- 古田博司,2007,『新しい神の国』,ちくま新書
2コマ連続の1つめです。単位取得に必要な回数はすでに終わっているので、教員も学生もいろんな意味でサービスタイムに突入しています。
さて、対象書はなんかエッセイ集(というか雑文集)みたいな感じで、なかなかどうしていいか難しいところだったのですが、とりあえず報告者の姿勢は明確です。つまり、日本は東アジア文明圏には入っていないのだという「別亜」論に共感したうえで、「霊魂観」の違いは、重大かつ克服不可能なので、理解を求めるのではなく冷めた姿勢で戦略的に応対せよ、というものです(レジュメにはそこまで明示してはなかったけど)。
しかしまあ、いかんせんレジュメの分量が少なすぎました。そのためもあって、「霊魂観」というのが何であって、ある国の「霊魂観」がどういうものであるのかは、どこを見ればわかるのか、どうなっていれば~な霊魂観だといえるのか、といったことについての、報告者の見解が不明すぎました。つまり、自分がよくわかっていないものを最大の論拠にしてしまう、という失敗です。
他方で、レジュメには報告者自身の、中国人に対する見解の変遷が具体例を伴って紹介されていました。中学校の同級生にいた中国人留学生から得た印象、その後2ちゃんねるを見る中で形成されていった悪い印象、両者の齟齬についての戸惑い・・・・・・。報告者は結局、本書を読んでにわかに得た「霊魂観」というキャッチワードで、自分の現在の(つまり2ちゃん的)見解を擁護する方向に話を進めたわけですが、前述のとおり、それがいかにも「にわか」であることは、出席者との議論の中での報告者のしどろもどろ化によって暴露されてしまいました。
さて、報告者の見解は、ポリティカリーにはインコレクトな方面に足を踏み入れているといえるでしょう。また、一国内の文化的同一性をあまりにも簡単に想定してしまっているという面で社会科学的に素朴すぎるともいえるでしょう。しかし、報告者が2ちゃんを見ていて嫌中的感情を強めたということ自体は事実なわけです。ならば、それがどういう感情であり、どういう変化であるのかということを、ものすごく緻密に記述していくことには、非常に高い学問的価値があると私は思います(報告準備段階での打ち合わせ時には、そうした趣旨のことを言ったつもりでした)。
一般に、若い人は未熟です。頭の中身も大したことないでしょう(!)。しかし、そういう若い人が、未熟ながらも経験し、また強く思ったり感じたりしていることというのは、成熟し、また頭のいい年長世代には、決して直接アクセスはできないデータの宝庫なのです。若いうちは、というか若いがゆえに、武器となるのは自分の経験がほとんどです。しかしそれは同時に、示し方によっては非常に強い武器になる経験なんだということを、知っておくとよいと思います。
以下、出席者のコメント。
- 終始「?」でした。宗教関係は難しいです。
- 議論をするのは難しいなと改めて思いました。考えがしっかりないと主張もできないし、議論の輪に入れないです。
- レジュメの内容がどんどんゆらいでいったので、ちょっと話をつかみづらかったです。
- 議題がとても難しくてよく分からなかった。勉強不足でした。
- もう少し報告者の意見が一貫していたら良かったかなあと思いました。全然、発言出来なくてすみませんでした。
- テスト期間なのに報告者の人はこんなに難しい本のレジュメを作るのは大変だっただろうなと思いいました。
- 日本と中国の霊魂観の違いは難しくてよく分からなかったです。もっと知識が欲しいです。
- 主張が少なくて、どうも入り辛かったですね。もっと材料、知識はほしかったです。
- 「霊魂観」・・・わからないな、と思う。難しい話でした(個人的に)。
- 議論自体が何を模索しているか分からなかった。ちょっとデータ不足かなと思った。
- 民族の意味がよくわからなかった。
- 報告者の感想 せめて時間は厳守すべきだった。霊魂観というものも、個人のものと国のものとを考えているうちにどっちつかずな内容になってしまった。
- 司会者の感想 あんまり話を発展できなくてごめんなさい。頭がまわらなかったです。