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2008年11月

2008年11月20日

人文総合演習B 第8回


報告は、報告者自身が集めた事件に関するデータと比較して、本書に載っている様々な「説明」が、いかに限定的な情報にのみ注目し、単純化したものであるかを指摘したうえで、そうした単純な「説明」に甘んじないで、自ら情報収集をして「真実」を知ることが、つまりある種の「メディアリテラシー」を身につけることが、はたして善いことなのかどうかと問い、「真実」を知ることで「不幸」になる可能性がある以上、必ずしも善いことではないと結論づける、というなかなかひねったものでした。

この話には、片付けなければならない哲学的問題が複数含まれています。我々の倫理的判断の基礎となる最終的基準は一つなのか複数なのか、一つなら何なのか、複数ならば何と何と何・・・なのか、そこに幸福は含まれるのか、真実(を知ること)は含まれるのか、幸福とか真実というのは客観的に存在するのか、それとも我々が主観的に体験する幸福感・真実感以上のものではないのか、幸福や真実に上位する価値はないのか、などなど。

さらに、「真実」を知ることがどういう場合に「幸福」を減じるのか、それを防ぐ手立てはないのか、「真実」が隠蔽されることで「幸福」が減じられる場合はないのか、等々の、社会科学的な問題もあります。

これらの問題を、ひとつひとつクリアして議論を組み立てるには、レジュメの議論は薄すぎたといえるでしょう。議論の流れは明確でしたが、流れがスムーズすぎて(=記述が簡単すぎて)多くの出席者がついていけなかったように思いました。今回の報告のように、我々の「常識」に挑戦するような議論の場合、少し〈よどみ〉があった方が――そこで聞く側が立ち止まって自分の思い込みを反省できるので――わかりやすいです。

司会者は、報告内容の複雑さと、出席者の理解度との板挟みになって大変そうでした。そういう場合は、とりあえず流れを無視して、議題設定自体を出席者に丸投げしちゃうというのも一つの手かなと思います。


以下、出席者のコメント。

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2008年11月13日

人文総合演習B 第7回


報告は、女子が自分の外見を気にするのは、いつか現れるはずの王子様に見つけてもらえるため、という他力本願志向(シンデレラ・コンプレックス)の表れ、という著者の議論に対する直観的な違和感に基づき、自分の経験を反省しつつ、より複雑な分類を呈示してくれました。つまり、女性に限っても、外見を気にする相手にも様々あり、気にする外見にも様々あり、外見で気にする効果にも様々あり、とても著者がいうような単純な現象ではないのだということを示したわけです。さらに、香山リカの議論を引きつつ、シンデレラ・コンプレックスに限っても、男女問わず、また恋愛以外の領域(就職など)でも見られるということを示してくれました。

著者の議論に違和感を覚えた場合、著者が自分の直観に制約されて過剰に単純な議論にしてしまっている可能性があります。そういうときには、それに違和感を覚える自分の直観を反省して分析していき、著者の議論を一部に含むようなより一般的で複雑な議論を組み立てることが有効です。今回の報告はまさにその形式でしたね。構成も、分類がわかりやすくよくできていたと思います。

コメントに出てくる「ラピュタコンプレックス」というのは、「ある日、少女が空から降ってきた」を待つ男子のメンタリティについて、私が適当にでっち上げた言葉です。この現象自体についてはその方面でたぶんさんざん論じられて別の名前がついているのではないかと思います。

司会はがんばってる感が伝わってきてよかったですよ(笑)。ちょっと計画に縛られてる感じがしないでもなかったですが、でも展開を計画しておくことは大切です。


以下、出席者のコメント。

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2008年11月 6日

人文総合演習B 第6回


レジュメは打ち合わせのときのから全面書き直しですね。分量少ないかと思ったけど、問題点の指摘と対策案は明確でした。そのせいかどうかはよくわからないですが、今回も活発な議論でしたね。時間足りないです。

報告者の基本的な立場は(本人がどのくらい明確に自覚しているかはともかく)、我々の感じる幸福とか、我々が認識する自分の状況、我々の身に付いた行動様式といったものは、それ自体として絶対的なものではなく、それらを規定する下部構造によっては虚偽意識であるから(うわ、マルクス主義!)、真の幸福、真の状況認識、真の行動様式を手に入れられるよう、教育してやらなければならない、というものでした。

これは倫理学の適応的選好形成論とか、前期でやったアーキテクチャ型権力論の問題圏と関わるものです。いずれも、主観的に感じる幸福感や自由感を相対化する議論です。

出席者から、いや、主観的な幸福感こそが倫理的に尊重されるべきデータであり、「真の幸福」などという、あるのかないのかわからないものに基づいて介入するのはお節介だからやめるべきだ、というやはり明確な意見が出されたため、そこに立場選択の可能性があること、対立点があることが明らかになりました。

――というのが、私の興味関心から見たまとめですが、というかそういう関心から議論の方向性に影響を与えてしまいましたが、それでよかったのかどうか(笑)。

議論の展開については、ちょっと最近窮屈かなと感じています。前回書いたこと(司会者に御奉公しよう!)とはちょっと矛盾するかもしれませんが、各人が、全体で一つの流れとか結論を出そうとしすぎなのかなと思います。もっと自分が言いたいことや聞きたいことを自由に発言してしまっていいと思います。報告者と司会者と教員は事前に打ち合わせをしているので、問題設定などが共通しているかもしれません。全員がそれにのってしまうと、大切な論点が忘れられてしまうかもしれず、そうなると全体にとって損ですよね。前回は司会者からの目線で書きましたが、出席者の目線で書くなら、自分の発言は好きなことを言い、流れとか結論とか議論の意義みたいなものは司会者にお任せ、という態度でいいと思います。


以下、出席者のコメント。

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