メイン

齋藤陽一日記 アーカイブ

2011年9月 7日

齋藤ゼミ、演劇公演のお知らせ

 また、この季節がやって参りました。
 恒例の齋藤ゼミの演劇公演です。一部では、演劇ゼミと呼ばれているようです。

 題名 「グリム兄弟~メルヘンと共に~」
 日時 2011年9月17日(土) 午後7時
       9月18日(日) 午後2時
 場所 シアターent.(寺尾公演前バス停から徒歩2分)
 場所が分からない方は、下記の劇場の案内(交通案内のページ)でご覧下さい。
http://www.catacombe.net/ent/index.html
 料金 500円

 グリム兄弟の生涯をいくつかの場面に分け、メルヘンの登場人物(動物)もからめて描きます。ご来場お待ちしています。

2011年6月28日

節電

 久しぶりに、毒をはきたくなったので、どこにしようかと探していて、ここを思いついた。1年ぶりくらいの投稿!
 世は、官民を挙げての節電で大騒ぎだ。
 個人的には、反原発を旨としているので(思い切って公開してしまったが)、今までも、太陽光発電のパネルを屋根に設置したり(もとを取れるかどうかは度外視して)、いろいろと考えてきた。しかし、アンバランスなところもあって、電気をつけっぱなしで寝たり、電子レンジでパンを焼いたり、あれっ?という行為もいろいろとやってきた。

 さて、大学の節電キャンペーン(正式名称は「新潟大学節電実行計画」)はこんな具合だ。
 事務室、教員会議室、会議室、学生研究室は空調設備を原則として使用しない。
 短時間パソコンを使用しない場合、小まめにディスプレーを消す。
 不要な照明の消灯を徹底する。
 クールビズの実践を徹底する。
 電気ポット、コーヒーメーカ、電気給湯器を使用しない。

 もっとたくさんあるのだが、気のついたものを挙げた。実は、私は暑さに強いのであまり困るものはない。エレベーターが止まっても、最近、運動不足を補うために階段を利用しているので、これも困らない。せいぜい、会議のときに眠くなるので、その前に飲んでいた熱いコーヒーが飲めなくなりそうなのが心配なだけだ。その度に、喫茶店に走るか?

 何も悪いことはない。では、どういう毒をはきたいのか? それは、これらは「大学が自ら率先して取り組む」と書いてあるものの、あきらかに、政府が音頭を取っているのにのっかているのが嫌なのだ。いや、やること自体は悪くない。不愉快なのは、今まで、節電なんていうことは一言も言わなかった人間が、こういう風潮になるや、先頭に立って指導するのが不愉快なのだ。

 9月を休みにしたいがためにエアコンに頼って試験を7月末とか8月に持ってきた人間がよく言うよ、という感じか。暑いから、くだけた格好をしている人間を叱った人が、今度は、夏にきちんとした格好をしていると、「クールビズにしろ」とまた、説教するんだろうなという予想か。エアコンを必要としない格好は人それぞれなのに、外見についてあれこれ言うんだろう。

 そして、官民挙げて節電に成功して、さらに原発が動きだした暁には、「皆さん、よくがんばりました。さあ、電気を使いましょう」となるんだろうなと想像がつく。

 もし、本当に、地球環境に配慮して、生き方を考えようということなら、「自家用車は控えて、乗り合いで通勤しよう」とか「徒歩通勤はどうでしょう」とかも入ってくるはずだろう。「キャンパスライフスタイルを見直して実施してきた節電」という文句が通達にはあるのだが、やはり、あくまで現状の発電の状況に見合った経済的な観点からの節電なのだと思ってしまう。

 あまり毒は含まれていなかったかな?

2010年7月20日

気の早い話ですが、今年度のゼミ公演日程

 気の早い話ですが、今年度のゼミの演劇公演は、9月25日、26日に決まりました。いつもの会場を予約したというだけですが、それで日程は決定です。どうぞ、予定をあけておいて下さい。

 脚本は、明後日に決まります。ここ何年かと同じように、3作品を残し、22日に決戦投票、その後、打ち上げです。投票の立ち会い人、打ち上げの2次会など、歓迎ですよ、OBの方。

 今年のテーマは、「演出とは?」ということで、脚本が決まったら、演出家を二人立て(あるいは、チームを二つ作り)、違う演出で上演する予定です。問題は、男性俳優欠乏症。私が出演しなければならない可能性もあります。

2010年5月 6日

近況報告

 (主として)卒業生の方に
 お元気ですか? 齋藤です。実は、今度、5月17日から21日まで(だと思います)、FMポートの「エチゴリアン」という番組に出ます。昔、こういう名前でネット放送をしようとした学生さんがいましたが、今、そこのサイトに行こうとしたら、飛んでもないものが出てきました。昔の学生さんのサイトは「echigolien」ポートの方は「echigorian」です。
 あとで、「何で教えてくれなかった!」と言われないように、ここに書いておきます。時間は、6時半から6時50分。現役生は起きていないような時間でしょうね。
 新潟で少し変わったことをしている人を取り上げる番組です。私の理解では。それでもって、最後の日には、「将来~する」と宣言もしておりますから、興味のある方は聴いてみて下さい。すでに収録済んでいるので。

2008年7月30日

卒業生との再会

 今月は、何故か、卒業生に会う機会が多く、10人以上の人と会いました。もちろん、同窓会でもあって、一度に10人以上会うということもあるのでしょうが、今月は、いろいろな年度の人といろいろな機会に会ったという感じです。芝居を見に行ってたまたま座席が前後であったとか。

 変わり種は、心理学の学生なのに、三谷幸喜のファンでよくこちらに出入りしていたH君。もう30をこえていて、ずっと仙台で働いていたのが、長岡に転勤になったということで、わざわざ挨拶にきてくれました。

 明日、31日にも一人会うことになっていて、とりをつとめるのは昨年3月卒業のNさん。これはもう仕事の話で、いろいろお世話になっています。仕事の関係で卒業生と会うというのもなかなか面白い体験ですね。そういえば、10月には卒業生が働いているホテルで会議があるのだった。

2008年5月28日

大学における教育とは?

 最近、ある委員を引き受けたために、大学における教育ということを考える機会が増えました。以前、三浦先生の個人雑誌『NEMO』で、座談会をしたことがあって、その際に、「最近の大学は高校みたいですね」なんて、笑いながら話していたのですが(たとえば、「昔は、学部で専門的な研究をしていたけど、今は、それは大学院だ」というようなことはよく言われますね)、その時は、重大なことに気づいていませんでした。それは、つまり、教員の方も高校の教員になるんだということに。

 それはどういう意味かというと、例えば、小学校の先生は、いろんな科目を教えることになりますが、その分、教える内容については、研究をして得た知識ではないと思うんです。教え方の研究はあるでしょうが。高校の先生は、自分の専門の研究をしている人もいますが、例えば、日本史の先生で新潟で上杉謙信の研究をしていても、それだけを教える訳ではなく、古代から現代まで日本史を教えるのでしょう。そして、その内容の大部分は、定説になっているものを本で勉強したものではないかと思うんです。

 さて、大学教師ですが、以前なら、主に、自分が研究をしていることを話していたように思うんです。もちろん、それだけでは充分でないので、そこをもとにして幅を広げていくというようなやり方だったと思うんです。それが、極端に大衆化した大学では(現代のはやりの言葉では、「ユニヴァーサル段階に達した大学教育」ということになります。正確には大衆化はマスですが。)、それではすまなくなっていると思います。最近のシラバスでは、「学習の到達目標」というのを書く欄があり、まあ、簡単に言えば、その講義を聴くことでどういうことが身につくのかを明示することになっています。

 ここからは、私の過剰反応かもしれませんが、だとしたら、私の研究する狭い範囲のことだけではなく、もっと幅広く、例えば、半年の講義を聴くとロシアの演劇の流れがしっかり分かるとか、そういう講義をしないといけないような気がしてしまうのです。まあ、これなど、まだ楽な方ですが、戦後から今までのアメリカ、ロシアの文化の日本に対する影響が分かるとか。こうなってくると、自分で研究している部分以外に話すことが増えてきます。もう大変です。時間がないから、定説が書いてある本に頼るということになってきます。高校の先生のやり方です。現役の学生さんも読んでますね。すみません。

 昔の大学(私も知らない戦前とか)はどうだったんでしょうね。私には、次の二通りしか思い浮かばないんです。一つは、教員が皆、ものすごい能力の持ち主で、自分が専門で研究する領域以外のこともどんどん勉強して、それを講義していた(昔の教員のすごさは、千野栄一『外国語上達法』(岩波新書)だったと思うんですが、酒飲んだあとである作品名をあげて、それをこれから読むんだと言うのを、よく聞いてみたら、原書で読むのだったという話とか、読んだことがあります。それとも、酒は抜きだったかな)。もう一つのイメージは、学生のできが違って、教師は自分が研究している専門領域のことを話すのだけど、学生が、その方法を自分の研究にすぐいかすことができるので、狭い話でも充分足りたというものです。

 たぶん、両方だったんでしょうね。ふー。(もしかしたら、続く)

2008年2月16日

卒論や試験について

 毎年、この時期は、仕事が忙しいのと、1年間の仕事の結果が出るので辛いですね。
 いまだに、今日(というか、正式には昨日)が締め切りの採点が終わらず、研究室で作業しています。家に帰ると、寝てしまうので。

 お二人の先生が、卒論について書いておられますが、私は、毎年、「うまく指導できなかったな」という痛みとともに、発表会=口頭試問を聴いております。担当の学生の皆さん、申し訳ない。多分、自分が論文を書くことに極めて不熱心だからでしょうね。他のことに関心があるもので...が、そうも言ってられないので、来年度の方、頑張りたいと思います。

 うまく指導できないという意味では、レポートや試験の採点も同じです。読んでいて、奇妙な論が書いてあると、「何、これ、何でこう考えるかな!」と、大きく×をつけると、同じような回答が続くんですね。つまり、「えっ、こんな風に教えたの?」と自分の教え方に思いをいたす訳です。

 楽しいのは、実は、誤字です。レポートだとパソコンが考えてくれるらしく少ないですが、試験だとありますよ、面白いのが。「ガートルードは妻を飲んだ」と書いてありました。「毒」ですね。それで、愚かにも、そうか、下が女だと妻で、母だと毒になるのか、何故かな?としばらく考えていたのですが、上の部分が違うじゃないですか! それから、「野田秀樹の作品では忘想が」と書いてありました。「妄想」ですね。心が亡いと忘れるだけですみますが、女が亡いと妄想に走るのか...気をつけよう。って、いやいや。「賛否両論」が「賛否両輪」と書いてありました。と、思ったら、私の目の錯覚。「あっ、これ、賛否両輪、芝居のセリフで使えそう。しめしめ」なんて思ってしまいました。誤字が、世界の新しい見方を示してくれることもあります。これは大した例じゃないけど。

 さて、妄想ではないんですが、今日、昼間からずっと、男性トイレの一つの個室が、閉まったままなんです。いや、閉まっているのか確かめてないんですが、サインが赤になったまま。中はどうなってるのか? 一応、下からのぞいて足は見えなかったから誰もいないんだと思うんですが、誰か体調崩してたらどうしよう、と思いつつ、ノックできないでいます。もう深夜だし。おあとがよろしいようで。

2008年1月22日

御礼

 1月19日、20日の「秘密の場所」での音楽劇の上演においで下さった方、ありがとうございました。文コミ生に限ると、3年前の卒業生から在学中の2年生まで、何年かにわたる方々に見ていただき感謝しております。
 これからも、8、9月のゼミ単位での公演の他に、音楽劇を1本と、年間2本のペースで上演していく予定(希望的観測)ですので、お時間のある方、是非、次の機会にお越し下さい。また、一緒に芝居を作ってみたいという方(高校生も含め)、歓迎しますよ。

2008年1月 9日

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。少し遅いですが。明日がようやく、卒論の提出日。毎年、これを過ぎないと正月気分にならないので。今は、ふと生じた空白の時間(全体ではないものの二人分の卒論に目を通したあと)にこれを書いています。すごく長くなりました。途中でやめて下さってかまいませんよ。

 特に、在学生と文コミ卒業生向けの投稿になりますが、1月19日と20日の午後2時より、ある秘密の場所(笑)で自作の音楽劇を上演いたします。興味のある方は、ご連絡いただければ(アドレスは、人文学部のホームページに一覧あり http://www.human.niigata-u.ac.jp/~e-human/staff/index.html)、ご案内を差し上げます。まあ、夢のような話なのですが、これを機会に劇団を立ち上げたいなと考えているわけです。

 ところで最近、自分の授業のレベルが落ちてきているなあと痛感しています。仕事が忙しくて準備の時間がないということもあるんですが、能力が落ちているのも確か。そして、一方で、学生の気質もやはり変わってきたのではないかと思っています。

 一例が、「シアター」という授業。数年前に比べて、悪びれずに遅刻して来る学生が増えた気がするんですね。一応、アンケート用紙を配って、その提出により出欠を取っているのですが、後から来て後ろにたまっているその用紙を取り、平気な顔でそれを出していく(としか思えない)学生がいるんですよ。それで、こちらも、用紙は後ろから配って全部回収し、後から来た場合には私の所に来ないと用紙が手に入らないようにしたり、授業中、黒板に数字を書いて、それに在籍番号を足してアンケート用紙に書く、つまり、その瞬間に教室にいないとそれが書けないというようなことをやったりしています。馬鹿ですね。

 しかし、こういうことを考えるのは、疲れるんですね。それよりは、講義で話すことについて工夫したいのに。昨年読んだ本の中で特に印象に残っているのに、内田樹(たつる)の『下流志向』という本がありますが、その中に教育サービスの買い手となってしまった子供の話が出てきます。新しいタイプの日本人の出現とまで言って、授業内容に対してすぐに「それ何の役に立つんですか?」と聞いてくる子供について書いています。

 上記の学生の姿、直接はこれと結びつかないかもしれませんが、根っこはつながっている気がしているんです。というのは、大学改革、ある段階まではいい方向に行っていたと思うのですが、最近は学生を過度に消費者として、そして、サービスを提供すべき対象として捉えすぎているのではないかと思っているんですね。一例は、どんどん詳しく(詳しすぎる!)なっていくシラバスです。卒業生は、一度、覗いてみるといいと思いますが、この授業を取ると○○についての知識が得られ、~という能力が身につき、××という態度が備わりますというようなことが臆面もなく書いてあります。私も、それを推進している人間なので、書いています! しかし、一度、「この授業に出ても、何の役にも立ちません。でも、自分の考えていることを真摯に皆さんに語りたい」などと書いてみたいものです。語学力が簡単に身につくものか!

 こうした、学生を消費者として捉える教育の中途半端な点は、仮にこれを資本主義的な教育スタイル(まあ、考察あまりしっかりやっていないので、いい加減な命名です)と呼んだ際に、教育を提供する側にはそれが適用されないということです。はるか昔に予備校で働いていたことがありましたが、そこでは、毎年、契約更改があるんですね。勿論、生徒のアンケートなどをもとに授業の査定をやって、翌年の給料が決まる。プロ野球の選手などと同じです。勿論、日々、胃が痛かったけど。

 大学では、こうしたことは、ごく一部にしかありません。つまり原資がないので、功績をあげた人間に報いることはすごく少ないです。勿論、差別反対の声も起こるし。ただ、報いようとしないのに、学生に対してサービスを提供するように迫り、また、学生からサービスの提供者としての質をあれこれ言われる中で誇りをもって仕事をしていくのはなかなか難しいものがありますね。

 勿論、自分の語ることが無条件に価値があると信じ、誰も聞いていないような話をすることにも抵抗はあるのですが、役に立つかどうかではないところで判断されたいという気持ちはあります。今までは、給料安くても、国立大学の誇りみたいなところで頑張っていたとしても、忙しくて、消費者にサービスしなければいけなくて、利益が配分されないとしたら、なかなかね。

 そして、突拍子もない結論に行くんですが(論理的な人間ではないので)、劇団を作ろうと思ったんですよ。何がいいかというと、作品の出来不出来が瞬間瞬間で分かる。単に笑ってもらえるか、喜んでもらえるかどうか、それだけ、その単純さがいいなと思いまして。

 読み返してみて、やはり全然論理的でないですが、まあ、これが私の個性なので仕方がない。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

2007年11月20日

卒業生にお世話になってます

 一つ前の石田先生のかきこみのタイトル、「文コミ生登場」を「文コミなまとうじょう」と読んでしまった齋藤です。いや、久しぶりの登場となってしまいました。石田先生は、佐藤真監督のことを書いておられて、同じ頃に同じ所で学んでいた人なので、本当に、ご冥福をお祈りしたいと思いました。

 さて、今年度、「情報文化実習E」を担当していまして、これは昨年まで番場先生が、シンポジウムをやっておられた実習の後釜の科目です。何をやるか迷いまして、雑誌を作ることにしました。学生時代(院生時代も含め)、同人誌を友人と作ったり(そういう時代ってありましたよね? 例えば、そうですね、佐々木先生!)、ちょっとしたサークルのミニコミ誌みたいなのの編集長をやって取材とか行ったこともあったので、できるかと思ったので。

 第1回目の時、参加する学生の皆さんに記事にしたいことを尋ねたところ、お店の紹介的なものが多かったので、「もっと堅いのにしましょう!」と、昨年までの番場先生のシンポジウムを思い出しつつ、呼びかけたら、ここだけの話ですが(って、実習参加者も読むんでしょうが)、番場先生が内容を聞いて、「随分堅い雑誌ですね」と言うような内容になりました。うん、今年の2年生は、「打たれ強い」というか、ハードな内容でも結構付いてきてくれるような気がしています。どうかな?

 ところで、タイトルの「卒業生にお世話になってます」ですが、印刷所に相談する時に、卒業生で就職している人に頼んだり、情報誌に勤めている人に、「取材の時にどんなこと気をつけている?」とメールできいたりと、色々アドバイスをもらっています。先日も、1枚の紙にどうやって16ページ分の原稿を割り付けるのか、レクチャーしてもらいました。さあ、これを読んでいる卒業生の皆さん、私にアドバイスしてくれることがあれば、是非。お待ちしています。

2007年9月23日

文コミ演習 芝居公演その4

 このところ、ブログの更新、滞っておりました。今度の水曜からは休暇を取っておりまして、また滞ると思います。それで、何故、滞っていたか、何故これからもそうなのかというと、芝居の稽古がずっとあったからなんですね(つまり、私も出演するのです)。さらに、この連休は引っ越し。それでずっと、大学で芝居の稽古をし、家に帰ってからは荷物を詰め込む、その合間に夜の会合(何かあやしいですね、番場先生の日記など参照)もあったり、という状態だった訳です。

 さて、その公演ですが、詳細、以下のようになっています。メンバーの学生が、ある掲示板に書き込んでくれたものを一部、コピペしただけですが、興味のある方は是非おいで下さい。ない方もね。

新潟大学人文学部齋藤陽一ゼミ公演
「こちらESP開発研究部」

日時
2007年9月29日(土) 19:00開演
2007年9月30日(日) 14:00開演
※開場は開演の30分前より

場所
シアターent.

料金
500円(当日券のみ)

お問い合わせはy.saito@human.niigata-u.ac.jpまでお願いいたします。@を半角にしてください。

2007年8月30日

文コミ演習 芝居公演その3

 今日で、一応、役者が一度は稽古に来たという状態になりました。えっ、それでいいの?という声もあるでしょうが。

 ゼミ生の脚本で公演をすると、台詞の一つ一つについて考えて、「こっちの方がいい」とか「この登場人物のキャラクターなら、こういうことは言わない」とかという意見が出てくるのが面白いですね。既成の脚本だと、勿論、たいていの作家が公演許可を出すときに、「台詞の改変禁止」と言ってくるので、仕方ないのですが、「ここ、何で、こういう台詞になっているんだろう」という議論の仕方になる訳で、そこが大きく違います。

 「この台詞、こことつなげたくて入ってるんだね」というのが透けて見えることもあるんですが、なかなか、深く考えてあるところもありで、それに気付いた役者が披露すると、気付いていなかった残りの役者が感心するという瞬間もあります。ありましたよね?>関係者

2007年8月27日

文コミ演習 芝居公演その2

 第2回目は、脚本の検討をさらに続けています。書き忘れたかもしれませんが、毎年、ゼミの参加学生が書いたオリジナル脚本を使って公演しています。文章では気付かないけど、実際に喋ってみると不自然であったりするところを変更していきます。また、書いた人の頭の中では理解できていても、読んだだけでは分からなかったり、或いは、読んだら分かるけれども、一度聞くだけの観客には理解できないだろうという所も直します。

 そして、「こっちの方が面白くない?」というところも積極的に。まあ、作品の趣旨が変わる時にはやりませんが。でも、お客さんが飽きないためには大事。

 ところで、今日は、「みそのとしょうが...」という台詞、私は、「みそとしょうゆが...」と読めてしまって、学生流の言い方だと、「ツボ」でした。「みその」というのと「しょう」というのは登場人物の名前です。

2007年8月24日

大人のための「ローマの休日」講義

 元新潟大学助教授(文コミ)の北野圭介氏より『大人のための「ローマの休日」講義』を頂きました。まあ、いつものように、まずはあとがきから目を通した訳ですが、日頃、同僚の間で、或いは、授業中の余談として語っていたことが、かなり美化して?書かれていました。

 それと同時に、長いので後ろだけ書くと「マニュアルを兼ねた文献案内」というのが付いていて、これがなかなか映画研究を知るには役に立ちそうでした。勿論、私は映画研究者でないので、簡単に流れを知るには役に立ったということなのですが。

 さらに、理論的な著作が来年出版されるとのこと。ある出版社のホームページで連載をしているということは、文コミの学生から聞いて知っていたのですが、それが本になるらしいです。こちらも楽しみです。

2007年8月23日

文コミ演習芝居始動

 まだまだ夏休み気分が抜けませんが...って、まだ夏休みですね。よかった。
 毎年恒例の、しかし、休み中にこっそりやっているという感じもあるので、あまり知られていない、文コミ齋藤ゼミの演劇公演の稽古が、今日から始まります。しかし...皆、まだ、夏休み気分だから(って、まだ夏休みだって)、集まりは悪そうです。読み合わせ、それも、代役やら、一人何役もで行う読み合わせで終わりそうな予感。

 尚、公演は、9月29日、30日です。詳細は、またお知らせします。

2007年8月21日

携帯用コンテンツ

 この話題は、文コミというよりは、外国語に関するものです。どういう訳か、文コミには外国語教育に熱心な方が多くて、私も、後塵を拝するという感じですが、それなりに工夫をしようとアクセス、じゃなかった、あくせくしている訳です。

 さて、今回、やろうと思っているのは、携帯から見ることができる語学学習用のサイト作りです。きっと、htmlの簡易版なんだろうと思って「さ、さ、さー」とやろうと思ったのですが、auの方を除いたら、htmlならぬ、HDML(だったと思うのです)というのが出てきて、早速壁に突き当たりました。それで、気分転換にソフトバンクの方をのぞいたのですが、こちらは、なじみのhtmlが出てきて、一安心、安心したので、今日はこれでいいかなと終わりにしました。

 という訳で、結局、成果0ですね。そして、気がついたのは、3通り作ったとして、自分ではすべてを確認することはできないなあということです。協力者、求む。ロシア語を学習していて、携帯を持っていて、ネットが好きな人でしょうか。

2007年8月20日

授業改善

 ようやく、夏休みを迎えた訳ですが(土日は何となくぶらぶら過ごしていました)、もう、第2学期のことを考えなくてはなりません。

 番場先生が書いておられたように、新潟大学では語学教育の改善が進んでいます。ロシア語についても、2学期に備えて、所謂、「コンテンツ」を整備しようと思っています。一応、ネット上に単語の問題や、動詞の活用の問題を公開しているのですが、年度ごとの対応になっているため、これを教科書別にまとめなくてはいけないなあと考えています。それ以外にも、前置詞の問題であるとか、会話の例とか、テーマ別にまとめられるといいなあと思っています。さらに、携帯でアクセスできる三択問題とか、アイディアはあるんですけどね、ただ、色々公開すると、今度はセキュリティに神経質にならなければいけません。うまく役割を分担できるといいなあと考える今日この頃です。

2007年8月17日

採点戦線終戦

 締め切り5分前に終了。いつもながら悔いが残る。

 強気の人は、「学生ども、何で、理解できないんだ」と思うのだろうが、私は、「うまく教えられなかったなあ」 ひどい時には、「あっ、こんなことを教えたんだ」と思う。

 いずれにせよ、やれやれです。って、こういう「である調」と「です調」の混交はチェックしているのですがね。

2007年8月16日

表象文化基礎論A 未だ終戦にいたらず

 終戦の日(と慣例に従って記述します)を越えても、採点戦線はいまだ終わらないです。しかし、明日、強制的に終戦となるので、心配はいらない...でしょう。

 表象文化基礎論Aの課題では、現代日本(一応、終戦から今まで)の家族を描いている作品を取り上げて論評することになっているのですが、人気作品は映画の『ALWAYS 三丁目の夕日』と小説で瀬尾まい子の『幸福な食卓』でした。なるほどと感じるか、「へー」と思うか、色々でしょうが、男女でも傾向がありそうです。ちなみに、この2作品の場合は特にそうでしたが。

2007年8月14日

なおも、採点中

 そんな訳で、もう8月も半ばだというのにクーラーをがんがんにかけて採点中の齋藤です。
 昨日、レポートの誤字のことを書いたのですが、一つ、思い出したんですよ。「因果横暴」 手書きのテストだとすると、そういう4文字熟語があると誤解していることになるから、多分、ワープロで書かれたレポートでしょう。変換ミス。20才そこらで、この境地に達するとは偉い、とほめたかったんですね。因果は容赦ないものだって。

 実は、これ、部屋を片付けていたらメモしてある紙切れが見つかったんですね。よっぽど、残したかったらしい。えっ? 採点で忙しいはずなのに、何で部屋を片付けたのかって? 採点で煮詰まると、ついつい掃除を始めてしまうんですね。

 もっとも、採点で煮詰まらない先生↓もいるらしいけど(この矢印は、多分、近日中に意味を失うでしょう)
 

2007年8月13日

採点進行中

 暑いですね。毎年この時期が第1期の採点期間になるというめぐり合わせ、何とかならないものかと思うんですが。7月を授業期間にしようなどと考えた輩は、太陽の下で汗を流して遊ぶ(決して働くではない)楽しさを知らない人間に違いないといつも思っています。毎年、採点が終わると、もう夏も終わってるんですよね。

 さて、そんな採点期間中、私にとって一服の清涼剤となるのは、レポートの誤字です。さすがにワープロを使うレポートの場合には少なくなりましたが、試験だとまだまだ誤字があります。過去最高に笑ったのは(それでいて、どこかもの悲しくなったのは)、「演劇は誤楽である」と書かれていた答案です。「そうかそうか、演劇は誤った楽しみなのかい」と思ってしまいました。

 こうなったら「ごじから大賞」(誤字力を短くしたもの)を創設して、一番笑わせた者には10点アップとも考えたのですが、最初からそれのみを狙ってくる、(私のような)人間が現れるのではないかと思って止めました。

 

2007年8月11日

西洋文化研究演習B 録音ほぼ終了

 『罪と罰』ラジオ・ドラマの録音はほぼ終了。勿論、編集作業が残っているわけですが。

 参加した学生達の間で話題になっていたのが、「『DEATH NOTE』に似てる!」という話。いえいえ、それを言うなら、『DEATH NOTE』が『罪と罰』に似てるんでしょ。ラスコーリニコフの、人類をナポレオンとしらみに分ける理論とライトが犯罪者を殺しても構わないとするところでしょうね。もっとも、私は漫画では読んでいないのですが。

 漫画と言えば、話題となっていたのが、手塚治虫による『罪と罰』の漫画。ラスコルニコフ!もソーニャもかわいい。それから、スビドリガイロフはマルファのところの下男で革命家。それで地主であるマルファを殺して、ラストでは、ラスコルニコフに人民解放戦線の同志になれとせまる。原作でドゥーニャがスヴィドリガイロフに発砲するシーンはスビドリガイロフがラスコルニコフに発砲するシーンに置き換えられていて、その後、スビドリガイロフが「われわれは人民の英雄だ」とうそぶきながら発砲を指揮している街の中、ラスコルニコフは罪を告白する。

 「先生、何でこうなってるんでしょうね?」という学生の問に、私も「何でなんでしょう?」と答えるだけでした。

2007年8月 9日

大学院身体表現論演習 

 大学院の演習では、現在、チェーホフの『三人姉妹』をロシア語で講読中。通して読むのは3回目か4回目、拾い読みは数限りない作品でありながら、「あれ? これどういう意味だっけ?」と辞書に手を伸ばす瞬間があるのが情けないですね。過去に、チェーホフ・ファンの社会人学生とチェーホフの4つの戯曲を1年に1作という感じですべて、1対1で読んだのに、それでも忘れている。(^^); 今回の読み終わりは、11月くらいかな? ○○さん?

 授業というのは、学生のためのものでありながら、一番勉強になるのは、実は、教員です。ラジオ・ドラマ『罪と罰』の話にもどるのですが、第5部の一で、ヒロインのソーニャに援助する意味でお金を渡し、その時に彼女のポケットに密かに別の金まで入れ、第5部の三で、彼女に「金を盗んだ」と言いがかりをつける、ルージンという男がいるのですが、一では、ソーニャのことを正しく、「ソフィヤ・セミョーノヴナ」と呼びながら、三では、「ソフィヤ・イワーノヴナ」と間違えて呼んでいるんですね。最初、学生がそういう風に脚本を書いてきた時に、「これ、間違ってるんじゃないのか?」と調べてみたら、そういう風になってるんですね。念のため原書にあたっても、勿論、そうなっていました。

 一では、レベジャートニコフという人物が、盛んに、ソーニャの名前をルージンとの会話で出してきて、「ソフィヤ・セミョーノヴナ」と繰り返しているためにルージンも覚えていたのに対し、三では、いきなり彼女の名前を呼ばなくてはいけない、しかも、、イワーノヴナになる女性が他に二人もいるために、ルージンは混乱したのでしょう。ドストエフスキイは、そんなルージンのいい加減さを描きたかったのでしょうね。

 本当はどうなのかは、江川卓先生が生きていらしたら、きいてみたいところなのですが...あっ、でも、同僚にドストエフスキイの専門家がいるのでした。今度きいてみようかな。

2007年8月 8日

西洋文化研究演習B 録音進行中

 西洋文化研究演習という名前で出している演習、ラジオ・ドラマを作るのがその内容です。今までやったのは、
1999年『石棺』
2000年『ガラスの動物園』
2001年『ラヴ・レターズ』
2002年『アルジャーノンに花束を』
2003年『星の王子さま』
2004年『ロミオとジュリエット』
2005年『夏の夜の夢』(第1期)
2005年『スペードの女王』(第2期)
2006年『るつぼ』
 そして今年が『罪と罰』(多分、この順番だと思うのですが)。2004年に『ロミオとジュリエット』をやったら希望の学生が多く、それならと次の年に二つ出したら、『夏の夜の夢』はそこそこ来たものの、『スペードの女王』は惨敗。それで、ロシアものの今年は不安ではあったのですが、40人来ました。

 現在、担当を決めて脚本にしたものを吹き込んでいるところです。この演習のよいところは、もとが小説の場合、脚本にするために、とにかく読まなくてはいけないということ。えっ? 何がよいのかって? ちょっと教師よりの考えですかね。それでも、今時の大学で、「ラスコーリニコフはさあ」とか「ソーニャはどうのこうの」なんて学生が言っている空間は、ちょっと自慢ですよ。もっとも、多分、全部読まないで脚本を作った学生も(笑)。

 もう一つよいところは、色々な学部の学生が集まるということ。最初の『石棺』は、チェルノブイリのことを扱った脚本で、工学部の原子力の学生さんが来たり、『アルジャーノンに花束を』の時には、「障害児」教育に関心がある学生さんが来たりで、こちらもためになります。

 来年以降、やりたいのは、一番はミヒャエル・エンデの作品。ただ、ファンタジー系は人が大勢来そうで、敬遠したい気持ちもあるんですよね。

2007年8月 7日

オープンキャンパス2日目

 今日は、展示の担当、かつ、高校生の希望者が多いために150人程度の教室で説明をするという役も仰せつかりました。学生に、そのためのイラストも準備してもらい、プレゼンテーションソフトで資料も作成、準備万端のつもりが、午前中に、急ぎでやらなければならない仕事が入り、プレゼンの最終確認をしないままに会場に向かいました。しかも、一度、場所間違えるし。

 そのために、いざ、プレゼンが始まると、「あっ、画像が表示されない!」 理由はすぐに分かりました。画像はUSBメモリに入れてあったのに、メモリさしてない! 血の気が引きました。が、それでも、即興で何とかこなして(高校生の皆さん、すみません)、「文化はコミュニケーションだよ」と言って終えました。

 他にも反省点あるんですよね。まず、電源。「何とか効果」ですでに充電ができない。そのため、コンセントにささなければ起動できないのに、順番が来るまでコンセントにさせなかった。しかも、スイッチを入れてから起動するまでに時間がかかりすぎ。あーあ。文コミ志望者を確実に減らしましたよ(_ _)m。

 次回は、速いパソコンを買って、しかも、電源を毎回使い切ってから充電して、「何とか効果」にそなえよう! それと、最近、複数の仕事を一度にやると水準が落ちるので、やるなら、これだけやるという形で、って、結局、この役割を拒絶しているのか?

2007年8月 6日

オープンキャンパス真っ盛り

 正確には、今日は、学部学科体験、明日がオープンキャンパスとなっていますが、今年は、展示の担当となりました。あまり、高校生をひきつけられなかったなあ。その一方で、卒論をテーマごとに(映画、演劇、アニメというように)分けて、それぞれ2本ずつ題名が見えるようにおいておいたら、意外なくらい高校生が手にとって真剣に読んでいきました。例えば、「金八先生」なんて書いてあるから、どんな風にそれが卒論になるんだろうなあと興味を持つようです。

 それから意外な出会いがありました。「齋藤先生ですよね?」と言われ、「あっ、声に聞き覚えある」と思って、「もしかして○○さん」とちょっと考えてから言ったら大正解。まだ、情報文化ができる前に、私がヨーロッパ文化にいたころの西洋史専攻の学生、勿論、今は、教員になって、今回、引率者として新大に来ていたのでした。思わず、話し込んでしまいました。

2007年8月 3日

テスト

 毎年、この時期は大変忙しいです。オープンキャンパス、勿論、テストやレポートの採点、そして、Gコード科目のラジオドラマ作り、ゼミの演劇の稽古。

 現在、毎日、『罪と罰』の吹き込みをやっています。研究室では「豚野郎」という言葉が流行。

 という具合に、教員個人の、教育研究に関する日記的な所に、学生が書き込めるのがいいと思っています。コメントを。

About 齋藤陽一日記

ブログ「文化コミュニケーション 公式ブログ」のカテゴリ「齋藤陽一日記」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリは石田・日記です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 5.2.3