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番場・日記 アーカイブ

2012年7月24日

最後の文コミ卒論構想発表会と、「魅力」という使用を避けるべき語の両義性について

事後報告になってしまいましたが、旧カリキュラムとしては最後の文コミ卒論構想発表会がおこなわれました。当日になって若干の変更もありましたが、プログラムはおおむね以下の通り。

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文化コミュニケーション履修コース
平成24年度 卒業論文構想発表会
7月21日(土)9:30-16:00 @人文社会科学系棟 B226教室

9:30 メディアの中の核兵器
日本における韓流ブーム
10:00 清水玲子論
F.ショパンについて
現代サブカルチャーの形態
ファッション雑誌が提示するイメージと読者の読み方
11:00 ラーメンズにおけるコントの手法
『美少女戦士セーラームーン』からみる戦う美少女アニメ(仮)
木皿泉論
J-POPの歌詞にみる「自分」
12:00-13:00 昼休み
13:00 (未定)
『かもめ食堂』シリーズにおける小林聡美
日本のポピュラー音楽におけるアーティスト像
プロジェクト名に仮託した存在――西川貴教を中心に(仮)
14:00 松竹映画史における山田洋次作品の意義
写真におけるセレブたち
14:30-14:45 休憩
少女小説の変遷 80年代以降のコバルト文庫を中心に
15:00 ニコニコ動画における実況プレイ動画
電子メディアの変遷
1960‐70年代アメリカ映画の「青春」
上橋菜穂子〈守り人〉シリーズ研究
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終わってみて、さあどうであったかというと、別に、最後だからといって特に変わったこともなかったわけですが(名称は変わっても、ほぼ同じことをこれからもつづけていくことになるでしょう)、あえていえば、今年印象に残ったのは、「「魅力」って言うけど、それって、どうよ?」ではじまり、「やっぱり「魅力」系の論文はまずいんじゃない?」で終わったということ、――質疑応答のなかで、しばしば(なかば戯れにではありますが)、論文を書こうとする際の「魅力」という語の危険と魅力がクローズアップされたこと、でしょうか。

ざっくりいうと、「「●●●の魅力を明らかにする」というのは、論文の構想として、間違っているのではないか?」という疑念ですね。

参考文献をいくら読もうと、方法論的、手続き的にどのような工夫をしようと、「●●●の魅力とはなにか」という問いから出発するかぎり、「●●●はすばらしい」という結論(およびその変奏)から外れることはありえない。「魅力」に対する問いを立てるかぎり、「●●●はすばらしい」は暗黙の前提であって、結論ははじめから決まっており、けっして覆されることはない。解答をあらかじめ前提とするような論文が、いい論文になるはずはないのは当然ですね。しかし、ある対象に対する問いが、それがもつ「魅力」からはじまることも、また疑いえない。人は「魅力」を感じないものに向かって、そもそも問いを発しようとはしないからです。対象に魅入られ、対象に誘惑されるということがなければ、なにもはじまらない。

まとめると、

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「魅力」は、論文において、たしかに「使用を避けるべき語」であるが、
「魅力」は、それがなければいかなる思考もはじまらない、必要不可欠の前提でもある。
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ではどうしたらよいか? 

難しいですね。でもそれが「考える」ということなのでしょう。

2012年3月22日

また3月が

また3月が来て、明日はもう卒業式ですね。

「考える人になる」と祈るように歌っていた人(バンド)がありましたが(このくらいのごく短い引用なら、ブログでしても大丈夫そうです)、ひとそれぞれの仕方で「考える人になる」のが、いかに大事で、いかに困難なことか――みなさんにとっても、そして私自身にとっても。文コミはそのために、多少なりとも役立つことができたでしょうか。

ご卒業おめでとうございます。

2011年3月22日

地震から十日がたって

大きな地震があり、津波があり、原発の事故がありました。情勢はまだ予断を許しません。
新潟大学では、3月23日に予定されていた卒業式も、4月5日に予定されていた入学式も中止になりました。

この間、未曾有の災禍に心を痛めつつも、日々の仕事のこと、晴れやかに巣立っていくべき卒業生のこと、希望に満ちて入学してくるべき新入生のことなどをつらつら考えては、「腑に落ちる」言葉を探していました。

多かれ少なかれ、文コミで学んでいる/学んだみなさんも、同じではなかったかと推測しています。

そんななか、いくつか心に響く言葉に出会ったので、ここにメモします。

松原隆一郎「つぶやきに耳をすます」(2011年3月21日)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103210143.html

高橋源一郎「震災で卒業式をできなかった学生への祝辞」 (2011年3月20-21日)
http://togetter.com/li/114133

何もできませんが、私も、明日の人文学部学位記授与式で「少々、着飾っ」た皆さんにお会いできるのを楽しみにしております。

2011年2月16日

2月のつぶやき

"twitter"を「つぶやき」と訳したのはなぜなのでしょう。やってみたことのない私にはネット上のサービスについてはとやかく言うことはできませんが、純粋に言葉だけに注目すると、なんだかちょっと変な感じがします。いま、手元にある辞書をひいてみると(Longman Dictionary of Contemporary English, 3rd ed. with New Words Supplement, 2001)、"1 if a bird twitters, it makes a lot of short high sounds"(文字通り、「鳥のさえずり」ですね)のほかに、"2 if a woman twitters, she talks very quickly and nervously in a high voice"とあって、「おやおや、さえずるのは女だけなのか?」と笑わせてくれます(皆さんも高校の英語の先生にうるさく薦められたであろうロングマンの辞書のすごいところは、まさにしばしば笑わせてくれるところなのですが)。さすがにこれではまずいと思ったのでしょうか、Web上で公開されているオンライン版(Webページ上の写真から判断すると、2006年の第4版がもとになっているようです)では、2の意味が"to talk about unimportant and silly things, usually very quickly and nervously in a high voice"と訂正されていていました。「どうでもいいばかげたことについて、高い声で早口に、そわそわしながらしゃべること」といった感じでしょうか。してみると、昨夜の演習うちあげで、子どものころに見ていたナントカというアニメについていっせいに興奮してしゃべりだした女子学生たち(その間、先生はおいてきぼり)は、さしずめリアルな空間で「ツイート」していた、ということになるのでしょうか。「そわそわ」という感じではなく、みな爆笑してましたけど。

それはさておき、文コミの教員たちが集まって、声の高低はともかく、「早口で、そわそわしながら」「つぶやき」あう、そんな会議が年に一回あります。以前のエントリーでも触れたことのある2月の卒論成績会議ですね。卒論指導教員を含む複数の教員が、学生の書いた卒論の評価をめぐって、ああでもない、こうでもないとやりあう。まあ、そこまでは普通のコミュニケーションと同じだ。しかし、しばしば、ひとしきり議論が出尽くして、評価に関しても合意ができたあと、半ばひとりごとのように「つぶやき」はじめる輩が現れることがある。例えば、こんな感じでしょうか(いい大人が、奇妙に視線を泳がせながら、「早口で、そわそわしながら」しゃべっている様子を想像しながら読んでみましょう)。

「いや~、これほどの素材だったのに、うまくリードできなかったんですよね。なんだか忸怩たるものがあるわけですが。★★★★★も読んでいたし、出発点だった☆☆☆☆にしても、◆◆を導入することによって違う方向に進めることができたと思うんですが、う~ん、やっぱり難しいテーマなんですよね~」、とか、

「あの部分が無闇に長いのは、えーと、仕方ないところもあるんですよね。12月の段階でちょっと言ったら、とつぜんものすごいスピードであの分析を書きはじめたんですよ。で、こっちもつい、細かいところを注意して、火に油を注いじゃったりして。バランスが悪いのはたしかですよね~。でも、あれで明らかになったこともあると思うんだけどな~」、とか、

「いや~、なんだか凄いっすよ。卒論っていう感じじゃないですね。院にはぜんぜん興味なかったみたいですけど。なんだか、別に評価なんてしてやらなくっていいような気がしてきますよね。かわいげ、ってもんがない」、などなど。

もちろん「卒論評価」なので、ちっとも"unimportant and silly things"ではないわけですが、かといって、晴れやかに巣立っていく彼ら彼女らにとって、ちょっとした点数の違いなど何ほどのものでもないはず。それに、そもそも点数はもう話し合いで決まっているわけです。それでも、思わず「つぶやいて」しまうことがある。早口で、そわそわしながら。なぜなのでしょう。おそらく、学生の書いた卒論を、いくぶんかは「わが子」のように思っているからなのでしょう。論文はもちろん学生が書いたものに違いありません(教員が学生の原稿に直接手を加えることはない)。しかし、ときには全否定し、ときには部分否定し、ドSになったりドMになったり、悩んだり悩ませたり、がっかりしたりびっくりしたり、ちょっとした発見に興奮したりしながら見守ってきた卒論に対しては、最終的な完成度がどうであれ、やはり、ちょっと平常心ではいられないところがある。卒論指導にはものすごく時間をとられますし、いい気持でお酒などいただいている正月元旦にメールで大量の原稿を送りつけて「添削してください」などと言われると秘かな殺意をおぼえたりすることもあるわけですが(ちょっと嘘)、まあ、仕方ないというほかない。すべてを自力で切り開いていかなければならない焦燥と、膨大な労力と、熱が出るんじゃないかというくらいのアタマの酷使と、そして、そうした努力があってはじめて、ふっと天から舞い下りてくる、インスピレーションの神様。最後の最後にやってくるこの「エクリチュールの快楽」(バルト的な意味とは違うでしょうが)にこそ、文コミのすべての教育研究は注がれているのですし、それが「文コミ」というものなのでしょう。

……などと感傷にふけっていられるのも今だけ。3年生はすでに卒論に向けた第一歩をふみだしています。ああ、今年は★ずと☆代音楽と百◆と▼スプレと●樹と▲リー・シュシュと砂糖■子か。アタマが痛い……

(直々にリクエストがあったので久しぶりに書いてみました。なお、もちろんですが、この文章はフィクションです。間違っても「あ、これってわたし」とか「~番目のつぶやきって、~さんのことかしら」などと詮索しないように。)

2009年9月 4日

夏の終わりのつれづれに

前回のエントリーからだいぶ間が空いてしまいました。この間、どんなことがあったのか、つらつらと書いてみます(まあ、別にたいしたことがあったわけではないのですが)。

・7月、二週にわたる時間外労働、もとい、卒論構想発表会。時代の移り変わりを反映してか、ごく最近話題になった本が繰り返し言及され、読んでいなかったBもひそかにチェック(後日少し読んで、実に複雑な気分を味わいました、、、)。
・そのあいまに、なかなか終わってくれない特色GPでの大仕事(外部評価)。涼しかった今年の夏だったはずなのに、その日だけはなぜか猛暑。さらに、途中で部屋の冷房が故障するハプニングが発生し、代替の部屋を探すために走り回ったりもして、疲労困憊。
・そのあいまに来年度授業の開設計画(こんなに早い時期にやっているなんて、学生の皆さんはご存じないでしょうね)。Bはそこで来年度やらなければならないコマ数の現実に直面し、ショックで寝込みそうになる。
・7月30日、息もたえだえに授業終了。休む間もなく採点と、特色GPの第二回FD(ファカルティ・ディヴェロップメント、要するに教員の研修会といったものです)で司会。その日の打ち上げで衝撃的な事実を知る(内容はここでは書けない)。
・8月8日(土)は恒例の高校生向け模擬授業(アゴラカレッジ)。「声は顔よりおっきいんだよね~」とはじめ、「ライヴで刃物を振り回すと危ないよ~」という話と「顔ってあんまりアップにしすぎると変だよね~」という話で締める(締まってないって)。
・締切日前に採点終了(ここ数年なかった快挙!)。さあ、20日締め切りの原稿を書くぞ、と意気込んで始めたのはよかったのですが、
・締切前、書けない、、、
・締切日、書けない、、、
・締切翌日、書けない、、、
・締切翌々日、原稿のことをちょっと忘れて、越後妻有「大地の芸術祭」へ。人間学のK先生が企画してくださったツアーへの参加で、同行した先生方は哲学、美術史の大物ばかり。第4回目のこの芸術祭に私が行くのは三度目でしたので、イリヤ&エミリヤ・カバコフの傑作『棚田』を見るのも3回目ということになります。今回はスケジュールの都合でボルタンスキーを見られなかったのがちょっと残念でした。
・さらに次の日、書けない、、、
・(中略)
・締切11日後、睡眠不足でふらふらになって原稿提出。
・脱力。

あっ、8月が終わっている。

2009年4月24日

顔の問題

月曜2限の3、4年生向け演習のテーマは「顔と身体の表象文化論」。講義では何度かとりあげているテーマですが(今年の2学期の2年生向け講義でもやる予定)、講義なら、まあ、こちらの好き勝手なことをしゃべればいいとして(それでいいのか?)、学生の発表で進んでいく演習ともなると、参加学生の関心のありかをそれなりに把握しておく必要があります。なので、初回のイントロダクションが終わった二回目の授業では、アトランダムに学生4名を指名して、「あなたにとって顔が問題になりうるのはどんな場合?」ときいてみました。4人の発表のテーマは以下の通り。

学生1 ハンス・ベルメールの人形写真の顔
学生2 思春期のころ自分の顔が気になったときの思い出
学生3 不二家のペコちゃんの顔の変遷
学生4 ズジスワフ・ベクシンスキーの首だけの絵

ベクシンスキーという画家のケースだけはやや微妙かと思いましたが、驚きだったのは、狙ったわけでもなんでもないのに、4人(3人)がそれぞれすべて違う「顔」を問題にしてきたこと。私なりにざっくりまとめると、こうなります。

学生1 見るものとしての他者の顔
学生2 見られるものとしての私の顔
学生3 記号としての顔
学生4 (他者の顔? 記号としての顔?)

面白かったですね。授業で輪読するテクストとしては鷲田清一の『顔の現象学』を予定しているのですが、そこで解説を書いている小林康夫は、「あなたがつねに問題にしているのはあなた自身の「私の顔」だが、私が問いたいのは死の翳がさす「他者の顔」だ」というような意味のことを書いている。この二つのアプローチは、根源的なところでつながっているものの(私の顔をみるのは他者の顔でしかありませんから)、しかしやはりつねにたがいに反撥しあう、本質的な差異としてある。「顔」の問題をめぐる中心的係争点の一つが、いきなりもろに出てきてしまったわけです。

驚きはそれにとどまらない。「私」の顔でも「他者」の顔でもありえない「キャラクター」の顔、つまり、「記号」としての顔こそが、私にとっての顔の問題だ、といった学生がいる。

しかし、もっと驚きだったのは、(ほとんど冗談のつもりで)出席していた学生のみなさんに、「君らにとっていちばん興味があるのはどれかな~、一番の顔、二番の顔、それとも三番?」ときいて挙手してもらったところ、半分くらいの学生が、三番の「記号としての顔」に手をあげたこと。

その瞬間、Bの脳裏には、マネやらバフチンやらバルトやらアラーキーやらレヴィナスやらといった名前が次々と浮かんでは消え、初音ミクフレッシュプリキュアまで来て停止して、思わず「そうか……」とうなってしまいました。

この絶句をどう埋めるか、それが今年の演習の課題ですね。

2009年4月19日

最初の授業

新入生のみなさん。ご入学おめでとうございます。授業が始まってから一週間がたちました。大学はいかがですか?

かくいうBは、学生としても教員としても、「大学の4月」なるものをもう飽きるほど繰り返し経験してきたわけですが、それでも、初日の授業で一年生を前にするとき、ある種の緊張をおぼえずにはいられません。なぜか? 理由は簡単で、大学に入って最初の授業のことを、私自身がよく覚えているからです。

まだ国立大学でも土曜日に授業があった頃でした。大学に入って最初の授業は、一般教養「科学史」の講義。場所が分からず慌てて走り回ったBがようやく教室を探し当てると、冒頭から配られた大量のプリント。典型的文系人間のBにとって内容はまったくちんぷんかんぷんでしたが、ただ、「大学って、なんだか濃いところだな~」と思ったのをよく覚えています。もちろん、当時「濃い」という言い方はまだありませんでしたから、当時の感想をいまから振り返って翻訳しているわけですが。

もうひとつ鮮明に覚えているのはロシア語の最初の授業でしょうか。いまから思えば担当のK先生は、Bの出身大学に移籍して担当した最初のロシア語クラスであったはず。ひとしきり授業の進め方などを説明したあと、「とりあえずアルファベットを聞いてみましょうか」とテープを流しはじめたのですが、教室の前のほうにすわっていた元気な連中(もちろん、私はそのなかに入っていませんでした)が、いきなり大声で復唱しはじめ、K先生が苦笑して「このクラスはよさそうですね」と言いながら教室を去っていったのを、まるで昨日のことのように覚えています(数年後、居酒屋でこの話をK先生にしたところ、ご本人はまるで記憶になかったようですが)。

なにがいいたいのか?

最初の授業って、こわいですよね。

大学の教師にとって、4月の最初の授業など、毎年毎年繰り返されていいかげん飽き飽きしたルーティン・ワークにすぎません。調子よくやれるときもあれば、疲れていたり、いらついたりしていて、なんとなくうまくいかないときもある。気合が十分はいっているときもあれば、どこか心ここにあらずのまま時間が過ぎてしまうときもある。教師だって人間なのだから、当然です。言い換えれば、大学の新入生が最初にうける授業の内容も質も、まったくの偶然に左右されるものでしかない。

でも、新入生は、それを記憶にとどめてしまう。教師のなにげない一言、なにげないしぐさ、ほんのわずかな表情の変化、声の抑揚、そういったものが、18歳とか19歳とかの学生の脳裏にきざみこまれ、彼/彼女の大学に対する印象をかなりの程度まで決定してしまう。

……4月の教室で期待に満ちた新入生たちの顔を前にしたときの大学教師の心の震えを推察していただけたでしょうか。みなさんは大学の教師はいつも余裕で偉そうにしていると思っているかもしれませんが、実は教師もガチガチに緊張していたりするのです。

だから、少々とちっても、許してね。

2009年3月26日

また三月が

まいどのこととはいえ、卒業でした。
まいどのこととはいえ、やっぱりすこしさびしくなります。
教員にとってはまいどのことであっても、学生にとっては一生に一度のことですから、卒業証書を手渡すさいに彼ら彼女らが見せてくれる輝くような笑顔に、今年も、そのつど圧倒されっぱなしでした。

パーティーのさいにはなんだかぐだぐだな挨拶になってしまったので、改めて。

ご卒業おめでとうございます。
これにこりずに、遊びにきてくださいませ。

2008年12月26日

年末に 三度繰り返す お説教

授業は22日に終わったはずなのに、クリスマスイヴの日もクリスマスの日も仕事納めの今日も学生の姿がちらほらしているのは、1月13日締切の卒業論文に悪戦苦闘している4年生です。で、例年のごとく、この期に及んで「書けないんですぅ~」と半泣きで(←やや誇張)駆け込んでくる者が続出。今日は三人だったので、仕方なく、毎年同じお説教を三度繰り返すことになります。

「自分がなにをしたかったのか思い出しなさい」

論文を書くなどという慣れない仕事にはまってしまうと、「ああしなきゃいけない、こうしろと言われた」等々、いろいろな約束事やらアドバイスやらに振り回されて、そもそも自分がなにをしたかったのか、つい忘れてしまうのですね。本当は、自分が考えたいこと、自分が言いたいこと、そのために必要だと思われることだけを、自分なりの論理と自信と覚悟をもって、自由にやってくれればばいいのですが。

で、いろいろああでもないこうでもないと話し合ったあとに続くのが、次の台詞。あんまり厳しく言うといわゆる「アカデミック・ハラスメント」になってしまうので、あくまでも笑顔で、にこやかに言い放つのがポイントです。

「もう、寝れないね」(なぜか、こういう場合は「ら」抜きで言うほうがふさわしい気がする)

次の台詞も恒例。

「正月は無いよ」

最後は、今日の三人目で思いついた、2008年オリジナル。

「おせち料理は冷凍しておきなさい。で、無事卒論を提出できたら、ご家庭の味を皆で持ち寄って、レンジでチンのおせちパーティー」


というわけで、みなさま、よいお年を。

2008年11月 3日

油絵というテクノロジー

しょちゅう休日になるので他の曜日に振り替えになることも多く、なかなかペースがつかみにくい月曜ですが、なかでも鬼門は学生も教員も朝起きるのが辛い2限の文コミ演習。内容は硬派に西洋美術史真向勝負で、しかも英語。新しい美術史の古典である John Berger, Ways of Seeing を1学期から読みつづけていて、現在第5章の「油絵 oil painting」論にさしかかっているのですが、これがなかなか難しい。例えば次のような文章。問題になっているにはマグダラのマリアをはじめとする「悔悛者」の宗教画なのですが、バージャーは、肉体の欲を捨てた人物が、16世紀以降の西洋絵画の中心的な技法である油絵で描かれるとき、油絵というテクノロジーに内在する特性のために、そこにはつねに肉感的なものが残ってしまうと言うのです。

西洋の伝統に属する平均的な宗教画が偽善的に見えてしまうのも、〔油絵がもつ〕同じ矛盾のためである。〔禁欲や悔悛といった〕主題の主張は、その主題が描かれる当の技法によって骨抜きにされてしまう。油絵具には、対象をあたかも手に触れることができるように描くことで、その所有者にリアルな快楽を提供しようとする根源的な傾向があって、そこから離れることができないのである。(John Berger, Ways of Seeing, Penguin Books, 1977, p. 92)

だいぶ意訳しましたが、「対象をあたかも手に触れることができるように描くことで、その所有者にリアルな快楽を提供しようとする根源的な傾向」とした部分の原文は "its original propensity to procure the tangible for the immediate pleasure of the owner"。バージャーによれば、油絵のマチエール(画肌)には、(水彩画とも水墨画とも異なる)独特の肉感性があって、商品経済に幻惑されたヨーロッパの人々を魅了した艶やかな油絵具の物質性こそが、「西洋美術」と呼ばれる近代の伝統を支えてきたというのです。

明治以降、油絵を含む西洋文明を勤勉に取り入れてきた私たちですが、艶々と輝く西洋美術の展覧会場に足を踏みいれるとき、なんというか、「お腹いっぱいで胃がもたれる」感じがするのも事実。そうした私たちの実感の由来を、これほど的確に言い当てた評論は、そう多くはありません。要は西洋と日本の根源的異質性ということ。油を摂取し、油絵を買い求め、購買可能で手に触れられそうなモノの仮象を所有しようとする欲望――それは、私たちにはなかなか実感することのできない欲望です。しかし、油絵の所有と密接に結びついた商品の欲望は、今日の私たちを衝き動かしている当の欲望でもあるのだから、「日本人はお茶漬けだ」といってすましているわけにもいかない。

……そんなことを頭の片隅におきながら目下東京で開催中のフェルメール展に行くと、油絵具というメディアが変貌して自らの物質性を喪失し、レンガや光の粒子といった別の物質性を生みだす驚くべき画布を目の当たりにして、ほとんど呆然としてしまいます。

フェルメール展 「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」http://www.asahi.com/ad/clients/vermeer/index.html

一方に、西洋美術史という制度の欺瞞を徹底的に暴こうとする果敢な批評の試みがあり、他方で、そんな批評など一瞬で雲散霧消させてしまうような、1枚のカンヴァスの輝きがある。

モダンとポストモダンの両方に責め立てられて、さあどうしたものかと思い悩む、とある秋の夕暮れでした。

2008年10月21日

女子文化と教養

後期の火曜4限はおなじみ1年生向けの入門講義「情報文化入門B」。昨年と同じく、Bによる2回のイントロダクションのあと、3人の先生による3つのセッションで、文コミの学問への導入をおこないます。

今日は「情報文化入門B」初登場の I 田先生の講義初回。お題は「教養の変容と女子文化――読む私とつくる私」。現代日本においていたるところで唱えられ、時には称揚され時には唾棄され、時には死を宣告され時には復活を祈念され、ほとんど意味不明な呪文と化したかの感さえある概念「教養 culture, Bildung」について。明治・大正以降の「教養」の歴史的成立過程の説明のあとは、エリート「男子」の(中途半端な)「教養」主義が、いかに、ゆえもなく「女子文化」や「少女趣味」を貶め、差別してきたかというお話でした。

例えば、こんな感じ。

「小林秀雄なんてね~、吉屋信子っていう人の本を、「感傷的」で「通俗的」で「子供の弱点にひっかけるといふ文体」で「向つ腹が立つてきて」読めない、なんて言いはるんですよ~。ひどいですよね~。読めなかったんだったら黙っとけばいいのに、そんなことをわざわざ書いて、出版しはるんですよね~」(注:これはBによる I 田先生の声の不正確な再現です)

科目代表として出席していたBを筆頭に、教室の3割程度を占めていた男子学生たちにとっては、なんとも居心地の悪い時間であったに違いありません。というより、いまの男子学生には別にあまり堪えないのかな。教室の前のほうでうつむいて坐っていたBは、講義を聞きつつ、ぼそぼそと、「あ、そういえば『資本論』は(1)しか持っていなかったな」とか、「ヘルマン・ヘッセも馬鹿にしてろくすっぽ読まなかったな」とか、「でも「少女趣味」って言われたらやっぱり傷つくよね」などと呟いておりました。イタい、イタい。

3回のセッションが終わった後のまとめで、なんとか復讐できないかと思いつめているBでした。

2008年10月12日

金曜5限、文コミ基礎演習B

金曜日、そろそろ薄暗くなろうかという時刻に始まる2年生向けの基礎演習。文献の読み方、ハンドアウトのまとめ方、発表の仕方など、大学での勉強の基礎的な作法を身につけるとともに、文コミでの専門的な勉強の導入となる演習です。お題は、英語で読む視覚文化論入門。絵画や写真、広告などの視覚イメージを論ずる方法の基礎を、比較的やさしい英語で書かれた入門書を読みながら学びます。

テクストに選んだのは、その筋では定評ある、Marita Sturken and Lisa Cartwright, Practices of Looking: An Introduction to Visual Culture, Oxford University Press, 2001の第1章。実質的な初回となる2回目の授業で読んだのは、ウィージーという写真家の『彼らが最初に見た殺人の光景』(Their first murder)という、いささかショッキングな写真に関する分析でした。

こちらを見つめ、興奮して奇妙な笑いを浮かべている子どもたちと、そうした彼らを困惑した表情で制止している大人たち。子どもたちが見ている画面手前の光景は写真には写っていませんが、題名が示しているように、おぞましい殺人現場であったはず。

美術史とか写真史というとき、ふつう考えられているものは、そこに描かれた光景であり、見られているイメージです。モナ・リザの謎めいた微笑、モネの睡蓮、ピカソの泣く女、アジェのパリ、メイプルソープの花、等々。

ところがスターケンとカートライトの書物は、見られるイメージ(=完成された作品)より、むしろイメージを「見るという実践」そのものに私たちの注意を向けようとします。あるアーティストによって作られた映像作品のみならず、それを見るという行為そのものが、私たちの文化をつくりだしている。文化は、見るという行為そのものを規制しているのです。これは見なければならない、これは見てはならない、これは真面目に見ないふりをしなければならない、これは大人は見てもよいが子どもは見てはならない……等々。かつてフランスの哲学者フーコーが指摘したように、私たちが実際に見たり、語ったりしているものは、可能性として私たちが見たり、語ったりできるはずのものより、つねに少なくなっている。

であるとすれば、本来なら見ることができたはずなのに、実際には私たちが見なかったものは、何であったか。

……そんなことを考えるのがこの演習の目的ですが、とりあえず、参加した学生は、英語の意味をとるだけでいっぱいいっぱいだった様子。最初のうちはそれも仕方ないかもしれません。とりあえず、高校で習った英文法って、やっぱり大事だったんだなということを実感してもらえれば、それだけで最初の2回の授業をやった甲斐があったとすべきでしょう。

2008年10月 8日

『恋空』と『カラマーゾフ』の午後

なにか面白いことを書こうとすると更新が滞ってしまうので、二学期の授業内容の紹介でもぼちぼち書いていこうかと思います。まずは月曜の昼下がり、3-4年生向け講義「表象文化論B」。前夜、悩みに悩んで決めたお題は「文学とテクノロジーとリアリティの(ポスト)モダン」。

詳しい内容は書けませんが(というか、まだこれからどう展開していったらよいのか、本人にも分かっていないのです、、、)、初回のつかみは、昨年から今年にかけての日本の文学状況。2007年の書籍の年間ベストセラー(トーハン調べ)で、いわゆる「ケータイ小説」が文芸部門のベスト3を独占したということと、昨年7月に完結し、このブログでもとりあげたことのある、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』新訳が、2008年9月の増刷で全5巻合わせてミリオンセラーになったということ。この二つのニュースを、まったく別々の出来事としてとらえるのではなく、ひとつの状況の異なる現れとして理解することはできないか、という問題提起でした。

あえて戯画的に誇張して書けば、

(ある人々に言わせれば)「軽薄」な「ポストモダン」の「dqn」のきわみである美嘉『恋空』と、

(ある人々に言わせれば)私たち読者を人間の「闇の世界」へといざない、9・11以降の人類につきつけられた根源的課題を解くヒントを与えてくれる大小説『カラマーゾフの兄弟』

この二つはそれほどかけ離れたものなのか、という問いですね。

いや、もちろん、結論ははじめから分かっていて、「それほどかけ離れている」なのですが(笑)、しかし、言いたかったことは、あらゆる違いにも関わらず、両者のあいだには、「小説」というジャンルのリアリティを保証する構造に関して、ある種の共通点があるのではないかということ、いいかえてみれば、前者をくだらないものと貶め、後者を深遠な文学として祭り上げてしまうのではなく、両者を積極的に関係させ、いわば、『恋空』を通して『カラマーゾフ』を読むことによって、はじめて見えてくるものがあるのではないか、ということでした。

あまりうまくいかなかったのですが(笑)。

これからどうすればよいことやら。

2008年9月21日

「過激な明晰さ」から「無条件の愛」へ

東浩紀先生を2006年の全学講義にお呼びしたとき、その報告を担当したBが書きつけた言葉は「過激な明晰さ」でしたが、昨日終わった集中講義に参加した学生たちの印象に残ったのは、なにより、動物化する世界のなかで生きるわたしたちに対する、「あずまん」の溢れるばかりの「愛」ではなかったか――疾風のような4日間が過ぎたいま、Bはそんなふうに想像しています。

当初の予定にはなかったのに、東先生の一言で実現した最終日の打ち上げで、学生たちの輝くような笑顔を眺めつつ、この集中講義が実現してよかったと、しみじみ思ったBでした。

機会があったらまた来てね(笑)。

2008年7月28日

比較表現基礎論、卒論構想発表会

今学期、金曜5限、つまり16:25-17:55――1週間のなかで、授業がもっとも早く終わってほしい曜限ですね。学生にとっても、教員にとっても――の講義は、2年生を主対象とした比較表現基礎論。お題は記号論と比較メディア論でした。基本的にはとてもオーソドックスで、とても教科書的な説明に終始したつもりなのですが、基本原理を解説するために言い及んだ例を列挙すると、

田中康夫、少女ロボット、クレーとカンディンスキー、おたく/おたく族/オタク、「違いの分かる男、遠藤周作」、石川さゆりと沢田研二とaikoと椎名林檎、歌舞伎町と百道浜とシーサイドももち、吉本ばなな、最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキ、フィッシャー=ディースカウとパンゼラ、閃光少女、手塚治虫と初音ミク、プリキュア5 GoGo!のエンディング

というわけで、とっても普通でした。

そして土曜日は卒論構想発表会。朝の10時から夕方6時近くまで、ひたすら発表とダメ出しの持久戦。学生のなかにはちょっと声が震えていたりするのもいて、緊張で大変だったと思いますが、でもまあ彼(女)らは一人15分から20分で終わりだからいいでしょう。かわいそうなのは教員で、なかでもタイムキーパー役をおおせつかった履修コース委員の某Bは、100円ショップで買ったストップウォッチを睨みながら、ぜんぜん寝られない、じゃなかった、休めない。予定時間よりも早く他の教員の質問が尽きたりすると、締めに自分がなにか言わなくちゃならないじゃないかと焦ったりして、疲れました。

全体的には比較的レベルも安定していて、おおむね安心して見ていられる構想発表会でしたが、いくつか思いつくままに述べると、

・泣いた学生は(多分)いなかった(まあ、そもそもここ数年いませんが)。
・マンガがテーマになると白熱して時間が延びる(先生方もみなさんお好きなようで)。
・1ページに2ページ分を割り付け印刷する学生が出現(老眼気味の教員にいぢわるしようとしたんだろうか、、、)。
・今年の個人的ヒットは「少女」と「セカイ系」と「戦闘老婆」。
・某Bが口を出すと学生が余計混乱することが多い。

といったところでしょうか。

最後の点、みなさん、気をつけましょう。

2008年7月 8日

知の混沌の週末

この週末、新潟ではソフトボールの熱い戦いがおこなわれたようですが、運動の嫌いなBは東京へ。主要目的は、とある学会への出席。

一日目は、今度集中講義にいらっしゃる東さんもパネリストとして参加されたシンポジウム。内容もさることながら、そのパワーにあらためて驚嘆。お茶した喫茶店では、カツカレーをすごい勢いで貪りながら、初音ミクについて喋る、喋る。その後の懇親会では、文学や芸術学の並みいる大御所を前にして、食いかつ飲みながら、これまた猛然と喋る、喋る(しかもほとんど喧嘩腰(笑))。暑さに弱いBは東京の湿気にやられて脇の方でぼうっとしていましたが、彼はこの日、いったい何時間喋りつづけていたんだろう。

僅かな時間の合間に渋谷のミュージアムで「若きロシア・アヴァンギャルド展」。渋谷駅前交差点のあの人混みと蒸し暑さのパンチでほとんど朦朧となっているところに、ゴンチャローヴァだのマレーヴィチだのタトリンだのが忽然と現れると、ほとんど自分の眼を疑いたくなりますよね。収穫の一つは、ダヴィート・ブルリュークって、書いたものは面白いけど絵はつまんねーな、といったところでしょうか。

二日酔いの重い体をのろのろと運んで翌日のセッションへ。ちょっと遅刻したら席がなくて立ち見。うっそーっ! レジュメも足りなくなっていたので、椅子にすわっている人が持っているのを後ろからじろじろのぞき見しつつ、2時間近く立ちっぱなしの修行。ロザリンド・クラウスやらハンス・ベルメールやらコンポラ写真やら、どれもこれも難しいテーマでの高度な議論をやっとのことで追いつつ、同時に、文コミの写真研究って、実はけっこうレヴェル高いんだなと感じもした、そんな混沌とした週末でありました。

2008年6月14日

「つ」の快楽、むせかえる香り、そして翻訳という現場

I俣先生はあんなふうにおっしゃっていますが、実はロシア語がおできになるに違いありません。そうでなければ、Bがわざわざ原文のまま訳さずにおいた肝心要の箇所をそしらぬ顔で暴露し、さらに、あらずもがなの注釈まで付け加えてしまうなどという芸当はできなかったでしょうから。

「ロシア語もチェーホフも知らない」とうそぶくI俣先生ですが、その実、チェーホフと「からゆきさん」の歴史的因縁に関しては、かなり丹念なリサーチを重ねて書き込みをなさっている様子がうかがえますし、問題の所在を指摘する手つきの正確さには驚かされます。まさしくそのとおりで、チェーホフは日本に深い関心を持っており、「からゆきさん」の存在もよく知っていました。

1890年、30歳のチェーホフは、足かけ9か月にもおよぶサハリン旅行を敢行します。まだシベリア鉄道が開通していなかったころの話ですから、ほとんど想像を絶する苦行ですが、サハリンで流刑囚の生活を調査し、そのあと日本に立ち寄る予定でした。折悪しくコレラが流行していたために日本訪問の夢は実現しませんでしたが、チェーホフがサハリンへの道中ですれちがう日本人たちに生き生きとした好奇のまなざしを向けていたことは、次の手紙からもうかがい知ることができます。アムール川沿岸の町ブラゴヴェシチェンスクから友人のスヴォーリンに宛てた手紙です(1890年6月27日付)。

中国人を見かけるようになるのはイルクーツクからですが、ここまで来ると蠅よりたくさんいます。とても気のいい連中です。<…>
ブラゴヴェシチェンスクまで来ると日本人を見かけるようになります。というか、むしろ、日本女性たち、というべきかな。小柄な黒髪の女たちで、大きくて凝った髪の結い方をしており、胴まわりも美しいのですが、腿が短いような気がしました。きれいな着物を着ています。彼女らの言葉には「つ」という音がよく聞かれます。<…>
ここで言及されている「日本女性たち」こそ「からゆきさん」にほかなりません。上の引用はアカデミー版全集から訳しましたが、<…>のところは原文でも伏せ字になっています。ロシア文学者の中本信幸は、ロシアの古文書館に保管されているチェーホフの手紙の現物を閲覧し、伏せ字部分を復元して翻訳紹介するという執念の仕事をやりとげましたが(『チェーホフのなかの日本』大和書房、1981年。ところが図書館に入っていない!)、それをそのままここで引用すると、それこそアダルトな「裏の歴史」になってしまうのでやめておきます。まあ、だいたいわかるよね。

むしろ、私が惹きつけられたのは、引用の最後の一文です。「彼女らの言葉には「つ」という音がよく聞かれます」(В языке их преобладает звук "тц")。

ローマ字に翻字すれば"tts"になるこの表記は、ロシア語正書法の規範からすればいささか異常なものです。初級のロシア語でもおなじみの"отца"(アッツァー。「父親 отец」の生格)の例に見られるように、この綴りは「ッツ」という感じで破擦音"ц"を二重に重ねて発音されるのですが、前後に母音を伴わずに使われることはまずありません。チェーホフは、たえず笑みをうかべている日本人娼婦の口から発せられた奇妙な響きを思い出しながら、あえてロシア語の規範を歪曲してまでも、それを再現しようとしている。自分では理解することのできない日本語の音の流れに身をゆだねながら、そこにときおり浮かびあがっては消える「つ」の音に魅了されているのです。

それが島原や天草の女たちの方言におけるどのような語と対応するのかを調べることは可能でしょうが、実は私自身はあまりそちらのほうに食指が動きません。むしろ、ほとんど幻聴のように響く「つ」のなかにチェーホフが感受していたであろう快楽の質に惹かれます。記号論の用語を使えば、音(phone)と音素(phoneme)の中間地帯にある「言語未満の快楽」とでもいうことになるでしょうか。それとも、ロラン・バルトにならって「言語のざわめき」とか「声のきめ」と呼ぶべきでしょうか。

文学史の教科書ではサミュエル・ベケットをはじめとする「不条理文学」の先駆者とされることもあるチェーホフですが、その「不条理」とは、案外、こんなプリミティヴな快楽を指すのかもしれません。たとえば、こんな例はどうでしょう。「犬を連れた奥さん」第2節の終わり近く。ヤルタでの一夏の恋が終わり、アンナ・セルゲーエヴナがS市の夫のもとに帰っていったあと、駅のプラットフォームに一人取り残されるグーロフの描写。

プラットフォームに一人とり残されて、闇のかなたを見つめていたグーロフは、きりぎりすの啼き声と電線の唸り声を聞きながら、まるでたったいま眼がさめたような気持がしていた。
И, оставшись один на платформе и глядя в темную даль, Гуров слушал крик кузнечиков и гудение телеграфных проволок с таким чувством, как будто только что проснулся.
狂ったようなひと夏の不倫がいままさしく終わりを告げた瞬間、主人公の耳に外界の騒々しい響きが飛び込んできます。生物と無生物の境界を無化し、なにかを呼びかけるメッセージのようでありながら、意味ある言語として分節することがけっしてできない、そんなナンセンスな響き。ロシア文学者の浦雅春は、まるで山本晋也監督をちょっとだけ上品にしただけのような顔をしていますが(失礼!)、その外見とは裏腹に、チェーホフにおけるこのナンセンスな「響き」に対する繊細な感性の持ち主です。
それにしても何という音の洪水だろう。『往診中の出来事』でも『いいなずけ』でもおびただしい「音」が交響している。それらは小説の具体的描写という枠を超えて、はるかに大きな意味をになっているように見える[…]実際、晩年になるにつれて「音」は作品のなかで格別の意味をもってくる。主人公たちは、あるときは音に脅えながら必死にその音に聞き入ろうとする。あたかもそれが自分に何かを問いかけているかのように思えるからだ。その問いかけのなかに自分を救う鍵が秘められているように思えるからだ。(浦雅春『チェーホフ』岩波新書、2004年、196-197頁)
むかし、さんざん奢ってもらった浦さんだから言うわけではありませんが(笑)、この本、なかなかよくできています。おすすめです。

チェーホフと日本の話題に戻すと、アンナ・セルゲーエヴナが買い求めた香水が、日本の女郎屋周辺に係わる商店にあった物ではなかったかというI俣先生の推測は、残念なことに確認されないようです。

彼女の部屋は蒸し暑く,日本雑貨の店で買った香水の匂いがこもっていた。
У нее в номере было душно, пахло духами, которые она купила в японском магазине.
アカデミー版全集の註によれば、ヤルタの海岸通りには、1899年当時、二軒の日本製品店があり、それぞれA.F.デメンチエフとS.M.ヤトヴェツなる人物の店であったことが、当時の名鑑から確かめられています(したがってここを「日本人の店」とすると誤訳になる)。また、そもそも、当時日本が香水を輸出していなかったことも、ほぼ確実です。といっても、「日本の店」でまさかフランス製の香水でもないでしょうから、アンナ・セルゲーエヴナが買い求めた「日本雑貨の店の香水」とは、ロシア人がそれらしいものを作って勝手に日本らしい銘柄をつけたまがいもの、という可能性が大でしょう。

しかし、インターネット時代は恐ろしいもので、明治・大正期の日本の香水事情についてググってみると、すぐに、こんな記事にぶつかります。「日本に輸入されて初めて市販された香水はロジェ・ガレ社の「ヘリオトロープ」です。[…]明治の文明開化の波に乗って流行しました。夏目漱石の「三四郎」の中にも登場しています。(「日本の香り/香水情報サイト」http://sat01.com/perfume/02.html)。そういえばそうだった! と全集で確認してみると、

女は紙包を懐(ふところ)へ入れた。其手を吾妻(あづま)コートから出した時、白い手帛(ハンケチ)を持つてゐた。鼻の所へ宛てゝ、三四郎を見てゐる。手帛(ハンケチ)を嗅ぐ様子でもある。やがて、其手を不意に延ばした。手帛(ハンケチ)が三四郎の顔の前へ来た。鋭い香(かおり)がぷんとする。
「ヘリオトロープ」と女が静かに云つた。三四郎は思はず顔を後(あと)へ引いた。ヘリオトロープの罎(びん)。四丁目の夕暮。迷羊(ストレイ・シープ)。迷羊(ストレイ・シープ)。空には高い日が明(あきら)かに懸(かゝ)る。
「結婚なさるさうですね」
 美禰子は白い手帛(ハンケチ)を袂(たもと)へ落した。
「御存じなの」と云ひ言いながら、二重瞼(ふたえまぶち)を細目にして、男の顔を見た。(『三四郎』十二)
そうそう、こんなのもあった、と連想が広がります。ただし、香水ではなく、花の香り。
やがて、夢から覚めた。此一刻の幸(ブリス)から生ずる永久の苦痛が其時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失つた。彼は黙然として、我と吾手を眺めた。爪の甲の底に流れてゐる血潮が、ぶるぶる顛へる様に思はれた。彼は立って百合の花の傍(そば)へ行つた。唇が弁(はなびら)に着く程近く寄つて、強い香(か)を眼の眩(ま)う迄嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香(か)に咽(む)せて、失心して室(へや)の中に倒れたかつた。(『それから』十四)
そしてチェーホフに戻る。「日本雑貨の店で買った香水」の直前の場面。人もまばらになった晩のヤルタの埠頭。さきほどまで快活だったアンナ・セルゲーエヴナは、いまはもう黙りがちになって、手にした花束の香りばかりかいでいる。
すると彼はじっと彼女を見つめ、ふいに抱きよせて唇にキスをした。花の香りと露がふりかかり、彼はすぐにおびえてあたりを見回した。誰かに見られなかったかな?
「あなたの部屋に行きましょう」。彼は静かにささやいた。
そして二人は足早に歩きだした。
Тогда он пристально посмотрел на нее и вдруг обнял ее и поцеловал в губы, и его обдало запахом и влагой цветов, и тотчас же он пугливо огляделся: не видел ли кто?
- Пойдемте к вам... - проговорил он тихо.
И оба пошли быстро.
どうでしょう。漱石においてもチェーホフにおいても、「香り」が、男女の関係が決定的に変容する瞬間の記号になっていることに気づくのではないでしょうか。「音」も「香」も、「見る」経験につきものの日常的な「距離」の感覚を失わせるものです。音には包まれることができますが、眼は離れた対象しか見ることができません。香りにはむせかえることができますが、眼は対象に触れることができません。そして(いささか教科書的になりますが)「理論theory」が、そのギリシア語の語源が示すように「観照すること」であるならば、たしかにこれは「理論」のリミットを指し示す事態であるということになるのかもしれません。

眼の前にあるテクストを一字一句追っていく。辞書を引き、参考書を調べて、翻訳し、解釈していく。そのテクストの背後には、I俣先生が「裏の歴史」と呼ばれる膨大な人々の営みがあって、私たちを驚かせる。またテクストに立ち返って、耳をすまし、香りをかぐ。

授業でも論文を読む際でも、私たちはつい華麗な結論に眼を引かれてしまいがちですが、その背後には、こうした地味で時間のかかる仕事があるのです。「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」とは織田裕二扮する青島刑事の名言ですが、それにならっていえば「事件は論文で起きてるんじゃない、テクストで起きてるんだ」となるでしょうか。

そんなとき、ふとした偶然から、ネット上でこんな記事が目にとまりました。「スタンダール『赤と黒』 新訳めぐり対立 「誤訳博覧会」「些末な論争」 」http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080608/acd0806080918004-n1.htm

事の当否そのものは私には判断できませんし、いくらなんでもちょっとやりすぎなんじゃないかという気はしますが、それでも、ふだん、なかなか一般読者が目にすることができない「事件の現場」があらわになる貴重な機会であることは間違いありません。フランス語を学ばれた方は一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。


(それにしても、えらい時間をかけてしまった……)

2008年5月31日

アダルトなロシア語

とはいえ(いったい、誰の、どのエントリーとの、どのようなつながりで「とはいえ」になるのか、自分でもよく分かりませんが)、のろのろと、不自由しながらテクストを「読む」という、いまとなっては古くさい教育実践の中からしか得られない快楽というものは確かにあって、昨今の「教育改革」なるものの意義を理解しないではないものの、たまには「到達目標」だとか「授業評価」だとか「PDCAサイクル」などという言葉をすっかり忘れて(最後の言葉は知らない人がいるかも。GP業界の隠語ですね)、テクストの片言隻語の輝きにひたっていたいと思うときもあります。

たとえば、これは文コミの授業ではないのですが、2年生相手のロシア語購読の目下のお題は「アダルトなロシア語」。別名、アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ「犬を連れた奥さん」。

冒頭、主人公の年齢について"Ему не было еще сорока"と書かれていることに軽くショックを受けつつ(ここではあえて訳さないでおきます)、気を取り直して、妻子ある主人公が避暑地ヤルタで「犬を連れた奥さん」とあだ名された女性と出会い、次第に親密さを深めていく過程を読みすすめていくと、こんな文章にぶつかります。

У нее в номере было душно, пахло духами, которые она купила в японском магазине. Гуров, глядя на нее теперь, думал: "Каких только не бывает в жизни встреч!"

Bの試訳(あくまでも試訳なので、あまり追及しないでくださいね)。

彼女の部屋は蒸し暑く、日本雑貨の店で買った香水の匂いがこもっていた。グーロフは、いまあらためて彼女の姿に眼をやりながら考えていた。「人生にはこんな出会いもあるのだ!」

次に示すのは、ネットで見つけた英訳(あくまでもネット上の拾いもので、アップした人の間違いということもあり得ますから、もとのページにはあった書誌はあえて記さずにおきます)。

Her room was stuffy and smelt of some scent she had bought in the Japanese shop. Gurov looked at her, thinking to himself: "How full of strange encounters life is!"

おわかりでしょうか。この英訳からは、この件でもっとも重要な一語が抜けていますよね。原文で"теперь"、なんのことはない、あらゆるロシア語学習者が一月もしないうちに覚える単語で、英語でいえば"now"にあたります。しかし、この一語の脱落を、翻訳にはつきものの単なる迂闊といって許すわけにはいかない。あるいは、語学の教室でよく見られるように、機械的に「グーロフは、いま彼女を見ながら考えた」と訳してしまったのでは台無しになる。ここはなんとしても「いまあらためて」とか「あらためて」でなければならない。ほんの一時間前には気づかなかったことに「いま」気づいた主人公の驚きが、この一語には込められているはずなのです。

その少しあとでは、こんな文章。

Но тут все та же несмелость, угловатость неопытной молодости, неловкое чувство; и было впечатление растерянности, как будто кто вдруг постучал в дверь. Анна Сергеевна, эта "дама с собачкой", к тому, что произошло, отнеслась как-то особенно, очень серьезно, точно к своему падению, - так казалось, и это было странно и некстати.

Bの試訳。

しかし、ここにあるのはあいもかわらぬ臆病さであり、経験の少ない若い女にありがちなぎこちなさ、気まずい思いだった。まるで誰かが急にドアをノックしたときのような、途方に暮れた感じ。アンナ・セルゲーエヴナ、この「犬を連れた奥さん」は、起こってしまったことを何かおかしなくらいに真面目に考えていて、まるで私は堕落したとでも言わんばかりだった。――そんなふうに見えたのだが、それは奇妙だったし、場違いだった。

英訳。

But here the timidity and awkwardness of youth and inexperience were still apparent; and there was a feeling of embarrassment in the atmosphere, as if someone had just knocked at the door. Anna Sergeyevna, "the lady with the dog," seemed to regard the affair as something very special, very serious, as if she had become a fallen woman, an attitude he found odd and disconcerting.

ポイントになるのは、"все та же"(「あいもかわらぬ」)、英訳なら"still"の部分でしょう。野暮を承知で補えば、「あんなことがあったのに、その前後で変わらぬぎこちなさ」といったところか。「まるで誰かが急にドアをノックしたときのような」――普段から教室では「分析だ、理論だ」と口をすっぱくして言っているBですが、こんな表現に出会うと、ふと、面倒な理屈などいっさい放棄してしまいたくなるような誘惑に駆られます(ダメじゃん)。けれども度外れの純情さを前にした主人公の驚きは、百戦錬磨のプレイボーイが感じるかすかな苛立ちと隣り合っている。客観的であるべき地の文のなかに、主人公の内面の声が混じりこんできます――たかがこれしきのことなのに、ずいぶんな落ち込みようじゃないか。大いに楽しまなくちゃいけないのに――英訳は原文のダッシュの「間(ま)」を取り去り、さらに"he found"を補って感情の主体を明示してしまっているために、地の文の客観性と主人公の主観性が交差する原文の微妙なニュアンスを台無しにしてしまっているような気がします。

そんな主人公の当惑を予告していたかのような、数頁前の一文。

原文:"Что-то в ней есть жалкое все-таки"
試訳:「それにしても、あの女にはなにか憐れをさそうところがある」
英訳:"And yet there's something pathetic about her"

"pathetic"という英訳は、少なくとも(あまり当てにならない)Bの語感からすると「ありえねー」のですが、それはさておき、じゃあ"жалкое"をどう訳すかといわれると途方にくれてしまいます。薄給を顧みず十数万もはたいて買った全17巻の重い重い辞書を引いてみても、やはり答えは得られない。とりあえずこんなふうにでも訳しておくしかないけれども、どんなふうに訳してみたところで、それではすくえない含意が残るような、そんな一語。

文コミにはチェーホフがご専門のS先生がいらっしゃいますので、恥ずかしいかぎりですが、いやあ、Bにとっては、チェーホフはやはり鬼門ですね。こんな文章を前にして、どんなふうに論じたらいいのか分からない。ばかみたいに、教室で「いいなあ~」と嘆息して、学生のみなさんを当惑させるばかりです。文学的な、あまりにも文学的な。こんなことでは、最近話題になったロシア文学者を嗤えないですね。

2008年4月 1日

また四月が

去る者と来る者が交錯し、感傷的にも残酷にもなるこの季節ですが、個人的には、とにかく「年度末」という言葉に追いまくられ、おおむね灰色の日々を過ごすことを余儀なくされた数カ月でありました。このブログの読者ならおわかりのように、自分の年収をはるかに上回る予算の年度内執行というやつですね。2月とか3月とかにやたら道路工事が増えるアレですが、臆病者のBは、後ろ指をさされないように、少しでも有益でアカウンタブルな使い方をせねばと、神経をすり減らしておりました。そのストレスもあってか、最近、会議等で、ついかっとなって粗野な言葉を吐く事態が続出。少々反省しているところです。

とはいえ、また四月が来ました(註)。憎々しかったあの人たちが去り、騒々しかった彼女が戻って来、寡黙な彼が変わらぬ寡黙な姿を私たちの前に現す四月、そして、まだ見ぬ人たち――元気いっぱいかもしれないし、とても落ち着いているかもしれないし、漠然とした不安に苛まれているかもしれない新入生たち――がやってくる四月です。過去の「同じ日」を思い出させるとともに、けっしてそれと同じではない日々が始まります。彼ら彼女らに圧倒されないように、いまのうちに少しでもパワーをためておかなければ。とはいえ、今日は風邪気味なので、もう寝ます。

註)以前、ブログにおける歌詞の引用について、著作権の絡みでちょっと議論されたことがあって、このブログでも過去に遡って書き込みの手直しがされたことがあるのに、慧眼な――あるいは、よっぽど暇な――読者は気づかれたかもしれません。しかし、「引用」の問題は文化理論における大問題の一つである以上、ちょっと境界に「かすって」遊ぶくらいのことはしてみてもよいでしょう。

この問題の奇妙さは、ちょっと考えてみれば分かることです。

かりにある人が市販されているCDの歌詞をまるまる引用し、作者として自分の名前を記してしまった場合――これは文句なし、剽窃ですね。

同じ歌詞から三行を引用し、ちゃんと出典を付した場合――これは引用ですが、著作権料の支払い義務は発生するのでしょうか。

歌詞の一行だけ引用した場合はどうでしょう。

これは小説の例になりますが、「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」――ご存じ(ではないかもしれませんが)、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一文ですね。これはたしかに「引用」という感じがする。いかにも小説家らしい、巧い言い方、オリジナルな言い回しで、いかにも著作権(=作者の権利)が発生しそうな気がします。

(実際には、トルストイはもうかなり昔に亡くなっているので、ロシア語原文の権利は存続していないが、この日本語訳者(木村浩氏)の権利は存続しているという、もう少しややこしい話になるのだと思います。厳密なことは確認していないのでよくわかりませんが。また、小説からの引用は、学術目的という観点から、かなり自由に許されている、ということもあります。)

では、「役所で……」だとどうでしょう。

人によっては(あまりいないでしょうが)、ただちに「それはゴーゴリの『外套』の冒頭の引用だ」と言うかもしれません。

でも、「役所で」という言葉は、別にゴーゴリでなくても誰でも口にする言葉にすぎない。私だってこれまでに無意識のうちに何度も言ったことがあるでしょうし、みなさんだってそうでしょう。そんなとき、「作者の権利」は、発生するのでしょうか。

百歩譲って、「役所は」のあとに「……」をつけて語り手の言い淀みを巧みに表現した点に、ゴーゴリという「作者」の比類のない独創性があったとしましょう。そう考えるなら「役所で……」は「引用」であるといっていいかもしれません。ならばもう一歩進めて「役所で」だけ、あるいは「役所」だけであったなら、それは「引用」でしょうか。

原理的に考えれば、私たちが発する言葉は、それが言葉である限り、すべて「引用」であるはずです。だって、私たちは、かつて私たちの同胞が一度も口にしたことのない言葉を、けっして言うことができないのですから。

それならば、「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」を「引用」であると認定し、「役所で」を「引用ではない」と断じる社会の力は、いったいなにに由来しているのでしょう。

タイトルに戻りますが「また四月が」は「引用」なのでしょうか、そのあとに「来たよ」と続けると「引用」になるのでしょうか。ならば「四月が来たよ」は、どうでしょう。(例によって一部の人にしか分からない話にしてしまいました。すみません。文コミのみなさんにはバレバレかもしれませんが)。

2008年2月13日

卒論評価終了

4年生の卒業論文発表会&口頭試問、そしてそれにひきつづく教員たちの卒論成績会議は、疑いもなく、文コミの一年のなかでももっとも印象深い行事のひとつです。前者に関して言えば今年もいろいろで、笑いあり(意外なようですが、俎板の上の鯉であるはずの発表者自身もふくめて、皆がつい笑ってしまう場面がけっこうあります)、涙あり(今年は、せいぜい、うっすら程度)、質問責めにあった学生の逆ギレがあり(傍で見ていてちょっと同情)、意見の相違からくる教員間のひそかな闘いがあり(教員たち自身は隠しているつもりのですが、学生にはけっこうばれているようです)、驚きがあり(ポジティヴなものとネガティヴなもの両方)、優しさがあり(私自身はたいへん優しかったと自負しています)、幻滅があり(否定しようがありません)、それをのりこえた師弟愛がある(二人のI先生の愛の深さにはだれもが感嘆したのではないでしょうか)といった具合でした。

そして成績会議。文コミでは一つの卒論を必ず複数の教員が採点することになっていますが、先生方の評価がおおむね一致する場合(これが大多数)はいいとして、毎年必ず、バトルが繰り広げられるケースが1、2あります(差支えがあるので今年のことは書きませんが、昨年は私がその主役でした)。いわばネタにされた学生は気の毒ですが、教員の側からみれば、普段の社交的な壁を突き破って、それぞれの学問観や価値観の違いがあらわになる、貴重な場でもあります。少々昔の話になりますが、文字通り怒号がとびかうこともあったような、、、4年生が卒論の評価を知らされるのは晴れがましい卒業式の席で、卒論の成績などはほとんど気にもしないでしょうし、なにより学問の評価基準は一つだと信じているでしょうから、なかなか想像しづらいかもしれませんが、人間について人間が書いたものを人間が評価するとは、おそらく、そうした差異の認識のための機会なのでしょう。

ちなみに、卒論を書き終えたばかりの4年生が、自分の卒論を反省しつつ、レポートにこんなことを書いていました。固有名を伏せて無断引用します(ちなみに「***」とは当該学生の卒論のテーマ)。「***は、私にとって大変魅力的であり、解きがたい問題であり、それゆえに救われたというほかない」。

現3年生も、一年後に、こんなかっこい言葉が言えるようになるといいですね。

2007年12月11日

文コミ演習

今学期の3~4年生向け演習ではフランスの記号学者ロラン・バルトの写真論とアメリカの美術史家ジョナサン・クレーリーの視覚文化論を読んでいるのですが、毎回の発表担当者には、文献の要約に加えて、なにか一つ作品を選び、文献で学んだことに関連づけながら自由に分析してもらうことにしています。で、学生がこれまでに持ってきたものを羅列してみると以下の通り(抜けているものがあるかもしれませんが)。

フランス、パンザーニ社の広告
琉球泡盛の広告
ドラクラワの『海老のある静物』
フェルメール『窓辺で手紙を読む少女』(2バージョン)
シャルダン『赤エイのある静物』
リサ・フィッティパルディ『バレリーナ』
Sigur Rós、MV
The Beatles, Lucy in the Sky (MV)
東京事変『閃光少女』(MV)
ターナー『影と闇:洪水の夕べ』

文献で扱われている作品を素直にもってきたものから、一見して「関係あるのか?」と首をかしげたくなる異分野のものまで、様々ですね(ちなみに、いかにも授業担当教員の趣味っぽいものが一つ含まれていますが、別に強要したわけではありません)。写真に詳しい人もいれば、音楽に詳しい人もおり、どちらもそれほどでもない人もいる、そういう環境で、事前の知識があろうがあるまいが、とにかくその場で作品を見て、考え、発言し、議論していくわけですから、素人の無謀な即興演奏のアンサンブルとでもいうべきスリルがあります。そんななかで、誰よりもあたふたと右往左往しているのは、ほかでもない私自身かもしれませんが、それでも、議論のなかで学生からきらりと光る言葉が聞けたりすると、快感です。もちろん、あまり盛り上がらずにがっかりするときもあるわけですが。

クレーリーも一段落して、後半は学生のガチの自由発表。いったいどうなってしまうことやら。

2007年12月 4日

情報文化入門B、第2セッション

1年生向けの入門オムニバス講義「情報文化入門B」の第2セッションのお題はジェンダー論。男は外で働き女は家を守るという社会通念はどのように生じたのか、なぜ見るのはつねに男性であり見られるのはつねに女性であるのか、新しい家族のありかたはどのようなものなのか等々、ある意味でとても生々しく、つらい問題でしたが、このようなテーマであっても、社会学や政治学のように「重く」扱うのではなく、われわれが日々接しているイメージや広告や歌といった、一見すると「軽い」文化の側面からアプローチしていくのが文コミの特徴なのかもしれません。今日の講義は旧約聖書のアダムとエヴァから始まって、例によってもうひとつの「林檎」で閉め。うまくオチがついたことになったかどうか。

2007年11月23日

写真は閃光するか?

文コミには写真に関心がある学生も多く、カメラの実践に関しては教員をはるかにしのぐ学生も少なくありません。でも、考えてみると、写真ほど難解なメディアもない。問題は写真の「時間 temporality」に関わります。写真が表現する時間とは、いったいどのようなものなのでしょう。

写真が表現する時間に関して、いささか乱暴に、いままで概ね二つの説があったとしてみましょう。一方の代表は、フランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)の「決定的瞬間(The Decisive Moment)」というもの。日常生活における、ある生き生きした瞬間を、写真は切り取り、永遠化することができる。そのとき、「決定的瞬間」は、写真のなかで、歴史的時間の推移を超えて生き残る。

もう一方は、同じくフランスの記号論者ロラン・バルト(Roland Barthes)と椎名林檎に代表してもらうことにしましょう。写真に写っているのは、つねに、すでにもはや取り返しのつかないものになってしまった過去でしかない。現在は写真になるやいなや過去になり、ノスタルジーの対象になってしまう。写真が語るのは「それは―かつて―あった」という物語であり(バルト)、いったん写真になってしまえば、あたしはすぐに古くなってしまう(椎名林檎)という嘆きでしかない。

シャッターが押され、閃光が走るとき、そこではなにが起こっているのでしょう。

11月21日に発売されたばかりのDVDを見ながら考えたことは、当たり前なことのようでありながら、写真は舞踏する身体ではないということでした。写真において、撮る者と撮られる者はけっして同じ時間を共有することはない。両者は厳粛な距離によって隔てられており、この距離は、日常生活においてたとえ両者がどれほど親しい間柄であろうと、けっして埋められることはない。写真というメディアは、持続としてある時間のなかにひとつの裂開(dehiscence)を生じさせる――そんなふうに表現できるのかもしれません。

だから、二人の人間が時間を共有し、シンクロし、ともに一つの舞踏を創り出そうとするなら、人はまず写真機を捨てなければならない。写真は閃光しない。写真機は要らないから、まずは自分の五感を全開にして、それを互いに持ちよらなければならない。五感を全開にして眼の前の相手に閃くこと――でも、私たちにとって、これほど困難なことがあるでしょうか。

2007年11月11日

百道浜と歌舞伎町

、、、という書き込みをした直後に、I先生の力のこもった書き込みを発見して、ちょっとびっくり。I先生の得意げな顔が眼に浮かぶようですが、う~ん、困った。これはちょっと考えてみなければなりますまい。とはいえ、百道浜でゴジラが暴れまわった理由というよりは、記号のリアルという問題であり、それは例えば「百道浜」と「歌舞伎町」の差異とも言い換えられるであろう問題ですが。精神分析の奇妙なリアリティとも、きっと無関係ではないような予感が。

精神分析という謎

文コミにいれば、必ずや、一度といわず、何度も何度も繰り返し耳にすることになる名前の一つが、精神分析の生みの親であるフロイトです。たとえ読んだことがなくても名前だけは多くの方がご存知でしょうし、ある意味では20世紀の人文科学の方向を決定づけてしまったような人ですから、私もことあるごとに言及しているのですが、しかし、考えてみれば、いわゆる思想家のなかで、こんなに奇妙な人もいないかもしれません。

三角形の内角の和が180度であるということを教えるのはそれが疑問の余地なく正しいと信じているからですし、ベンサムが考案しフーコーが分析したパノプティコンと呼ばれる監視システムに言及するのは、それが「近代」と呼ばれる時代の分析に有効であると信じているからにほかなりません。あたりまえの話で、人はそれが正しいと思うから教えるわけです。ところが、フロイトの場合にはそうとは言い切れない。オイディプス・コンプレクスと呼ばれる無意識のドラマをはたして教師は信じているでしょうか? あらゆる夢は幼年期の無意識的欲望の歪められた充足であるというフロイトの説は、本当にすべての夢を説明することができるのでしょうか? 「パパ―ママ―ボク」のオイディプス的三角形など馬鹿げた幻想にすぎないと、ドゥルーズやフーコーやバフチンといった権威は言っていなかったでしょうか? フロイトが普遍的な「真理」だなんて、本当はこれっぽっちも思っていないのではないでしょうか?

にもかかわらず、近代の芸術や文化について語るとき、フロイトを省略することはできない、フロイトは間違っていたが、その間違いについて語らないわけにはいかない――ほぼこんなふうに考えている人文科学の研究者が、どうやら確実に一定数存在しているらしいのです。別に正しいとは思っていないが、避けることもできない神話、といったところでしょうか。だから、こんなものには初めから近づかないというのが正しい態度なのかもしれません。ならば、『夢判断』やら『精神分析入門』やらをつい読んでしまった者はどうすればよいのか――これは、間違いなく、文コミの大きなテーマの一つだと思います。

2007年11月 7日

愉しい無責任

ここしばらく、ゴジラとモスラの襲撃をうけて鳴りをひそめていましたが、大丈夫、心配無用です。文コミではまだ人間も生きています。

他の先生方のことはよく知りませんから、一般化は慎まなければなりませんが、文コミの演習では、担当教員が、自分では答えが分からないし、学生にとってもそうそう答えが出るようなものではないだろうという問いを投げかけることがあります。自分でも分からない問いですよ。当然、問いかけられた学生は絶句する。教員のほうはというと、なぜか楽しげに「う~ん、分からないですね~」と言って、自分がなぜこの問いに答えられないかについて、ひとしきりしゃべる。で、それで終わり。オチは? 無し。問いはそのまま放置。授業が終わったあと学生が難しかったと文句を言ってきたりしますが、それでも無視。だって、自分でも答えが分からないのですから。

しかし、それが実に楽しい。

現実にはなかなかそうもいかないことも多いですが、大学で、なにより愉快なのは、問いに答えがなくてもよいことです。面白い問いが提起できればよい。はっとさせられるような問い――関連していろいろなことを考えさせるような問い、なにか曖昧な欲望を掻き立てるような問い――そういう問いを議論のなかで練り上げることができればよいのです。会議ではそうはいかない。会議では、落とし所を探ること、とりあえずの合意を形成すること、無理そうだったらすぐに諦めて、余計なエネルギーを消耗しないように、その場は早く終わらせること、が重要になります。演習では、逆に、全員の合意をできるだけ遅らせること、一致しているかに見える意見のあいだに微妙な差異を見つけ出すこと、余計な一言を発して議論を混乱させることが重要になります。「たしかにそうなんだけれど、でも、○○ということを考慮に入れると、××であるということになるから、その議論は成立しなくなるよね~、えへへっ」といった感じでしょうか。議論における、そういう品の良くない態度を、私はいま演習で読んでいるクレーリーの訳者から学びましたが、いまふうに言うと、そういうのはドSというのでしょうか、それともドMなのでしょうか。

2007年10月16日

論文の題名

昨日15日は卒業論文題目提出の締切日でした。論文そのものの締切は来年1月10日ですから、ずいぶん早いわけですが、4年生はみんな苦労していたようです。

題名なんていうのは要するに器に貼り付けたラベルみたいなもので、大事なのは器の中身なのだから、そんなものどうでもいいではないかと思われるかもしれませんが、それは素人の考えですね。実際は題名はとても重要。いい題名を思いつくか思いつかないかで論文の出来が左右されることがあるくらいです。題名に納得がいかないとなかなか執筆もはかどらないし、逆にいい題名が思いつくと調子づいて、自分でもびっくりするくらいアイデアが浮かんできたりすることもあります。

要するに、題名を決めるというのは自己暗示をかけるということなのでしょう。いい題名が思い浮かぶと自分が少しばかり偉くなったような気がするし、逆にダサい題名だと自分がちょっとばかになったような気がする。人文系の場合、論文の題名といってもいろいろで、思い切りスタイリッシュにすると気分が昂揚して良い場合もあるし、あえてガチガチに堅い紀要論文風にしたほうが書きやすい場合もある。人を食ったとぼけたようなものにしておいて、独りでニヤニヤ笑いながら書くのが楽しい場合もあります(性格悪いですが、私はこれ、たまにやります)。とはいえ、学生であればせっかくいい題名を考えても指導教員にダメ出しされたり、教員でも編集者に変更を要請されていやいや従わなければならない場合もあるから、いつも思うようにいくとは限りませんが。

2007年10月 9日

情報文化入門B、イントロダクション(2)

イントロダクションの2回目では、前回にひきつづき、恒例のあの名曲を分析。短時間なのでもちろん深くつっこんだ分析ができるわけではないのですが、強烈な異化作用を及ぼすあの決め台詞では、教室全体が一瞬固唾をのむのが伝わってきます。この授業はオムニバス形式なので、私がしゃべるのは間をおいてあと3回。毎回の授業でどの曲を選ぶかというのも、悩みのタネであると同時に楽しみでもあります。文コミの勉強で分からないことがあったら林檎にきけ、といったら言いすぎか。

2007年10月 3日

授業開始

第一週目は聴講受付が主でまだ本格的な授業ははじまっていないのに、あーいそがしい、いそがしい。昨日は好奇心と期待とではちきれんばかりの1年生向け講義「情報文化入門B」を、いきなりわけのわからない愚痴ではじめてしまい、学生に失笑されてしまいました。とはいえ、私がこの授業を担当する際には恒例となっているあの名曲が教室に響きわたると、ひととき、幸せな気分になります。

2007年9月21日

集中講義

9月は集中講義の時期でもあります。文コミは、今年、『西洋音楽史』(中公新書)や編著『ピアノを弾く身体』(春秋社)をはじめとする著作で今もっとも注目されている音楽学者、岡田暁生先生をお迎えすることができました。クラシック音楽というと堅苦しそうにみえますが、実際にはそんなことはまったくない、ざっくばらんでフレンドリーな方です。昨夜は教員有志での歓迎の宴をもったのですが、「チャイコフスキーは××」とか、「19世紀のロマン主義なんかが好きなわれわれって、偏差値低いんですね~」とか、フランクにして刺激的な発言を関西弁でガンガンとばされ、私は先生のお話があまりにも楽しくて、つい深酒をしてしまいました。まあ、最後の点はいつものことですが。

2007年9月20日

物価上昇、図書館、アヴァンギャルドのモスクワ

ロシアねたが続きますが、一週間、モスクワに行ってきました。この時期はどこの大学でも海外出張に行かれる先生方が多いようで、観光客でごった返すホテルの朝食のレストランでロシア史の超大物の某先生をお見かけしたときには、思わず息を呑みました。

モスクワはもはや西欧的な大都市で、とりわけ物価の上昇はひどく、東京と変わりないか、もしくはそれ以上なものも結構あります(ビールとタバコだけはひどく安いですが)。他方で、旧称レーニン図書館(ロシア国立図書館)閲覧室で手に取る古い書物の手触りと、一部リニューアルしたトレチャコフ美術館(新館)で観るアヴァンギャルド芸術の生々しさ。モスクワは多面的です。

2007年9月 2日

翻訳論後日談

朝日新聞が記事にしていましたね。

ドストエフスキー新訳「カラマーゾフの兄弟」が人気(2007年09月01日10時46分)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709010055.html

2007年8月31日

過ぎ行く夏の翻訳論

あまり知られていないことですが、文コミでは文学の教育研究も盛んです。さらに知られていないことですが、マイナーなはずのロシア文学研究者が、なぜか二人もいます。そして誰も知らないことですが、そのうちの一人はドストエフスキーを研究しています。私のことですが。

最近、出版界では、なぜか古典の新訳が盛んです。理由はよく分かりませんし、とりたてて騒ぐようなことではないと思うのですが、それでもやっぱりちらちらと覗いてみると興味深いところもあります。一例として、知る人ぞ知るドストエフスキーの傑作(?)『地下室の手記』(1864年)の冒頭を見てみましょう。順に、これまで新潮文庫などでおなじみであった江川先生の訳、光文社古典新訳文庫の一冊として今年の5月に出たばかりの安岡先生の新訳、クラシックなガーネットの英訳、そして原文です。

1) ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。(江川卓訳)

2) 俺は病んでいる……。ねじけた根性の男だ。人好きがしない男だ。どうやら肝臓を痛めているらしい。(安岡治子訳)

3) I AM A SICK MAN.... I am a spiteful man. I am an unattractive man. I believe my liver is diseased. (trans. Constance Garnett)

4) Я человек больной... Я злой человек. Непривлекательный я человек. Я думаю, что у меня болит печень.

それぞれ微妙な違いと苦心が見られますよね。原文では主語の代名詞"Я"、それに「人間」とか「男」にあたる"человек"という語が三回繰り返されていますが、英訳はそのまんま"I", "man"と繰り返し、江川訳は「ぼく→ぼく→省略」「人間→人間→男」と変え、安岡訳は「俺→省略→省略」「省略→男→男」としています。さらに原文では冒頭の文は「主語+名詞+形容詞」、2番目の文は「主語+形容詞+名詞」と語順が変わっていて、3番目になると「形容詞+主語+名詞」という奇天烈な語順になっています(ちなみに現代ロシア語では2番目の語順が一番普通)。当然ニュアンスの微妙な違いが出てくるわけですが(うまく説明できないけれど)、英訳はそれをすぱっと切り捨て、日本語訳二種はなんとか表現しようと頑張っています(苦しげですが)。

ところがこの箇所に関しては、とんでもなく斬新な解釈が存在しています。日本を代表するドストエフスキー研究者で、私がもっとも敬愛する一人、中村健之介先生によるものです。全体の翻訳を出されているわけではないので、この部分の訳を含む研究書の一節を引用することになりますが、要するに、これは漫談だというのです。

5) その最初の断章「地下室」で私たちは、いわばこの手記者の独演をうんざりするほど楽しむことになる。ドストエフスキーの書くものは初期の短篇でも後期の長篇でもおかしくて思わず笑ってしまう個所が多いのだが、『地下室の手記』(一八六四年)のいやらしくて滑稽な、それでいて赤くむけた傷に風があたってひりひりするような痛さもあるお喋りの面白さはまた格別である。これは全篇がいわば様々な色あいの笑いをかもし出す酵母のかたまりだと言ってよいだろう。
 「地下室」の男はのっけから「わたしはねえ、病気持ちなんですよ……腹黒い男なんです。魅力ってものの無い奴なんですよ。肝臓がわるいんだと思うんです」と、お役をつとめる太鼓持ちよろしくギャグをとばし続け、はあはあ息を切らしている。(中村健之介『ドストエフスキー・作家の誕生』みすず書房、1979年、220頁)

どうです? ちょっと面白いでしょう。ちなみにおまえはどう思うんだ、と言われると、中村訳に驚き、最大限の賛辞を惜しまないものの、選ぶとなるとだいたい江川訳あたりで落ちつくかな、といったところです。なぜか? これが「手記」(ロシア語原文ではЗаписки、英訳ではnotes)だからです。これで分かります?

2007年8月23日

情報文化研究法

締切を60時間以上過ぎて、やっと成績を提出したBです。懸案であった文科省提出の書類もひとまず終えて、やっと少し人間らしい生活が戻ってきました。そこで、このブログを見てくださる高校生のみなさんのために、1学期にやった授業の紹介でも。

人文学部の情報文化課程に入学した学生は、2年次に「情報文化研究法」という準・必修の授業を受けることになります。50人余りの学生を、文コミ教員2名が2クラスで担当(今年度はF沢先生と私)。内容は、二年後に控えた卒業論文の予行練習ともいうべきもので、学生一人一人が自ら論文テーマを決め、資料を収集し、章立てを考え、一人一人に決められるアドバイザー教員の指導をうけつつ、正式な学位論文の形式にのっとった論文を完成させるという、なかなかハードなもの。9年前からつづいている名物授業です。

情報文化課程の学生の所属履修コース(情報メディア論履修コースと文化コミュニケーション履修コース)が3年次に決定する前の2年次向けの授業ですので、文コミのコース紹介ブログの内容としては必ずしもふさわしくはないかもしれませんが、文コミ、あるいは広く情報文化課程の教育・研究内容の拡がりを如実に表すものとして、以下に私が担当したクラスで提出された論文のタイトルを掲げておきます。映画から「メガネ男子」まで、あるいは缶コーヒーから文学まで、日本のもの、アメリカのもの、韓国のもの、いろいろですね。論文を書く学生の苦労はもちろんですが、これほど広範なテーマにつきあわなければならない教員も大変です。出来上がりの水準も、高校生の読書感想文に毛が生えた程度のものから、こちらが思わず唸ってしまうハイ・レベルのものまで、さまざま。文コミ(情報)の学生は、こうして、徐々に各自の研究テーマを見定めていくことになります。


カラオケの秘密
娯楽作品に見られる残酷表現
ケータイ小説に引き込まれる若者
トーク・トゥー・ハー論
歌詞に託されたもの――歌詞から読み取れるスピッツの魅力
LOVE PSYCHEDELICOを通してみる日英混交詞
スポーツライター金子達仁の愛国心に基づく独特の世界観
モデル論
「モノ」に命を吹き込むこと――ディールロヴァーにみる人形アニメーション
東方神起の韓国語楽曲――その独自性と魅力
映画「ドラえもん」論――漫画版の描かれ方との比較
ブランド論
色から見る映画――映画『ゆれる』の赤
トトロが意味するものは何か
コーヒーの多様なイメージ
メディアイベントとしての甲子園
「CanCam」から見る現代の虚像崇拝
“屋上”から見る松本大洋の解放性
日本における眼鏡観変化――メガネ男子現象の背景
ハウルの動く城――ハウルとカルシファー
ヴィジュアル系とは何か
なぜ女性はダイエットをするのか
茶飲料の多様性と位置づけ
コミュニティ放送について――メディアがつくるコミュニティ
作品におけるエドヴァルド・ムンクの考察
ウディ・アレンの神なき現実とつくりごと

2007年8月13日

ある大学教師の一日(お盆休み篇)

朝10時、研究室に到着。お盆で人の気配もない。建物の最上階にある南向きの研究室はしっかり温まっていて、ドアを開けた瞬間にうんざり。クーラーと扇風機を全開にし、鬱払いにベートーヴェンのシンフォニーを大音響で鳴らし始めたものの、採点に集中できないのですぐ止める。1時近くなってさて昼食をと思うも、生協はお盆でお休み。舌打ちして炎暑のなかをのろのろコンビニまで歩く。帰ってくると6階のあちこちの研究室の明かりがついているので、それチャンスとばかりに何人かの先生と仕事関係の密談。隣のF沢先生は無精ひげで、いわゆる「ちょいワルおやじ」風、部屋は暑い。エレヴェーターの脇の研究室ではS藤先生がクーラーをがんがんにかけて採点中。もう8月も半ばだというのに、いつまで採点なんかやってんだ。でも、よく考えてみれば自分も同じだね。いくつか密談を済ませた後、目下の鬱の最大の原因である書類書き。どういう運命のいたずらで、文コミ随一の貧乏性が、自分の年収をはるかに上回る予算の算段なんかしなくちゃならないんだろう。ほとほと困り果てたところで事務と打ち合わせ。普段は学生相手に偉そうに論文の書き方などを講釈しているくせに、このときばかりは畏まってダメ出しをうける。研究室に戻って指摘されたところの直し。そうか、いつも学生にこんな思いをさせているんだ、反省、、、とはならず、仕返しに今度また学生をいぢめてやろうと決意(江戸の敵は長崎で)。一通り終わって業務メールを送信すると、ぐったり疲れて大音量で東京事変。ちょっとだけ元気をもらって帰途につく大学教師の夏の夕暮れ。D.C.

(念のためお断りしておきますが、この物語はある程度フィクションです)

2007年8月 8日

アゴラ・カレッジ

そういえば、日程は前後しますが、8月4日(土)には、新潟大学人文学部と新潟南高校の高大連携事業「アゴラ・カレッジ」の一環として、高校生に出前授業をしてきたのでした(@新潟大学駅南キャンパスCLLIC)。文コミからの出講者は齋藤先生と私。私のお題は「J-POPに学ぶ現代文化論入門」。椎名林檎とともさかりえと、そしてなぜか古代ギリシアの哲学者プラトンの『饗宴』に出てくるアリストファネスのエロス論(両性具有の神話)。

どうしてこの二つが結びつくのか、講義をした私ももう忘れてしまいましたが(汗)、今年から南高校以外からの参加者も交え、みなさん真剣に聴いてくれました。

2007年8月 6日

オープンキャンパス真っ盛り(2)

今日の学部学科体験では、高校生1、2年生を対象として、英語以外の外国語の初歩に触れてもらう模擬授業がありました。文コミの教員は外国語も担当している教員が多く、今日も、イタリア語の石田先生、フランス語の逸見先生、ロシア語の番場が出動。フランス語とロシア語はペアだったので、教室は、「ボンジュール!」「ズドラーストヴイチェ!」「サ・ヴァ?」「ハラショー」と、フランス語とロシア語が飛び交う狂乱状態。高校生の皆さんもさぞかし頭が混乱したことでしょうが、みなさん、それなりに楽しそうでした。

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