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2010年2月 3日

人間学講座回想録(4) 【】

学生と旅行した思い出を記す。年代順でなく北から書くと、平成元年あたりに入学した学生と北海道ドライブ旅行に行ったことがある。フェリーで小樽に出て(三角市場を物色して)早朝に札幌を通過(クラーク博士像に一礼)、富良野の「北の国から」のセット近くで宿泊(一泊千円弱のライダーハウスが中心)、帯広で豚丼を食べ(ご当地出身の学生推薦)、釧路泊。客車を開放した宿(300円)で寝袋にくるまり、翌日、支笏湖と川湯温泉経由で網走で一泊。旧刑務所を見学すると女子学生が「私たちよりいいところで寝ている」と感嘆の声をあげたのが印象的。水族館を見てから旭川に向かう。ここで初めて旅館(一泊2000円)に泊まる。翌日層雲峡経由で小樽に戻り、一夜波止場であかしてフェリーで新潟にもどった。
青森県に行ったのは恐山参詣のときだ。人間学資料室に深夜集まって出発した。仙台あたりのSAでテントを張って一泊し、翌日にはむつ市の民宿に到着。イタコさんに降霊してもらう予定だったが、命日が分からないと呼べないということで断念。宇曽利湖の神秘的でぞっとする光景、水子供養の参詣客が岩間に置き去った無数の風車が妖しく印象的であった。もちろん、境内の温泉には浸かった。三途の川をわたったところに「霊場アイス」の旗があったのをなぜか覚えている。帰路八幡台の温泉で宿泊し四日目にもどった。1989年(珍しく年号を覚えている)には、冬に東北旅行をした。人間学に8年在籍した山之内君、天才シェフとして紹介した大井君、寡黙な土屋君、酔っぱらうとやたらと言い寄る癖のある一倉女史、現在、現代社会研で助教をしている、当時はオーケストラの一員だった石田さん、いつでも誘いを断らなかったナビ役の山内先生と私が全メンバー。車は二台。一日目が平泉の中尊寺近くの民宿で、毛通寺とか厳美渓(ロープを伝って名物団子が運ばれる)を見て最後に中尊寺を参詣。翌日、花巻の宮沢賢治記念館でたっぷり時間をとった。会館となりの山猫軒でデクノボーランチとか賢治ゆかり?のメニューを楽しんだ。夜に盛岡にでてわんこ蕎麦を「直利庵」で堪能。私は95杯食べて死ぬ思いをした。夜間に小岩井牧場に到着、寝台車スタイルの宿で一泊。朝食が美味。翌日は乳頭温泉郷に向かう。国民宿舎で宿泊したが、付近の湯を梯子した。帰路は田沢湖で雪合戦をし、羽後本荘駅前の「薫」で休憩をとり、一気に新潟にもどり泥のように疲れて眠った。
会津若松は何度も行った。平成6年には一緒に芝居をした学生と、平成8年には1年生のゼミで行った。通称「旅ゼミ」を始めたのもそのころで、大阪、京都、東京、横浜、能登(お目当ては輪島の朝市ではなく、ランプの宿「蒒ヶ浦温泉」と珠洲ハーブ園)を学生と回った。こう思い返してみると、何か教える-教わるという関係ではなく、学生とはよく一緒に遊んでいたものだ。
旅先の南下を続けると、長野県の御代田(浅間山南麓、軽井沢の西)にある別荘には、何度も行った。ここを拠点として、荒船牧場とか、八ヶ岳登山(赤岳山頂に公衆電話があって絶句した)、飛騨高山(朝市は大したことがなかったが、朴葉味噌は最高で大量に買って帰り、資料室で酒のツマミにした)、松本(古本屋街、ちきりや、古風な喫茶店「まるも」)、別所温泉(前山寺のおはぎ)各地に飛び回った。
長く在籍した山之内君の引っ越しも、平賀源内で卒論を書いた佐藤東州君、大井君をつれて知人から借りたトラックで広島まで遠征した。大井君との帰路は高速道路を避けて日本海沿いにもどってきた。城崎温泉の飲み屋でマダムが松本清張そっくりだったことは今でも忘れない。金沢で立ち寄ったおでん屋「赤玉」の品揃えの豊富さも旅のよい思い出の一つだ。
最後に九州旅行の思い出。平成5年頃だと思う。メンバーは、絶対つきあってくれる山内先生、石田さん、独文の木村先生(昨年末、悲しいことに、逝去された)と姪御さん。佐藤東州君に犬飼君(最近になって石田さんに「あのときいたでしょ」と指摘されて発覚)、そして推薦入学で入った柏木さん。新潟から福井に出て温泉センターで一泊。鯖江の眼鏡会館(プレゼンが故障だらけで滑稽だった)とアイスクリームの問屋に立ち寄って一路神戸へ。三宮や中華街を散策し夜にフェリーに乗って別府へ。地獄めぐりは実に楽しく、地獄と無関係なグッズの多角的販売に驚かされながら、突如ワニに出会ったりした。湯布院で露天風呂に浸かり、やまなみハイウェー経由で阿蘇山の地獄温泉の湯治棟で宿泊。翌日阿蘇山火口と牧場へ。木村先生がポニーに乗って喜んでいた。山頂でオニキスのグラスを買ったが、同じものを山口県で売っていて後でショックを受ける。熊本へ下山して熊本城へ。私は商店街で緑と白の縞々パジャマを買う。夕方平戸方面に向かい民宿で一泊し、フェリーで島原に出て雲仙経由で長崎のユースホステルで一泊。犬飼君が南京玉簾を執拗に探していた。グラバー亭やシーボルト記念館を見て、翌日、秋吉台を見て京都まで一気にいたる。木村先生の学生時代の下宿で一泊し、最後の日に明治村を見学して新潟にもどった。東北旅行はマツダのルーチェと山之内君のサニーだったが、その後、私は9人乗りのボンゴに乗り換えていた。七年で13万㎞乗った。

・・・他にもまだずいぶんと旅行したが、今日はここまで。次回は「人間学合宿」の思い出を綴る。ところで、犬飼君! このブログを読んだらメールをください。