大学の4年間で勉強したりない人は、大学院の修士課程(博士前期2年課程)でさらに研究を深めることができる。学部の卒業論文は、初めての研究論文への挑戦でもあり、「当たって砕けろ」という気合いでまっすぐに挑めばよい。しかし修士論文は、やはり「研究」としての一定の「成果」が要求される。自分の研究課題と範囲を把握し、方法論を自覚しながら、先行研究を調査し、テクストと深く向き合って思索を重ね、最終的に論文として成果をまとめなければならない。ときにはその研究成果は、ひろく世に問うだけの意味をもつことになろう。
そこで哲学・倫理学の修士論文のなかから、まずは第一弾として保坂希美さんの修士論文「カント倫理学における嘘の問題」を公開しよう。
カントの「嘘」といえば、1797年の論文『人間愛から嘘をつく権利と称されるものについて』が、行き過ぎた厳格主義のカリカチュアとして悪名高い。人殺しに追われる友人を匿っているとき、人殺しが友人はこの家にいるかと尋ねたとしても、友人の所在について嘘をついてはならない、とカントは言い放つ。この『嘘論文』の主張をどう解釈するかは、カント倫理学研究の一つの鬼門である。
じつはカントは『嘘論文』のほかにも、生涯にわたって「嘘」の問題に取り組み、さまざまな角度から検討を重ねていた。保坂さんは、公刊著作、講義、遺稿などにのこされたそれらの思索の記録を丹念にたどり、「嘘」をめぐるカントの多面的な思索を整理することに成功した。そしてその成果に基づいて、『嘘論文』の解釈へと踏み込み、さらには先行研究に対する批判をも試みている。
→保坂希美「カント倫理学における嘘の問題」(PDF)
そこで哲学・倫理学の修士論文のなかから、まずは第一弾として保坂希美さんの修士論文「カント倫理学における嘘の問題」を公開しよう。
カントの「嘘」といえば、1797年の論文『人間愛から嘘をつく権利と称されるものについて』が、行き過ぎた厳格主義のカリカチュアとして悪名高い。人殺しに追われる友人を匿っているとき、人殺しが友人はこの家にいるかと尋ねたとしても、友人の所在について嘘をついてはならない、とカントは言い放つ。この『嘘論文』の主張をどう解釈するかは、カント倫理学研究の一つの鬼門である。
じつはカントは『嘘論文』のほかにも、生涯にわたって「嘘」の問題に取り組み、さまざまな角度から検討を重ねていた。保坂さんは、公刊著作、講義、遺稿などにのこされたそれらの思索の記録を丹念にたどり、「嘘」をめぐるカントの多面的な思索を整理することに成功した。そしてその成果に基づいて、『嘘論文』の解釈へと踏み込み、さらには先行研究に対する批判をも試みている。
→保坂希美「カント倫理学における嘘の問題」(PDF)