カントの倫理学や社会哲学については、考えかたは正しいが結論は間違っている、と言われることがある。カントのかかげた高邁な理想と厳格な道徳性は、原理原則としては結構だけれど、現実社会に適用して運用するには不都合が多い、というわけである。
しかし、わたしの見るところでは、真実はちょうどその逆なのである。実践哲学の場面でのカントの思考の際立った特長は、考えかたの個々のプロセスにおいては強引であったり疑わしい論点をふくんでいたとしても、かならず正しい結論に到達する、という点にある。たとえば『人間愛から嘘をつく権利の虚妄』や『永遠平和のために』などは、その典型例だといえるだろう。カントのいっけん途方もないような結論は、没後200年のあいだに人類が積み重ねてきた経験と、そこで培われた新たな思考の試練を経ても、いまだに輝きを保っているのである。
なにがカントをそのように際立たせているのだろうか? それは、カントの思考がもつ、未来を指し示す力であろう、とわたしは思っている。過去の経緯に囚われ、現在の状況に巻きこまれるとき、われわれはしばしばみずからを見失って、正しい結論に固執できずに砕けてしまう。そのときカントは決然と未来を指し、進むべき方向を教えるのである。
いうまでもなく、無垢を装ったこのような決然たる態度は、老練なるカントの人間観察に裏打ちされたものである。カントは、われわれ人間があまりにも脆弱なものであり、せめても北極星のような高き理念を必要とするということを見通していた。カント実践哲学の結論の正しさは、カントが徹底的な人間通であったことの証明でもある。