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2011年3月22日

【日記】卒業生諸君へ 【】

このたびの2011年3月の東北地方太平洋沖地震では、地震と津波によって多くの人命が奪われ、街や村が壊滅し、放射能汚染も広がり、いまだに被災者の苦難は続いている。このような困難な時に大学を卒業するみなさんに私は、かつて1995年の阪神・淡路大震災のあと恩師・野家啓一先生が語ってくれたことを思い起こしつつ、はなむけの言葉を贈りたいと思う。

1755年11月、ポルトガルのリスボンを大地震が襲い、さらに津波が街を呑み、数万人の死者を出した。余震はひろく西ヨーロッパや北アフリカの各地に及び、その被害の甚大さは啓蒙期のヨーロッパ精神を震撼させた。ライプニッツ的な「最善観」はヴォルテールによって嘲笑の的となったし、さらには、この地震は人々の宗教的堕落に警告を与えるために神が下した神罰にほかならないというような言説が溢れかえった。今回の大震災でも「天罰」だと嘯いた老政治家がいたそうだが、人の心性が陥りやすい弱点はそう変わるものはないのだろう。

翌56年、31歳の若き自然科学者イマヌエル・カントは、1月から4月にかけて、この地震をめぐって3編の論考をたてつづけに発表し、地震のメカニズムを解明しようと試みた。その趣旨は、地震の原因は地中の空洞における発火であり、その震動が地下道を伝播する、というものである。このような説明はたしかに今日の観点から見れば荒唐無稽であろうが、しかし地震をもっぱら神罰として理解する当時の通俗的な見方に対して、カントは自覚的に自然科学的な見地から地震を説明しようとしたのである。われわれは、若きカントのいわば反射神経の良さに驚かざるをえない。未曾有の災害とそれに続くデマゴギーを睨みながら、カントはただちに地震に関する当時の科学的な諸学説を調べあげて、まとまった地震の理論として提起したのである。

野家先生が指摘し、回顧を促したのは、カントのこのような禁欲的な科学的態度であった。ここで私はさらに、このような若きカントの精神は、後年の批判哲学者カントの超越論的観念論における「現象」と「物自体」の二元論にも受け継がれている、と付けくわえたい。このカントの二元論によれば、われわれは「現象」には自然科学的な説明を与えることができるが、しかしながらその内的な本質である「物自体」は知りえない。自然科学の背後で、存在の本質は不可知に留まる。いいかえれば、自然現象を科学的に解明することはしかし、自然がそのように存在する本当の意味、その究極的な目的を明らかにしない。これは、地震のメカニズムは自然科学的に解明できるが、地震がなぜ、何のために起きたのかという神学的意味はけっして知られえないのと同断である。

巨大な災害をまえにして哲学が語りうる言葉は少ない。なぜ、何のためにこのような災害が起きたのかを人はついに知りえない。にもかかわらず人は思考をめぐらせ、被った災悪の意味を理解するために、原因や加害者を捏造したり、なにかしら目的があるはずだと思い込もうとする。カントの形而上学批判が見据えているのは、そのような理性の暴走であり、不可知に耐えることのできない人間の弱さである。われわれは、人間の有限性の痛みに曝されつつ、この現象世界に留まり、ここで為しうることを為してゆくほかない。最後の地震論文の末文で若きカントが言うように、「人間はけっして人間以上のものではありえないという謙虚な自戒から、人間は出発すべきなのであろう」。

卒業する諸君は今、この困難な出発に臨もうとしている。