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2011年12月 5日

第10回新潟哲学思想セミナーが開催されました 【イベントの記録】

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 第10回セミナーでは、講師に筑波大学の佐藤嘉幸先生をお迎えして、「規律的統治から新自由主義的統治へ──後期フーコーと権力の諸問題」というテーマでお話いただきました。
 日本だけではなく、世界各国で(とくに先進国において)抱えている財政問題を解決すべく、いまや多くの世界では従来の政治体系である福祉国家型国家から新自由主義型国家へと移行されてきている。このような福祉国家的統治から新自由主義的統治への移行によって、どのように権力構造は変わるのだろうかというまさに現代が直面している問題、しかも避けては通れないような重大な問題が今回のテーマでした。
 会場には多くの学生や教員、地元の方々の参加があり、質疑応答では、時間いっぱいまでさまざまな議論が飛び交いました。会場にいらっしゃった城戸先生をはじめ、市民の方からの質問にも、佐藤先生は丁寧に、わかりやすく、ラジカルに回答されたので、私たち学生にとっても論点が見えやすく、質疑応答の内容も理解しやすく感じられました。
IMG_2863.JPG  議論の熱が冷めないまま、予定時刻を過ぎてしまったのですが、会場を移し、恒例の懇親会において──ある意味、この懇親会によって、この追補的な会によって、むしろこの講義の理解がはじめて深まるのではないかと毎回個人的に感じているのですが──、今度は学生を中心に佐藤先生にさまざまな質問をさせていただきました。佐藤先生は学生の質問に対しても、親身に、丁寧に、わかりやすく答えてくださいました。懇親会もおおいに盛り上がり、大変有意義で、貴重な時間となりました。
 以下では、講義と質疑応答の要点を紹介したいと思います。
 佐藤先生にはフーコーの講義録などをもとに規律的統治から新自由主義的統治への権力構造の移行の問題を重点的に講義していただきました。まず、佐藤先生は統治の構造を、歴史を追いながら説明されました。お話によれば、統治の構造は、警察や軍隊によって直接的に支配するような主権権力から、規律的諸装置(学校、工場、病院、監獄など)を通じて個人に規範を内面化させる規律権力へ、そして、環境に介入し、環境に競争のシステムを設計することで個人を統治するような新自由主義権力へと歴史的に移行してきたのです。
 この点に関して、城戸先生や市民の方から、唯物史観的(マルクス主義的)に、必ず歴史においてこのような権力構造の変遷、発展が起こるのか、発展途上国も同じような権力構造の発展が伴っていくのかという疑問点が挙げられました。それに対する佐藤先生の返答は、絶対的な発展というよりもむしろ、これらの権力構造は同時に機能し、並存しており、そのなかで主要な権力構造が時代ごとにあったというものでした。

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 また、佐藤先生は、新自由主義的権力は主体に介入せずに、社会体への競争の設計という仕方で環境に介入し、その競争メカニズムを内面化させることによって個人を間接的に統治するのであり、その点において、新自由主義的統治は規律的統治よりもさらにエコノミックな統治であると述べられました。
 この点に関しては、宮崎先生が、新自由主義的権力はドゥルーズの言う規律の内面化を必要としないコントロール型権力とは違い、規律的権力をを含む(前提としている)のではないかという指摘をなされました。この指摘に対する佐藤先生の返答は、新自由主義的権力はコントロール型権力のように内面化を必要としないのではなく、むしろ競争原理を内面化させることが重要であり、その意味においては洗練された規律権力であり、そのうえでの環境介入を通じた内面化権力だと言えるのではないかというものでした。このほかにもさまざまな論点が扱われたのですが、主な論点は、以上の通りです。
 最後に、このセミナーにはるばる筑波からおいでくださった佐藤先生にあらためて感謝するとともに、議論を盛り上げてくださった先生方、ご来場していただきました地域の皆さま、そして新潟大学の学生の皆さまにも感謝をして、第10回新潟哲学思想セミナーの報告を終わらせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程・内山 友彰]