「にいがた 地域映像アーカイブ」では、収蔵した映像や音源の各種資料をデジタル・データとしてアーカイブする作業を鋭意行っておりますが、今回、2012年5月より、デジタル化を完了した資料のうち1万点強の写真、及び、動画の一部を、新潟大学内に向けて試験的に公開を開始致しました。新潟大学のネットワークから以下のURLへアクセスすると、データベースをご覧頂けます。
http://arc.human.niigata-u.ac.jp/db/
本データベースの公開にあたっては、「研究・教育普及目的」の利用について、著作権者、あるいは所蔵者より書面による許諾を頂いております。利用に際しては、下記の諸注意を厳守して頂けますよう、お願い申し上げます。
なお、この研究プロジェクトでは、デジタル映像の利用についての社会的ルールが確定されていないことを鑑み、「研究・教育」的利用のルール作りをすることも一つの課題と考えています。今後は、新潟大学内での公開のみならず、新潟大学外の小中高等学校、あるいは博物館、資料館、美術館、図書館などと連携し、教育的に利用できるようなシステムを構築することを目指しています。
是非とも、こうした映像公開の規準についての、建設的なご意見、ならびに映像検索などについてのご意見をお寄せいただきたくお願い致します。
なお、現在、写真約10万点の他、数百点の映画や約一千点の音源資料の公開を準備しています。
新潟大学 人文社会・教育科学系(人文学部)附置
「地域映像アーカイブ」センター
センター長・原田健一
(新潟大学 人文社会・教育科学系 人文学部)
この「にいがた 地域映像アーカイブ・データベース」は、権利者の許諾のもと、「研究・教育普及目的」において、試験的に新潟大学内で閲覧、利用できるものです。ご利用にあたっては、以下について、ご注意下さい。
宛先:cria [atmark] human.niigata-u.ac.jp
ご面倒をおかけ致しますが、
[atmark]の部分を@に置き換えて下さい。
「にいがた 地域映像アーカイブ・データベース」には、県内各所から発掘された映像や音声資料を収蔵していますが、今回の試験公開にあたって、収蔵品のうち、今成家所蔵の写真、高橋捨松氏の撮影した写真、中俣正義氏の撮影した資料群を、コレクションという形で閲覧できるように致しました。
ここでは、それぞれのコレクションについて、簡単にご紹介致します。
今成家の写真は、幕末、慶応2(1866)年から、明治5年頃まで、ほぼ10年にわたりに撮影された湿板写真である。撮影者は、今成家19代目の今成無事平(1837~1881)とその弟の新吾と考えられる。今成家は、現南魚沼市六日町に居住し、江戸時代から年寄役を務める家柄である。今成無事平は明治に入り戸長となり、村会議員、県会議員も務めている。幕末、今成無事平は、横浜に遊び、写真術を学び、弟新吾と共に、自分とその周辺の仲間たちの写真を撮り続けた。
高橋捨松(1863~1930)は、現南魚沼市六日町に居住し、高橋家の10代目となる。明治末から昭和初期まで、六日町の地域経済の旗振り役として、船会社、酒造、金融業など幅広く事業を展開し、活躍した。高橋捨松は、地域経済の中で大きな役割を果たし、大正時代に入り高橋家は家産を殖やしており、柏崎、湘南などにも事業を展開している。こうした様子は、写真にも反映している。また、家族だけでなく、町に往来するさまざまな人物も撮影しており、高橋捨松の社会を見る視野の広さを表している。
中俣正義(1918~1985)は、現南魚沼市欠ノ上に生まれ、敗戦後、1947年に復員したのち亡くなる1985年までの約40年間にわたって、新潟という地域を、使命感を持って広範囲かつ継続的に、写真撮影を手段に人びとの生活と文化を記録し続けた。また一方で、中俣正義は県の観光課に所属し、その経験と優れたカメラアイを発揮して約40本近い16mm映画を制作していた。なお、中俣正義のご遺族のご了承を得て、写真は、ネガより全面的なデジタル化を行い、公開する予定でいる。また、観光課の映像については、所蔵する新潟県生涯学習推進センターの協力のもと、デジタル化の作業を終えている。
地域映像アーカイブデータベースでは、収蔵データを以下の時期に区分しております。