去る11月26日アメリカ合衆国ニューヨーク州立大学バッファロー校のロドルフ・ガシェ氏を基調講演者にお迎えし、「ハイデガー、テオーリアと翻訳の使命」と題して国際シンポジウムが開催された。これは、新潟⼤大学⼈人⽂文社会・教育科学系附置「間主観的感性論研究推進センター」の主催で行なわれたものである。
最初の登壇者は本学人文学部より、栗原隆氏が「心の深処と知性の竪坑──ヘーゲル『精神哲学』の改訂を視野に入れて」と題して発表した。栗原氏の発表は、デリダを契機に、ヘーゲルの『精神哲学』に現れる「竪坑」の形象に着眼し、記憶と心の根本構造を解明するものとして、ヘーゲルが依拠していたとされるシャルル・ボネの心理学の著作にこの形象の源泉を突き止め、その隠された射程を浮き彫りにした。
次に、西南学院大学から西山達也氏が登壇し、「世界像の時代における翻訳者の課題──ハイデガーにおけるリズム概念の翻訳をめぐって」という題で発表した。表象的思考から逃れ去るものを真理のもとに見守る思考のありかたをハイデガーは「省察(Besinnung)」と呼び、来たるべき時代の思索の課題とした。本発表では、ハイデガーによる「リズム」概念の翻訳をめぐる諸問題を精査することにより、翻訳の理論(テオーリア)と実践(プラクシス)を通していかにしてハイデガーはこの思索の課題を遂行しようとしていたのかが追究された。
最後に、ロドルフ・ガシェ氏の基調講演が「いまだ来たるべきものを見張ること」と題して行なわれた。本講演は、ハイデガーの1953年の講演「科学と省察」をもとに「科学とは現実的なものの理論である」と述べた一文から出発して、その「理論」の含意と射程を探ろうとする試みである。ガシェ氏は、ハイデガーのテクストの周到な精読を通じて、古代ギリシアにさかのぼるテオレインの諸要素を解明するとともに、それがいかに近代的な意味での理論と異なるものなのか、のみならず、それを(ハイデガーのように)古代ギリシアに遡源しようとするのではなく、それとは別の来たるべき「省察」としてのテオーリアの可能性を、ハイデガーのテクストそのものの微細な動きを読み抜くことを通じて新たに開拓しようとするのである。
質疑応答はガシェ氏を中心に終始活発に行われ、予定の時間を一時間オーバーしてくり広げられた。ガシェ氏が遂行的に用いている「active」という用語系の含意、「a world」と「the world」の用法の違い、翻訳を通した「表象」概念の思想史的な展開を問うもの、ハイデガーの技術論との関連等々、さまざまな論点に及び、討議からは、まさに来たるべき哲学の使命として思考と翻訳とが交錯する要所がいくつも素描されたように思われる。
今回ガシェ氏のテクストの翻訳に串田純一氏、会場での通訳に吉国浩哉氏、ダリン・テネフ氏のお世話になった。あらためて感謝を。また、九州から足を運んでいただいた西山達也氏、そして基調講演のためにはるばるアメリカからお越し下ったロドルフ・ガシェ氏に、刺激的な討議の場を与えていただいたことに関し、いま一度厚く御礼を申し上げる次第である。