最前のエントリーで、カントの実践哲学がもつ未来を指示する力について言及したが、このような側面がもっとも純粋に発揮されているカントの論文のひとつとして、『啓蒙とはなにか』(Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?) を挙げることができるだろう。カントは「われわれはいま啓蒙の時代に生きている」と書きしるして、啓蒙というプロジェクトの開かれた未来を提示したのであるが、いうまでもなくその未来は現在まで続いているのである。
ところで『啓蒙とはなにか』については、数年前に学内用の教科書『賢い大人になる50の方法』に、「啓蒙時代における成年市民の概念 ── カント『啓蒙とはなにか』を読む」と題して一文を寄せたことがある。軽い内容だが、いまだに参考にしてくれる学生もいるようなので、以下にあらためて掲載しておくことにしよう。(ただし校正前原稿にもとづく等の事情で、刊行本とは字句が異なるところがある。)
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科学技術の進歩によって,従来の倫理観は再検討を迫られることになりました。生命倫理学が取り上げる問題である移植用臓器の配分,中絶された胎児の実験利用,生殖医療や遺伝子治療,さらにはクローン技術の応用による再生医療は,巧利主義的な発想で論じられることが少なくありません。しかし,先端技術の臨床応用について,〈できることをするべきだ〉とばかり進めてゆくなら,〈するべきことを行う〉ところに成り立つ人間の尊厳に反する形で暴走しかねません。医療技術と倫理との対話を試みるのが生命倫理学です。また,現代の消費文明が便利で豊かな生活を追求した余り,地球規模の深刻な環境破壊を招いてしまったことへの反省から生まれたのが,環境倫理学です。将来の世代に,今日の私たちが享受しているように,美しい環境の中で豊かで快適な暮らしを送る権利があるのなら,つまり私たちに将来の世代へ美しい地球環境を残す責務があるのなら,資源を大量に使い,環境を汚染する消費文明は私たちのエゴイズムに他なりません。技術を通して人間が自然を創造する力を得た時代に生きる私たちが,自らの生き方を問い直して,日常生活を自覚的にするところにこそ,今日の倫理学の課題があるように思われます。