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2018年3月15日

第30回新潟哲学思想セミナーが開催されました。 【NiiPhiS】

第30回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に東北大学の城戸淳先生を、コメンテーターに愛知教育大学の宮村悠介先生をお招きし、ヘンリー・E・アリソン『カントの自由論』刊行特別企画として、「宇宙論的自由と叡知的性格──アリソン『カントの自由論』に寄せて」というテーマのもと開催されました。

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『カントの自由論』は、カント哲学を自由という概念を切り口として体系的に描き出した著作であり、論点も多岐にわたっています。そのなかで城戸先生の発表は、自由を宇宙論的に問う第三アンチノミーの独自性に焦点をあてたものでした。カントは、ドイツ講壇哲学の伝統において心理学の文脈で語られていた自由を、アンチノミー論という宇宙論をめぐる問題のなかで論じています。城戸先生は、こうした心理学から宇宙論への問題の移管が、カント独自の問題設定であった、と指摘されます。この宇宙論的な問題設定は、定立への注解で人間の問題へと移行します。カントは、宇宙の起源をなすような超越論的自由を人間にも付与することが「許されている」という仕方で、宇宙論的自由を範型にして人間的自由を考えます。城戸先生は、宇宙論の問題とパラレルにして人間の自由の問題を考えようという点にカントのオリジナリティーがあり、それをアリソンは鮮やかに描き出していると指摘されます。

続いて城戸先生は、第三アンチノミーをどのように解決するかという問題について言及されました。宇宙論的な課題を解く二側面モデルを人間の行為に適用したさい問題となるのが、叡知的性格に従った行為が自由であるのはなぜか、ということです。城戸先生は、この問題をアリソンの「取り込みテーゼ(Incorporation Thesis)」に即して説明してくださいました。取り込みテーゼとは、われわれが行為するときは必ず動機を自らの格率として取り込み、その確率のもとで承認している、というものです。アリソンによれば、この「取り込む(aufnehmen)」ということが、まさに自発性の様式として実践的自由であって、それゆえ叡知的性格に従った行為は自由である、ということになります。この分析に基づくと、そもそも性格があらかじめ決まっていたらどうするのか、ということが問題になります。ここで重要なのが「心根」という概念になります。カントによれば、心根は「格率の選択の最初の主観的根拠」であって、それによって格率が選択されることになります。さらに、心根そのものも自由意志によって採用された一つの格率でなければならない、とカントは主張します。つまり、心根をめぐっては採用と性格との循環という事態になると言えます。ここでカントは、根源的な採用行為としての「叡知的な行ない」を想定することになります。

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さらに城戸先生は、こうした想定をどのように正当化するのかということを話題にされました。『人倫の形而上学の基礎づけ』での議論に関して言えば、理性的行為者が自分は行為者であり、何かしていると思うためには自由の理念が必要であって、その理念のもとで行為が可能である、ということになります。さらに、自由の理念のもとで行為しうる存在者は、それゆえ実践的観点では現実的に自由であると言えます。ここで城戸先生は、アリソンの最近の論文に触れ、こうしたカントの考え方は一種のフィクションであるという虚構論に対するアリソンの反論を紹介されました。アリソンによれば、観点から独立したような言明の真理性はないのであり、観点から独立的に世界は運命論的に決定されているという想定は根拠がないものです。ここで重要なのは、本当は世界は決定されているという超越論的実在論の亡霊を廃棄することができれば、実践的には自由は正当化できる、ということなのです。

最後に城戸先生は、自由をめぐる真理に哲学が従事するのではなく、逆に哲学に自由をめぐる真理が従属するのであって、コペルニクス的転回は哲学そのものにもあてはまるのではないかということを示唆されてご発表を閉じられました。

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城戸先生の発表に対して、宮村先生からいくつかコメントがありました。そのなかで宮村先生は、アリソンが現代の行為論の枠組みからカントの自由論を解釈しているように、時代ごとに解釈の光のあてられ方は異なるのであって、その背後に「カントそれ自体」というものを想定しなくてよいのか、そもそも想定することが独断論的だという結論になるのか、と問いを投げかけられました。

それに対して城戸先生は、アリソンはある意味では現代哲学の問題意識に即してカントを読んでおり、それがある種の色眼鏡になっているということはありうると認めつつも、テキストを幅広くさらってカントの理論の全体像を浮かび上がらせるアリソンの解釈は、テキストによって正当化される度合いは強く、アリソンはそういう批判を受け付けないだろう、と述べられました。

またフロアを交えた討議では、自分が道徳的なつもりで非道徳的な格率を採用したらどうするのか、といったアイヒマン問題など現代思想の文脈と絡めた質疑もあり、興味深い議論が展開されました。

最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方よりお越しくださいました城戸先生と宮村先生に感謝申し上げ、第30回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。