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2009年1月

2009年1月29日

人文総合演習B 第14回


この演習は人文学部の1年生の必修なのですが、今回の報告者はうちでは唯一、他学部から遠征に来ている学生です(工学部1年生)。

報告は、自己も時間も「もの」ではなくて「こと」だという著者の主張を正確に理解・感得したうえで、それをさらに自分になじんだ例で敷衍していくというものでした。たとえば三角関数の記号(sinとかcos)から受けるイメージ、トイレの照明の自動点灯装置におけるCPUの認識のあり方、認識することと自己であるということの違い、さらには自己であることと自己が自己を自己として認識するということの関係、などなど、報告者の見解を呈示するよりも、聞いている各人にそれぞれ考えるべき課題を与えるといった意義をもった報告だったと思います。

私としては、「こと」について論じる際に用いる「ことば」というもの(!)が、「~とは○○である」みたいな、「もの」化的傾向をもつがゆえの、「こと」についての論じにくさ、そして、にもかかわらず、報告者がいうとおり、「ことば」から我々が読み取るのは「もの」ではなくて「こと」なのだという事実、そしてさらに、このメタ的議論をやはり「ことば」でやらなければならないという、まあなんというかこのややこしさをどうしたらいいか、ということを自分なりの課題として受け取りました。


以下、出席者のコメント。

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2009年1月28日

吉原直樹編『防災の社会学』

防災コミュニティをテーマとした共著が刊行されました。「シリーズ・防災を考える」の第1巻です。出版社による説明はこんな感じです。「社会学の視角から防災を「まちづくり」と捉え、行政によるタテのリスク管理を、地域市民によるヨコのリスク管理と組み合わせ、どうセーフティネットを構築していくか、防災にかかわる諸主体やセクターの現状から解明する」。
私の担当章では、中越地震・中越沖地震の対象地でおこなった調査をふまえ、コミュニティ・町内会に焦点をあてて論述しました。とくに、結果的に災害に強かったコミュニティにはどのような特徴があるのか、という点が中心です。よろしく、よろしく。

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読書つれづれ

忙しくてしばらく読書ノートをかけませんでした。ひさしぶりになるかな。
とても面白く有意義だった本をいくつか挙げます。まず歴史関係の本から。
磯田道史『殿様の通信簿』、田中圭一『百姓の江戸時代』、渡辺尚志『百姓の力』がある。
眼から鱗がたくさんありました。

2009年1月22日

人文総合演習B 第13回


いきなり私見を書くけど、本書は、なぜ働くかについて直観的に知っているがゆえに「なぜ働くのか」などと疑問に思わない人が、自分の直観を分節化して、疑問に思う人に教えてあげる、という感じの本だと思います。ところが、上記のような疑問は、問う人にとって問いそれ自体の意味が様々なはずなのであって、一般的な問いに対する一般解を与えようとする本書の議論は、ほんとうに疑問を抱く人にはまったく届かない。報告者が著者の議論に対して納得がいかなかったのもそのためだと思います。

さて報告者は自分の納得のいかなさの原因を探っていきますが、それは、自分にとっての「なぜ働くのか」の問いの意味を探るプロセスにもなっていたはずです。そうやって、死の瞬間における人生全体の肯定的評価、という基準に至り、この基準から、「お金のため」「他人のため」といった既存の回答案を点検していき、(当然ですが)否定的な結論を下していきます。

私見が続いて申し訳ないですが、これが哲学だ、というのが私の考えです(そして本書のごときは哲学ではないというのも)。もちろん、報告者はまだ知識も議論の展開も未熟なので、自分にとって本当に意義のある結論を導くことはできていないし、ましてや他の出席者にとって意味がある形で呈示することにも成功しているとは言い難いとは思います。成功の見込みがあるのかどうかもよくわかりません。が、それだけが哲学的探究の道であることも事実でしょう。既存の哲学書が、自分の問いを明確にし、他人に伝達可能なものにするための指針となる方法論を与えてくれる可能性はあるでしょう。要するにまだまだ勉強すべきことは(というか、とりあえず勉強してみる価値のあることは)たくさんあるということです。

ただ、急いで付け加えると、社会学者としては、哲学的に問いを深めることだけが、問いから解放される道ではないということも言っておきたいと思います。演習の中で何人かが言っていましたが、一時的に「なぜ~?」と問う人も、一晩寝たり、酔っぱらったり、風呂に入ったり、運動したり、テレビ見て笑ったり、忙しくて死にそうになったり、ぽかぽか陽気であったかくなったり、恋人ができたり、コーヒー飲んだり、資格試験にのめりこんでみたり、とかとかしているうちに、問い自体が自分にとって無意味化することもあるわけです。ま、そういう(頻度としてはきわめて多い)可能性も頭の片隅に置いて考えていくのも一つの手でしょうという感じで。

司会者は、報告者が来るまでの場つなぎ、議論が停滞したときのまとめと再開、など、たいへん工夫してがんばっていたと思います。ただ、(今回に限らず)いいことを言おうとしすぎて時々つまってしまうのはあまりよくないです。司会者の仕事は、いいことを言うよりも、場を成り立たせること、つまり「お座成り」であることだと思います。次回以降の人は、その辺にも注意してみてください。


以下、出席者のコメント

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2009年1月 8日

人文総合演習B 第12回


今回の報告では、貧困国に対する富裕国の責任、という点に注目して、報告者独自の分析と判断を見せてくれました。報告は、国際関係における貧困の問題は、仮に公正な自由貿易をしたとしても構造的に貧困が放置されるような体制になっていて、そのこと自体が不正であるということに加えて、そのような体制が現在の富裕国による過去の不正の結果であるという洞察に基づき、現在の富裕国は、現在の状況が不正であるがゆえにそれを正す責任を負うだけでなく、過去の不正の清算をするという責任も負う、という二重の責任追及によって、富裕国に根本的な再配分を迫る、というものでした。議論の構成としてはなかなか手が込んでいて面白いので、今後は(?)、この枠組みを具体化する議論を精密に組み立てることが課題になるでしょう。

ところで報告者は独自の正義の基準として「等価交換」を呈示し、それをアニメ『鋼の錬金術師』に由来するものとしていたのですが、不勉強ながらわたくし未見なのでいまいちわかりませんでした。『ガンダム』(ただし富野もののみ)ならわかるんだが(笑)。

何人か書いてますが、司会うまかったですね。あのやり方は今後の人の参考になると思います。


以下、出席者のコメント。

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