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2009年2月

2009年2月28日

新聞書評

新聞の書評欄を読む。朝日、読売、毎日、日経、産経、新潟日報、そして図書新聞を毎週、読むのを楽しみにしている。書評のなかで面白そうなものはネットで情報をさらに仕入れから購入するか、図書館から借りてよむかを決める。かくして1週間は読書の日々で終わり翌週になる。そして、また翌週になる。という毎日、毎月、毎年が数年続いている。

2009年2月24日

防災セミナー

3月に仙台で行われる防災セミナーで講演をします。内容は、先月刊行された吉原直樹編『防災の社会学』に所収の拙稿「防災コミュニティと町内会」から、新潟県中越地震・中越沖地震の事例を紹介するものです。パワーポイントのスライドを作るのが大変だ……

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2009年2月23日

哲学本

哲学の本も重要なのでよく読む。
なかでも竹田青嗣氏と永井均氏、木田元氏などはわかりやすいのでおすすめです。
竹田氏は『哲学ってなんだ』『現代思想の冒険』『「自分」を生きるための思想入門』など、永井氏は
『翔太と猫のインサイトの夏休み』『<こども>のための哲学』『ウィトゲンシュタイン入門』など、
木田氏は『反哲学入門』『反哲学史』などがよかった。

2009年2月14日

どくしょノート

歴史というとアナール派の研究が面白い。ブロッホやブローデル、ル・ロア=ラデュリなどをはじめ、社会史という分野を新しく切り開いた功績が大きい。精神分析学との協同という面白い試みもしている。歴史という見方は記憶の問題とも関係しているので、人びとが時間をどのようにとらえているかという問題にもつながっている。調査研究においても、仮説として時間についての見方を提示する必要がありそうだ。

2009年2月11日

またまた読書にっき

歴史のついでに歴史家のなかで好きな人をあげておこう。
亡くなった木村尚三郎さん、阿部謹也さん、山内昌之さんの本は好きなのでよく読みます。
小説家では、亡くなった吉村昭さんは好きですね。

2009年2月 5日

人文総合演習B 第16回


さあ、最終回です。しかも2本撮りの2本目というやつですね(?)。テンションもちょっとアレな感じに・・・

わからないところは無視しろ! わかるところだけ自分なりに広げろ! それだけが発見への道だ! (発見のない報告なんて迷惑なだけだ!)というのがこのゼミの「教え」なわけですが、今回の報告者は、本書のうち、精神分析なところは全部切り捨ててくれました。うん、賢明な判断です。

で、報告者は、自分のアニメ視聴行動の特徴を、また自分がアニメ(やアニメキャラやアニソン)に向けている嗜好を、ある程度細かく記述してくれました。おそらく報告者本人は、(外見上はそれほどアニメ好きそうに見えない)自分のアニメ好きを暴露することでの盛り上げ機能を結構狙っていたのだと思いますが、そしてその狙いはなかなかうまくいったわけですが、その記述の中には様々な発見と、さらなる問いのための基礎が、いくつも含まれていました。

頻繁に、長時間にわたって観るという報告者が、アニメ視聴に使っているメディアは、テレビではなくパソコンだ、というところが特に重要でしょう。もちろんパソコンでDVDを再生しているのではなく、有料のストリーミングを観ているわけでもなく、様々な動画共有サイトに(違法に)アップされてあるアニメを無料で観ている。だからこそ、自分の好きなときに長時間、何話でも観ることができるわけです。これは、数年前まではまったく存在しなかった視聴形態です。もちろん対象本も想定していません。また、それと関連することとして、アニメをニコ動のMADで二次的に(そしてそこにつけられたコメントも含めるなら三次的に)楽しむというのも、非常に最近の現象です。

嗜好については、私自身の嗜好に関する事実関係はあえて語りませんが(笑)、報告者がアニメキャラは性的志向の対象にはならず、それゆえそれに特化した18禁アニメは全然観ないというのは、まあ後者の方はともかくとして結構違和感です。ちなみに報告者は男性です。うーん、あれですかね、代替メディアの数とアクセシビリティの向上とかが関わっているんですかね・・・などと、ちょっとヤバい方向に行きそうなのでこのくらいに。

そうした細かい事実の積み重ねの価値に較べて、オタクかどうか、という点は、ちょっと大雑把すぎて、これが議論の主軸になっていったのはちょっと残念感があります。ただ逆にいうと、オタクかどうかがあまり意味をもたない世の中になってきたのかなという感じもあります(自分が中高生の頃はそれは死活問題でした・・・)。

あ、大事なことを書き忘れるところでした。えー、今日の司会者は現役コスプレイヤーでした。写真が回りました。新潟にもいるんですね・・・というか東京でも遭ったことないです・・・。まあ、それも含め、司会者自身がいろいろ資料を提供してくれて盛り上がったというか、栄養過多になったというか・・・(笑)


以下、出席者のコメント。

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人文総合演習B 第15回


2コマ連続の1つめです。単位取得に必要な回数はすでに終わっているので、教員も学生もいろんな意味でサービスタイムに突入しています。

さて、対象書はなんかエッセイ集(というか雑文集)みたいな感じで、なかなかどうしていいか難しいところだったのですが、とりあえず報告者の姿勢は明確です。つまり、日本は東アジア文明圏には入っていないのだという「別亜」論に共感したうえで、「霊魂観」の違いは、重大かつ克服不可能なので、理解を求めるのではなく冷めた姿勢で戦略的に応対せよ、というものです(レジュメにはそこまで明示してはなかったけど)。

しかしまあ、いかんせんレジュメの分量が少なすぎました。そのためもあって、「霊魂観」というのが何であって、ある国の「霊魂観」がどういうものであるのかは、どこを見ればわかるのか、どうなっていれば~な霊魂観だといえるのか、といったことについての、報告者の見解が不明すぎました。つまり、自分がよくわかっていないものを最大の論拠にしてしまう、という失敗です。

他方で、レジュメには報告者自身の、中国人に対する見解の変遷が具体例を伴って紹介されていました。中学校の同級生にいた中国人留学生から得た印象、その後2ちゃんねるを見る中で形成されていった悪い印象、両者の齟齬についての戸惑い・・・・・・。報告者は結局、本書を読んでにわかに得た「霊魂観」というキャッチワードで、自分の現在の(つまり2ちゃん的)見解を擁護する方向に話を進めたわけですが、前述のとおり、それがいかにも「にわか」であることは、出席者との議論の中での報告者のしどろもどろ化によって暴露されてしまいました。

さて、報告者の見解は、ポリティカリーにはインコレクトな方面に足を踏み入れているといえるでしょう。また、一国内の文化的同一性をあまりにも簡単に想定してしまっているという面で社会科学的に素朴すぎるともいえるでしょう。しかし、報告者が2ちゃんを見ていて嫌中的感情を強めたということ自体は事実なわけです。ならば、それがどういう感情であり、どういう変化であるのかということを、ものすごく緻密に記述していくことには、非常に高い学問的価値があると私は思います(報告準備段階での打ち合わせ時には、そうした趣旨のことを言ったつもりでした)。

一般に、若い人は未熟です。頭の中身も大したことないでしょう(!)。しかし、そういう若い人が、未熟ながらも経験し、また強く思ったり感じたりしていることというのは、成熟し、また頭のいい年長世代には、決して直接アクセスはできないデータの宝庫なのです。若いうちは、というか若いがゆえに、武器となるのは自分の経験がほとんどです。しかしそれは同時に、示し方によっては非常に強い武器になる経験なんだということを、知っておくとよいと思います。


以下、出席者のコメント。

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