2020年2月10日

大掃除やります  お知らせ

人間学のみなさんへ

2月10日(月)14:00- (集合場所:資料室)より、

人間学の資料室とPSの大掃除を行ないます、
参加人数にもよりますが、2~3時間を予定しています。

立つ鳥跡を濁さずということで、
4年生のみなさんには必ず参加してもらいたいと思います。

当日は、多少汚れてもよい動きやすい格好で、
雑巾、埃よけのマスク、軍手を持参してくれると幸いです。
よろしくお願いします。(宮﨑)

2020年2月 6日

卒業論文発表会(口頭試問)  お知らせ

令和1 (2019) 年度の人間学分野の卒業論文発表会(口頭試問)を下記のように行います。

  • 日時 令和2 (2020) 年2月6日(木曜)13:00-17:00
  • 場所 人社系棟 C014、同 C015

発表者は以下の通り、準備と発表を行ってください。

  • 1月24日(金)までに審査用の卒業論文コピーを副査(紙媒体およびファイル)と司会(ファイルのみ)に提出してください。副査と司会の担当者はSchedule2019.pdfの通りです(1/22 題目を追加しました)。
  • 卒業論文の概要を作成し、指導教員のチェックを受けてください。様式はA4で1枚(1,200~1,400字程度)です。
  • 当日の発表においては、まず概要を主査・副査・司会および傍聴者に配布し、概要に基づいて5分以内で論文内容を説明してください。その後、主査・副査による口頭試問に移ります。口頭試問を含めて発表は1件につき20分です。概要は40部用意してください。
  • 口頭試問終了後、概要を(必要であれば修正を加えた上で)2月14日(金)までに江畑宛にメールで送って下さい(後日、人文学部のwebページにて公開されます)。
  • 当日、発表者の皆さんには人文学部の「カリキュラム満足度アンケート」を配布する予定です。必ず当日中に、回答した用紙を提出するようにしてください。
  • この発表会は公開で実施されますので、他の学年の学生も傍聴することができます。特に、人間学分野の2年生と3年生は積極的に参加してください。
  • 卒業論文発表会(口頭試問)終了後、恒例の懇親会(追い出しコンパ)が企画されています。ぜひご参加ください。

2020年1月26日

【新刊】宮﨑裕助『ジャック・デリダ──死後の生を与える』刊行  お知らせ

51qnFNeBvzL.jpg   宮﨑 裕助 著

  ジャック・デリダ
  死後の生を与える

  
  岩波書店
  46判・376頁
  税込定価 2940円
  ISBN978-4-00-061385-9
  2020年1月24日発行
  出版社紹介ページ

【本書の紹介文】
脱構築の名のもと、新たな問いの領域を生涯にわたり開拓し続けた、現代思想最後の巨星。没後15年を経て、その影響はなお衰えをしらない。日本ではいまだ知られざる後期の思想、そしてさまざまな局面に波及する脱構築思想の広がりを一望し、その可能性を解き明かす。すべての読者に開かれた、新たなる入門の書。

後期思想を中心としつつ「死後の生」という主題のもとデリダ像の刷新を図ります。此岸における私たちの生の有限性の行方について考える書です。よろしくお願いします。(著者より)

【書評】
・島田貴史氏『REPRE39』表象文化論学会ニューズレター、2020年6月23日 ⇒[本文
・山内志朗氏『読売新聞』2020年4月5日朝刊書評欄「本よみうり堂」⇒[本文
・星野太氏『artscapeレビュー』2020年2月15日号 ⇒[本文

【合評会】
・ゲンロンカフェ:鵜飼哲 × 宮﨑裕助「後期デリダ、「生き延び」の哲学──『ジャック・デリダ──死後の生を与える』刊行記念イベント」2020年7月31日(金)19:00-21:30 ⇒[詳細レポート記事
・脱構築研究会:宮﨑裕助『ジャック・デリダ──死後の生を与える』(岩波書店)合評会 2020年6月27日(土)16:00-18:00 ⇒[動画

【関連書ブックガイド】「「死後の生」を考える、永遠の生を希求することなく」(hontoブックツリー)⇒[本文

【関連テキスト】「ジャック・デリダの「死後の生」──ポストヒューマンと不死の行方」『群像』2020年5月号 ⇒[詳細


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2020年1月24日

他者への問い──〈あなた〉は私にとって何者なのか?  お知らせ

第37回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS) 

他者への問い
〈あなた〉は私にとって何者なのか?


日時 2020年1月24日(金)16:30~19:00
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス 総合教育研究棟 B棟5階 プレゼンルーム


第一部 16:30〜18:00
高畑菜子 カントの良心論──内なる法廷における他者をめぐって
佐藤 駿 否定としての他者──間主観的志向性に関する一考察
小原拓磨 他者の声──デリダにおける「声」の再検討について

第二部 18:15〜19:00 
全体討議

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◎ 登壇者プロフィール:高畑菜子(たかはた・なこ)新潟大学大学院現代社会文化研究科博士課程学生。専門は、カント倫理学。主要業績としては、「カント倫理学成立史における「判定」と「執行」」(『東北哲学会年報』東北哲学会、2017年)他。

小原拓磨(おばら・たくま)東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。主要業績として、論文に「存在-神-論と神の死――哲学の始源をめぐるデリダのヘーゲル読解」(『哲学』第70号、日本哲学会、2019年)、「全焼への正義――『精神現象学』「光の実在」のデリダ的読解」(『倫理学年報』第69号、日本倫理学会、2020年)、翻訳に「アレクサンドル・コイレ「ヘーゲルの言語と専門用語についてのノート」」(『知のトポス』第14号、2019年)他。

佐藤駿(さとう・しゅん)東北大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。主要業績として、著書に『E・フッサールにおける超越論的現象学と世界経験の哲学――『論理学研究』から『イデーン』まで』(東北大学出版会、2015年)、論文に「現象の虚実――フッサール「理性の現象学」への一視角」(『現象学年報』第33号、日本現象学会、2017年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー
共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター/同 人文学部研究交流費

お問い合せは宮﨑まで
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→ポスターはこちら

2019年11月22日

卒業論文研究計画書の提出について  お知らせ

心理・人間学プログラム人間学分野の3年生(来年度末卒業予定者)へ

人間学分野に所属する来年度末(2021年3月)卒業予定の学生は,1月8日までに卒業論文研究計画書を必ず提出すること.

この計画書は,卒業論文作成に向けた作業の第一歩となります.計画書には、下記の内容をA4用紙1~2枚を用いて的確かつ簡潔に書いてください.

提出された計画書にもとづいて来年度の卒論指導教員を決定します.指導教員の決定がなされないことには,卒業論文の単位も認められないことになりますので注意してください.

1 研究の課題(題目)
2 論文の概要と今後の研究計画
3 使用文献、参考文献


提出期限 2020年1月8日(水)15:00
提出先  江畑研究室(F581)  *ドアの前の箱に入れてください

2019年11月 5日

第36回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  イベントの記録

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第36回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に山形大学の柿並良佑先生と立命館大学の山本圭先生をお招きし、「情の時代のポピュリズム──情動とカリスマから考える」というテーマのもと開催されました。

はじめに、柿並先生から「情動(の政治)」について考えるとはどのようなことかについてお話して頂きました。柿並先生によると、情動と政治の両者は切り離されない関係性にあります。情動と政治の関係性について、多くの思想家がわれわれの情動・感情をいかに動員し組織するのかを問うています。しかし、そもそも情動とは何でしょうか。柿並先生はこの根本的な問いについて、さまざまな思想家の考察を用いながら解説して下さいました。4400.jpgたとえばフロイトによれば、情動(affect)とは同一化(個人の心理は常に集団との関係の中で決定すること)の本質であり、情動の本質は両価性(ambivalence)です。ただしジャン=リュック・ナンシーは、フロイトが情動の本質を両価性としながらも、両価性の単純な論理を成立させるには至っていないと指摘しています。つまり情動とは、ある対象に向ける愛と憎悪という相反する単純な感情ではないということです。ナンシーは、情動について「情動は、あると言えるとすれば、ソレ〔ça〕でしかありえない」と述べています。ソレとは何か。柿並先生はフロイトでいうところのエス、英語で表現するならば It だと説明し、「私」を駆り立てる何かなのだと解説して下さいました。情動とは何かについて解説して頂いたのち、次に情動論的転回について情動とメディアの関係性を題材にお話しして下さいました。柿並先生によれば、われわれの情動はミクロレヴェルで社会に管理されているといいます。たとえば Twitter がこれにあてはまります。 Twitter の「いいね」は反射的な情動だと柿並先生は仰いました。なぜなら、Twitter の「いいね」は「「いいね」の数が多いから」、「なんとなくおもしろい」といったその場のノリからくるものだからです。この「いいね」という情動には何の深みも無く、非常に動物的だと柿並先生は指摘しました。柿並先生のお話から、われわれの情動はインターネットが発展した現代社会において、ミクロレヴェルで管理された結果、もはや「私」を駆り立てる人間的な何かではなく、流され飼い慣らされた動物的なものへと変化しつつあるのではないかと考えられました。

次に、山本先生からポピュリストと政治的カリスマについて、指導者という観点から解説して頂きました。山本先生はまず導入として、シャンタル・ムフが強調する左派ポピュリズムについて紹介することによって、衆愚政治などと揶揄されてきたポピュリズムのポジティヴな面を紹介してくださいました。IMG_1223.jpgムフによれば、新自由主義的な緊縮政策によって、大多数の人々は政治的に無力化されています。そして左派にとっての唯一の対抗手段が左派ポピュリズムだといいます。左派はポピュリズム戦略に訴えることで、エスタブリッシュメントに対抗する勢力をまとめあげ、自由民主主義を回復しなければならないというのがムフの主張です。左派ポピュリズムの勢力をまとめ上げるには指導者が必要です。山本先生はマックス・ウェーバーの指導者民主主義を踏まえながら、官僚制に対抗する指導者による民主主義の必要性について説明してくださいました。それではどのような指導者が必要なのでしょうか。そして、そもそも指導者とは何なのでしょうか。この問いへの大きなヒントとなるのがカリスマです。山本先生によれば、政治指導者は大衆の票を集める能力だけでなく、政治のために生きるカリスマを備えた人物です。では、カリスマとは何でしょうか。山本先生は思想家によるカリスマ論の射程を紹介しながら、カリスマ論についてお話してくださいました。ウェーバーは『権力と支配』のなかで、カリスマとは「「信奉者」によって、じっさいにどのように評価されるか」が重要だと述べています。つまり、ウェーバーによるカリスマにとって重要なこととは、何より従う側からの評価ということです。ロジェ・カイヨワは『聖なるものの社会学』のなかで「カリスマ的権力は、いぜん夢遊的・催眠的・眩暈的・法悦的な力として存在している」と述べています。カイヨワはカリスマの力を非現実的なものとして捉えているのがわかります。ウェーバーがカリスマを民主主義と結び付けて、カイヨワがカリスマを非現実的な巨大な力と結び付けて評価しているなかで、ハンナ・アレントはカリスマを全体主義と絡めて論じており、『全体主義の起源』のなかで、全体主義の指導者は「いつでも取り替えがきく」と述べています。そして、カリスマとはその人物が持つ唯一性であるといった、ヴァルター・ベンヤミンのアウラ論とカリスマ論を結びつけた主張もあります。

カリスマとは何かについて知ることは、政治指導者が本当に指導者にふさわしい人物なのかを冷静に判断する大きな材料になるのではと思いました。

柿並先生と山本先生のお話は、民主主義とも衆愚政治とも呼べない、曖昧なポピュリズムが蔓延している現代社会について考え直す良い機会となりました。メディアやインターネットの情報や指導者の過激な発言に魅せられた情動によってポピュリズムを形成していくのではなく、自分の意志と理性をもって判断することがポピュリズムの重要な要素であるのではないかと感じました。

最後になりましたが、今回のセミナーでご講演頂いた柿並良佑先生と山本圭先生に感謝申し上げ、第36回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

[文責=新潟大学現代社会文化研究科修士課程 田中宥多

2019年10月25日

情の時代のポピュリズム──情動とカリスマから考える  お知らせ

第36回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS) 

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情の時代のポピュリズム
情動とカリスマから考える


 柿並良佑(山形大学)
 
情動(の政治)について考えるとはどのようなことか?(仮)

山本 圭(立命館大学)
 
指導者とは何か──ポピュリストと政治的カリスマ

日時 2019年10月25日(金)17:00~19:30
 場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
    総合教育研究棟B棟5階 プレゼンルーム

ポピュリズムは従来、大衆迎合主義、衆愚政治などと訳され、侮蔑的な意味で用いられてきました。しかしこんにちの民主主義の政治のもとで、特定のイデオロギーや党派、国家、民族、宗教、人種等々に還元されない多様な民衆の趨勢をすくい上げる言葉としてこの語が新たに取り沙汰されるようになっています(たとえば英国の政治学者シャンタル・ムフのいう「左派ポピュリズム」など)。
 そうした新たなポピュリズムの担い手は誰でしょうか。少なくともポピュリズムは人々の情動の高まりと切り離せないようにみえます。多くの思想家がそうした情動・感情をいかに動員し組織するのかを問うてきましたが、そもそも情動はコントロール可能でしょうか。情動やポピュリズムを論じているとき、実は私たち自身がつねにそれに巻き込まれてしまう危険な「何か」に私たちは遭遇しているのではないでしょうか。
 「カリスマ」と呼ばれる指導者像はそうしたもののひとつでしょう。しかしカリスマと一言でいうとき、ポピュリズムが大きな力をもつ現代政治のなかで、単純に危険なものや忌避すべきものとみなすだけで本当によいのでしょうか。「民主的カリスマ」というものを考えることができないでしょうか──

356984.jpg 第36回新潟哲学思想セミナーは、講師に柿並良佑氏と山本圭氏をお迎えします。柿並氏は、フランス現代思想を専門とし、とりわけジャン=リュック・ナンシーの哲学を中心に、情動の政治の諸問題に取り組んでおられます。山本氏は、現代政治理論を専門とし、とりわけエルネスト・ラクラウの政治思想を中心に、現在では「左派ポピュリズム」研究の第一人者というべき論客として活躍されてます。今回のセミナーでは、ポピュリズムと呼ばれる現象が政治の場面を覆うようになった現代、情動とカリスマをキーワードにして、いかにしてポピュリズムを再定義するか、いかにして政治のそうした現在を捉え直すのか、といったことにかんしてお話しいただきます。入場無料、事前予約等不要です。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。 


◎ 講師プロフィール:柿並良佑(かきなみ・りょうすけ)1980年生まれ。山形大学人文社会科学部専任講師。専門は、現代フランス哲学。著書に『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(共著、明石書店、2018年)、『21世紀の哲学をひらく──現代思想の最前線への招待』(共著、ミネルヴァ書房、2016年)他。山本圭(やまもと・けい)1981年生まれ。立命館大学法学部准教授。専門は、政治思想史、現代政治理論。著書に『不審者のデモクラシー──ラクラウの政治思想』(岩波書店、2016年)、『〈つながり〉の現代思想──社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析』(共著、明石書店、2018年)他。


主催:新潟哲学思想セミナー

共催:新潟大学間主観的感性論研究推進センター/同 人文学部研究交流費
お問い合せは宮﨑まで
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→ポスターはこちら

2019年10月 7日

卒業論文 中間発表会  お知らせ

令和1(2019)年度 人間学分野 卒業論文 中間発表会

 本年度の人文学部心理・人間学主専攻プログラム人間学分野の卒業論文の中間発表会は、種々の都合により次の日程で二回に分けて行います。

10/7(月)10:30-14:00 (青柳,井山,江畑担当の学生)総合教育研究棟 G310

10/9(水)11:00-14:20 (阿部,太田,宮﨑担当の学生総合教育研究棟 D201

 (途中,短い休憩はありますが,昼食休憩はありません.ただし発表会中の飲食可)

 卒業予定の4年生は、開始5分前までに 発表原稿を 40部 用意して出席してください。 発表時間(質疑応答を含む)として 1人15分 程度を予定しています。なお欠席する場合は事前に、指導教員および江畑まで連絡するとともに、事前に発表原稿40部を指導教員に提出してください。

 構想発表会と同じく、人間学の2・3年生の参加も歓迎します。人文学部1年生の参加も歓迎します.

心理・人間学主専攻プログラム人間学分野(2019.8.23掲載)

2019年9月18日

第35回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  イベントの記録

第35回新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)は、講師に東京大学の古田徹也先生をお招きし、先生の著書である『不道徳的倫理学講義──人生にとって運とは何か』の刊行に合わせ、「運とともに/運に抗して──古田徹也著『不道徳的倫理学講義』を読む」というテーマのもと、本書の合評会というかたちで行われました。

AD198309-3EB8-43B2-A8BC-D0AFC59AF7F7.jpeg始めに私から、大雑把にではありますが、本書の紹介とコメントをさせていただきました。本書はまず、「運」がもつ多様な奥行きを明らかにしつつ、「運」の変遷を歴史的に探っていきます。古田先生によれば、「運」は(私たちが通常イメージするような)「偶然」という意味のほかに、それとは相反するような「必然」、さらには「幸福」といった意味をも合わせもっています。こうした多層的な意味をそなえる「運」が、歴史的にどのように扱われてきたのか──本書の醍醐味の一つとして、このことを古田先生の丁寧な論述と共に辿り直していく点が挙げられるでしょう。

「運」の歴史を捉え直す中で、本書の議論は、次第に「運」と「道徳」の関わりへと移っていきます。飛び出してきた人をトラックで轢いてしまった、という「不運」な出来事は、いわゆる「道徳」の枠内では、本来責任を取る必要のないものです。というのも、「人が飛び出してくる」という予想外の出来事(すなわち、「運」が絡む出来事)は、私たちがコントロールできるようなものではないからです。ですが、仮にこういう出来事が起きた場合、私たちは後悔に苛まれたり、誠意を込めて謝罪をしたりするでしょう。「道徳」に反するこうした行為を、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。本書のクライマックスにて、タイトルにもなっている「不道徳的倫理学」がどのようなものであるかを、私たちは目撃することとなります。

614BBA89-DB36-405E-8C29-5CC1085F8FB0.jpeg以上のように内容を概観したのち、本学の宮﨑裕助先生からコメントをしていただきました。宮﨑先生はまず、想定外の出来事(すなわち、「運」が入り込む出来事)に対して私たちが必要以上に敏感になっている、という現代の状況を確認することで、「運」を問うことの重要性をあらためて指摘します。加えて、例えばスミスによるストア派への批判について、あるいは「運」がもつ「幸福」の要素についてなど、本書の内容に関するコメントがありました。

そうしたコメントの一つに、「倫理学」の内部における葛藤をどのように捉えるべきか、というものがありました。古田先生によれば、「倫理学」は本来、「人一般にとって正しい行為」を問うのみならず、「この私はどういう生き方を選び取るべきか」という問いも含むといいます。普通はこうすべきなのだが、私はこうしたい──このような葛藤を、宮﨑先生は「遵守すべき倫理」と「現実を創り出す倫理」との葛藤と捉えます。後者の「倫理」をどのように考えるべきか、という本書に残された問いを、宮﨑先生はキルケゴールのイサク奉献の例などを用いて、さまざまな視点から考察していました。

47045BFA-405D-446C-A0D6-824F66CA088A.jpegその後、古田先生からはいくつかの応答が成されました。そもそも本書の試みは、歴史の中で埋もれてしまった「運」についての主張を、「生きた言葉」として蘇らせるものであったということ(この点は先生の著書、『言葉の魂の哲学』の議論とも関わるでしょう)。また、倫理学が問題とするのは主として「不運」な出来事であって、「幸運」と「不運」には非対称性があるということ。こうしたことが、重要な論点として挙げられました。

宮﨑先生のコメントに対しては、カントの思想や言語行為論などをも巻き込みつつ、本書のさらなる拡がりに向けて議論が交わされました。また、とりわけ重要な論点として、「倫理学」という学問の「可能性」(ないし「取り柄」)はどこにあるのか、というものがありました。古田先生の考えは、世界に対する「見方」を変えること、あるいは「見方」を創り出すこと、そうしたことが挙げられるのではないか、というものでした。このような意味では、先述の「生きた言葉」との論点とも関わりますが、本書は「倫理学」に対する新たな「見方」を提供する、という役割も担っているのではないでしょうか。

また、フロアに議論を開いたあとでも、多種多様な論点が見受けられました。そもそも「運」が入り込む出来事はどのように分類できるのか。本書の冒頭にあるように、人生はやはりすべて「運」なのではないか。いずれも重要なものでしたが、考えれば考えるほどに、ますます「運」という概念の複雑さが明るみとなり、このテーマの奥深さを痛感させられることとなりました。

最後になりますが、今回新たに考える素材を提供してくださった古田先生、本学から登壇していただいた宮﨑先生、そして私事ではありますが、卒業生である私にこのような機会を設けてくださった方々に感謝を申し上げ、第35回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。

【文責=東京大学総合文化研究科博士前期課程 渡邉京一郎】

2019年9月15日

【P4Cイベント】中高生の哲学対話  お知らせ

Philosophy for Students:中高生の哲学対話

下記の内容で、中高生を対象とした哲学対話イベントを開催いたします。どうぞ振るってご参加ください。

20190915_中高生の哲学対話ポスター(ブログ用画像)_ページ_1.png
ポスター表面&裏面を表示・ダウンロード

 

開催日:2019年9月15日(日)
時間:中学生の部 10:00-13:00
   高校生の部 14:30-17:30
場所:新潟大学五十嵐キャンパス 総合教育研究棟F578・586

 

参加無料|要申込|中学生・高校生ならどなたでもご参加いただけます。(哲学の予備知識は要りません。)

定員各20名


主催:新潟大学人文学部 阿部ふく子研究室
企画:樋田 和希(人文学部4年)
         田中 宥多(現代社会文化研究科博士前期課程2年)


●「哲学対話」とは――
さまざまな事柄について根本的な問いを立て、みんなでシェアし、応答しあいながら思考を深めていく哲学プラクティスの方法です。
ディベートや議論ではなく、知的安心感(Intellectual Safety)や主体性に配慮したフラットな雰囲気での対話です。

●タイムテーブル(目安)
 Session 1. 哲学対話についての説明
 Session 2. 問い出し
 Session 3. テーマについての対話
 Session 4. 振り返り対話、感想、交流

●参加申込先:こちらの参加申込用フォームからお申し込みください。
      (Googleフォームに移動します。)

●留意事項:
・見学のみのご参加、大人の方のご参加は、対話への影響を考慮し、ご遠慮いただいております。何とぞご了承願います。
・研究上のフィードバックのために録音・撮影をさせていただきますが、プライバシーには十分配慮いたします。ご本人の許可なく記録が公開・使用されることはございません。

● お問い合わせ先:
 阿部 ふく子|新潟大学人文学部准教授
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本企画は、日本学術振興会・科学研究費助成事業・若手研究「主体的・対話的な学びのための哲学・倫理学教育の実践的研究」(課題番号18K12179・研究代表者:阿部ふく子|新潟大学人文学部准教授)の一環として実施されます。




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