人文総合演習B 第8回
- 大澤真幸(編),2008,『アキハバラ発〈00年代〉への問い』,岩波書店
報告は、報告者自身が集めた事件に関するデータと比較して、本書に載っている様々な「説明」が、いかに限定的な情報にのみ注目し、単純化したものであるかを指摘したうえで、そうした単純な「説明」に甘んじないで、自ら情報収集をして「真実」を知ることが、つまりある種の「メディアリテラシー」を身につけることが、はたして善いことなのかどうかと問い、「真実」を知ることで「不幸」になる可能性がある以上、必ずしも善いことではないと結論づける、というなかなかひねったものでした。
この話には、片付けなければならない哲学的問題が複数含まれています。我々の倫理的判断の基礎となる最終的基準は一つなのか複数なのか、一つなら何なのか、複数ならば何と何と何・・・なのか、そこに幸福は含まれるのか、真実(を知ること)は含まれるのか、幸福とか真実というのは客観的に存在するのか、それとも我々が主観的に体験する幸福感・真実感以上のものではないのか、幸福や真実に上位する価値はないのか、などなど。
さらに、「真実」を知ることがどういう場合に「幸福」を減じるのか、それを防ぐ手立てはないのか、「真実」が隠蔽されることで「幸福」が減じられる場合はないのか、等々の、社会科学的な問題もあります。
これらの問題を、ひとつひとつクリアして議論を組み立てるには、レジュメの議論は薄すぎたといえるでしょう。議論の流れは明確でしたが、流れがスムーズすぎて(=記述が簡単すぎて)多くの出席者がついていけなかったように思いました。今回の報告のように、我々の「常識」に挑戦するような議論の場合、少し〈よどみ〉があった方が――そこで聞く側が立ち止まって自分の思い込みを反省できるので――わかりやすいです。
司会者は、報告内容の複雑さと、出席者の理解度との板挟みになって大変そうでした。そういう場合は、とりあえず流れを無視して、議題設定自体を出席者に丸投げしちゃうというのも一つの手かなと思います。
以下、出席者のコメント。