« 2019年7月 | メイン | 2019年10月 »

2019年9月 アーカイブ


2019年9月18日

第35回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【イベントの記録】

第35回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に東京大学の古田徹也先生をお招きし、先生の著書である『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』の刊行に合わせ、「運とともに/運に抗して──古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む」というテーマのもと、本書の合評会というかたちで行われました。

AD198309-3EB8-43B2-A8BC-D0AFC59AF7F7.jpeg始めに私から、大雑把にではありますが、本書の紹介とコメントをさせていただきました。本書はまず、「運」がもつ多様な奥行きを明らかにしつつ、「運」の変遷を歴史的に探っていきます。古田先生によれば、「運」は(私たちが通常イメージするような)「偶然」という意味のほかに、それとは相反するような「必然」、さらには「幸福」といった意味をも合わせもっています。こうした多層的な意味をそなえる「運」が、歴史的にどのように扱われてきたのか──本書の醍醐味の一つとして、このことを古田先生の丁寧な論述と共に辿り直していく点が挙げられるでしょう。

「運」の歴史を捉え直す中で、本書の議論は、次第に「運」と「道徳」の関わりへと移っていきます。飛び出してきた人をトラックで轢いてしまった、という「不運」な出来事は、いわゆる「道徳」の枠内では、本来責任を取る必要のないものです。というのも、「人が飛び出してくる」という予想外の出来事(すなわち、「運」が絡む出来事)は、私たちがコントロールできるようなものではないからです。ですが、仮にこういう出来事が起きた場合、私たちは後悔に苛まれたり、誠意を込めて謝罪をしたりするでしょう。「道徳」に反するこうした行為を、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。本書のクライマックスにて、タイトルにもなっている「不道徳的倫理学」がどのようなものであるかを、私たちは目撃することとなります。

614BBA89-DB36-405E-8C29-5CC1085F8FB0.jpeg以上のように内容を概観したのち、本学の宮﨑裕助先生からコメントをしていただきました。宮﨑先生はまず、想定外の出来事(すなわち、「運」が入り込む出来事)に対して私たちが必要以上に敏感になっている、という現代の状況を確認することで、「運」を問うことの重要性をあらためて指摘します。加えて、例えばスミスによるストア派への批判について、あるいは「運」がもつ「幸福」の要素についてなど、本書の内容に関するコメントがありました。

そうしたコメントの一つに、「倫理学」の内部における葛藤をどのように捉えるべきか、というものがありました。古田先生によれば、「倫理学」は本来、「人一般にとって正しい行為」を問うのみならず、「この私はどういう生き方を選び取るべきか」という問いも含むといいます。普通はこうすべきなのだが、私はこうしたい──このような葛藤を、宮﨑先生は「遵守すべき倫理」と「現実を創り出す倫理」との葛藤と捉えます。後者の「倫理」をどのように考えるべきか、という本書に残された問いを、宮﨑先生はキルケゴールのイサク奉献の例などを用いて、さまざまな視点から考察していました。

47045BFA-405D-446C-A0D6-824F66CA088A.jpegその後、古田先生からはいくつかの応答が成されました。そもそも本書の試みは、歴史の中で埋もれてしまった「運」についての主張を、「生きた言葉」として蘇らせるものであったということ(この点は先生の著書、『言葉の魂の哲学』の議論とも関わるでしょう)。また、倫理学が問題とするのは主として「不運」な出来事であって、「幸運」と「不運」には非対称性があるということ。こうしたことが、重要な論点として挙げられました。

宮﨑先生のコメントに対しては、カントの思想や言語行為論などをも巻き込みつつ、本書のさらなる拡がりに向けて議論が交わされました。また、とりわけ重要な論点として、「倫理学」という学問の「可能性」(ないし「取り柄」)はどこにあるのか、というものがありました。古田先生の考えは、世界に対する「見方」を変えること、あるいは「見方」を創り出すこと、そうしたことが挙げられるのではないか、というものでした。このような意味では、先述の「生きた言葉」との論点とも関わりますが、本書は「倫理学」に対する新たな「見方」を提供する、という役割も担っているのではないでしょうか。

また、フロアに議論を開いたあとでも、多種多様な論点が見受けられました。そもそも「運」が入り込む出来事はどのように分類できるのか。本書の冒頭にあるように、人生はやはりすべて「運」なのではないか。いずれも重要なものでしたが、考えれば考えるほどに、ますます「運」という概念の複雑さが明るみとなり、このテーマの奥深さを痛感させられることとなりました。

最後になりますが、今回新たに考える素材を提供してくださった古田先生、本学から登壇していただいた宮﨑先生、そして私事ではありますが、卒業生である私にこのような機会を設けてくださった方々に感謝を申し上げ、第35回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

【文責=東京大学総合文化研究科博士前期課程 渡邉京一郎】

2019年9月14日

第34回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  【イベントの記録】

unnamed-3.jpg

第34回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に熊本大学の佐藤岳詩先生をお招きし、「倫理学における真理と誠実さ――バーナード・ウィリアムズTruth and Truthfulnessによせて」というテーマのもと開催されました。

unnamed-4.jpg佐藤先生はまず導入として、ポスト・トゥルースと呼ばれる現代の状況では「客観的な事実」と「個人にとって大切なこと」の折り合いの悪さというものがある、とお話されました。そして佐藤先生はこの問題を考えた哲学者としてバーナード・ウィリアムズを紹介され、彼の最後の著作であるTruth and Truthfulnessについて解説して下さいました。

ウィリアムズによると、現代社会には「真理に対する誠実さへの要求」と「真理それ自体への疑いのまなざし」があり、これらを調停することが現代の哲学の課題であるといいます。誠実であることは「正直さ」と「正確さ」という2つの徳によって成り立っていて、また人が誠実であるためには、現実を歪めるような幻想や願望に抵抗する必要があるのです。「正直さ」に関して、ウィリアムズは嘘をついたときの罪悪感や後悔といった感情に着目し、カント倫理学を批判したと佐藤先生は解説されました。

unnamed-2.jpgしかし真理をめぐる話はここで終わるわけではなく、ウィリアムズによると、現代では真理の実在そのものが信じられなくなってきているために、「真正さ」という理想が出てきているそうです。「真正さ」とは「本当のわたし」が存在しているとする考え方に基づいていますが、それはときにエゴイズムやナルシシズムに陥ってしまうものでもあるといいます。「真正さ」について理解を深めるために、佐藤先生はアメリカの哲学者テイラーを紹介されました。テイラーを踏まえてウィリアムズの主張を読み解くと、自己理解は他者との関係の中でしか育まれないからこそ、人は「真正さ」を貶めてしまわないようにするために「正確さ」と「正直さ」を失ってはいけないのだといいます。

Truth and Truthfulnessの最後でウィリアムズは真理の実在について書いていますが、佐藤先生はウィリアムズの論点の掘り下げの甘さに対して批判をしつつも、ウィリアムズの中心にはアイデンティティを巡る思索があったのではないかと考察をされました。しかしまた同時に、佐藤先生はそこがウィリアムズの限界であり、彼が現代倫理学の枠組みから抜け出せないことの事由なのではないか、ということも示唆されて発表を閉じられました。その後は時間を目一杯使っての質疑応答も行なわれ、興味深い議論が展開されました。ポスト・トゥルースという言葉もすでに目新しいものではなくなってしまった現代ですが、真理というものを取り巻く人間の態度について、改めて深く考えるよい機会となりました。

最後になりましたが、今回のセミナーでご講演頂いた佐藤岳詩先生に感謝申し上げ、第34回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学人文学部人文学科 心理・人間学プログラム主専攻 牛澤啓]

2019年9月15日

【P4Cイベント】中高生の哲学対話  【お知らせ】

Philosophy for Students:中高生の哲学対話

下記の内容で、中高生を対象とした哲学対話イベントを開催いたします。どうぞ振るってご参加ください。

20190915_中高生の哲学対話ポスター(ブログ用画像)_ページ_1.png
ポスター表面&裏面を表示・ダウンロード

 

開催日:2019年9月15日(日)
時間:中学生の部 10:00-13:00
   高校生の部 14:30-17:30
場所:新潟大学五十嵐キャンパス 総合教育研究棟F578・586

 

参加無料|要申込|中学生・高校生ならどなたでもご参加いただけます。(哲学の予備知識は要りません。)

定員各20名


主催:新潟大学人文学部 阿部ふく子研究室
企画:樋田 和希(人文学部4年)
         田中 宥多(現代社会文化研究科博士前期課程2年)


●「哲学対話」とは――
さまざまな事柄について根本的な問いを立て、みんなでシェアし、応答しあいながら思考を深めていく哲学プラクティスの方法です。
ディベートや議論ではなく、知的安心感(Intellectual Safety)や主体性に配慮したフラットな雰囲気での対話です。

●タイムテーブル(目安)
 Session 1. 哲学対話についての説明
 Session 2. 問い出し
 Session 3. テーマについての対話
 Session 4. 振り返り対話、感想、交流

●参加申込先:こちらの参加申込用フォームからお申し込みください。
      (Googleフォームに移動します。)

●留意事項:
・見学のみのご参加、大人の方のご参加は、対話への影響を考慮し、ご遠慮いただいております。何とぞご了承願います。
・研究上のフィードバックのために録音・撮影をさせていただきますが、プライバシーには十分配慮いたします。ご本人の許可なく記録が公開・使用されることはございません。

● お問い合わせ先:
 阿部 ふく子|新潟大学人文学部准教授
 designmail.png

本企画は、日本学術振興会・科学研究費助成事業・若手研究「主体的・対話的な学びのための哲学・倫理学教育の実践的研究」(課題番号18K12179・研究代表者:阿部ふく子|新潟大学人文学部准教授)の一環として実施されます。




20190915_中高生の哲学対話ポスター(ブログ用画像)_ページ_2.png
ポスター表面&裏面を表示・ダウンロード

2019年9月12日

倫理学における真理と誠実さ──バーナード・ウィリアムズ Truth and Truthfulnessによせて  【NiiPhiS】

第34回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS) 

倫理学における真理と誠実さ
バーナード・ウィリアムズ Truth and Truthfulnessによせて

講師 佐藤岳詩(熊本大学)


日時 2019年9月12日(木)16:30~18:00
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 D棟1階 大会議室


倫理学における真理と誠実さ-1.jpg


◎ 講師プロフィール:佐藤岳詩(さとう・たけし)1979年生まれ。熊本大学文学部准教授。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は、R・M・ヘアを中心としたメタ倫理学と規範倫理学。著書に『メタ倫理学入門──道徳のそもそもを考える』(勁草書房、2017年)、『R・M・ヘアの道徳哲学』(勁草書房、2012年)、『性──自分の身体ってなんだろう?』(共著、ナカニシヤ出版、2016年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター

お問い合せは太田まで
メールアドレス.png


→ポスターはこちら

2019年9月13日

「運」とともに/「運」に抗して──古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む  【NiiPhiS】

「運」とともに/「運」に抗して-1.jpg

第35回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)

「運」とともに/「運」に抗して
古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む

 


古田徹也(東京大学)
宮﨑裕助(新潟大学)
渡邉京一郎(東京大学)

 


日時 2019年9月13日(金)16:30〜18:30 
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟D棟1階大会議室

41A6+xI+hFL._SX304_BO1,204,203,200_.jpg

テストでヤマを張っていた箇所が「運良く」当たった。信号待ちで次の電車を「運悪く」逃してしまった。人生で起こるこうした出来事が示すように、私たちはときに「運」というものに振り回される。この「運」という要素は、「道徳」(すなわち、「こうすべきである」という「規範」)を扱う倫理学とは、相性が悪いように思われる。だが、「運」が私たちの人生に大きな影響を及ぼすのもまた事実である。「運」と「道徳」は両立するのだろうか。あるいはこう問えるかもしれない。「運の要素を受け入れて取り込む倫理学──言うなれば、不道徳的倫理学──とはどのようなものでありうるのか」──。

第35回新潟哲学思想セミナーは、以前本学で教鞭をとられていた古田徹也氏をお迎えします。今回のセミナーは、今年5月に出版された氏の著書である『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』の合評会となっています。著書の紹介とコメントを本学人文学部を卒業後、東京大学大学院に進学した渡邉京一郎氏にお願いし、もうひとりのコメンテーターとして、本学人文学部准教授の宮﨑裕助氏に登壇していただく予定です。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。

 

◎ プロフィール

古田徹也(ふるた・てつや)1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学人文社会系研究科准教授。専門は哲学・倫理学。著書に『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』(ちくま新書、2019年)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書、2019年)、『それは私がしたことなのか──行為の哲学入門』(新曜社、2013年)他。

宮﨑裕助(みやざき・ゆうすけ)1974年生まれ。新潟大学人文学部准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・現代思想。著書に『判断と崇高──カント美学のポリティクス』(知泉書館、2009年)、『ドゥルーズの21世紀』(共著、河出書房新社、2019年)他。

渡邉京一郎(わたなべ・きょういちろう)1995年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程学生。論文に「退屈、技術、故郷──なぜ退屈が根本気分として選ばれたのか」(日本哲学会 web 論集『哲学の門──大学院生研究論集』第1号)。

 

◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観研究推進センター
お問い合せは宮﨑まで
mail2image.php のコピー.png

→ポスターはこちら

アーカイブ

Powered by
Movable Type 5.2.3