先日のNiiPhiSで番場俊氏は、みずからの解釈上のモットーとして、神話的な統一的ドストエフスキー像を樹立するのではなく、むしろ(フーコーの分散(dispersion)の概念を援用しつつ)ドストエフスキーをさまざまなコンテクストへと分散させることを強調されていた。この番場氏の方法論は、さいきん私が想いえがいている哲学研究の手法と響きあうところがあるように思われる。
文学作品の解釈にさいして、かつては作家の体験や人格性へと遡及する手法がとられていた。同様に哲学においても、過去の哲学説を研究するさいに、その哲学者の生きた時代的な状況や、哲学者の精神的な形成過程などに着目することが多かった。
たとえば私の専門であるカントであれば、幼い日々のピエティズム的な教育、大学での18世紀ドイツ哲学の受容、さらにはルソーやヒュームとの出会いなどをふまえて、カントの精神的な発展史を再構成することが試みられた。さらに概念史といわれる分野では、カントが知りえた当時の文献をもとに、カントがある概念をどこから知ったのかを辿り、いわばカントの一人称の視点から概念史を再構成することさえも試みられている。このような緻密な文献学的な手法がカント研究に新時代をもたらし、豊かな成果をあげてきたことは幾重にも強調されなければならない。私もまた及ばずながら、カントの『純粋理性批判』の発展史を再構成することを志す者のひとりである。
だが、この方法はしばしば不毛な袋小路に陥ってしまう。カントの精神的な発展史を再構成しようとしても、われわれが入手しうる情報は限られており、またたとえ資料が十分にあってもカントの哲学的な天才の内奥に届かないからである。カント哲学の全体のなかで、カントがこれを読んだからこう考えるにいたったのだ、と跡づけることができる部分はわずかしかない。さらに、たとえカントの教育や読書や会話などをすべて(!)再現できたとしても、カントの哲学は遙かなる高峰でありつづける。似たような教育や経歴をへた哲学者は当時には大勢いたが、カントはあきらかに別格だからである。
ここで文献学的な禁欲にとどまって、文献をもとに再構成されたかぎりでのカントの精神的状況から考えるかぎり、カント哲学のいわば世界史的な意義は見えてこない。むしろ必要なのは、俯瞰的にカントを哲学史的に位置づけるという作業なのである。それはいいかえれば、カントの一人称に立って追体験する解釈ではなく、カントを含む哲学史を三人称的に思索する解釈である。
たとえば『純粋理性批判』ではデカルトがしばしば槍玉にあげられるが、もちろんカントはその『省察』や『哲学原理』を丹念に読んだわけではなかろう(ここで、カントの蔵書目録にはデカルトの『省察』が含まれていた、と付言するのがカント研究者の悪い癖である)。この場合、カントが知りえた哲学史的な知識を再構成して、そこから文献学的にカントのデカルト批判を解釈することはできる(し、必須の課題でもある)。だが他方、デカルトとカントのテクストを、あたかもそれらが現代に書かれたものであるかのように、あるテーマに即して衝突させるとき、それまで隠されていたカントの哲学的洞察がはじめて現在的に発火するのである。
もちろん一定の文献的な裏づけは不可欠であるし、空想的なアナクロニズムに陥る危険には用心しなければならない。だがいずれ哲学史が、われわれの哲学的思索の糧となるべきものであるかぎり、それが現代からの主題的な思考によって織りなおされるのは当然である。
付けくわえれば、哲学史というものを、たんなる哲学者列伝としてではなく、抽象度の高い哲学的思索の試行錯誤の論理学として捉えたのも、おそらくカントが最初である。みずからの批判哲学を頂点とするその哲学史の構想はいささか手前味噌ではあるが、われわれが受け継ぐべきは、そのように哲学的に再編される歴史という超越論的なアイデアであろう。
こうしてカントのテクストを、さまざまな哲学者や哲学潮流のコンテクストへと読みひらき、その主題的思索の諸局面へと分散させるとき、カント哲学の鉱脈の意外な深さと多面性が明らかになるように思われる。このような方法論にもとづいたカント解釈の成果を示すことは私のこれからの課題であるが、番場氏のセミナーに触発されて、新たな哲学解釈の方法論として予感しているところを取り急ぎ書きとめた次第である。
たとえば私の専門であるカントであれば、幼い日々のピエティズム的な教育、大学での18世紀ドイツ哲学の受容、さらにはルソーやヒュームとの出会いなどをふまえて、カントの精神的な発展史を再構成することが試みられた。さらに概念史といわれる分野では、カントが知りえた当時の文献をもとに、カントがある概念をどこから知ったのかを辿り、いわばカントの一人称の視点から概念史を再構成することさえも試みられている。このような緻密な文献学的な手法がカント研究に新時代をもたらし、豊かな成果をあげてきたことは幾重にも強調されなければならない。私もまた及ばずながら、カントの『純粋理性批判』の発展史を再構成することを志す者のひとりである。
だが、この方法はしばしば不毛な袋小路に陥ってしまう。カントの精神的な発展史を再構成しようとしても、われわれが入手しうる情報は限られており、またたとえ資料が十分にあってもカントの哲学的な天才の内奥に届かないからである。カント哲学の全体のなかで、カントがこれを読んだからこう考えるにいたったのだ、と跡づけることができる部分はわずかしかない。さらに、たとえカントの教育や読書や会話などをすべて(!)再現できたとしても、カントの哲学は遙かなる高峰でありつづける。似たような教育や経歴をへた哲学者は当時には大勢いたが、カントはあきらかに別格だからである。
ここで文献学的な禁欲にとどまって、文献をもとに再構成されたかぎりでのカントの精神的状況から考えるかぎり、カント哲学のいわば世界史的な意義は見えてこない。むしろ必要なのは、俯瞰的にカントを哲学史的に位置づけるという作業なのである。それはいいかえれば、カントの一人称に立って追体験する解釈ではなく、カントを含む哲学史を三人称的に思索する解釈である。
たとえば『純粋理性批判』ではデカルトがしばしば槍玉にあげられるが、もちろんカントはその『省察』や『哲学原理』を丹念に読んだわけではなかろう(ここで、カントの蔵書目録にはデカルトの『省察』が含まれていた、と付言するのがカント研究者の悪い癖である)。この場合、カントが知りえた哲学史的な知識を再構成して、そこから文献学的にカントのデカルト批判を解釈することはできる(し、必須の課題でもある)。だが他方、デカルトとカントのテクストを、あたかもそれらが現代に書かれたものであるかのように、あるテーマに即して衝突させるとき、それまで隠されていたカントの哲学的洞察がはじめて現在的に発火するのである。
もちろん一定の文献的な裏づけは不可欠であるし、空想的なアナクロニズムに陥る危険には用心しなければならない。だがいずれ哲学史が、われわれの哲学的思索の糧となるべきものであるかぎり、それが現代からの主題的な思考によって織りなおされるのは当然である。
付けくわえれば、哲学史というものを、たんなる哲学者列伝としてではなく、抽象度の高い哲学的思索の試行錯誤の論理学として捉えたのも、おそらくカントが最初である。みずからの批判哲学を頂点とするその哲学史の構想はいささか手前味噌ではあるが、われわれが受け継ぐべきは、そのように哲学的に再編される歴史という超越論的なアイデアであろう。
こうしてカントのテクストを、さまざまな哲学者や哲学潮流のコンテクストへと読みひらき、その主題的思索の諸局面へと分散させるとき、カント哲学の鉱脈の意外な深さと多面性が明らかになるように思われる。このような方法論にもとづいたカント解釈の成果を示すことは私のこれからの課題であるが、番場氏のセミナーに触発されて、新たな哲学解釈の方法論として予感しているところを取り急ぎ書きとめた次第である。
城 戸 淳