宮﨑裕助 著
『判断と崇高──カント美学のポリティクス』
知泉書館
A5判上製328頁
本体価格 5,500円
ISBN978-4-86285-055-3
⇒ 出版社紹介ページ
今月初旬(奥付の発行日は2009年3月31日)に、博士論文(東京大学、2007年)をもとにした拙著が、新潟大学人文学部研究叢書の一冊として刊行されました。
詳しくは、裏表紙に記された本書の紹介と目次の詳細(本ページ下部)、下記の「自著を語る」をご覧ください。
⇒ 自著を語る[PDF]
『ほんのこべや』第37号、新潟大学生活協同組合、2009年11月
以下、2011年8月29日追記──────────
これまでに以下の書評が出ています。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
■ 江川隆男氏(首都大学東京)「崇高と決定不可能性の問題──宮﨑裕助『判断と崇高──カント美学のポリティクス』をめぐって」、日本カント協会編『カントと日本の哲学』理想社、2011年、77-91頁。
──「本書の企図は、何よりもカントの『判断力批判』の肯定的な脱構築、あるいは「判断する哲学」──決定する思考──としてのカントの批判哲学全体の生産的な脱構築にあり、この点が本書を狭義の「カント研究書」から一線を画するものとしていることは間違いないであろう。」
■ 松葉祥一氏(神戸市看護大学)「〔書評〕宮崎裕助著『判断と崇高 カント美学のポリティクス』」、『フランス哲学・思想研究』第15号、日仏哲学会、2010年10月、187-189頁。
──「カント論の相貌をした、二重の意味でラディカルな政治哲学の研究である。」
■ 酒井潔氏(学習院大学)「〔書評〕宮崎裕助著『判断と崇高 カント美学のポリティクス』」、実存思想協会編『実存の美学──実存思想論集25』理想社、2010年、169-173頁。
──「宮崎氏の本書は、デリダの「決定の思考」に導かれ、崇高と崇高でないものとの区別すらも問題化する「パラサブライム」の領域を開拓し、日本のカント研究を大きく拡大した、と言えるだろう。」
■ 星野太氏(東京大学)「美的‐政治的判断力のリミット──宮﨑裕助『判断と崇高──カント美学のポリティクス』」、表象文化論学会編『表象』第4号、月曜社、2010年、256-263頁。⇒[PDF]
──「ひとたび本書を紐解いてみれば、「判断」と「崇高」というこの二つの問題系がカント美学の核心をなしていること、さらにそれらが極めて深い政治的射程を秘めていることにすぐさま思い至ることになるだろう。」
■ 熊野純彦氏(東京大学)「特集:2009年上半期の収穫から」の一冊、『週刊読書人』2009年7月31日号(第2798号)。
──「「判断」について、「崇高」をめぐって、政治的「決断」にかんして、新鮮な思考を展開し、あらたな思考を誘いだす。」
『判断と崇高──カント美学のポリティクス』
知泉書館
A5判上製328頁
本体価格 5,500円
ISBN978-4-86285-055-3
⇒ 出版社紹介ページ
今月初旬(奥付の発行日は2009年3月31日)に、博士論文(東京大学、2007年)をもとにした拙著が、新潟大学人文学部研究叢書の一冊として刊行されました。
詳しくは、裏表紙に記された本書の紹介と目次の詳細(本ページ下部)、下記の「自著を語る」をご覧ください。
⇒ 自著を語る[PDF]
『ほんのこべや』第37号、新潟大学生活協同組合、2009年11月
以下、2011年8月29日追記──────────
これまでに以下の書評が出ています。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
■ 江川隆男氏(首都大学東京)「崇高と決定不可能性の問題──宮﨑裕助『判断と崇高──カント美学のポリティクス』をめぐって」、日本カント協会編『カントと日本の哲学』理想社、2011年、77-91頁。
──「本書の企図は、何よりもカントの『判断力批判』の肯定的な脱構築、あるいは「判断する哲学」──決定する思考──としてのカントの批判哲学全体の生産的な脱構築にあり、この点が本書を狭義の「カント研究書」から一線を画するものとしていることは間違いないであろう。」
■ 松葉祥一氏(神戸市看護大学)「〔書評〕宮崎裕助著『判断と崇高 カント美学のポリティクス』」、『フランス哲学・思想研究』第15号、日仏哲学会、2010年10月、187-189頁。
──「カント論の相貌をした、二重の意味でラディカルな政治哲学の研究である。」
■ 酒井潔氏(学習院大学)「〔書評〕宮崎裕助著『判断と崇高 カント美学のポリティクス』」、実存思想協会編『実存の美学──実存思想論集25』理想社、2010年、169-173頁。
──「宮崎氏の本書は、デリダの「決定の思考」に導かれ、崇高と崇高でないものとの区別すらも問題化する「パラサブライム」の領域を開拓し、日本のカント研究を大きく拡大した、と言えるだろう。」
■ 星野太氏(東京大学)「美的‐政治的判断力のリミット──宮﨑裕助『判断と崇高──カント美学のポリティクス』」、表象文化論学会編『表象』第4号、月曜社、2010年、256-263頁。⇒[PDF]
──「ひとたび本書を紐解いてみれば、「判断」と「崇高」というこの二つの問題系がカント美学の核心をなしていること、さらにそれらが極めて深い政治的射程を秘めていることにすぐさま思い至ることになるだろう。」
■ 熊野純彦氏(東京大学)「特集:2009年上半期の収穫から」の一冊、『週刊読書人』2009年7月31日号(第2798号)。
──「「判断」について、「崇高」をめぐって、政治的「決断」にかんして、新鮮な思考を展開し、あらたな思考を誘いだす。」
【本書の紹介文】
カントは〈判断〉について教えることはできず、それは特殊な才能に由来すると言う。判断力は、知っていることにおいてではなく、それを用いることにおいて発揮される能力である。豊富な知識のある医者や政治家が規則の適用にあたって、容易に誤りを犯すことがあるということである。
第三の批判書『判断力批判』は、判断力の問題を反省的判断力、とりわけ美的判断力を通して探究する。この問いは20世紀になって、趣味判断や美学の問題にとどまらず、政治的判断力や決断主義の問題へと展開し、カントの批判哲学の新たな地平を開いた。
著者は、カントから現代思想のアーレント、リオタール、シュミット、デリダへとつながる文脈を踏まえ、美的な観点からは「崇高の思考」として、政治的な観点からは「決定の思考」として判断力をめぐる探究を特徴づけ、「美的なもの」と「政治的なもの」の関係を、原典の解読を通して明らかにする。
カントの理性主義の限界を考察し、カント美学の問題圏に胚胎していた判断(力)の政治への問いと射程を明確にするとともに、第三批判書の独自の現代的意義を示す、気鋭の研究者による意欲的な業績。
【目次】
凡例
まえがき
略号
序
第 I 部 判断──反省的判断力から美的判断力へ
第一章 判断力の法
1 移行としての反省的判断力
2 批判と判断
3 理性の法廷
4 理性の法、自然法
5 自然の合目的性
6 法なき法
第二章 判断の崇高
1 反省的判断力から美的判断力へ
2 カント美学?
3 美と崇高のあいだ
4 美の不可能性
5 可能性としての崇高
第 II 部 崇高──構想力と美的形式の問題
第三章 構想−暴力
1 中間者としての構想力
2 構想力と理性の抗争
3 力学的崇高における暴力
4 美的総括の暴力とその対抗暴力
5 構想力の自己犠牲
第四章 吐き気
1 不定形なもの
2 美の形式
3 崇高の無形式
4 パラサブライムの反美学
5 apatheia
Interlude 物質的崇高
1 崇高の否定的な表出
2 穹窿と水鏡
3 建築術的視覚と物質的視覚(ポール・ド・マン)
4 美学イデオロギーの批判にむけて
第 III 部 美的−政治的──美学化と決断主義への抵抗
第五章 政治的判断力
1 趣味判断から政治的判断へ(アーレント)
2 探照灯としての芸術(ハーバーマス)
3 呈示不可能なもの(リオタール)
4 崇高の政治?
5 判断の前未来
第六章 決断の帰趨
1 決定におけるアポリアの経験(デリダ)
2 例外状態における主権的決断(シュミット)
3 決断主義の帰結
4 主権的決断から受動的決断へ
5 他者の責任を負うこと
6 政治的ロマン主義を超えて
結論
あとがき
註
人名・書名索引
以下、2011年4月3日追記──────────
【合評会:過去の記録】
■ 日本カント協会第35回学会
日時:2010年 11月 13日(土)
場所:新潟大学・五十嵐キャンパス
共同討議2:テーマ「カントと崇高論」
討議者:宮﨑裕助(新潟大学)、江川隆男(首都大学東京)
司会:牧野英二(法政大学)
■ カント研究会第244回例会
日時:2010年 8月 29日(日)16:30~19:00
場所:法政大学92年館(大学院棟)2階203教室
合評会:宮﨑裕助著『判断と崇高──カント美学のポリティクス』
特定質問者:千葉建(筑波大学)、宮村悠介(東京大学)
■ 政治理論読書会
日時:2009年 7月 29日(水)18:30〜20:30
場所:新潟国際情報大学中央キャンパス53号室
報告者:宮崎裕助(新潟大学)
討議者:田中拓道(一橋大学)、向山恭一(新潟大学)、越智敏夫(新潟国際情報大学)、黒田俊郎(新潟県立大学)