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2013年4月22日

サピアの言語観 【言語学】

金曜日の言語学演習では,エドワード・サピアの「言語」(1933年に百科事典の項目として公刊されたもの)を精読しています.その冒頭を拙訳(やや意訳)により紹介します.

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言語運用能力と高度に秩序立てられた言語は,既知のどんな人間集団にも存在する特徴である.言語を持たない種族というのはこれまでに全く見つかっていない.この事実に反するいかなる言明も,単なる伝説の類として退けて良い.ある民族はあまりに語彙が貧弱なので,ジェスチャーを補助的に用いないとやりとりができない,だから,その集団のメンバー間において明瞭な伝達が暗闇ではできなくなる,という言明が時折なされる.これには一切根拠がない.この問題の真実は,言語とは既知のすべての民族に見られる表現・伝達のための本質的に完全な手段だ,ということだ.文化にもいろいろな側面があるが,言語こそが,高度に発達した形式で人が受容する最初のものであり,言語の本質的完全性は文化全体の発達に対し必須だ,という推測はあながち間違っていないだろう.

以下のような一般特性が,現存する言語にも死語にも,文字を持つものにも持たないものにも,すべての言語に該当する.第一に,言語とは本質的に,伝達しうる思考や感情の表現のための音声的記号の体系である.言い換えれば,言語における記号とは,高級哺乳動物の喉頭と結びついた発声的振る舞いとははっきり区別されるものなのである.単に理論上からは,言語構造に似た何かがジェスチャーや他の身体的振る舞いから発達しえたのかもしれない,と想像することはできる.人類の歴史のある発達的段階において,書記というものが音声言語のパターンに近付けた模倣として生じたのは事実だ.このことは,言語という純粋に道具的で論理的な装置が,分節化された音声の使用に必ずしも依存しているわけではないことを示す.にもかかわらず,実際の人間の歴史と人類学の豊かな知見が実にはっきりと示すのは,音声言語というものが他のすべての伝達的記号体系に優先することである.それらの記号体系は,音声言語に比べ,書記のように代替的であったり,発話に付随するジェスチャーのように極めて補助的だったりする.言語の分節に用いられる音声器官もまた,既知のすべての民族に共通する.すなわち,喉頭と微調節可能な2本の声帯,鼻,舌,硬口蓋と軟口蓋,歯,そして唇である.発話における元々の振動は喉頭に位置すると見なせるのだが,細かな音声的調音は主として舌の筋肉運動による.舌のそもそもの機能はもちろん音声の産出とは何の関係もないが,実際の発話においては,感情表現豊かな音声を我々が言語と呼ぶものに展開させるうえで不可欠なのだ.舌が不可欠であるのは,「言語」とか「ことば」を表す最も一般的な語の1つに「舌」があることからも分かる.かくして言語というものは,音声産出についてでさえも単純な生理的機能とは言えない.というのも,「音声器官」が働き始める前に,原始的な喉頭の振る舞いが舌・唇・鼻における加減により完全に分解されていたはずだからだ.ことによると,この「音声器官」の生理的運動が各所に分散した二次的なネットワークを形成している(かつ関係する器官の一次的機能とは対応しない)点が,言語が,直接的な身体表現から自分自身を自由にしえた理由なのかもしれない.