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三谷武司

2008年10月18日

社会調査の基礎: 偏差値の出しかた

新潟医療福祉大学で「社会調査」の授業をやっています。その内容について自分のブログでエントリを書いたのですが、ここを読む人にとっても有用だろうと思いますので、コピペしちゃいます。

内容は、「身長」をネタに、〈各ケース〉と〈ケースの分布〉の間を行ったり来たりしながら、観測値→平均→偏差→(分散→)標準偏差→標準得点(→偏差値)と順番に計算していくというものです。

こんなものは、EXCELとかそれに類したソフトで何も考えずに(何も理解せずに)30秒もあれば出せます。それはそのとおり。調査報告書は、統計学の基礎概念について何も理解してなくても書けてしまうのです。しかし、社会調査を学ぶことの意味は(量的調査の場合特に)自分で調査して分析することにあるわけではなく(「なく」というと言い過ぎかも)、むしろ他人の調査・分析の意味を批判的に受容することにこそあり、それにはEXCELの機械的な計算機能は何の役にも立ちません。リテラシーは読み書き能力といわれますが、書くより読む方が難しいのです。理解してない人には読めないのです。

基本概念について理解を得るには、簡単な事例で、数値同士の概念的な関係を理解するのが一番です。まあ能書きはこれくらいにしましょう。興味ある人は「続きを読む」をクリックしてみてください。

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2008年10月16日

人文総合演習B 第3回


後期の総合演習始まりました。出席者コメントを見ればわかるように、上々のすべり出しです。後期から参加の人もまったく自然に発言できていて、始まるまで大丈夫かなぁなどと、ちょっとドキドキしていたのですが、それは杞憂でした。ただ、まだ教室の広さに慣れない・・・。前期は極端に狭い部屋にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたのに対して、後期の教室はいわゆる学校の教室みたいなところで、真ん中に机をロの字型に組んでいるので、なんか落ち着かんです。まあそのうち慣れるでしょう。(ところで廊下を喋りながら歩いているやつらには(以下略))

報告は、すでに各所で指摘されている著者のうさんくささを、本書から具体例をあげながら改めて指摘し、そういう情報環境に生きるわれわれがどういう態度をもてばよいかということを、メディアリテラシーの重要性に絡めて論じてくれました。環境問題の枠組み内にとどまらず、一段メタな視点からリテラシーの議論にまで広げてくれたことで、出席者による様々な観点からの発言が可能になったわけですね。これが工夫です。また新潟市のゴミ袋有料化の効果についての資料も見せてくれて、いやこれは今後の展開を監視していかないかんですな。

司会者には、初回ということで、全員が発言できるような工夫をお願いしていたのですが、それは難なくこなしてくれましたし、なにより演習の場は司会者が仕切るんだということをしっかり示してくれました。

以下、出席者のコメント。

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2008年8月 1日

人文総合演習A 第17回


最終回です。

今回報告は、文体も内容もけっこう軽い対象書に比して、かなり量も多いし稠密な内容でした。反証主義の話から、いまはやりのニセ科学批判、さらには社会的な領域における相対主義と寛容主義の話へと、論点てんこもりでした。これにスジをつけるのはなかなか難しく、細い道をなんとか見つけ出さないといけません。打ち合わせ段階の議論ではぎりぎりつながりそうだったのですが、やはり文章にすると完璧にはいかないですね。経験からいうと、各節にあと2~3行あるかないかで、全体の見通しやすさが変わってくることがあります。あとは、自分の使う言葉に自分が最終責任を負う姿勢が大切です。

最後に総括した際に言い忘れましたが(いや言い忘れたことはたくさんあるんですがw)、学問的な研究発表というのは(そしてこれは学問に限らず)、何年生になっても、院生になっても、プロの学者になっても、基本的にこの演習と同じ形式で行われます。つまり次の段階はありません。演習を通して、報告者、司会者として気をつけるべきことはもちろんのこと、どんな質問が有益か、どんな読み方をすれば質問がしやすいか、文献を読まずに参加するとどうなるか、読んでなくてもいけるのはどの辺までか、少しわかったかと思いますが、そのわかり方は、先輩、院生、私のような下っ端教員、もっとちゃんとした教員、全国的(or世界的)に有名な大先生、と較べても、基本的に程度の差でしかありません(それは私を見てればわかるかと思いますがw)。要は、こういう機会を活かして経験を積み重ねていくしかないということです。

ということで、受講生の皆さんの大学生としての出発点によきオリエンテーションとなれたと、とりあえず自己満足して、今期の講義を締めくくりたいと思います。皆さんありがとうございました。


以下、出席者のコメント

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2008年7月31日

人文総合演習A 第16回


教室が急に広くなって感じがつかみにくかったですね。

今回の報告では、ソクハイユニオンなどバイク便ライダーの組合の結成、また2007年9月27日の厚労省通達「バイシクルメッセンジャー及びバイクライダーの労働者性について」など、本書刊行後の展開についても紹介してくれ、勉強になりました。また、ワーカホリックにならないための「ライフハック」も見つけてきてくれて、これは「好きを仕事に」とワーカホリックの関係を、(近い将来の)各自の状況を想像しつつ議論する叩き台になりました。

本人も反省する通り、見つけてきたことについてあと一捻り批判的検討を加えてやるとよかったですね。司会者はいろいろ考えて議論空間を作ってくれて助かりました。あと私がしゃべりすぎたのはいつも通り反省材料です・・・


以下、出席者のコメント。

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2008年7月24日

人文総合演習A 第15回


今回は、対象書の議論を踏まえた上で、今年の6月18日に厚労省が出した「安心と希望の医療確保ビジョン」を批判的に検討するという内容でした。これはなかなか有意義な課題です。まあ、本人も反省しているように調査不足・検討不足の感はありましたが、本で論じられていることについて、現在進行形で対策が練られているということを示してくれたという点ではよかったかと思います。

多少教育的なことを述べておきましょう。批判は自分で一から考えるより、すでになされているものを参考に、あるいはその批判自体を対象に、行う方がやりやすいです。そういうときに役立つのがGoogleニュース検索です。「安心と希望の医療確保ビジョン」で検索してみると、結構新聞などで論じられていることがわかりますし、最新の展開もわかります。7月17日には「安心と希望の医療確保ビジョン具体化に関する検討会」が発足していますし、たとえば読売新聞は7月22日の社説「医師不足対策 増員だけでは10年かかる」でこのビジョンについて論じています。今後の参考になれば。


以下、出席者のコメント。

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2008年7月17日

人文総合演習A 第14回


いじめをはじめとする学校問題の捉え方は、自分の一回的な経験にかなり依存して決まる(しかもその記憶は、卒業後急速に薄れていき、またノスタルジックに、あるいは悪夢的に類型化される)ため、客観的な議論がしにくいのですが、今回報告者は、自分の経験の特殊性を十分に明記したうえで、それに基づいた議論を展開してくれました。このような構成にすることで、では異なる経験に基づけばどんな違った議論が展開できるか、というふうに話が広がっていくわけです。そういう意味で、下記司会者の謙遜に反して、各人が経験に基づいた意見を表明するという展開はアリだったと思います。

ところで、報告者は幼稚園から中学まで、1学年20人でずっとクラス替えなしという経験をしていて、学年でいうと小学校200人、中学校300人、高校450人という経験の持ち主である私は、そんなのはごく例外的な事例だろうと思っていたわけですが、出席者の中にそんな感じの少人数学年の経験者がかなりいてビビりました。自分の経験を無理に一般化していたのは私の方でしたね・・・


以下、出席者のコメント。

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2008年7月10日

人文総合演習A 第13回



今回の報告は、著者の議論を参考にしつつ、独自に『風の歌を聴け』の評論を試みるという、なかなか野心的なものでした。論点も結構面白く、しかし適度に穴もあって(笑)、作品を解釈していくことの面白さと難しさを体験できたのではないかと思います。作品全体の解釈は各部分の解釈に依存するが、他方で各部分の解釈は全体の解釈に依存する――これを解釈学的循環といいますが、今回話題になった「嘘」についてはこの循環(による解釈の不定性)が現れていたようにも思います。あと、この作品が、「「僕」が書いた物語」であると同時に「「僕」が書いた物語であることが内部に書かれている物語」であり、さらにそれを書いた「村上春樹」が架空の作家ハートフィールドにまつわる架空のエピソードを書いた(それゆえ小説の一部である)「あとがきにかえて」を含むという点で、「著者」が複数、重層的になっており、解釈者がどのレイヤーに依拠するかで話が変わってくるということもいえるでしょう。この点も議論に組み込めればさらに展開が望めたかと。

さて、出席者に『風の歌を聴け』を読んだことがある人がいないというのは、ちょっと誤算でした。早めにレジュメの方向性をアナウンスしといた方がよかったですかね。でも今回の文献なら、少なくとも『風の歌を聴け』くらいは読んどくもんだろうというのは・・・過剰要求ですかそうですか。

昔、大学1年の頃、柴田元幸さんの「翻訳論」の講義をとっていて、ちょっと遅刻していったところ、もともと大人気講義だったとはいえ異常な人数が教室にいて、後ろの入り口から入って席を探して前の方にやっと見つけて座ったら、なんと村上春樹がゲストに来て柴田さんと対談していて仰天したのは良い思い出です。これが東京か!と思いました(笑)。このときの様子は『翻訳夜話』に収録されていて、なんと私がフロアから村上さんに質問しています(どの質問かは恥ずかしいので言いませんwww)。


以下、出席者のコメント。

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2008年7月 3日

人文総合演習A 第12回



本が啓蒙書という感じで論争っぽい部分が少なく、議論の叩き台にはあまり向いていなかったのですが、報告者はその点かなり意識して材料をちりばめてくれました。本には現代における三宗教の関係までは含まれていなかったところ、いろいろとあたって調べて補足してあり、勉強になりました。もしこのテーマで卒論までいくのであれば、もう少し問題を絞りこんで、分析枠組みを明示していけば、あとふたひねりくらいで構想発表水準にはいくのでは?本人はgdgdとか書いてますが、少なくとも最初の方はスパッと答えていたし、あとの方は、自分の知識の中から例示しつつ真摯に説明しようとしている感じでよかったです。(というか報告者がたくさんしゃべって混乱してくれると、他の人がバシッと整理できる(←学生時代から私はこれが得意w)ので場としては成り立つわけです。)

司会者も自分では謙遜していますが、見事なさばきでした。報告者がつまったとき、また話が長くなりそうなときの、ここぞというところでの介入はうまいですね。方法論的な準備があったものと思います。


以下、出席者のコメント

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2008年6月26日

人文総合演習A 第11回



出席者の一人も言っていますが、たいへんよくできたレジュメでした。形式は完璧です。もう少し時間をかけて内容的に不十分な点を補完していけば、大学院ゼミでも通用するでしょう(文献が院ゼミにしては簡単すぎるということはありますが)。著者が簡単にしか触れていないトピックについて独自に調べてあるし、著者が引用している資料にも引用元にあたって検討してあり、感心しました。まあその分、結構受け答えにつまっていたのが残念ですが・・・この経験を次の機会に活かしてほしいです。

司会者も、難しい話になりがちな空気(これは私に責任の一端があるわけですが・・・)を、みんなが答えやすい方向に導いてくれて、発言しやすい雰囲気ができたと思います。

ところで、勉強してて文句言われない、むしろ褒められるのは、学生のうちだけですよ! ああ羨ましい・・・


以下、出席者のコメント。

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2008年6月21日

人文総合演習A 第10回



今回報告者は、多くのトピックを扱っている本書から、雇用問題とリテラシーを抜き出して独自に補完・展開してくれました。さてレジュメ末尾に

本書を読んで分かったように、社会学は私たちの生活に直結する内容ばかりだから、社会学はとても役に立つだろう。だからこの『反社会学講座』はすばらしい本だと思う。1人でも多くの人がこの本を手にとって、社会学への興味を持ってほしい。
と書いてくれて、社会学の教員としてはありがたやありがたやですw。

リテラシーについては、「読み書き能力」といわれることがありますが、私としては、「書くことを通じて身につけた読む能力」だと考えています。(「書く」も「読む」も、ここではかなり一般的な意味で使っています。「撮る」「描く」「観る」「聴く」などに適宜応用してください。)批判的に読むための能力を身に付けるのに最も適切なのは、自分でも書いてみることです。実は演習というのは、まさにこのような意味でのリテラシーを身につけるための授業です。レジュメ作成過程で、よくわからなくなって誤魔化してみたり、不確かだけどあえて断言してスルーされるのを狙ったり、といったことを経験しているはずです。そういう経験を重ねることで、プロの著書や論文を読んでも、あ、ここ誤魔化したな!みたいなのがわかるようになる・・・かもしれません。1年生の演習としては比較的負担が大きいのを知りつつ、毎回文章でレジュメを書いてもらっているのはそのためです。というわけで最後までよろしく。


以下、出席者のコメント。

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