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2017年1月20日

人文書出版の希望と絶望  【お知らせ】

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 人文書出版の希望と絶望


講師 小林 浩(編集者、月曜社取締役)


日時 2017年1月20日(金)18:15~19:45
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟 D-301


1990年代半ばから20年以上続いている出版不況。その終わりは今なお見えず、負の連鎖は静かに続き、著者、出版社、取次、書店、読者を取り巻く現実は変化を重ねている。ネット書店や複合型書店の台頭、電子書籍や「ひとり出版社」の出現など、新しい潮流が生まれる一方で、雑誌の廃刊休刊や総合取次の倒産などが相次ぎ、戦後の出版界を支えてきた経済的物流的基盤は崩れつつある。こうした現実のなかで人文書に未来はあるのか。零細出版社における経営、編集、営業の現場から分析し、証言する。

◎ 講師プロフィール 小林浩(こばやし・ひろし) 1968年生まれ。月曜社取締役。早稲田大学第一文学部を卒業後、未來社、哲学書房、作品社を経て、2000年12月に月曜社設立に参画。編集・営業の両面で人文書出版に携わる。特にイタリア現代思想やデリダ以後の欧米思想の翻訳書を手掛けることが多い。氏が長らく運営してきた「ウラゲツ☆ブログ」は人文書業界人の必見のサイトである。 http://urag.exblog.jp

◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは
2009年から新潟大学を中心に活動を続けている公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費・事前予約は一切不要です。どなたでもお気軽にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学人文学部 哲学・人間学研究会
お問い合せは宮﨑まで



→ポスターはこちら

2016年11月28日

第23回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【NiiPhiS】

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第23回新潟哲学思想セミナーは、講師に九州産業大学の藤田尚志先生、福岡大学の宮野真生子先生、さらに学部を超えて新潟大学法学部から大島梨沙先生をお招きし、「家族の『きずな』を哲学する――私たちをつなぐものはどこにある?」というテーマのもと開催されました。本学人文学部からも宮﨑裕助先生、阿部ふく子先生が講師として登壇され、計5人の先生にお話いただきました。以下、今回のセミナー内容をご紹介させていただきます。

IMG_3064JPG.JPG阿部先生のお話は、ヘーゲル哲学が家族をどのように捉えているかというものでした。ヘーゲルにおいて、家族は確かに倫理的共同体ではあるが、(国家と比べると)絶対的持続は求めることはできないものであると言います。家族の絆は、確かにあるが、それは弱いものだとヘーゲルは捉えていたということでした。

宮﨑先生は、親子関係、なかでも親子関係の「きずな」について、デリダの哲学を用いて問い直そうというお話でした。家族の絆は、遺伝子や血といった生物学的な事実に還元できるのではなく、人と人が「信じる」ことによるものではないか、ということでした。

藤田先生のお話は、ヘーゲル、デリダ、バトラーの『アンティゴネ―』読解を通して、家族関係を考えるというものでした。それらの読解を見ていくことで、例えば家族関係において男性=父親、女性=母親なのか、カップルモデルが家族の条件なのか、新たな家族関係を考える可能性を与えてくれるのではないかということでした。

IMG_3068.JPG宮野先生は、近代日本哲学から「愛ある結婚」「愛ある家族」のイメージに託されているものについて述べられました。「結婚」というものを愛・性・家族という三位一体から捉えられました。そして、日本人の理想とされている結婚の状態を、理想の家族No.1とされている田中将大夫婦を例に挙げつつ「好きになって(愛)、子どもを作り(性)、温かい家庭を築く(家族)」という状態と考えられているとされました。そこから、そのような結婚は果たして自由・平等なのかというお話をしていただきました。

大島先生は、家族の「きずな」と法の役割を結婚制度と契約制度との比較より述べられました。契約制度の中には、フランスの「民事連帯契約(パックス制度)」とよばれる共同生活のための特殊な契約が存在しており、大島先生はこの制度と結婚制度を比較されました。その結果、家族の「きずな」における法の役割として、⑴「きずな」の可視化、⑵「きずな」の保障、⑶「きずな」の選別という三つを挙げられました。

今回のセミナーでは、最も身近な共同体といっても過言ではない「家族」の在り方について、哲学や法制度を通じ深く考えるという貴重な機会となりました。中には一般の方で、自身の家庭とセミナー内容を照らし合わせ、新たな発見をされた参加者の方もいらっしゃいました。

最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方からお越しいただいた、藤田先生、宮野先生、及び法学部よりご参加いただきました大島先生に感謝を申し上げ、拙文ではありますが第23回哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学人文学部人文学科 心理・人間学プログラム専攻  藤本雅也、藤木郁弥]

 

2016年11月18日

家族の「きずな」を哲学する──私たちをつなぐものはどこにある?  【お知らせ】

第23回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS) 特別企画

家族の「きずな」を哲学する──私たちをつなぐものはどこにある?

日時 2016年11月18日(金) 16:30~19:30
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 D棟1階 大会議室

  *入場無料、事前予約不要。お気軽にご参加ください。

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第1部(16:30-17:55)
阿部ふく子(新潟大学)「自然な倫理としての愛と家族──ヘーゲル哲学からの考察」
宮﨑裕助(新潟大学)「家族への信──デリダと「きずな」の問い」
藤田尚志(九州産業大学)「家族の脱構築──ヘーゲル、デリダから出発して」

第2部(18:15-19:30)
宮野真生子(福岡大学)「私たちは「愛」に何を託しているのか──近代日本の精神史から考える」
大島梨沙(新潟大学)「家族の「きずな」と法の役割──結婚制度を手掛かりに」

共同討議&フリートーク

主催:新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
共催:科学研究費 基盤(C)「近代家族の解体から愛・性・家族の哲学的基盤の構築へ──変容する身体性を核として」課題番号16K02152(研究代表者 宮野真生子)


お問い合せは宮﨑まで


→ ポスターはこちら

2016年9月18日

第22回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【NiiPhiS】


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第22回新潟哲学思想セミナーでは、講師に岡山大学の岡本源太先生をお招きし、「ジョルダーノ・ブルーノを読むジョン・トーランド――汎神論の発明」というテーマで開かれました。

IMG_2256.JPGアイルランドの自由思想家であるトーランドがルネサンスの哲学者であるブルーノからどのような影響を受け、汎神論を発明するにいたったのかについて、ブルーノとトーランドの思想を比較しながら、お話をしていただきました。トーランドは意見の多様性を推奨し、中立無差別の立場について述べていたそうです。また、世界や宇宙を有限なものとして捉えるのではなく、無限に広がる世界として捉えるという考え方はトーランドの哲学の核心といえます。

無限の宇宙を説明するにあたって必要になるのが、あらゆる物質に内在している「運動」という力です。この力とは、私たちが目で見ることができるような物体の移動という運動だけではなく、能動的な運動と逆の受動的な力も含まれています。あらゆる物質に内在しているこの力が限定的に起こることで、私たちが目で見ることができるような運動を引き起こすそうです。


無限の宇宙のなかで、あらゆる物質は変化し、循環しています。例えば、熱いものと冷たいものは比較すれば対立的ですが、状態が異なるだけの同じものであるともいえます。つまり、対立物は存在せず、すべて比較による相対物と考えられます。そのため、宇宙という全体のなかでは、何一つ消滅せず、内在的な力によって物質の状態が変化し、破壊や産出と呼べる現象が起きています。このような相反のなかで万物は変化し、流転によってあたかも円のように循環しています。この無限に循環する宇宙を無限の宇宙と考えます。

IMG_2275.JPG言い換えれば、相反するものは流転によって一致するとみなすことができます。人間が使う概念区分はすべて比較によって生じる相反的なものであり、名前はすべて恣意的なものであるといえます。そのような相反的なものは修辞学を用いて、その都度適切かどうか考えなければなりません。哲学以外においては、ブルーノは宗教を想定的なものとして捉えていきますが、トーランドは自由検討のなかで真理や正しい道を選択できるとして、プロテスタントを信仰したそうです。

今回のセミナーでは、ジョン・トーランドやジョルダーノ・ブルーノの哲学だけでなく、それらをとおして、ルネサンス哲学の考え方について知ることのできる貴重な機会となりました。

最後になりましたが、今回のセミナーでご講演いただいた岡本先生に感謝を申し上げ、第22回哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程  波多野支希]

2016年7月26日

第21回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【NiiPhiS】

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第21回新潟哲学思想セミナーは、講師に明治大学の池田喬先生をお招きし、「誰でもあって誰でもない主体――ハイデガー『存在と時間』におけるダス・マン(ひと、世人)再読」というテーマのもと開催されました。当日は、大学内外から多くの方が足を運んでくださいました。今回のセミナーでは、『存在と時間』における「誰でもあって誰でもない主体」について、池田先生に講演していただきました。とりわけホークランドの指摘を引き合いに出しながら議論が展開されました。ホークランドの見解を受け、池田先生が試みるのは、ハイデガーが世人自己から本来的な自己への実存的変容と呼ぶ自己変化のプロセスを、順応と逸脱の移行という現象として再解釈することです。以下に、とりわけ興味深い点をご紹介します。

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『存在と時間』におけるハイデガーは、日常的な世界内存在とは誰か、という問いに対して、誰でもあって誰でもない世人(das Man/ ダス・マン)こそが、日常性の主体であると主張します。世人とは、「ひとは~と言っている(Man sagt...)」という様式で語られる、非人称の代名詞を中性名詞化した表現です。世人は人称を持たないため、「私」でも「あなた」でもない、時空的に特定不可能な存在者です。池田先生は、ハイデガー世人の公共生活を構成するものとして、「平均性」ならびに「均等化」を挙げます。世人が気にかけているのはこの平均性であり、この平均性こそ、ホークランドが言うところの「規範」や「標準」というものに相当します。平均的な規範が気づかわれるさいに問題になるのは、自他の区別であって、標準を尺度とした場合に各々が自らのふるまいの独自性を認識することです。すなわち、ふるまいの類似性ではなく、個性が問題なのです。この平均性は「例外」を監視し、あらゆる存在の可能性を均等化するため、検閲的性格を帯びています。池田先生によれば、このような均等化の検閲機能が向けられるのは、平均的な規範から見たときの奇妙な行動ではなく、その規範に従わないという意味での逸脱です。均等化は、共にいる誰もが規範に従うことによって、共同体のふるまいの尺度としての特権的な地位をその規範に与える機能を持ちます。標準として機能しうる「ひと」は、各々が「ひとは~している」という規範に照らし合わせることによって自己を認識するための尺度であるかぎり、いかなる個人のふるまいとも同一視できません。誰もがそれであり、誰でもない、という「誰でもないもの(Niemand)」としての「ひと」が世人なのであって、これが、日常的なふるまいの根本的規準をなすのです。


IMG_0916.JPG今回のセミナーでは、「誰でもないもの」という特定不可能な存在者を標準として、各自は自らとの相違を識別している、という現代の大衆社会を表すハイデガーの議論について触れることができ、自己や他者について改めて考え直す有益な機会になりました。

最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方からお越しいただいた池田先生、そしてご出席いただいた皆さまに感謝を申し上げて、第21回哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程  宮川真美]

2016年9月 8日

ジョルダーノ・ブルーノを読むジョン・トーランド――汎神論の発明  【お知らせ】

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第22回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)

ジョルダーノ・ブルーノを読むジョン・トーランド 
汎神論の発明


講師 岡本源太(岡山大学文学部准教授)  


日時 2016年9月8日(木) 18:30~20:00
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟B棟5階プレゼンルーム

 近代の黎明とされるルネサンスは、こと哲学史においてはその影響力が見えにくく、以後の近代哲学にどのように引き継がれたのか、いまだ十分に解明されていません。本発表では、ルネサンス哲学の隠れた後裔の一例として、アイルランドの自由思想家ジョン・トーランド(John Toland, 1670-1722)の哲学を取り上げます。ロックとバークリのあいだにあって、ライプニッツやベールやクラークとの論争を通して、みずからの哲学を「汎神論」として鍛え上げていったトーランドは、1698年にルネサンスの哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548-1600)の一連の著作を入手して以来、つねにそれを座右に置き、多数の書き込みと、部分的ながら英語訳を残しています。トーランドはブルーノからなにを受け取ったのか――ルネサンス自然主義から近世自由思想への継承の内実を探ります。

31D0ycEz8mL._SX349_BO1,204,203,200_.jpg第22回新潟哲学思想セミナーは、講師に岡本源太氏をお迎えします。岡本氏は哲学者ジョルダーノ・ブルーノを中心とするルネサンス期西洋哲学を専門とされています。ブルーノが美術史家アビ・ヴァールブルクや小説家ジェイムズ・ジョイスへ与えた影響をはじめ、ルネサンス以降のヨーロッパにおける哲学と芸術の今日的な展開を現代思想や現代芸術を手がかりに研究されています。今回のセミナーでは、アイルランドの自由思想家ジョン・トーランドの哲学から、ブルーノの哲学の反響と残存を読み解くといった内容で講演していただきます。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。

 

◎ 講師プロフィール岡本源太(おかもと・げんた)1981年生まれ。岡山大学文学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は、ルネサンス期西洋および現代の哲学思想と芸術理論。著書に『ジョルダーノ・ブルーノの哲学――生の多様性へ』(月曜社、2012年)、『『明るい部屋』の秘密――ロラン・バルトと写真の彼方へ』(共著、青弓社、2008年)、訳書に、ジョルジョ・アガンベン『事物のしるし――方法について』(共訳、筑摩書房、2011年)他。

◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー(世話人=宮﨑裕助・古田徹也)
共催:新潟大学人文学部哲学・人間学研究会

お問い合せは宮﨑まで
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2016年6月30日

誰でもあって誰でもない主体──ハイデガー『存在と時間』におけるダス・マン(ひと、世人)再読  【お知らせ】

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第21回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)

誰でもあって誰でもない主体 
ハイデガー『存在と時間』における
ダス・マン(ひと、世人)再読


講師 池田 喬(明治大学文学部准教授) 


日時 2016年7月22日(金) 18:15~19:45
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟 D-301(旧地域国際交流促進室)

 ハイデガーの『存在と時間』には、誰でもあって誰でもない得体の知れないダス・マンが日常性の主人だという印象的な議論がある。講演者の理解では、この議論は、「規範と責任」という道徳の根本現象は「順応と逸脱」という非道徳的(a-moral)で自然な現象に基づくのであり、その限り道徳はそれ自体では基礎付けられない、という挑発的主張を含む。この主張は、ただし、道徳に対する懐疑論とも無縁であり、むしろ、私たちの道徳生活に現実的なイメージを与える、規範や責任の自然な概念(natural concept)の獲得に貢献する。このことを、アイヒマン事例とヘンリー・ソローの森の生活を手がかりに示したい。


41YDNJ6fBeL._SX368_BO1,204,203,200_.jpg 第21回の新潟哲学思想セミナーは、講師に池田喬氏をお迎えします。池田氏は現象学を専門に研究されており、『存在と時間』をはじめとするハイデガーの哲学を、現代行為論や倫理学、障害当事者研究など実践的・応用的な観点から論じています。今回のセミナーでは、ハイデガー『存在と時間』に出てくる〈誰でもあって誰でもない主体〉について池田氏にご講演いただき、人間の存在と道徳性についてあらためて問い直し、参加者も交えて議論を深めていきたいと思います。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。

 

   

◎ 講師プロフィール:池田喬(いけだ・たかし)1977年生まれ。明治大学文学部准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は、ハイデガーを中心とする現象学派の哲学。英語圏の現代行為論・倫理学と現象学の関係、日本の障害当事者研究と現象学の関係についても考察している。著書に『ハイデガー 存在と行為』(単著、創文社、2011年)、『当事者研究の研究』(共著、医学書院、2013年)、『始まりのハイデガー』(共編著、晃洋書房、2015年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー(世話人=古田徹也・宮﨑裕助)
共催:科学研究費補助金「人間の「脆さ」に着目した状況依存的かつ相互依存的な行為者概念の学際的研究」/新潟大学人文学部哲学・人間学研究会

お問い合せは古田まで
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2016年2月23日

第20回新潟哲学思想セミナーが開催されました  【NiiPhiS】

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 第20回新潟哲学思想セミナーは、講師に石岡良治先生をお招きし、「視覚と言語はどのように齟齬をきたすのか──『視覚文化「超」講義』再論 」というテーマのもと開催されました。以下に、今回のセミナーの内容をご紹介します。
 
 長大な小説などの文章作品を読んでいると、ふと冒頭を忘れてしまうことがあります。これは必ずしも単なる注意の不足や、記憶力の欠陥によって引き起こされるわけではありません。むしろそれは、情景の推移や主題の展開、それらの局所的な因果を詳細に捉えようとし、文面を入念にたどるときほど起こります。逆説的ですが、文章を注意深く読むこと、文章に没頭することが、冒頭部の忘却をもたらしているのです。
このような、物語の因果的な連鎖はどのように把握されるのでしょうか。物語全体はどのようにして一望可能になるのでしょうか。石岡先生はこのような文章作品における「一望性」に着目し、それを映像作品にも応用することで、映像作品における一望性について考察します。
IMG_0661.JPG  石岡先生はまず、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンのイラストを挙げます。これは俗に言う「ピタゴラ装置」の原型です。このイラストでは「ある簡単な作業が次の仕掛けを動かし、その仕掛けがまた次の仕掛けを作動させる...」という様が、一枚の絵の内に完結しています。そのため、我々は一目でその装置の全体図を把握することができます。これはすなわち、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンのイラストには一望性がある、ということを示しています。
 それに対して映像作品のピタゴラ装置はどうでしょうか。ピタゴラ装置では、カメラは装置全体を映すことはあまりありません。映したとしてもほんの数秒です。カメラが映すのは、一連の装置のうちの、因果関係がまさにはたらいているごく一部のみです。そのため我々は、ふと気が付くと装置の「最初の一突き」を忘れてしまいます。ここまでどのような因果関係の連鎖があったのか、思い出せなくなってしまうのです。つまり映像作品においては、全体を一望することは困難なのです。
 IMG_0666.JPG今回のセミナーでは、このような「一望性」の観点を中心に、様々な方向から視覚と言語の「齟齬」を分析して頂きました。此度のセミナー「視覚と言語はどのように齟齬をきたすのか」では、視覚文化論という分野に触れ、古典的な芸術作品から現代の大衆文化まで、日常に溢れている視覚文化への新しい視点を得る貴重な機会となりました。
 最後になりましたが、今回のセミナーのため遠方よりお越しくださいました石岡先生に感謝を申し上げ、第20回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。
[新潟大学人文学部4年・佐野達志]

2016年1月22日

視覚と言語はどのように齟齬をきたすのか──『視覚文化「超」講義』再論  【お知らせ】

ishiokabook1.jpg 第20回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)

視覚と言語はどのように齟齬をきたすのか
『視覚文化「超」講義』再論


講師 石岡良治(批評家、表象文化論研究)
コメンテーター 石田美紀(新潟大学准教授)

日時 2016年1月22日(金) 18:15~19:45
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟 D-301(旧地域国際交流促進室)

 長編小説の出来事の連鎖をたどろうとするとき、私たちはいくつもの「場面」を空間的に思い描き、場面同士の接続や断絶に注意を払う。そうした「場面」の想定によって物語の全体は一望可能になるように思われる。では、映像経験ではどうか。出来事の連鎖は、同じように全体の眺望として与えられるだろうか。それどころか、まさに全体の一望不可能性によってはじめて当の出来事の連鎖は成り立っていると言えないだろうか。そうした視覚と言語の齟齬は、私たちに何を考えさせるだろうか──

ishiokabook2.jpg  第20回の新潟哲学思想セミナーは、講師に石岡良治氏をお迎えします。石岡さんは、ジル・ドゥルーズらの現代思想から、マンガ、映画、アニメといったポピュラー文化や視覚文化の研究や批評活動に至るまでさまざまな分野にわたって幅広く活躍されています。今回のセミナーでは、大きな反響を呼んだ石岡さんの近著『視覚文化「超」講義』の論点を新たな角度から取り上げ直し、さらに本学人文学部より、石田美紀さんにもコメンテーターとして登壇いただき、視覚文化論の面白さや奥深さをめぐって、石岡さんとともに論じてもらう予定です。多くのみなさまのご来場をお待ちしています。


◎ 講師プロフィール:石岡良治(いしおか・よしはる) 1972年生まれ。批評家。表象文化論・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学、跡見学園女子大学、大妻女子大学、神奈川大学、鶴見大学、明治学院大学ほかで非常勤講師。著書に『『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社、2014年)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社、2015年)他。
TwitterID: @yishioka

◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー(世話人=宮﨑裕助)
共催:新潟大学人文学部研究プロジェクト支援経費/同 哲学・人間学研究会

お問い合せは宮﨑まで


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2015年7月26日

第19回新潟哲学思想セミナーが開催されました  【イベントの記録】

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 第19回新潟哲学思想セミナーは、講師に高千穂大学の齋藤元紀先生をお招きし、「ハイデガーの『黒ノート』と20世紀の《神話の哲学》をめぐって」というテーマのもと開催されました。当日はあいにくな空模様でしたが、大学内外から多くの方が足を運んでくださいました。
 20世紀最大の哲学者と称されるマルティン・ハイデガーがナチズムに一時期関与したことは、周知のこととされています。今回のセミナーでは、昨年ドイツ語原版が刊行されたハイデガーの『黒ノート(Schwarze Hefte)』に記されている反ユダヤ主義的な表現について、またその由来と刊行される際の騒動などの一連の流れについて、齋藤先生に講演していただきました。講演の内容は、ハイデガーや哲学に馴染みのない方にも親しみやすく、とても明快でした。以下に、今回のセミナーの内容をご紹介します。

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