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2012年3月22日

研究会報告「カント哲学の脱構築」 【イベントの記録】

Prof. Steinvorth

2012年2月16日、新潟大学駅南キャンパス「ときめいと」において、ウルリッヒ・シュタインフォルト教授をお迎えし、「カント哲学の脱構築」と題した公開研究会が開催されました。今回のセミナーでは、人文学部人間学講座の教授陣をはじめ、外部からお越しくださった先生方によって、英語やドイツ語を交えた議論が繰り広げられ、そのおかげで大変実りのある研究会になったと思います。

以下、大熊洋行氏(東京大学博士課程)による紹介と、シュタインフォルト氏による講演をまとめました。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程 中川 佑樹]

自由意志をめぐる大人と子供

最初に大熊氏によりシュタインフォルト氏が紹介された。今回、シュタインフォルト氏がとりあげたのは、カントの自由意志をめぐる問題である。

氏は著書のなかで、自我について、セルフとサブジェクトという二つの概念を峻別する。このうち前者のセルフは、なんらかの判断において、それがいかに道徳的なものであろうとも、みずからの自由意志によって否定し、ほかを選択することができるものとして描かれている。シュタインフォルト氏は、このようなセルフの自由意志は、行動の責任を自己に帰属させるものであり、いわば大人のものであるとしている。

これに対して、カントの自由意志においては、自由意志と道徳的意志とが同一のものとされている。カントにおいては、行為主体が自由で理性的であるのは、道徳的行為をなした場合だけである。このとき自由とは、道徳規則にしたがって(subject to)行動する従属状態のことであり、それを超えて自己の判断にもとづいて行動することではない。このサブジェクトの自由意志は、子どものものであるとされる。

シュタインフォルト氏とカントのあいだには、自由意志をめぐる見解に差異があり、今回のセミナーでも特にそこが焦点になった。


カントの自由意志と循環論

カントの『人倫の形而上学の基礎づけ』においては、理性的被造物の行為を律するものとして、定言命法が考えられている。カントは、私たちの一般的な道徳概念を分析することによって、定言命法こそが我々の意志の法則であることを証明する。私たちの意志が自律的であるのは、この定言命法を守ることによってである。『基礎づけ』の第三章においてカントは明確に「自由意志と道徳法則に基づく意志は同一である」(Ak 4: 447)と述べている。

シュタインフォルト氏によると、このようなカントによる自由意志と道徳的意志の同一化は、伝統的なスコラ哲学の自由意志の概念と異なっている。例えば、スコラの伝統を受け継いだデカルトやライプニッツにおいては、私たちの意志が自由であるためには、普遍的な格率を排除してでも、行為を選択することができることであった。しかしこれこそが、カントが否定しようとした思想であったとされる。

自由意志と道徳法則に基づいた意志との同一化の後で、しかしこの同一化があらためて問題になるところがある。それは『基礎づけ』第三章でカント自身が、この関係は循環論だと述べているところである。

率直に認めなければならないが、ここには一種の循環が生じていて、一見したところこの循環からは抜け出すことができないように見える。つまりわれわれは、われわれが目的の秩序のうちで道徳法則の下にあると考えるためには、われわれが作動する原因の秩序のうちで自由であると想定し、ついでわれわれは自分に意志の自由を添えたことを理由に、われわれをこの法則に服従するものと考えるのである。(Ak 4: 450)


シュタインフォルト氏のカント批判

ここでシュタインフォルト氏は、『基礎づけ』における、「自由の理念の下でしか行為することのできない存在者は誰でも実践的にみて現実に自由である」(Ak 4: 448)というカントの主張にあらためて注目し、この主張がスコラ的自由意志のものであると指摘する。

もし、この理念の下で行為しているのであれば、その行為は道徳的原理に基づく行為ではない。むしろそれは、スコラ哲学の場合と同様に、私たちが熟慮の後で、行為をするかしないかを決定するような意志であろう。すなわちシュタインフォルト氏は、ここでのカントはデカルトと同様の自由概念を考えていたとするのである。

じっさいカントは、自由意志と道徳的意志が同じものであると述べつつも、私たちが道徳的行為をするということを前提することなしに自由意志をもちうること、もしくはその逆がありうるという主張をも残しているのである。それゆえカントの自由概念は、実際には道徳性についての言及を含んでおらず、そのため、カントのいう循環論の指摘は正当ではない、というのがシュタインフォルト氏の考えである。

シュタインフォルト氏はさらに、カントの定言命法に異議を唱える。氏によると、カントは『実践理性批判』において、最初からスコラ哲学的な自由意志を排し、自由意志が道徳的であるのは疑う余地がないと決めつけている。

これに対してシュタインフォルト氏は、カントが『純粋理性批判』の序文で述べていたような、「今の時代は批判の時代であって、それにすべてのものが服従しなければならない」(A XI)とした啓蒙の原理に、カント 自身が背くことになるはずだとして批判するのである。