根岸明美さん追悼 ― 南洋憧憬の一つの終焉 ―
根岸明美さんが,この11日,逝去(73歳)された。今朝,13日早朝のニュースで報道。1950年代,日劇ダンシング・チーム(N・D・T)のトップ・ダンサーとして活躍された根岸明美さんについては,南洋のカナカ娘の踊りを披露した『さらばラバウル』(1954年,東宝)や,『キングコング対ゴジラ』(1962年,東宝)などに出演し,戦後日本の南洋憧憬を表現する極めて重要な女優の一人として,文コミの授業でも,また,先日行なった口頭発表「南洋史観とゴジラ映画―皇国日本の幻想地理学―」(2月20日,人文学部・大学院プロジェクト共催,表現文化研究フォーラム)でも,その映像を紹介したばかりである。
根岸明美さんは,1934年(昭和9年)3月26日,東京生まれ。母は,往年宝塚少女歌劇で活躍していた元タカラジェンヌ。大妻高等女学校中退,1949年10月,日劇ダンシング・チーム(N・D・T)第6期舞踊研究生の試験に合格し,N・D・T付属舞踊研究所を経て,翌1950年(昭和25年)から,N・D・T第6期生として舞台に立つ。1952年,日劇の舞台を見に来たスタンバーグ監督の眼にとまり,1953年(昭和28年),映画界入りをする。それが,「女王蜂」("Queen Bee")として主演した『アナタハン』(THE SAGA OF ANATAHAN,1953年,東和,日米合作,特殊技術・円谷英二,音楽・伊福部昭)である。『さらばラバウル』,『獣人雪男』(1955年,東宝,特殊技術・円谷英二)などの他,李香蘭の最後の映画『東京の休日』(1958年,東宝。白川由美,原節子,水野久美,河内桃子,香川京子など“東宝美女軍団”と共演)にも出演,『キングコング対ゴジラ』では,ファロ島の原住民の踊りをスクリーンで披露している。
※ 生年月日について,1933年(昭和8年)3月(当初参照資料に拠る)とするのは誤り。
「日劇三大おどり」では,1951年,戦後第1回の日劇『春のおどり』全16景,1953年,日劇『夏のおどり』全11景の第9景「南海の女王」や,1954年,日劇『春のおどり』全16景の「ジャングル・マンボ」の場面などに出演していることが特筆される,N・D・Tのスターであった。また,1960年,日劇ミュージック・ホール(N・M・H)『夜に戯れて』2部22景の第1部第8景「タヒチ島」,第9景「南太平洋の傷痕」などにも特別出演しており,1952年に出演したN・M・H『ラブ・ハーバー』では,日本で初めての螺旋昇降式の円形舞台も出現している。(以上,拙稿「南洋群島とインファント島―帝国日本の南洋航空路とモスラの映像詩学―」,新潟大学人文学部紀要『人文科学研究』,第121輯,2007年10月,に拠る。主な参考文献は,橋本与志夫『日劇レビュー史―日劇ダンシングチーム栄光の50年』,三一書房,1997年。)
映画『アナタハン』(1953年)では,アナタハン島事件の実在の人物,南洋興発株式会社によってこのマリアナ群島に派遣された社員の妻・比嘉和子さん(沖縄出身,1973年(昭和48年),病死(50歳),吉村昭『漂流』(改版),新潮文庫,1989年,に拠る)の役を「女王蜂」こと「恵子」として演じ,島で歌い,踊る登場人物の一人として,琉球古謡「つんだら節」も披露。映画の最後のシーンでは,空港で待つ根岸明美さんの顔のアップと共に,DC-4で羽田に帰還する男たちの姿,魂だけ帰還する男たちの姿が映し出され,みんなで歌い踊った,あの懐かしい南の島の出来事だったという後味が残るように,しかし,戦後の復員兵や戦争未亡人,鎮魂や慰霊の問題を,『ゴジラ』(1954年,東宝)と同様,現代の我々にも突き付けるかの如く描かれる。「もっと踊りたい」と言う台詞の通り,踊る根岸明美は,民族舞踊によって「南の孤島も,住めば都」に変容させ,戦前の日劇や『歌ふ李香蘭』(1941年2月,日劇)などの系譜の中で,戦後のインファント島(『モスラ』,1961年,東宝)に見られる「なつかしさ」を生み出し,「踊る」南洋でもあった。
『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年,東宝)にも出演した田中絹代に続き,戦後の女優として現われた根岸明美は,『ゴジラ』と共に,戦前・戦後を通して変容することのなかった日本の南洋史観の一側面を表象している。『眠狂四郎 女妖剣』(1964年,大映)の青蛾役にも出演するなど,ラバウルのカナカ娘や,ストリッパー魔子(『魔子恐るべし』,1954年,東宝)なども演じ,日劇の豊満肉体派女優(ご本人は嫌がったとのことだが)とも言われた。スタンバーグ監督が,根岸明美を見出したのは,1952年(昭和27年)9月,シャンソン・レビュー『巴里の唄』10景の第1景で,その時,彼女は,純白の短い衣裳で,五尺四寸,十五貫(換算すると,約163cm,56kg)であったという。『アナタハン』の主演に選ばれた時,「とっても嬉しいけど大変だと思うわ。踊り? もともと踊り手になるつもりじゃなかったんだけど,今じゃとても踊りをやめることなんか考えられないわ。」(橋本,前掲書)と言っている。
「踊る」根岸明美,「着がえる」根岸明美,「魅せる」根岸明美,日本の南洋憧憬が,一つ,消えたような気がする。戦後日本(「戦後」はまだ終わっていない)について,少しでも多くのことを記述しておかねばならないという思いも強くする。謹んで,ご冥福をお祈りしたい。