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2017年6月26日

第26回新潟哲学思想セミナーが開催されました。 【イベントの記録】

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第26回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に首都大学東京の西山雄二先生、一橋大学の阿部里加先生、椙山女学園大学の三浦隆宏先生をお招きして、「ポスト・トゥルース時代における「嘘の歴史」──アーレントとデリダから出発して」というテーマのもと、アーレント研究会と脱構築研究会の共催企画として開催されました。

2e5Sfv4N1_eKCEB1498657740_1498657748.jpeg西山先生は、御自身の日本語訳書であるジャック・デリダの『嘘の歴史 序説』について、入門というかたちで、とても分かりやすくお話しして下さいました。今回のお話では、主として、デリダによる嘘の考察、嘘の歴史性、デリダによるアーレントの読解について解説していただきました。デリダによる嘘の考察は非常に難解ですが、西山先生は、私たちの身の回りに存在する嘘、とりわけ、現在日本中で話題にされている加計問題や森友学園問題を例に挙げてお話しして下さいました。

阿部先生は、デリダによるアーレント批評が、アーレント研究史においてどのような役割を果たしてきたのかについてお話しして下さいました。今回のお話では、主として、アーレントによる「政治における嘘」の解説、デリダの嘘に関する主張、アーレントの嘘についての考察に対するデリダの批評、アイヒマン裁判に関するアーレントの考察について解説していただきました。また、阿部先生の、アーレントはその研究においてaction(活動)の部分ばかり取りあげられているが、それ以外の哲学も非常に重要であるという、これまでのアーレント研究に一石を投じるような主張がとても印象的でした。

18phUfNDksv5hbI1498416647_1498416655.jpg三浦先生は、嘘と政治、感覚(あるいは判断)というテーマに対して、アーレントとデリダがどのように考察していたのかについて解説して下さいました。このテーマに関して、両者がどこまで歩調を合わせ、どこから足並みが揃わなくなったのかについて解説されたあと、アーレントとデリダがカントの第三批判にともに着目したという指摘もされていました。また、三浦先生の「ヘイトスピーチはアーレント的には活動の一種だと言えるのか?」という問いは、登壇された先生方はもちろん、司会の宮﨑先生や会場の参加者も含め、議論をすることができました。その他にも、第二部の全体討議では、参加した学生などから、いくつも重要な指摘や質問が飛び交い、非常に充実したセミナーとなりました。

私たちは日々、嘘に囲まれながら生きています。それでは嘘とはいったい何なのでしょうか。間違いは嘘なのか、フィクションは嘘の枠組みに入るのか、相手を傷つけなければ嘘にはならないのか、このように嘘は私たちの身近にあるにもかかわらず、非常に不透明なもののように思えます。今回のセミナーでは、私たちにとって最も身近な概念である嘘に関して、その意味や歴史性について、アーレントとデリダの考察を交えながら深く考える貴重な機会となりました。最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方からお越しいただいた、西山先生、阿部先生、三浦先生に感謝を申し上げ、拙文ではありますが、第26回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程 田中宥多]