【卒論】アウグスティヌス『告白』の時間論 【卒論・修論の紹介】
佐藤 茉莉
『告白』は、397 年から翌年にかけて書かれたアウグスティヌスの自伝である。彼は、この著書の中で時間について探求した。我々にとって時間は、大変身近なものであり、熟知されていると思われるかもしれない。しかし、「時間とは何か」と問われたとき、我々は誰もその本質を容易に答えることはできない。アウグスティヌスが考える時間を、人間の魂の内部に注目し、人間学的立場から考察することで、彼が、人間の存在と時間の関係性についてどのように考えていたのかを明らかにする。
第一章では、「物体の運動=時間」の否定の証明のために、二つの議論を持ち出して論じた。一つは、アウグスティヌスと対照的な立場として知られるアリストテレスの時間論を持ち出し、比較して考察した。アリストテレスの時間論と比較しても、アウグスティヌスの時間論は人間存在に多分に依存している。二つ目は、「天体の運動=時間」であるという哲学者に対するアウグスティヌスの批判が、壁にぶつかりながらも成功していることを証明した。よって物体の運動は時間ではない。
第二章ではまず、過去・未来の非存在、現在中心主義について論じた。しかし、過去になった途端に次々消えていくなら、我々はどのようにして持続した知覚を持つのだろうか。また、過去・未来の非存在、幅のない現在により、時間の計測が不可能となった。ここではアウグスティヌスの時間の計測の条件の一つが、物体の運動こそが実在的であるとした、アリストテレスの時間の経過を感じるための条件に酷似していることが問題となった。計測の不可能の解決策として、過去・未来は記憶(memoria)、期待(expectatio)として現に存在し、これらの働きによって、我々は持続した知覚を持つことができる。ここで忘れた過去について、そして期待と未来の食い違いについての二つの疑問にぶつかる。
第三章では、魂(anima)のうちに印象(impressio)を刻み込むことにより時間を測っているというアウグスティヌスの結論を扱った。このことで時間は計測できないとされていた様々な問題が解決された。さらにこのことから、魂のうちで時間を測るということは、アウグスティヌスは外的時間は存在しない、内的時間だけが真の時間であると考えていることが見えてきた。最後は、魂のうちで時間を測る問題点を挙げ、魂のうちで時間を測るとは、具体的にどのようなことをさすのか、アウグスティヌスのテキストや、その他の論文から見出すことを試みた。アウグスティヌスは、外的なものである時間を、自分の中で時間がどのように体験されるかという内的な時間にすり替えてしまったという批判を想定し、その批判は妥当であるか、これまでのアウグスティヌスの議論を追って検証した。また、時間を計測するには、基準が必要であるが、内的時間の基準の問題についても、過去と未来に魂が現在的に拡がっている魂の拡がり(distentio animi)を基準の時間とすることで、魂のうちで時間を測るとは、具体的にどのようなことを言っているのか輪郭が見えてきた。第二章で出てきた過去や未来の問題についても、アウグスティヌスの考えを受けて、どのような解決がなされるか論じた。
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