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〈その後〉の普遍論争  【NiiPhiS】

第31回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
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〈その後〉の普遍論争

講師 山内志朗(慶應義塾大学教授)  


日時 2018年7月19日(木) 18:15~19:45
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟D棟1階大会議室

中世哲学を分類する「普遍論争」については、様々に論じられてきた。普遍は事物か、名のみのものか、概念か、という分類が不適切であるという理解は浸透したが、ではどのように普遍論争を理解すべきかとなると、なかなか判然としない。

話題提供者である私も、1992年に『普遍論争』(哲学書房)を著して以来、様々な形で普遍論争に関わり、そしていまだに中核部分にはたどり着いていない状況である。『普遍論争』の〈その後〉の話と、ドゥンス・スコトゥスとオッカムの対比という普遍論争の中心部分が、〈その後〉どのように展開していったかを交えながら話していきたい


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第31回新潟哲学思想セミナーは、講師に山内志朗氏をお迎えします。山内氏は、中世後期から近世初頭にかけての哲学を専門とされており、なかでも人間の有限性という観点から情念論や身体論を中心に研究をされています。また、最近の大脳生理学の研究を踏まえて、倫理学の枠組みのなかで情念を考え直すといった研究にも取り組まれています。今回のセミナーでは、1992年に初版が出版されて以降、広く読まれている『普遍論争──近代の源流としての』の〈その後〉について講演していただきます。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。 


◎ 講師プロフィール:山内志朗(やまうち・しろう)1957年生まれ。慶應義塾大学文学部教授。専門は中世哲学。現代の視点で中世を見るのではなく、当時の人々の視点から見直すというスタンスで研究をしている。主な著書は普遍論争──近代の源流としての(平凡社、2008年)、存在の一義性を求めて──ドゥンス・スコトゥスと13世紀のの革命(岩波書店、2011年)。専門書以外にも、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書、2001年)、『目的なき人生を生きる』(角川新書、2018年)など多くの著書がある。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター

お問い合せは宮﨑まで
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2018年3月15日

第30回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【NiiPhiS】

第30回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に東北大学の城戸淳先生を、コメンテーターに愛知教育大学の宮村悠介先生をお招きし、ヘンリー・E・アリソン『カントの自由論』刊行特別企画として、「宇宙論的自由と叡知的性格──アリソン『カントの自由論』に寄せて」というテーマのもと開催されました。

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『カントの自由論』は、カント哲学を自由という概念を切り口として体系的に描き出した著作であり、論点も多岐にわたっています。そのなかで城戸先生の発表は、自由を宇宙論的に問う第三アンチノミーの独自性に焦点をあてたものでした。カントは、ドイツ講壇哲学の伝統において心理学の文脈で語られていた自由を、アンチノミー論という宇宙論をめぐる問題のなかで論じています。城戸先生は、こうした心理学から宇宙論への問題の移管が、カント独自の問題設定であった、と指摘されます。この宇宙論的な問題設定は、定立への注解で人間の問題へと移行します。カントは、宇宙の起源をなすような超越論的自由を人間にも付与することが「許されている」という仕方で、宇宙論的自由を範型にして人間的自由を考えます。城戸先生は、宇宙論の問題とパラレルにして人間の自由の問題を考えようという点にカントのオリジナリティーがあり、それをアリソンは鮮やかに描き出していると指摘されます。

続いて城戸先生は、第三アンチノミーをどのように解決するかという問題について言及されました。宇宙論的な課題を解く二側面モデルを人間の行為に適用したさい問題となるのが、叡知的性格に従った行為が自由であるのはなぜか、ということです。城戸先生は、この問題をアリソンの「取り込みテーゼ(Incorporation Thesis)」に即して説明してくださいました。取り込みテーゼとは、われわれが行為するときは必ず動機を自らの格率として取り込み、その確率のもとで承認している、というものです。アリソンによれば、この「取り込む(aufnehmen)」ということが、まさに自発性の様式として実践的自由であって、それゆえ叡知的性格に従った行為は自由である、ということになります。この分析に基づくと、そもそも性格があらかじめ決まっていたらどうするのか、ということが問題になります。ここで重要なのが「心根」という概念になります。カントによれば、心根は「格率の選択の最初の主観的根拠」であって、それによって格率が選択されることになります。さらに、心根そのものも自由意志によって採用された一つの格率でなければならない、とカントは主張します。つまり、心根をめぐっては採用と性格との循環という事態になると言えます。ここでカントは、根源的な採用行為としての「叡知的な行ない」を想定することになります。

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さらに城戸先生は、こうした想定をどのように正当化するのかということを話題にされました。『人倫の形而上学の基礎づけ』での議論に関して言えば、理性的行為者が自分は行為者であり、何かしていると思うためには自由の理念が必要であって、その理念のもとで行為が可能である、ということになります。さらに、自由の理念のもとで行為しうる存在者は、それゆえ実践的観点では現実的に自由であると言えます。ここで城戸先生は、アリソンの最近の論文に触れ、こうしたカントの考え方は一種のフィクションであるという虚構論に対するアリソンの反論を紹介されました。アリソンによれば、観点から独立したような言明の真理性はないのであり、観点から独立的に世界は運命論的に決定されているという想定は根拠がないものです。ここで重要なのは、本当は世界は決定されているという超越論的実在論の亡霊を廃棄することができれば、実践的には自由は正当化できる、ということなのです。

最後に城戸先生は、自由をめぐる真理に哲学が従事するのではなく、逆に哲学に自由をめぐる真理が従属するのであって、コペルニクス的転回は哲学そのものにもあてはまるのではないかということを示唆されて発表を閉じられました。

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城戸先生の発表に対して、宮村先生からいくつかコメントがありました。そのなかで宮村先生は、アリソンが現代の行為論の枠組みからカントの自由論を解釈しているように、時代ごとに解釈の光のあてられ方は異なるのであって、その背後に「カントそれ自体」というものを想定しなくてよいのか、そもそも想定することが独断論的だという結論になるのか、と問いを投げかけられました。

それに対して城戸先生は、アリソンはある意味では現代哲学の問題意識に即してカントを読んでおり、それがある種の色眼鏡になっているということはありうると認めつつも、テキストを幅広くさらってカントの理論の全体像を浮かび上がらせるアリソンの解釈は、テキストによって正当化される度合いは強く、アリソンはそういう批判を受け付けないだろう、と述べられました。

またフロアを交えた討議では、自分が道徳的なつもりで非道徳的な格率を採用したらどうするのか、といったアイヒマン問題など現代思想の文脈と絡めた質疑もあり、興味深い議論が展開されました。

最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方よりお越しくださいました城戸先生と宮村先生に感謝申し上げ、第30回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

2018年2月21日

宇宙論的自由と叡知的性格──アリソン『カントの自由論』に寄せて  【NiiPhiS】

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第30回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
ヘンリー・E・アリソン『カントの自由論』刊行特別企画ワークショップ

宇宙論的自由と叡知的性格
アリソン『カントの自由論』に寄せて

 

講師 城戸淳(東北大学准教授)

コメンテーター 宮村悠介(愛知教育大学助教)


日時 2018年3月15日(木)16:00〜17:30 *延長の場合あり
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟A棟3階 学際交流室(A303)


51+xmnl5VkL.jpg第30回新潟哲学思想セミナーは、講師に以前本学で教鞭をとられていた城戸淳氏を、コメンテーターに宮村悠介氏をお迎えします。城戸氏は、カントを中心とした近代ヨーロッパ哲学を専門とされています。カントの批判哲学を発展史的・体系的に研究される一方で、同時代や後代におけるその受容や批判についても研究されています。今回のセミナーは、ヘンリー・E・アリソンの『カントの自由論』(法政大学出版局)の邦訳刊行を契機としたワークショップとなっています。訳者である城戸氏に『カントの自由論』の基本的な論点の紹介や問題提起をしていただき、それを踏まえてカントの自由論についてお話ししていただきます。また、本学が発行している『知のトポス』に、カント倫理学の古典的文献の邦訳を寄稿されている宮村氏に、城戸氏の発表に対してあわせてコメントしていただく予定です。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。


◎ 講師プロフィール:城戸淳(きど・あつし)1972年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程中退。新潟大学人文学部准教授を経て、2015年より東北大学文学部准教授。専門はカント哲学。カントの批判哲学を中心に、17世紀の近代形而上学から19世紀のドイツ観念論やニーチェまで幅広く研究している。主な著書に『理性の深淵──カント超越論的弁証論の研究』(知泉書館、2014年)、『哲学の問題群──もういちど考えてみること』(ナカニシヤ出版、2006年)他。
◎ コメンテータープロフィール:宮村悠介(みやむら・ゆうすけ)1982年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。専門は、近代ヨーロッパ哲学、倫理学。共著に『戦うことに意味はあるのか──倫理学的横断への試み』(弘前大学出版会、2017年)、『現代哲学の名著──20世紀の20冊』(中公新書、2009年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観研究推進センター/同 人文学部研究推進経費/同 人文学部哲学・人間学研究会
お問い合せは宮﨑まで
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2017年12月27日

第28回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【イベントの記録】

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第28回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師として東京大学から高橋哲哉先生をお招きし、「主権とユートピア──沖縄をめぐって」というテーマのもと、沖縄の独立をめぐる論争をきっかけに主権について考えるというかたちでお話していただきました。

まず高橋先生は、日本から独立しようという声が沖縄で高まったのは、沖縄の日本復帰から10年後の1982年頃だということをお話しくださいました。なぜなら、平和憲法下にある日本に復帰することによって改善すると思われていた米軍の基地問題が10年経っても何も変わらなかったと沖縄県民たちが失望したからだといいます。現在も日本の国土の約0.6%の面積である沖縄に在日米軍専用施設の約74%が集中しており、その異常な状態が改善される見通しは全く立っていません。独立を推進する人々には、主権国家としての独立を目指す人々もいますが、自分たちは他でもない主権国家の暴力を受けてきたのだからとそれ以外の形での独立を目指そうという人々もいます。高橋先生が今回紹介された新城郁夫氏と川満信一氏は後者であり、主権国家を超える社会構想や憲法試案という形での沖縄の独立を提唱しています。

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川満氏は、自身の「琉球共和社会憲法C私(試)案」の中で法律を一切撤廃し、「軍隊、警察、固定的な国家的管理機関、官僚体制、司法機関など権力を集中する組織体制は撤廃し」法廷を個々の人民の心の中に設けることを定めています。また、そこでは憲法に賛成し、順守する意思のある者は琉球共和社会の人民と認められ、各国の亡命者および難民を無条件に受け入れる(ただし軍事に関係した人物は除く)ことが述べられています。

新城氏は、難民を無条件に受け入れることを明記した川満氏の憲法試案を「「難民」という政治的歴史的存在を社会的紐帯の根幹的な場所に見出し、そのことを通じて、ネイション=ステイトから離脱し得る社会を構想する優れた試み」であると言います。そして「私たちは、国家と正面衝突する必要は全くないし、してはならない。(中略)生き延びていくために国家を放置しつつ、これが保有するあらゆる施設や財産そして諸機能を拝借し横領すればよい」と、私たちが国民と国家の継ぎ目において生きる難民になることを唱えています。

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高橋先生は、難民や亡命者を無条件に歓待することについてデリダを引用し、それははたして本当に可能なのかと疑問を投げかけられました。なぜならデリダによれば、無条件の歓待が生ずるためには、それは新来者(newcomer)が誰であろうと開かれていなければならず、その新来者が破壊し、革命を起こし、略奪し、全員を殺害するといったリスクを引き受けなければならないからです。また新城氏が国家と正面衝突する必要はなく、国家の保有するあらゆる施設や財産、諸機能を拝借し横領すればよいとしたことについては、結局これは国家の主権に対する別の主権の形にすぎないのだとおっしゃいました。デリダによれば、主権には異なる、また時には拮抗する形式があるだけであり、私たちは力で対抗せざるを得ないのです。

今回の高橋先生のお話を通じて、沖縄の米軍基地問題がこれまでずっと放置されてきたという現状を再認識することができ、私たち一人一人が、そこに生きる者としてどのような共同体を作っていくべきなのか考えることが重要だと痛感いたしました。また、そのユートピアが単なる理想で終わらないためにどのようなことが必要なのかを教えてくれる道しるべが哲学であると学びました。

最後に、今回のセミナーでご講演いただいた高橋先生に感謝を申し上げ、第28回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程 佐藤遥香]

2017年12月15日

主権とユートピア──沖縄をめぐって  【NiiPhiS】

第28回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
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主権とユートピア 
沖縄をめぐって

講師 高橋哲哉(東京大学教授)  


日時 2017年12月15日(金) 18:00~19:30
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   中央図書館ライブラリーホール

基地問題を抱える沖縄では、日本からの自立を求めて、主権国家としての独立か、国家そのものからの離脱かが議論され始めている。「琉球共和社会憲法試案」を手がかりに「脱国家」の可能性を探った議論の検討を通して、主権や権力の存在にどのように向き合うべきかを考えたい。アーレントの「難民」論、デリダの「歓待」論などを参照する。


41WpKn30YzL.jpg第28回新潟哲学思想セミナーは、講師に高橋哲哉氏をお迎えします。高橋氏は、20世紀のヨーロッパ哲学を専門とされており、なかでもフランスの哲学者ジャック・デリダの研究で広く知られています。また、靖国問題や沖縄の米軍基地問題など、政治・社会・歴史をめぐる諸問題にも精力的に取り組んでこられました。とりわけ、2015年に出版された『沖縄の米軍基地──「県外移設」を考える』は、その内容から大きな反響を呼んでいます。今回のセミナーでは、普天間飛行場をはじめとした沖縄の米軍基地を「本土」に移設すべきかどうかという「県外移設」の問題や、そうした基地問題を抱える沖縄の「脱国家」の可能性について考えるといった内容で講演していただきます。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。 


◎ 講師プロフィール:高橋哲哉(たかはし・てつや)1956年福島県生まれ。東京大学文学院総合文化研究科教授。専門は哲学。政治、社会、歴史の諸問題にも広く取り組んでいる。主な著書に『デリダ──脱構築と正義』(講談社学術文庫、2015年)、『沖縄の米軍基地──「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)、『国家と犠牲』(NHKブックス、2005年)、『戦後責任論』(講談社学術文庫、2005年)、『靖国問題』(ちくま新書、2005年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学人文学部研究推進経費/同 哲学・人間学研究会

お問い合せは宮﨑まで
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2017年9月16日

第27回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【NiiPhiS】

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第27回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に東京大学から納富信留先生をお招きし、「ギリシア哲学の可能性」を主題として開催されました。今回は、今年3月に新潟大学を退官された栗原隆先生も講師として参加してくださいました。

栗原先生は「色と心--ヘーゲルによるゲーテの『色彩論』の受容をめぐって」という表題で、ゲーテの色彩研究がヘーゲルに与えた影響と、ヘーゲルが色彩論を『自然哲学』の圏域から『精神哲学』の圏域で論じるようになった背景についてお話してくださいました。

LZP9xh4n5o7UIpw1506377670_1506377827.jpgヘーゲルは、ゲーテから大きな思想的影響を受けており、色彩論もゲーテの影響を受けた思想のひとつでした。ゲーテは『色彩論』で色を白と黒、光と闇の対比の中から析出しようとしていました。対立する二つのものから新たなものへ至るという展開の発想はヘーゲルにとって受け入れやすいものだったのでしょう。

ヘーゲルは『自然哲学』において色彩について論及していましたが、やがて『精神哲学』において色彩論が展開されるようになりました。また、ヘーゲルは『美学』の文脈でも色彩を論じています。栗原先生は「色を自然現象として『自然哲学』において論ずるよりも、生き生きとした「心」を分析する『精神哲学』の「人間学」においてこそ、扱うべきだという思いを強くしたに違いない」という見方をされていました。

納富先生は「始まりを問う哲学史―複眼的ギリシア哲学史への試み」という表題でお話してくださいました。哲学史を論じるというのは「始まりを問い、テクストを扱い、場を明らかに示す」ことであると納富先生は主張されています。「始まり」を問い遡ることは、それが始まりをなすところの「全体」を掴むことにつながります。哲学史を研究するさいに扱うテクストは、過去の哲学者によって書かれたものですが、読み継がれることで「現在の」テクストとして論じられ、その哲学は現代にも生き続けます。また哲学史の研究を通じて、ある事項がどのような背景で問題化され考えられてきたかという歴史的な事項を知ることで、問題に正しくアプローチすることが可能となります。

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哲学はそのつど新たに始まるものですが、哲学という思索営為の総体は古代ギリシアで始まりました。そうすると、誰が最初の哲学者なのかということが問われます。しかし「最初の哲学者」とされる候補は少なくありません。そこで、納富先生は「複眼的」視野をもって哲学史をみることを提案しています。「始まり」をひとつに限定するのではなく、複数措定することで、多様な視点が生まれ、より豊かな見方ができるようになるのではないかと先生はお話ししてくださいました。

今回の先生方のお話を通じて、ある哲学や思想はただ一人の哲学者によって完結するものではなく、「始まり」から受け継がれてきた諸要素や同時代の他の思想家、社会状況などが影響しあって成立しているということを強く再認識させられ、哲学史の重要性を痛感いたしました。

最後に、今回のセミナーでご講演いただいた納富先生、栗原先生に感謝を申し上げ、第27回哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程 佐藤夏樹]

2017年8月 7日

ギリシア哲学史の可能性  【お知らせ】

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ギリシア哲学史の可能性 

講師 納富信留(東京大学教授)  


日時 2017年9月14日(木) 16:30~19:00
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟D棟1階大会議室

プログラム 

16:30~17:20 栗原隆(新潟大学) 色と心──ヘーゲルによるゲーテの「色彩論」の受容

17:30〜18:30 納富信留(東京大学) ギリシア哲学史の可能性

18:30~19:00 *延長の場合あり

   フリーディスカッション
   司会:宮﨑裕助(新潟大学)


古代ギリシア哲学を過去の思想としてではなく、生きた思索の場に生かすために、私たちはどう考えるべきか。プラトンやアリストテレスといった偉大な哲学者だけでなく、ギリシアの哲学を全体として捉える視野を「複眼的ギリシア哲学史」として提案したい(本発表は、5月20日の日本哲学会大会シンポジウムでの報告内容を発展させるものである)。


41T4HYD24PL.jpg第27回新潟哲学思想セミナーは、講師に納富信留氏をお迎えします。納富氏は、初期ギリシア哲学から、ソフィストの思潮とソクラテス、プラトンやアリストテレスらの古典期哲学までを主な研究対象とされています。そのなかで、どのようにして哲学が成立したのかを解き明かすことを研究テーマとされています。今回のセミナーでは、ギリシアの哲学を全体として捉えることで、哲学史研究の哲学的意義を新たに提示するといった内容で講演していただきます。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。

 


◎ 講師プロフィール:納富信留(のうとみ・のぶる)1965年生まれ。東京大学文学部教授。東京大学大学院博士課程を経て、英国ケンブリッジ大学古典学部にてPh.D.を取得。専門は、西洋古代哲学、西洋古典学。古代ギリシアの知的潮流のなかで、いかにして哲学(フィロソフィア)が誕生したのかを明らかにすることを研究テーマとしている。国際プラトン学会(元会長)など、海外でも勢力的な研究活動を展開している。著書に『ソフィストと哲学者の間』(名古屋大学出版会、2002年)、『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫、2015年)他。

◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター/同 人文学部哲学・人間学研究会

お問い合せは宮﨑まで
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2017年6月26日

第26回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【イベントの記録】

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第26回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に首都大学東京の西山雄二先生、一橋大学の阿部里加先生、椙山女学園大学の三浦隆宏先生をお招きして、「ポスト・トゥルース時代における「嘘の歴史」──アーレントとデリダから出発して」というテーマのもと、アーレント研究会と脱構築研究会の共催企画として開催されました。

2e5Sfv4N1_eKCEB1498657740_1498657748.jpeg西山先生は、御自身の日本語訳書であるジャック・デリダの『嘘の歴史 序説』について、入門というかたちで、とても分かりやすくお話しして下さいました。今回のお話では、主として、デリダによる嘘の考察、嘘の歴史性、デリダによるアーレントの読解について解説していただきました。デリダによる嘘の考察は非常に難解ですが、西山先生は、私たちの身の回りに存在する嘘、とりわけ、現在日本中で話題にされている加計問題や森友学園問題を例に挙げてお話しして下さいました。

阿部先生は、デリダによるアーレント批評が、アーレント研究史においてどのような役割を果たしてきたのかについてお話しして下さいました。今回のお話では、主として、アーレントによる「政治における嘘」の解説、デリダの嘘に関する主張、アーレントの嘘についての考察に対するデリダの批評、アイヒマン裁判に関するアーレントの考察について解説していただきました。また、阿部先生の、アーレントはその研究においてaction(活動)の部分ばかり取りあげられているが、それ以外の哲学も非常に重要であるという、これまでのアーレント研究に一石を投じるような主張がとても印象的でした。

18phUfNDksv5hbI1498416647_1498416655.jpg三浦先生は、嘘と政治、感覚(あるいは判断)というテーマに対して、アーレントとデリダがどのように考察していたのかについて解説して下さいました。このテーマに関して、両者がどこまで歩調を合わせ、どこから足並みが揃わなくなったのかについて解説されたあと、アーレントとデリダがカントの第三批判にともに着目したという指摘もされていました。また、三浦先生の「ヘイトスピーチはアーレント的には活動の一種だと言えるのか?」という問いは、登壇された先生方はもちろん、司会の宮﨑先生や会場の参加者も含め、議論をすることができました。その他にも、第二部の全体討議では、参加した学生などから、いくつも重要な指摘や質問が飛び交い、非常に充実したセミナーとなりました。

私たちは日々、嘘に囲まれながら生きています。それでは嘘とはいったい何なのでしょうか。間違いは嘘なのか、フィクションは嘘の枠組みに入るのか、相手を傷つけなければ嘘にはならないのか、このように嘘は私たちの身近にあるにもかかわらず、非常に不透明なもののように思えます。今回のセミナーでは、私たちにとって最も身近な概念である嘘に関して、その意味や歴史性について、アーレントとデリダの考察を交えながら深く考える貴重な機会となりました。最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方からお越しいただいた、西山先生、阿部先生、三浦先生に感謝を申し上げ、拙文ではありますが、第26回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学大学院現代社会文化研究科修士課程 田中宥多]

2017年6月23日

ポスト・トゥルース時代における「嘘の歴史」──アーレントとデリダから出発して  【お知らせ】

第26回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
 アーレント研究会&脱構築研究会共催企画

ポスト・トゥルース時代における「嘘の歴史」

        ──アーレントとデリダから出発して


日時 2017年6月23日(金) 16:30~19:00
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 D棟1階 大会議室

  *入場無料、事前予約不要。お気軽にご参加ください。

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第1部 16:30~17:55

西山雄二(首都大学東京)「デリダ『嘘の歴史 序説』の概要と問題提起」

阿部里加(一橋大学)「「嘘をつくこと」と「理解すること」──デリダとアーレントのアウグスティヌス解釈の違いを中心に」

三浦隆宏(椙山女学園大学)「嘘にとり憑かれた政治と〈感覚〉の狂い──デリダ、アーレント、カントの三叉路」

 

 第2部 18:10~19:00 *延長の場合あり
   全体討議&フリートーク
   司会:宮﨑裕助(新潟大学)


主催:新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)
共催:アーレント研究会、脱構築研究会


お問い合せは宮﨑まで


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2017年1月25日

第24回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【NiiPhiS】

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第24回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に月曜社取締役、編集者の小林浩さんをお招きし、「人文書出版の希望と絶望」というテーマのもと開催されました。当日は雪という悪天候の中、各専攻の先生方や学生をはじめ、書店員の方にもお越しいただきました。今回の小林さんのお話では、出版業界という視点から人文書の現在と未来、そこに存在する希望と絶望が語られました。

序盤では、出版業界人の抱えている矛盾や編集の在り方から絶望について述べられました。小林さんによれば業界人の抱える矛盾とは、①文化と産業のあいだで引き裂かれる(値段をつけようがないものに値付けする)、②わかり合い分かち合いたいが届かないこともある(価値観をめぐる齟齬と争い)、③立ち止まりたいが立ち止まれない(市場のスピードへの対応)の三点があるといいます。

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特に①における価格設定について、会社規模や取り扱う種類により大きく異なる点がとても興味深かく聞くことができました。部数は、大きい会社はたくさん、小さい会社は少なめであり、さらに人文書を積極的に置いてくださる書店は決して多くないそうです。そのため、どうしても人文書の単価は高くなってしまうという悩みがあります。また、全国的に見て書店数は減少傾向にあり、人文書をとりまく環境はますます厳しいものになっています。

「編集」自体が変化しているという時代の流れについても、人文書をとりまく環境の厳しさのなかで挙げられていました。大手出版社は紙媒体以外のコンテンツ事業に乗り出しています。その背景には、紙媒体の制作だけでは利益が十分に出ないので、キャラクターグッズ開発や映画化・ドラマ化・ゲーム化など著作権ビジネスを多角化させるという考えがあります。しかしながら、人文書をはじめとする学術書は多角化に困難があります。総合的なコンテンツ産業への脱皮が当たり前となる出版業界において、人文書は固有の価値を提供していく必要があります。

IMG_3280.JPG一方で、小林さんは人文書の希望を読書の共同性や人文書のオルタナティヴ性から述べられました。読書の共同性とは、読書とは読者がいることで成立するという共伴性です。筆者と著書は、例えるならば人間とゾンビであるといいます。筆者の頭の中には著書の行間にも内容がありますが、読者の中にはありません。この行間の内容を読者が個々で埋めることで、肉体だけの著書は初めて精神を得られるのだそうです。オルタナティヴ性とは、人文書が新たな視野や価値観を気付かせてくれるオルタナティヴな装置として存在するということです。この二点の希望を人文書の価値として提供していく必要があるのだということでした。

今回のお話では、出版業界という視点から人文書をとりまく環境について知ることができました。出版業界という世界は、我々学生はあまり触れることのない世界です。そのような業界でご活躍なされている小林さんだからこそ気付ける希望と絶望を、この度のNiiPhiSで伺うことができ、私たち自身の視野も少し広がったのではないかと思います。

また人文書の価値に希望を置くとなると、紙の人文書と電子媒体の人文書のどちらの希望ともなります。小林さんはお話の中で、紙の人文書の良さとして空間の利用を挙げられました。紙の本が並べられている書店を散歩することで、意図しない本との出会いが生まれ、新たな視野で世界を見ることができるといいます。「紙の良さ(希望)を広めるのは誰が行うべきか」という私の個人的な質問に対し、小林さんは「どの立場の人でも構わない。出版業界人をはじめ、司書や書店員さん、読者が行っても構わない。様々な立場の人が紙の良さを伝えあう交流の場がたくさんあったら良いですよね」という旨の回答をくださいました。

最後になりましたが、今回のセミナーのために遠方からお越しいただいた小林浩さんに感謝を申し上げ、拙文ではありますが第24回哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学人文学部人文学科 心理・人間学プログラム専攻  藤木郁弥]