第11回新潟哲学思想セミナーは講師に吉田治代先生をお迎えし、「ブロッホ、アメリカ、多元的宇宙」のタイトルのもとで開催されました(参加者25名)。
ご講演では、ブロッホにおける多元的宇宙(Multiversum)という独特の多元主義のヴィジョンについて、とくにブロッホとアメリカとの関わりに焦点を当ててお話しいただきました。吉田先生は、多元的宇宙の概念はアメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズに由来しており、アメリカとの関連は非常に重要なテーマであるとして、従来の研究ではほとんど言及されることのなかったアメリカ思想のブロッホへの影響を辿ることこそ、ブロッホのいう多元的宇宙のヴィジョンへと到達する道であると指摘されます。
吉田先生によれば、ブロッホにおけるアメリカ思想のポジティヴな受容がいつ行なわれたのかを遡ってみると、第一次世界大戦の時代に行き当たり、スイス亡命時代にブロッホが集中的にアメリカの問題に取り組んでいたことが見出されます。しかし、ブロッホはアメリカが参戦を決めた1917年に急遽アメリカ思想を取りこんだというわけではなく、戦前からすでに興味をもっていたと考えられるそうです。というのも、20世紀初頭のドイツでは、新たな思想運動である「プラグマティズム」への関心が高まっていたからです。
ドイツにおけるプラグマティズム受容は、ハンス・ヨアスによれば不幸な誤解の歴史とでもいうべきものであり、フランクフルト学派と同様、ブロッホもまたこの不幸な歴史にその名を残しています。『希望の原理』においてブロッホは、プラグマティズムをマルクス主義とは相いれない精神的に劣ったものと見なし、アメリカ資本主義と結びつけつつ批判しています。
フランクフルト学派の陰鬱なアメリカ観にも通じる、この「マルクス主義者ブロッホ」の「アンチ・アメリカニズム」は広く知られていますが、それだけに1910年代のブロッホにおけるアメリカ思想のポジティヴな受容は注目すべきものだと、吉田先生は指摘されます。従来、社会主義革命への希望と考えられてきたブロッホの希望の哲学、可能性の哲学のもう一つの起源をここに見ることが可能なのではないか、と問いかけられました。
吉田先生は、ドイツ帝国が世界を戦争へと巻き込んでいる状況において、またそのような状況においてのみ、ブロッホとアメリカとの連帯が生まれたとし、これを民主主義的連帯と多元主義的連帯という二つの観点から説明されました。この報告では、議論の中心であった後者の多元主義的連帯について紹介します。
1910年代に現れてきたブロッホの「多元的宇宙」のヴィジョンは、ジェイムズの概念を借用しながらも、ジェイムズ的なある種の神秘主義的な世界観にとどまることなく、多元的宇宙の議論を、戦後世界のあるべき姿をめぐる政治文化的議論にまで組みこんだものです。ブロッホの描く戦後世界とは、ウィルソンによる国際連盟のアイディアにジェイムズの「多元的世界」を取りいれた諸民族の精神的な連盟であり、その諸民族の連盟に戦後のドイツも加わるべきだというものです。
ブロッホによれば、世界との連盟によってドイツは自己を失うことなく、むしろ「世界と接する」ことで「自分自身へと育てられる」のであり、こうした人類の連盟のなかでのみドイツは本来の精神を、すなわちブロッホが言うところの広がりと多彩さを、初めて見出すことができるのです。吉田先生によれば、世界を戦争から救う希望の光をアメリカに認めつつも、ブロッホが求めるのは決してドイツのアメリカ化や世界のアメリカ化ということではありません。民主主義の理念によって一つに結ばれながらも、各民族が独自性を保持すること、一つでありつつ多くであること、これがブロッホの考える世界共和国の多元的宇宙なのです。
しかし、このブロッホの多元的世界のヴィジョンは、ブロッホがファシズムと資本主義に対する闘争を優先するにしたがって、影をひそめていきます。とはいうものの、ブロッホはこの冷戦の枠組みにとらわれ続けたというわけではなく、西ドイツへの亡命以後、現存する社会主義とは異なる、より民主的人間的な社会主義を求めていくことになります。このことから吉田先生は、1950年代半ばごろから彼の思想の原理的強張りが解れていくのではないかと示唆されます。そして、このころに多元的世界への問いもふたたび浮上してくるとのことです。
1955年の講演において、ブロッホはふたたび多元的宇宙について言及しており、そこでブロッホは従来の西洋偏重がもはや無効となったことを認め、それに応じて多元的宇宙のヴィジョンを新しく考えなおしています。こうしてブロッホは、アジアやアフリカまでも含めた諸文化の多元的宇宙のヴィジョンに至るのです。さらに、このような諸文化はもはや固定的に考えられることはなく、むしろそれらの文化は相互に結びつけられたものとして考えられます。
今日からすれば、1955年版の多元的宇宙のヴィジョンにおいても一定の留保をつけることは可能でしょう。しかし吉田先生は、冷戦期の二極的な対立図式、思考の強張りから脱して、新たな世界状況に柔軟に反応しながら、自らの多元的世界像を刷新していくブロッホの姿勢こそ評価されるべきであり、それは文化的多元主義のありようをめぐる、今日にまでつづく議論にも示唆を与えるものであろうと説明されました。
マルクス主義者という枠を取りはらい、アメリカとの関連も視野に入れながらブロッホに向きあえば、鷹揚で寛容で楽天的なプラグマティストとしての顔が見えてくる。このようなブロッホは20世紀ドイツ思想にはむしろ馴染みにくく、異質な存在ではあるが、しかしそこにこそ、むしろ今日の我々にとっては親しみやすい思考が秘められていると言えるのではないか、と先生は講演をまとめられました。講演の後は、諸先生方及び学生から質疑が出され、活発な議論が行なわれました。
今回のセミナーでは、私たちにとってあまり馴染みのないブロッホの思想に触れることができました。また、20世紀の政治や社会、文化状況との関連においてブロッホの思考を理解しようとする、いわば思想の歴史的解釈は、哲学を学ぶ私たちがふだん馴染んでいる解釈の手法とは少し異なり、興味深いものでした。
最後に、今回のセミナーでご講演くださいました吉田先生に感謝申しあげ、今回のセミナーの報告といたします。