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2017年1月25日

第24回新潟哲学思想セミナーが開催されました。 【NiiPhiS】

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第24回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に月曜社取締役、編集者の小林浩さんをお招きし、「人文書出版の希望と絶望」というテーマのもと開催されました。当日は雪という悪天候の中、各専攻の先生方や学生をはじめ、書店員の方にもお越しいただきました。今回の小林さんのお話では、出版業界という視点から人文書の現在と未来、そこに存在する希望と絶望が語られました。

序盤では、出版業界人の抱えている矛盾や編集の在り方から絶望について述べられました。小林さんによれば業界人の抱える矛盾とは、①文化と産業のあいだで引き裂かれる(値段をつけようがないものに値付けする)、②わかり合い分かち合いたいが届かないこともある(価値観をめぐる齟齬と争い)、③立ち止まりたいが立ち止まれない(市場のスピードへの対応)の三点があるといいます。

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特に①における価格設定について、会社規模や取り扱う種類により大きく異なる点がとても興味深かく聞くことができました。部数は、大きい会社はたくさん、小さい会社は少なめであり、さらに人文書を積極的に置いてくださる書店は決して多くないそうです。そのため、どうしても人文書の単価は高くなってしまうという悩みがあります。また、全国的に見て書店数は減少傾向にあり、人文書をとりまく環境はますます厳しいものになっています。

「編集」自体が変化しているという時代の流れについても、人文書をとりまく環境の厳しさのなかで挙げられていました。大手出版社は紙媒体以外のコンテンツ事業に乗り出しています。その背景には、紙媒体の制作だけでは利益が十分に出ないので、キャラクターグッズ開発や映画化・ドラマ化・ゲーム化など著作権ビジネスを多角化させるという考えがあります。しかしながら、人文書をはじめとする学術書は多角化に困難があります。総合的なコンテンツ産業への脱皮が当たり前となる出版業界において、人文書は固有の価値を提供していく必要があります。

IMG_3280.JPG一方で、小林さんは人文書の希望を読書の共同性や人文書のオルタナティヴ性から述べられました。読書の共同性とは、読書とは読者がいることで成立するという共伴性です。筆者と著書は、例えるならば人間とゾンビであるといいます。筆者の頭の中には著書の行間にも内容がありますが、読者の中にはありません。この行間の内容を読者が個々で埋めることで、肉体だけの著書は初めて精神を得られるのだそうです。オルタナティヴ性とは、人文書が新たな視野や価値観を気付かせてくれるオルタナティヴな装置として存在するということです。この二点の希望を人文書の価値として提供していく必要があるのだということでした。

今回のお話では、出版業界という視点から人文書をとりまく環境について知ることができました。出版業界という世界は、我々学生はあまり触れることのない世界です。そのような業界でご活躍なされている小林さんだからこそ気付ける希望と絶望を、この度のNiiPhiSで伺うことができ、私たち自身の視野も少し広がったのではないかと思います。

また人文書の価値に希望を置くとなると、紙の人文書と電子媒体の人文書のどちらの希望ともなります。小林さんはお話の中で、紙の人文書の良さとして空間の利用を挙げられました。紙の本が並べられている書店を散歩することで、意図しない本との出会いが生まれ、新たな視野で世界を見ることができるといいます。「紙の良さ(希望)を広めるのは誰が行うべきか」という私の個人的な質問に対し、小林さんは「どの立場の人でも構わない。出版業界人をはじめ、司書や書店員さん、読者が行っても構わない。様々な立場の人が紙の良さを伝えあう交流の場がたくさんあったら良いですよね」という旨の回答をくださいました。

最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方からお越しいただいた小林浩さんに感謝を申し上げ、拙文ではありますが第24回哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学人文学部人文学科 心理・人間学プログラム専攻  藤木郁弥]