2019年11月22日

卒業論文研究計画書の提出について  お知らせ

心理・人間学プログラム人間学分野の3年生(来年度末卒業予定者)へ

人間学分野に所属する来年度末(2021年3月)卒業予定の学生は,1月8日までに卒業論文研究計画書を必ず提出すること.

この計画書は,卒業論文作成に向けた作業の第一歩となります.計画書には、下記の内容をA4用紙1~2枚を用いて的確かつ簡潔に書いてください.

提出された計画書にもとづいて来年度の卒論指導教員を決定します.指導教員の決定がなされないことには,卒業論文の単位も認められないことになりますので注意してください.

1 研究の課題(題目)
2 論文の概要と今後の研究計画
3 使用文献、参考文献


提出期限 2020年1月8日(水)15:00
提出先  江畑研究室(F581)  *ドアの前の箱に入れてください

2019年11月 5日

第36回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  イベントの記録

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第36回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に山形大学の柿並良佑先生と立命館大学の山本圭先生をお招きし、「情の時代のポピュリズム──情動とカリスマから考える」というテーマのもと開催されました。

はじめに、柿並先生から「情動(の政治)」について考えるとはどのようなことかについてお話して頂きました。柿並先生によると、情動と政治の両者は切り離されない関係性にあります。情動と政治の関係性について、多くの思想家がわれわれの情動・感情をいかに動員し組織するのかを問うています。しかし、そもそも情動とは何でしょうか。柿並先生はこの根本的な問いについて、さまざまな思想家の考察を用いながら解説して下さいました。4400.jpgたとえばフロイトによれば、情動(affect)とは同一化(個人の心理は常に集団との関係の中で決定すること)の本質であり、情動の本質は両価性(ambivalence)です。ただしジャン=リュック・ナンシーは、フロイトが情動の本質を両価性としながらも、両価性の単純な論理を成立させるには至っていないと指摘しています。つまり情動とは、ある対象に向ける愛と憎悪という相反する単純な感情ではないということです。ナンシーは、情動について「情動は、あると言えるとすれば、ソレ〔ça〕でしかありえない」と述べています。ソレとは何か。柿並先生はフロイトでいうところのエス、英語で表現するならば It だと説明し、「私」を駆り立てる何かなのだと解説して下さいました。情動とは何かについて解説して頂いたのち、次に情動論的転回について情動とメディアの関係性を題材にお話しして下さいました。柿並先生によれば、われわれの情動はミクロレヴェルで社会に管理されているといいます。たとえば Twitter がこれにあてはまります。 Twitter の「いいね」は反射的な情動だと柿並先生は仰いました。なぜなら、Twitter の「いいね」は「「いいね」の数が多いから」、「なんとなくおもしろい」といったその場のノリからくるものだからです。この「いいね」という情動には何の深みも無く、非常に動物的だと柿並先生は指摘しました。柿並先生のお話から、われわれの情動はインターネットが発展した現代社会において、ミクロレヴェルで管理された結果、もはや「私」を駆り立てる人間的な何かではなく、流され飼い慣らされた動物的なものへと変化しつつあるのではないかと考えられました。

次に、山本先生からポピュリストと政治的カリスマについて、指導者という観点から解説して頂きました。山本先生はまず導入として、シャンタル・ムフが強調する左派ポピュリズムについて紹介することによって、衆愚政治などと揶揄されてきたポピュリズムのポジティヴな面を紹介してくださいました。IMG_1223.jpgムフによれば、新自由主義的な緊縮政策によって、大多数の人々は政治的に無力化されています。そして左派にとっての唯一の対抗手段が左派ポピュリズムだといいます。左派はポピュリズム戦略に訴えることで、エスタブリッシュメントに対抗する勢力をまとめあげ、自由民主主義を回復しなければならないというのがムフの主張です。左派ポピュリズムの勢力をまとめ上げるには指導者が必要です。山本先生はマックス・ウェーバーの指導者民主主義を踏まえながら、官僚制に対抗する指導者による民主主義の必要性について説明してくださいました。それではどのような指導者が必要なのでしょうか。そして、そもそも指導者とは何なのでしょうか。この問いへの大きなヒントとなるのがカリスマです。山本先生によれば、政治指導者は大衆の票を集める能力だけでなく、政治のために生きるカリスマを備えた人物です。では、カリスマとは何でしょうか。山本先生は思想家によるカリスマ論の射程を紹介しながら、カリスマ論についてお話してくださいました。ウェーバーは『権力と支配』のなかで、カリスマとは「「信奉者」によって、じっさいにどのように評価されるか」が重要だと述べています。つまり、ウェーバーによるカリスマにとって重要なこととは、何より従う側からの評価ということです。ロジェ・カイヨワは『聖なるものの社会学』のなかで「カリスマ的権力は、いぜん夢遊的・催眠的・眩暈的・法悦的な力として存在している」と述べています。カイヨワはカリスマの力を非現実的なものとして捉えているのがわかります。ウェーバーがカリスマを民主主義と結び付けて、カイヨワがカリスマを非現実的な巨大な力と結び付けて評価しているなかで、ハンナ・アレントはカリスマを全体主義と絡めて論じており、『全体主義の起源』のなかで、全体主義の指導者は「いつでも取り替えがきく」と述べています。そして、カリスマとはその人物が持つ唯一性であるといった、ヴァルター・ベンヤミンのアウラ論とカリスマ論を結びつけた主張もあります。

カリスマとは何かについて知ることは、政治指導者が本当に指導者にふさわしい人物なのかを冷静に判断する大きな材料になるのではと思いました。

柿並先生と山本先生のお話は、民主主義とも衆愚政治とも呼べない、曖昧なポピュリズムが蔓延している現代社会について考え直す良い機会となりました。メディアやインターネットの情報や指導者の過激な発言に魅せられた情動によってポピュリズムを形成していくのではなく、自分の意志と理性をもって判断することがポピュリズムの重要な要素であるのではないかと感じました。

最後になりましたが、今回のセミナーでご講演頂いた柿並良佑先生と山本圭先生に感謝申し上げ、第36回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学現代社会文化研究科修士課程 田中宥多

2019年10月25日

情の時代のポピュリズム──情動とカリスマから考える  お知らせ

第36回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS) 

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情の時代のポピュリズム
情動とカリスマから考える


 柿並良佑(山形大学)
 
情動(の政治)について考えるとはどのようなことか?(仮)

山本 圭(立命館大学)
 
指導者とは何か──ポピュリストと政治的カリスマ

日時 2019年10月25日(金)17:00~19:30
 場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
    総合教育研究棟B棟5階 プレゼンルーム

ポピュリズムは従来、大衆迎合主義、衆愚政治などと訳され、侮蔑的な意味で用いられてきました。しかしこんにちの民主主義の政治のもとで、特定のイデオロギーや党派、国家、民族、宗教、人種等々に還元されない多様な民衆の趨勢をすくい上げる言葉としてこの語が新たに取り沙汰されるようになっています(たとえば英国の政治学者シャンタル・ムフのいう「左派ポピュリズム」など)。
 そうした新たなポピュリズムの担い手は誰でしょうか。少なくともポピュリズムは人々の情動の高まりと切り離せないようにみえます。多くの思想家がそうした情動・感情をいかに動員し組織するのかを問うてきましたが、そもそも情動はコントロール可能でしょうか。情動やポピュリズムを論じているとき、実は私たち自身がつねにそれに巻き込まれてしまう危険な「何か」に私たちは遭遇しているのではないでしょうか。
 「カリスマ」と呼ばれる指導者像はそうしたもののひとつでしょう。しかしカリスマと一言でいうとき、ポピュリズムが大きな力をもつ現代政治のなかで、単純に危険なものや忌避すべきものとみなすだけで本当によいのでしょうか。「民主的カリスマ」というものを考えることができないでしょうか──

356984.jpg 第36回新潟哲学思想セミナーは、講師に柿並良佑氏と山本圭氏をお迎えします。柿並氏は、フランス現代思想を専門とし、とりわけジャン=リュック・ナンシーの哲学を中心に、情動の政治の諸問題に取り組んでおられます。山本氏は、現代政治理論を専門とし、とりわけエルネスト・ラクラウの政治思想を中心に、現在では「左派ポピュリズム」研究の第一人者というべき論客として活躍されてます。今回のセミナーでは、ポピュリズムと呼ばれる現象が政治の場面を覆うようになった現代、情動とカリスマをキーワードにして、いかにしてポピュリズムを再定義するか、いかにして政治のそうした現在を捉え直すのか、といったことにかんしてお話しいただきます。入場無料、事前予約等不要です。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。 


◎ 講師プロフィール:柿並良佑(かきなみ・りょうすけ)1980年生まれ。山形大学人文社会科学部専任講師。専門は、現代フランス哲学。著書に『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(共著、明石書店、2018年)、『21世紀の哲学をひらく──現代思想の最前線への招待』(共著、ミネルヴァ書房、2016年)他。山本圭(やまもと・けい)1981年生まれ。立命館大学法学部准教授。専門は、政治思想史、現代政治理論。著書に『不審者のデモクラシー──ラクラウの政治思想』(岩波書店、2016年)、『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(共著、明石書店、2018年)他。


主催:新潟哲学思想セミナー

共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター/同 人文学部研究交流費
お問い合せは宮﨑まで
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→ポスターはこちら

2019年10月 7日

卒業論文 中間発表会  お知らせ

令和1(2019)年度 人間学分野 卒業論文 中間発表会

 本年度の人文学部心理・人間学主専攻プログラム人間学分野の卒業論文の中間発表会は、種々の都合により次の日程で二回に分けて行います。

10/7(月)10:30-14:00 (青柳,井山,江畑担当の学生)総合教育研究棟 G310

10/9(水)11:00-14:20 (阿部,太田,宮﨑担当の学生総合教育研究棟 D201

 (途中,短い休憩はありますが,昼食休憩はありません.ただし発表会中の飲食可)

 卒業予定の4年生は、開始5分前までに 発表原稿を 40部 用意して出席してください。 発表時間(質疑応答を含む)として 1人15分 程度を予定しています。なお欠席する場合は事前に、指導教員および江畑まで連絡するとともに、事前に発表原稿40部を指導教員に提出してください。

 構想発表会と同じく、人間学の2・3年生の参加も歓迎します。人文学部1年生の参加も歓迎します.

心理・人間学主専攻プログラム人間学分野(2019.8.23掲載)

2019年9月18日

第35回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  イベントの記録

第35回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に東京大学の古田徹也先生をお招きし、先生の著書である『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』の刊行に合わせ、「運とともに/運に抗して──古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む」というテーマのもと、本書の合評会というかたちで行われました。

AD198309-3EB8-43B2-A8BC-D0AFC59AF7F7.jpeg始めに私から、大雑把にではありますが、本書の紹介とコメントをさせていただきました。本書はまず、「運」がもつ多様な奥行きを明らかにしつつ、「運」の変遷を歴史的に探っていきます。古田先生によれば、「運」は(私たちが通常イメージするような)「偶然」という意味のほかに、それとは相反するような「必然」、さらには「幸福」といった意味をも合わせもっています。こうした多層的な意味をそなえる「運」が、歴史的にどのように扱われてきたのか──本書の醍醐味の一つとして、このことを古田先生の丁寧な論述と共に辿り直していく点が挙げられるでしょう。

「運」の歴史を捉え直す中で、本書の議論は、次第に「運」と「道徳」の関わりへと移っていきます。飛び出してきた人をトラックで轢いてしまった、という「不運」な出来事は、いわゆる「道徳」の枠内では、本来責任を取る必要のないものです。というのも、「人が飛び出してくる」という予想外の出来事(すなわち、「運」が絡む出来事)は、私たちがコントロールできるようなものではないからです。ですが、仮にこういう出来事が起きた場合、私たちは後悔に苛まれたり、誠意を込めて謝罪をしたりするでしょう。「道徳」に反するこうした行為を、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。本書のクライマックスにて、タイトルにもなっている「不道徳的倫理学」がどのようなものであるかを、私たちは目撃することとなります。

614BBA89-DB36-405E-8C29-5CC1085F8FB0.jpeg以上のように内容を概観したのち、本学の宮﨑裕助先生からコメントをしていただきました。宮﨑先生はまず、想定外の出来事(すなわち、「運」が入り込む出来事)に対して私たちが必要以上に敏感になっている、という現代の状況を確認することで、「運」を問うことの重要性をあらためて指摘します。加えて、例えばスミスによるストア派への批判について、あるいは「運」がもつ「幸福」の要素についてなど、本書の内容に関するコメントがありました。

そうしたコメントの一つに、「倫理学」の内部における葛藤をどのように捉えるべきか、というものがありました。古田先生によれば、「倫理学」は本来、「人一般にとって正しい行為」を問うのみならず、「この私はどういう生き方を選び取るべきか」という問いも含むといいます。普通はこうすべきなのだが、私はこうしたい──このような葛藤を、宮﨑先生は「遵守すべき倫理」と「現実を創り出す倫理」との葛藤と捉えます。後者の「倫理」をどのように考えるべきか、という本書に残された問いを、宮﨑先生はキルケゴールのイサク奉献の例などを用いて、さまざまな視点から考察していました。

47045BFA-405D-446C-A0D6-824F66CA088A.jpegその後、古田先生からはいくつかの応答が成されました。そもそも本書の試みは、歴史の中で埋もれてしまった「運」についての主張を、「生きた言葉」として蘇らせるものであったということ(この点は先生の著書、『言葉の魂の哲学』の議論とも関わるでしょう)。また、倫理学が問題とするのは主として「不運」な出来事であって、「幸運」と「不運」には非対称性があるということ。こうしたことが、重要な論点として挙げられました。

宮﨑先生のコメントに対しては、カントの思想や言語行為論などをも巻き込みつつ、本書のさらなる拡がりに向けて議論が交わされました。また、とりわけ重要な論点として、「倫理学」という学問の「可能性」(ないし「取り柄」)はどこにあるのか、というものがありました。古田先生の考えは、世界に対する「見方」を変えること、あるいは「見方」を創り出すこと、そうしたことが挙げられるのではないか、というものでした。このような意味では、先述の「生きた言葉」との論点とも関わりますが、本書は「倫理学」に対する新たな「見方」を提供する、という役割も担っているのではないでしょうか。

また、フロアに議論を開いたあとでも、多種多様な論点が見受けられました。そもそも「運」が入り込む出来事はどのように分類できるのか。本書の冒頭にあるように、人生はやはりすべて「運」なのではないか。いずれも重要なものでしたが、考えれば考えるほどに、ますます「運」という概念の複雑さが明るみとなり、このテーマの奥深さを痛感させられることとなりました。

最後になりますが、今回新たに考える素材を提供してくださった古田先生、本学から登壇していただいた宮﨑先生、そして私事ではありますが、卒業生である私にこのような機会を設けてくださった方々に感謝を申し上げ、第35回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

【文責=東京大学総合文化研究科博士前期課程 渡邉京一郎】

2019年9月15日

【P4Cイベント】中高生の哲学対話  お知らせ

Philosophy for Students:中高生の哲学対話

下記の内容で、中高生を対象とした哲学対話イベントを開催いたします。どうぞ振るってご参加ください。

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ポスター表面&裏面を表示・ダウンロード

 

開催日:2019年9月15日(日)
時間:中学生の部 10:00-13:00
   高校生の部 14:30-17:30
場所:新潟大学五十嵐キャンパス 総合教育研究棟F578・586

 

参加無料|要申込|中学生・高校生ならどなたでもご参加いただけます。(哲学の予備知識は要りません。)

定員各20名


主催:新潟大学人文学部 阿部ふく子研究室
企画:樋田 和希(人文学部4年)
         田中 宥多(現代社会文化研究科博士前期課程2年)


●「哲学対話」とは――
さまざまな事柄について根本的な問いを立て、みんなでシェアし、応答しあいながら思考を深めていく哲学プラクティスの方法です。
ディベートや議論ではなく、知的安心感(Intellectual Safety)や主体性に配慮したフラットな雰囲気での対話です。

●タイムテーブル(目安)
 Session 1. 哲学対話についての説明
 Session 2. 問い出し
 Session 3. テーマについての対話
 Session 4. 振り返り対話、感想、交流

●参加申込先:こちらの参加申込用フォームからお申し込みください。
      (Googleフォームに移動します。)

●留意事項:
・見学のみのご参加、大人の方のご参加は、対話への影響を考慮し、ご遠慮いただいております。何とぞご了承願います。
・研究上のフィードバックのために録音・撮影をさせていただきますが、プライバシーには十分配慮いたします。ご本人の許可なく記録が公開・使用されることはございません。

● お問い合わせ先:
 阿部 ふく子|新潟大学人文学部准教授
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本企画は、日本学術振興会・科学研究費助成事業・若手研究「主体的・対話的な学びのための哲学・倫理学教育の実践的研究」(課題番号18K12179・研究代表者:阿部ふく子|新潟大学人文学部准教授)の一環として実施されます。




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ポスター表面&裏面を表示・ダウンロード

2019年9月14日

第34回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  イベントの記録

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第34回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に熊本大学の佐藤岳詩先生をお招きし、「倫理学における真理と誠実さ――バーナード・ウィリアムズTruth and Truthfulnessによせて」というテーマのもと開催されました。

unnamed-4.jpg佐藤先生はまず導入として、ポスト・トゥルースと呼ばれる現代の状況では「客観的な事実」と「個人にとって大切なこと」の折り合いの悪さというものがある、とお話されました。そして佐藤先生はこの問題を考えた哲学者としてバーナード・ウィリアムズを紹介され、彼の最後の著作であるTruth and Truthfulnessについて解説して下さいました。

ウィリアムズによると、現代社会には「真理に対する誠実さへの要求」と「真理それ自体への疑いのまなざし」があり、これらを調停することが現代の哲学の課題であるといいます。誠実であることは「正直さ」と「正確さ」という2つの徳によって成り立っていて、また人が誠実であるためには、現実を歪めるような幻想や願望に抵抗する必要があるのです。「正直さ」に関して、ウィリアムズは嘘をついたときの罪悪感や後悔といった感情に着目し、カント倫理学を批判したと佐藤先生は解説されました。

unnamed-2.jpgしかし真理をめぐる話はここで終わるわけではなく、ウィリアムズによると、現代では真理の実在そのものが信じられなくなってきているために、「真正さ」という理想が出てきているそうです。「真正さ」とは「本当のわたし」が存在しているとする考え方に基づいていますが、それはときにエゴイズムやナルシシズムに陥ってしまうものでもあるといいます。「真正さ」について理解を深めるために、佐藤先生はアメリカの哲学者テイラーを紹介されました。テイラーを踏まえてウィリアムズの主張を読み解くと、自己理解は他者との関係の中でしか育まれないからこそ、人は「真正さ」を貶めてしまわないようにするために「正確さ」と「正直さ」を失ってはいけないのだといいます。

Truth and Truthfulnessの最後でウィリアムズは真理の実在について書いていますが、佐藤先生はウィリアムズの論点の掘り下げの甘さに対して批判をしつつも、ウィリアムズの中心にはアイデンティティを巡る思索があったのではないかと考察をされました。しかしまた同時に、佐藤先生はそこがウィリアムズの限界であり、彼が現代倫理学の枠組みから抜け出せないことの事由なのではないか、ということも示唆されて発表を閉じられました。その後は時間を目一杯使っての質疑応答も行なわれ、興味深い議論が展開されました。ポスト・トゥルースという言葉もすでに目新しいものではなくなってしまった現代ですが、真理というものを取り巻く人間の態度について、改めて深く考えるよい機会となりました。

最後になりましたが、今回のセミナーでご講演頂いた佐藤岳詩先生に感謝申し上げ、第34回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学人文学部人文学科 心理・人間学プログラム主専攻 牛澤啓]

2019年9月13日

「運」とともに/「運」に抗して──古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む  NiiPhiS

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第35回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)

「運」とともに/「運」に抗して
古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む

 


古田徹也(東京大学)
宮﨑裕助(新潟大学)
渡邉京一郎(東京大学)

 


日時 2019年9月13日(金)16:30〜18:30 
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟D棟1階大会議室

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テストでヤマを張っていた箇所が「運良く」当たった。信号待ちで次の電車を「運悪く」逃してしまった。人生で起こるこうした出来事が示すように、私たちはときに「運」というものに振り回される。この「運」という要素は、「道徳」(すなわち、「こうすべきである」という「規範」)を扱う倫理学とは、相性が悪いように思われる。だが、「運」が私たちの人生に大きな影響を及ぼすのもまた事実である。「運」と「道徳」は両立するのだろうか。あるいはこう問えるかもしれない。「運の要素を受け入れて取り込む倫理学──言うなれば、不道徳的倫理学──とはどのようなものでありうるのか」──。

第35回新潟哲学思想セミナーは、以前本学で教鞭をとられていた古田徹也氏をお迎えします。今回のセミナーは、今年5月に出版された氏の著書である『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』の合評会となっています。著書の紹介とコメントを本学人文学部を卒業後、東京大学大学院に進学した渡邉京一郎氏にお願いし、もうひとりのコメンテーターとして、本学人文学部准教授の宮﨑裕助氏に登壇していただく予定です。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。

 

◎ プロフィール

古田徹也(ふるた・てつや)1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学人文社会系研究科准教授。専門は哲学・倫理学。著書に『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』(ちくま新書、2019年)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書、2019年)、『それは私がしたことなのか──行為の哲学入門』(新曜社、2013年)他。

宮﨑裕助(みやざき・ゆうすけ)1974年生まれ。新潟大学人文学部准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・現代思想。著書に『判断と崇高──カント美学のポリティクス』(知泉書館、2009年)、『ドゥルーズの21世紀』(共著、河出書房新社、2019年)他。

渡邉京一郎(わたなべ・きょういちろう)1995年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程学生。論文に「退屈、技術、故郷──なぜ退屈が根本気分として選ばれたのか」(日本哲学会 web 論集『哲学の門──大学院生研究論集』第1号)。

 

◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観研究推進センター
お問い合せは宮﨑まで
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2019年9月12日

倫理学における真理と誠実さ──バーナード・ウィリアムズ Truth and Truthfulnessによせて  NiiPhiS

第34回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS) 

倫理学における真理と誠実さ
バーナード・ウィリアムズ Truth and Truthfulnessによせて

講師 佐藤岳詩(熊本大学)


日時 2019年9月12日(木)16:30~18:00
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 D棟1階 大会議室


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◎ 講師プロフィール:佐藤岳詩(さとう・たけし)1979年生まれ。熊本大学文学部准教授。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は、R・M・ヘアを中心としたメタ倫理学と規範倫理学。著書に『メタ倫理学入門──道徳のそもそもを考える』(勁草書房、2017年)、『R・M・ヘアの道徳哲学』(勁草書房、2012年)、『性──自分の身体ってなんだろう?』(共著、ナカニシヤ出版、2016年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター

お問い合せは太田まで
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2019年7月16日

人間学合宿2019  イベントの記録

2019年6月29日~30日、2日間にわたって南魚沼市で人間学合宿を行いました。今年度は、天気予報により合宿当日には高確率で雨が降ることが予想されていました。その予報は残念なことに見事的中し、今回はあいにくの悪天候の中での合宿となりました。

29日の朝10時、新潟大学西門に全員で集合した後、シャトルバス1台と生徒の自家用車1台に分かれて南魚沼へと出発しました。今年は総勢28名と参加人数が比較的多かっため、2台に分かれての移動となりました。

まず初めに立ち寄ったのは「アグリコア越後ワイナリー」です。ここではワインを寝かせる特製の雪室を見学させていただいた後に、ワインの試飲をさせて頂きました。気に入った1本があった人は、お土産用に買ったりもしていました。特にみんなに好評だったのは梅のスパークリングワインでした。

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次に立ち寄ったのは「牧之通り」です。古くは宿場町として栄えた町であり、その景観を残している美しい街並みの通りです。ここには昼食休憩としても立ち寄っており、各々思い思いに昼食をとっていました。バスの集合場所近くの公園で、小さな子たちと交流しているアクティブ(?)な学生達も見られました。

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そして最終的には、今回の宿泊先である「五十沢キャンプ場」に到着しました。今年は例年にない「キャンプ」という形の合宿スタイルをとりました!当初予定していたBBQは、雨のため室内での焼肉となってしまいました。それでもみんなでわいわい下ごしらえをしたり、焼きそばを作ったりして、楽しんでもらえたのではないかなと思います。また翌日の朝ごはんになるカレーも、その際合わせて作りました。みんなで指示を出し合って素早く、適切に調理するというすばらしい団結力を見せてくれました。

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腹ごしらえをした後は、お待ちかねのレクリエーションを行いました(買っておいたほとんどのお酒を焼き肉の時に飲んでしまい、レクの前にお酒を買い足していることは秘密です笑)。今回は5つの班に分かれて、イラストで伝言ゲームをしたり、ヘキサゴン形式でクイズをしたりしました。今回の合宿におけるMVP回答は、やはり「TGC」(正解:Tokyo Girl's Collection)への回答として出た「(T)とっても(G)ガーリック(C)チャーハン」でしょう。

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2日目は、前日に仕込んでおいたカレーを食べることから始まりました。作りすぎてしまい、何人かの学生には朝からヘビーな量を食べてもらいました。

その後、お昼少し前から「八海醸造 魚沼の里」へお邪魔しました。魚沼の里はレストランやお土産屋さん、お酒を寝かせる雪室など複数の施設から成っています。それぞれが思い思いに施設内を回り、クラフトビールを飲んだり、日本酒を試飲したり、お土産に悩むなどしていました。

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魚沼の里が本合宿での最後の観光先であり、そこを出発してからの帰りのバスでは皆疲れている様子でしたが、その中でも一部の学生と教授はワードウルフに盛り上がっていたようです。

今回は異例のキャンプという形での合宿でした。参加してくれた皆さんが少しでも楽しめたなら嬉しいです。人間学内での親睦を深める、充実した時間を過ごせることができたのかなと思います。来年度は天候に恵まれた中、人間学合宿が盛大に敢行されることを祈っています。

[新潟大学人文学部人文学科 心理・人間学主専攻プログラム(人間学分野)4年 渡部諒]

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