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2008年10月

2008年10月30日

人文総合演習B 第5回


えーと、打ち合わせ時点のヴァージョンを知っている身からいうと、話をまとめようとして削りすぎたという感じですね。まとめる努力はすべきですし、報告の一貫性は重要ですが、ネタの多様さも重要です(出席者はどこに喰いついてくるかわからないですからね)。レジュメを見て、あ、あのネタ削っちゃったんだ・・・と思いました。

報告者の主張は、学校のクラス編成を習熟度別にすべきだというものでした。これは、打ち合わせ時の、勉強は塾・予備校に、それ以外の人間的成長は学校に、というラディカルな分業提案と較べると、ちょっと穏当すぎる常識的な提案で、出席者にショックを与えるには弱すぎました。発想が穏当なために、議論がすぐに、提案を実現するための具体的な調整の話になってしまったように思います。要するに人件費がなんだとか、教師の負担がなんだとかいう話ですね。もちろん報告者としてはそこまで詰めて考えてはいないわけで(というかそこまで詰めた議論があの場でできるわけはないわけで)、それで議論が停滞したり「木を見て森を見ない」になってしまったというのが私の観測です。

われわれは議会のように、なにか責任ある決定を下すために議論をしているわけではありません。なので、問題提起の性質によっては、細かい実現可能性などは無視して、極端な提案を極端なままで検討し、その帰結をひとまず確認するという流れが有意義だったりします。学問はそういう無責任(であるがゆえに自由)なものであっていいのです。むしろそういうものであるべきでしょう。今日の議論でいえば、負担や費用の増加などはとりあえず無視して、学校の授業を面白くするにはどういう手立てがあるかということだけを論じていくのが先決だったでしょう。この論点だけでも、授業が面白いとはどういうことか、授業にとって大切なのは面白いことだけか、などなど、詰めないといけない点がたくさん含まれています。負担や費用の話と同時に行うのは実質的に不可能な大きな話なのです。そういう意味では、私も含めて、議論の場が詰め論に傾いていったのはよくなかったですね。

えー、感想を見たら司会者が気落ちしているようなのですが(笑)、どう言おうかな。えーと、まあ今回だけに限りませんが、前期も含めて、司会者が遠慮しすぎだなと感じています。一般論として何度も言いますが、主役は司会者です。会を司る者なんだから。司会者が、報告者に報告をさせ、出席者に発言をさせるのです。だから報告作成途中の打ち合わせ時でも、報告者にもっと要求をしていいです。漫画雑誌の鬼編集者のように、容赦なくボツを出していいのです。そうやって、自分が司会をしやすいような報告を作らせましょう。また演習の場においても、自分にとってつまらない展開になってきたら強制的に打ち切って、新しい話題を振ればいいのです。朝生の田原総一朗を見習いましょう。司会者は王様です神様です。

そういう意味では、私も含めて、出席者はもっと「しもべ」としての自覚をもたないといけませんね。どうも船頭が多くて船が山に上っている感がちょっとあります。

というわけで、今回は議論運営の仕方について多くコメントしましたが、私としては大学の授業のあり方についての悪口(?)がききたかったですね。時間がなくて残念です(笑)。


以下、出席者のコメント。

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2008年10月23日

人文総合演習B 第4回


今回の報告は、著者が「勝ち組」「負け組」等と評価語を用いているにもかかわらず明示していない、自治体の勝ち負けを判断するための評価基準を、報告者自らが自分の立場として明示的に定式化し、それに基づいて、本書から3つの事例を取り上げ、追加情報を補足しつつ、事例ごとに評価をくだしていき、最後に自分の出身自治体の事例を紹介する、という趣旨のものでした。

報告者は、自治体の存在意義は「産業」にこそある(のであって住民の福祉にではない)という極端な立場を打ち出しました。極端な立場をあえてとるのは、それでどこまでいけるのか、どこで破綻するのか(なぜ「極端」なのか)を測るという点では、なかなか有意義な戦略です。

ただそのためには、その立場選択に由来する結論、それを聞いたオーディエンスの強い反応、これらに耐えうるだけの強靭さが必要です。今回報告者には、自分の立場選択に見合うだけの強靭さが欠けていましたね。(しかしそれにしても他の出席者の反応は、far from 遠慮会釈、って感じでしたね・・・自分の番がまだなのにあえてハードルを上げるその心意気に感服しました(笑))。

さて、何人かの出席者が触れている最後の方の議論ですが。自治体がそこに生きる住民の福祉・厚生・幸福の維持・増進を目的とするとして(これは報告者の立場からは完全に離れた前提ですが)、はたして「ここで暮らしたい」という住民の希望は、他の人の「権利として保護されない幸福」を減じてでも保護すべき不可侵の「権利」であるのか、それとも全体の幸福量の維持・増加のためには減じられてもよい相対的な価値にすぎないのか、これが出席者の間で先鋭に対立したのでした。正義論的にきわめて重要な論点です。この問題はつきつめていくと、人間の幸福は、育った地域や文化と切り離して捉えることのできる抽象的なものなのか、それともそういう切断は(概念的に)不可能なのか、というさらに基礎的な問題へとつながっていきます。今後の演習の中で、また各人それぞれ、考えていってくれたらと思います。

司会者には、混迷を深めていく議論の舵とりを多少無理めでお願いしてしまって申し訳ない、と思いますが、でもまあそれが仕事だから(笑)。

以下、出席者のコメント。

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2008年10月22日

人文総合演習B 文献一覧

すでに報告は始まっていますが、ようやく今期のスケジュールが決まりました。

2008年10月18日

社会調査の基礎: 偏差値の出しかた

新潟医療福祉大学で「社会調査」の授業をやっています。その内容について自分のブログでエントリを書いたのですが、ここを読む人にとっても有用だろうと思いますので、コピペしちゃいます。

内容は、「身長」をネタに、〈各ケース〉と〈ケースの分布〉の間を行ったり来たりしながら、観測値→平均→偏差→(分散→)標準偏差→標準得点(→偏差値)と順番に計算していくというものです。

こんなものは、EXCELとかそれに類したソフトで何も考えずに(何も理解せずに)30秒もあれば出せます。それはそのとおり。調査報告書は、統計学の基礎概念について何も理解してなくても書けてしまうのです。しかし、社会調査を学ぶことの意味は(量的調査の場合特に)自分で調査して分析することにあるわけではなく(「なく」というと言い過ぎかも)、むしろ他人の調査・分析の意味を批判的に受容することにこそあり、それにはEXCELの機械的な計算機能は何の役にも立ちません。リテラシーは読み書き能力といわれますが、書くより読む方が難しいのです。理解してない人には読めないのです。

基本概念について理解を得るには、簡単な事例で、数値同士の概念的な関係を理解するのが一番です。まあ能書きはこれくらいにしましょう。興味ある人は「続きを読む」をクリックしてみてください。

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2008年10月16日

人文総合演習B 第3回


後期の総合演習始まりました。出席者コメントを見ればわかるように、上々のすべり出しです。後期から参加の人もまったく自然に発言できていて、始まるまで大丈夫かなぁなどと、ちょっとドキドキしていたのですが、それは杞憂でした。ただ、まだ教室の広さに慣れない・・・。前期は極端に狭い部屋にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたのに対して、後期の教室はいわゆる学校の教室みたいなところで、真ん中に机をロの字型に組んでいるので、なんか落ち着かんです。まあそのうち慣れるでしょう。(ところで廊下を喋りながら歩いているやつらには(以下略))

報告は、すでに各所で指摘されている著者のうさんくささを、本書から具体例をあげながら改めて指摘し、そういう情報環境に生きるわれわれがどういう態度をもてばよいかということを、メディアリテラシーの重要性に絡めて論じてくれました。環境問題の枠組み内にとどまらず、一段メタな視点からリテラシーの議論にまで広げてくれたことで、出席者による様々な観点からの発言が可能になったわけですね。これが工夫です。また新潟市のゴミ袋有料化の効果についての資料も見せてくれて、いやこれは今後の展開を監視していかないかんですな。

司会者には、初回ということで、全員が発言できるような工夫をお願いしていたのですが、それは難なくこなしてくれましたし、なにより演習の場は司会者が仕切るんだということをしっかり示してくれました。

以下、出席者のコメント。

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2008年10月 6日

集中講義

先月下旬、東北大学で集中講義をしてきました。しばらく前に岩手大学で担当して以来、久しぶりの集中講義でしたが、今回は自分の研究ネタだけで15コマ(弱)を埋めるべく努力してみました。

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