のエピソードを書いた(それゆえ小説の一部である)「あとがきにかえて」を含むという点で、「著者」が複数、重層的になっており、解釈者がどのレイヤーに依拠するかで話が変わってくるということもいえるでしょう。この点も議論に組み込めればさらに展開が望めたかと。
さて、出席者に『風の歌を聴け』を読んだことがある人がいないというのは、ちょっと誤算でした。早めにレジュメの方向性をアナウンスしといた方がよかったですかね。でも今回の文献なら、少なくとも『風の歌を聴け』くらいは読んどくもんだろうというのは・・・過剰要求ですかそうですか。
昔、大学1年の頃、柴田元幸さんの「翻訳論」の講義をとっていて、ちょっと遅刻していったところ、もともと大人気講義だったとはいえ異常な人数が教室にいて、後ろの入り口から入って席を探して前の方にやっと見つけて座ったら、なんと村上春樹がゲストに来て柴田さんと対談していて仰天したのは良い思い出です。これが東京か!と思いました(笑)。このときの様子は『翻訳夜話』に収録されていて、なんと私がフロアから村上さんに質問しています(どの質問かは恥ずかしいので言いませんwww)。
以下、出席者のコメント。