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2013年9月30日

第15回新潟哲学思想セミナーが開催されました 【NiiPhiS】

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 第15回の新潟哲学思想セミナーでは、東京大学の鈴木泉先生をお迎えし、スピノザ/ライプニッツ問題の反復としての近現代哲学がどのようにスピノザの非人間主義的な思考(inhumanisme)の特異性を隠蔽してきたか、また、そうして隠蔽され続けてきたスピノザ哲学の潜在的可能性について、興味深いお話をしていただきました。
 お話は主に、「スピノザに傷(トラウマ)を負ったのはライプニッツだけではなかったか」ということを前提に進められました。
 哲学史上、あまりメジャーになることのなかったスピノザではあるが、ホットな存在として取り上げられた時期が二度あった。一度目は、18世紀ドイツ啓蒙における汎神論論争とそれを成立の契機の一つとするドイツ観念論におけるスピノザ・ルネサンスで、二度目は、ドゥルーズが主な立役者となった1960年代後半以降のフランスにおけるスピノザ・ルネサンスである。
niiphis152.jpg  だが、一度目のスピノザ・ルネサンスでは、スピノザないしはスピノザ主義はライプニッツ主義化され、スピノザの思索の特質は隠蔽されてしまった。二度目のそれにおいては、こうしたライプニッツ主義化からの解放ないしはスピノザ思想の純化がドゥルーズによって図られたが、彼の中には、スピノザとライプニッツの共存や、ライプニッツの可能世界論を主題化することでスピノザ主義に接近するなど、奇妙な捻れが見出される。
 それにひきかえ、ライプニッツはスピノザの必然主義を理解し、おそれていた。世界に生じる出来事や個体の運動に何一つとして偶然性や可能性を認めないスピノザの必然主義は、この世界から意味を奪うことへ通ずる。このような非人間主義的で非情な哲学に対して、ライプニッツは世界に意味を与えようとする。
 こうしたことから、二度のスピノザ・ルネサンスがあったにもかかわらず、だれも本当のスピノザに出会っておらず、真の意味で影響を受け、傷を負ったのはライプニッツだけであり、そこにスピノザとのゼロ回目の邂逅があったのではないか、といったお話がありました。最後に、スピノザの必然主義、世界の無意味さといったことを我々はどう受け止めるべきかという問いが投げかけられ、非常に考えさせられました。
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 後半は、本大学の栗原隆先生より「ドイツ観念論におけるスピノザ──ヘーゲルの、失われた「フィッシュハーバー批評」に照らして」と題して、第一スピノザ・ルネサンスにおいて生じたスピノザのライプニッツ主義化の内実について詳述していただきました。続く質疑応答では、スピノザの内在主義に関する質問や、無限から有限への移行についての議論に関する質問を皮切りに、興味深い議論が繰り広げられました。
 鈴木先生、ならびに栗原先生、貴重なお話をありがとうございました。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科博士課程・浦上麻衣子]