2010年2月24日

卒業論文概要の提出について  お知らせ

人間学履修コース4年生(卒業予定)のみなさまへ
みなさんの卒業論文の要旨を人文学部のWebページに公開しますので、下記の要領にてメールで卒論要旨を提出してください。
〆切 2010年2月24日(水)
宛先
 
形式 Microsoft Word (.doc)、一太郎 (.jtd)、リッチテキストファイル (.rtf) のいずれかで
分量 A4で1枚、1200字程度
内容 卒業論文の概要(題目および氏名は必ず記載すること)
(内容については卒業論文指導教員と相談して下さい)
注意事項 写真・図版は原則として掲載しない。卒論の性格上,掲載する必要がある場合,著作権上の問題が生じないものに限る。
人間学履修コース委員

2010年2月15日

人間学講座回想録(5)  

1989年から推薦入学制度が始まったため、学年人数が数名から20名前後の大所帯となる。最初の年は、課外の授業を私と山内先生とでもって、木曜の夜に自主的に集まってもらった。専門の講義が始まるまでに志望の気持ちが萎えないように、という配慮からだが、むしろ見合いをした相手に早く会いたくなるように心持ちで、何かと旧資料室に集まる機会を設けていた。やがて推薦入学生が大半を占めるようになり、初夏に合宿をする慣行が生まれた。第一回は、巻町にある金仙寺の仏堂で、恒例となる「読書クイズ」(初期は私が問題をつくり、やがて山内先生、城戸先生、そして現在の宮崎先生へと継承する)だけが唯一のイベントで、あとは釈迦像の面前で飲みあかすというだけの質素な合宿であった。翌日、角田山に登って鬼ごっこをした記憶がある。佐藤徹郎先生が真剣に学生を追いかけていて、その俊敏さに瞠目した。第二回以降は点々と合宿先を変える。金仙寺が廃寺となったこともある。よく覚えていないので年代順ではないが、過去に選んだ宿泊地を思い出す順に書いてみよう。新発田の青年の家(そんなような名前)。ここは五十公野公園に隣接した施設で、新発田駅からの徒歩は辛かったが、翌日は野球場でソフトボール大会となった。五頭山麓の少年の家。県の施設でユースホステルなみのやっかいな規則があった。このときは教官ごとに即席のセミナーを設定して班に分かれ、自然のなかで読書したり議論をしたりした。冷蔵庫に隠したビールが事務員にバレてしまい、ずいぶんと叱られた。「もう来ないでください」とも言われた(こちらも行く気はなかったけれど)。咲花温泉の旅館で開催したときもある。温泉旅館なので、硫黄臭のある濃厚な湯を堪能できて教官は満足。翌日、阿賀の里という観光施設に歩いていって、希望者は阿賀野川を船で下った。やたらと饒舌な船頭は、しかしながら、他県の人間でよくよそ見をするために、ずいぶんと水しぶきを浴びた。柏崎の南方、高柳町のじょんのび温泉で合宿をしたこともある。ここは手作り豆腐の美味な場所で、湯も淡褐色で木造りの立派な湯船で、すばらしいものであった。夜はトリヴィアル・パスートというクイズゲーム(生協で展示してあったものを、宣伝用にと借りてきてあった。一般常識問題を、地理・歴史・科学・芸能・スポーツのジャンルに分けて解いて、双六のような形式でゴールをめざすもの)にほぼ全員参加して楽しんだ。経過は忘れたが、ダントツで優勝したのが栗原隆先生だったことはよく覚えている。いやはや、よく知っておりました。
21世紀になってからは、大抵は、上川村あるいは鹿瀬の施設がよく使われた。上川温泉は四度ほど利用した。はじめてのときはやたらと歓迎してくれて、追加の宴会料理も山菜を中心に豪華なものであった。鹿瀬ではやはり温泉の亀田郷山荘を利用した。この頃から卒論の構想発表を兼ねるようになり、遊び中心だった合宿がすこしまともなものになりつつあった。磐越西線を週末走る蒸気機関車を利用することも何度かあった。六日町の「いろり庵」は最近利用した。雲洞庵、トミオカホワイトなど周辺の寺社、美術館に立ち寄り好評を博した。六日町駅前にネパールカレーの店があり、私は早めに到着して賞味したが、これを聞いた佐藤徹郎先生が敏感に反応し、持ち前の早食いで数分で平らげてきた。余興の新企画として、「ほぼ100円ショップ」を開催。100円ショップで購入した商品に、高額商品をまぜてそれをあてさせるゲームで、なかなか的中せず楽しい時間だった。このゲームには「高額商品」の所有者が必要で、佐藤先生がいないと実行できない。
昨年(2009年)は十数年ぶりに合宿が中止になった。マンネリ化したことへの反省もある。今年は準備も早く、すでに栗原先生に赤崎荘(鹿瀬)を確保していただき、新しいスタッフの青柳かおる先生も加えて合宿の新時代を迎えようとしている。今後は、OBも気軽に参加できる行事になればと願っている。

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2010年2月14日

卒業論文発表会&卒業生追コン終了。  イベントの記録

 去る12日は、大学四年間の集大成となる卒業論文発表会がありました。
 無事発表を終えた四年生のみなさん、本当にお疲れ様でした。
 卒論の達成感をいつまでも忘れることなく、これによって得た経験と自信とを糧に、これからの人生を切り拓いてゆかれることを願っています。
 写真は発表会&追コン&二次会の様子です。

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2010年2月13日

卒業生追い出しコンパのご案内  お知らせ

 2月12日は、四年生の卒論口頭審査があり、その後、恒例の追い出しコンパがあります。当日の予定は以下の通りです。

 場所: 大学内・生協喫茶室(第2食堂の横)
 時間: 2月12日 開場17:30/開始18:00
 参加費: 2年生500円 3年生1000円 4年生500円 大学院生1000円

 一次会の終了後、二次会も予定しています。
 二次会の開始は、20時過ぎ頃を予定しています。
 こちらは、人間学の卒業生のみなさんの飛び入り参加を大歓迎しますので、どうぞ気軽にお越しください。
 それなりの人数が予想されますので、二次会会場を別途設ける予定です。参加ご希望の方は、終了時間を見込んでまずは一次会会場にお立ち寄りください。

2010年2月12日

人間学履修コース卒業論文発表会(口頭試問)  お知らせ

平成21(2009)年度の人間学履修コースの卒業論文発表会(口頭試問)を下記のように行ないます。

とき  平成22(2010)年2月12日(金)
ところ 総合教育研究棟D棟3階国際センター教室
    第1・第2・第6教室(第7教室が控え室になります。)

時間割は別途F棟5階に掲示していますので御確認ください。(予定は若干ずれることがあります。)

発表会(口頭試問)では、最初に卒業論文の概要について3分程度で簡潔に報告してもらった後、主査・副査(計3人)による口頭試問になります。合計で25分程度を予定しています。
なお、この発表会は公開で実施されますので、他の学年の諸君も傍聴することができます。

卒業論文発表会(口頭試問)終了後、恒例の懇親会(追い出しコンパ)が企画されています。別途掲示いたしますので、ぜひご参加ください。
人 間 学 履 修 コ ー ス 委 員

2010年2月 3日

人間学講座回想録(4)  

学生と旅行した思い出を記す。年代順でなく北から書くと、平成元年あたりに入学した学生と北海道ドライブ旅行に行ったことがある。フェリーで小樽に出て(三角市場を物色して)早朝に札幌を通過(クラーク博士像に一礼)、富良野の「北の国から」のセット近くで宿泊(一泊千円弱のライダーハウスが中心)、帯広で豚丼を食べ(ご当地出身の学生推薦)、釧路泊。客車を開放した宿(300円)で寝袋にくるまり、翌日、支笏湖と川湯温泉経由で網走で一泊。旧刑務所を見学すると女子学生が「私たちよりいいところで寝ている」と感嘆の声をあげたのが印象的。水族館を見てから旭川に向かう。ここで初めて旅館(一泊2000円)に泊まる。翌日層雲峡経由で小樽に戻り、一夜波止場であかしてフェリーで新潟にもどった。
青森県に行ったのは恐山参詣のときだ。人間学資料室に深夜集まって出発した。仙台あたりのSAでテントを張って一泊し、翌日にはむつ市の民宿に到着。イタコさんに降霊してもらう予定だったが、命日が分からないと呼べないということで断念。宇曽利湖の神秘的でぞっとする光景、水子供養の参詣客が岩間に置き去った無数の風車が妖しく印象的であった。もちろん、境内の温泉には浸かった。三途の川をわたったところに「霊場アイス」の旗があったのをなぜか覚えている。帰路八幡台の温泉で宿泊し四日目にもどった。1989年(珍しく年号を覚えている)には、冬に東北旅行をした。人間学に8年在籍した山之内君、天才シェフとして紹介した大井君、寡黙な土屋君、酔っぱらうとやたらと言い寄る癖のある一倉女史、現在、現代社会研で助教をしている、当時はオーケストラの一員だった石田さん、いつでも誘いを断らなかったナビ役の山内先生と私が全メンバー。車は二台。一日目が平泉の中尊寺近くの民宿で、毛通寺とか厳美渓(ロープを伝って名物団子が運ばれる)を見て最後に中尊寺を参詣。翌日、花巻の宮沢賢治記念館でたっぷり時間をとった。会館となりの山猫軒でデクノボーランチとか賢治ゆかり?のメニューを楽しんだ。夜に盛岡にでてわんこ蕎麦を「直利庵」で堪能。私は95杯食べて死ぬ思いをした。夜間に小岩井牧場に到着、寝台車スタイルの宿で一泊。朝食が美味。翌日は乳頭温泉郷に向かう。国民宿舎で宿泊したが、付近の湯を梯子した。帰路は田沢湖で雪合戦をし、羽後本荘駅前の「薫」で休憩をとり、一気に新潟にもどり泥のように疲れて眠った。
会津若松は何度も行った。平成6年には一緒に芝居をした学生と、平成8年には1年生のゼミで行った。通称「旅ゼミ」を始めたのもそのころで、大阪、京都、東京、横浜、能登(お目当ては輪島の朝市ではなく、ランプの宿「蒒ヶ浦温泉」と珠洲ハーブ園)を学生と回った。こう思い返してみると、何か教える-教わるという関係ではなく、学生とはよく一緒に遊んでいたものだ。
旅先の南下を続けると、長野県の御代田(浅間山南麓、軽井沢の西)にある別荘には、何度も行った。ここを拠点として、荒船牧場とか、八ヶ岳登山(赤岳山頂に公衆電話があって絶句した)、飛騨高山(朝市は大したことがなかったが、朴葉味噌は最高で大量に買って帰り、資料室で酒のツマミにした)、松本(古本屋街、ちきりや、古風な喫茶店「まるも」)、別所温泉(前山寺のおはぎ)各地に飛び回った。
長く在籍した山之内君の引っ越しも、平賀源内で卒論を書いた佐藤東州君、大井君をつれて知人から借りたトラックで広島まで遠征した。大井君との帰路は高速道路を避けて日本海沿いにもどってきた。城崎温泉の飲み屋でマダムが松本清張そっくりだったことは今でも忘れない。金沢で立ち寄ったおでん屋「赤玉」の品揃えの豊富さも旅のよい思い出の一つだ。
最後に九州旅行の思い出。平成5年頃だと思う。メンバーは、絶対つきあってくれる山内先生、石田さん、独文の木村先生(昨年末、悲しいことに、逝去された)と姪御さん。佐藤東州君に犬飼君(最近になって石田さんに「あのときいたでしょ」と指摘されて発覚)、そして推薦入学で入った柏木さん。新潟から福井に出て温泉センターで一泊。鯖江の眼鏡会館(プレゼンが故障だらけで滑稽だった)とアイスクリームの問屋に立ち寄って一路神戸へ。三宮や中華街を散策し夜にフェリーに乗って別府へ。地獄めぐりは実に楽しく、地獄と無関係なグッズの多角的販売に驚かされながら、突如ワニに出会ったりした。湯布院で露天風呂に浸かり、やまなみハイウェー経由で阿蘇山の地獄温泉の湯治棟で宿泊。翌日阿蘇山火口と牧場へ。木村先生がポニーに乗って喜んでいた。山頂でオニキスのグラスを買ったが、同じものを山口県で売っていて後でショックを受ける。熊本へ下山して熊本城へ。私は商店街で緑と白の縞々パジャマを買う。夕方平戸方面に向かい民宿で一泊し、フェリーで島原に出て雲仙経由で長崎のユースホステルで一泊。犬飼君が南京玉簾を執拗に探していた。グラバー亭やシーボルト記念館を見て、翌日、秋吉台を見て京都まで一気にいたる。木村先生の学生時代の下宿で一泊し、最後の日に明治村を見学して新潟にもどった。東北旅行はマツダのルーチェと山之内君のサニーだったが、その後、私は9人乗りのボンゴに乗り換えていた。七年で13万㎞乗った。

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2010年1月12日

卒業論文研究計画書の提出について  お知らせ

人間学履修コースの3年生諸君へ
卒業論文研究計画書の提出について

 人間学履修コースの、来年度卒業予定の学生は、下記の要領で、卒業論文研究計画書を提出してください。これは卒業論文に向けての作業の第一歩です。
 計画書には、下記の内容をA4で1~2枚で的確かつ簡潔に書いてください。
 研究の課題(題目)
 論文の概要と今後の研究プラン(作業日程)
 使用文献、参考文献
 この計画書にもとづいて卒論指導教官を決定しますので、卒業するつもりのある人はかならず提出してください。


提出期限 2010年1月12日(火)午後5時
提出先 城戸研究室(F577)
人 間 学 履 修 コ ー ス 委 員

2009年12月16日

自己紹介  青柳 かおる

青柳かおる (あおやぎ かおる)
専門はイスラーム思想史です。約900年前の思想家ガザーリー(1111年没)を中心に、アラビア語の一次資料を読みながら、古典時代のイスラーム神学・哲学・神秘主義(スーフィズム)の思想史を研究しています。ガザーリーは、最も重要な古典イスラーム思想家の一人であり、現代のイスラーム教徒にも大きな影響を与えています。
ガザーリーの主著『宗教諸学の再興』の中の「婚姻作法の書」を翻訳し、マッキー(998年没)、イブン・アラビー(1241年没)といったガザーリー前後の思想家の婚姻、女性、性に関する議論と比較しています。最近は、以上の古典研究を踏まえて、現代のイスラーム法学者のカラダーウィーの著書とも比較しています。ガザーリーの思想、とくにセクシュアリティー(性行為、生殖、婚姻、女性、ジェンダー、性愛観、生命倫理などのさまざまな性に関する問題)の議論を分析し、現代のムスリムによる性の議論、性に対する考え方と比較することにより、古典思想の現代における影響、意義を考察しています。
さらに、古典時代と現代が結び付くテーマとして、生命倫理の問題を研究しています。古今のスーフィズム文献、医学書、コーラン注釈書、法学文献、ファトワー集などの幅広い文献を渉猟し、古典時代から現代までのイスラームの生命倫理の変遷を文献学的に明らかにしたいと考えています。
おもな研究業績については以下の続きを参照してください。

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2009年12月12日

第3回新潟哲学思想セミナーが開催されました。  イベントの記録

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 11月27日は、講師に竹峰義和さんをお招きして、第3回新潟哲学思想セミナー「ハリウッドの精神からの全体主義の誕生 アドルノ『文化産業』論をめぐって」が開催されました。新潟大学の学生と教員を中心として、20名以上が参加いたしました。


 竹峰さんは、アドルノ研究者として一昨年著書を公刊されましたが、今回は、そのアドルノの「文化産業」論についてです。お話は、まず、アドルノの主著であり、有名な『啓蒙弁証法』で述べられているアドルノの「文化産業」論の入門的な紹介でした。竹峰さんによると、アドルノは、自然を人間に合わせた形で理解するという神話はすでに啓蒙である一方で、啓蒙は神話に退化するのであって、その退化の帰結のひとつがファシズムであると考えた。そして、アドルノは「文化産業」がファシズムと同じシステムをもっていることを問題にします。そのためアドルノは、「文化産業」が担っている大衆文化である映画などを批判することになったということです。竹峰さんのお話は、非常にわかりやすく、アドルノについてほとんど知らなかった私にも、アドルノの「文化産業」論の概略をつかむことができました。

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 竹峰さんは、こうした入門的なお話の上で、アドルノが単に大衆文化を批判しただけではなくて、実際に大衆文化によく接していたという事実や、大衆文化がただ単にファシズムと親和的であるだけでなくファシズムへの抵抗の契機になることができると考えてもいたという点についても話されました。私は、アドルノといえば大衆文化をこき下ろし、いわゆる高級芸術を擁護した人だというありがちなイメージをもっていたので、今回のお話は非常に興味深いものでした。また、アドルノの「文化産業」論は、あえて誇張として描かれたものではないかという指摘もなされました。
(文責=新潟大学現代社会文化研究科修士課程: 赤塚建太)

2009年11月27日

ハリウッドの精神からの全体主義の誕生──アドルノ「文化産業」論をめぐって  お知らせ

adorno006.jpg 第3回 新潟哲学思想セミナー〔NiiPhiS〕

ハリウッドの精神からの全体主義の誕生
──アドルノ「文化産業」論をめぐって

講師: 竹峰 義和(日本大学法学部)

日時:2009年11月27日(金)18:15~20:00
場所:新潟大学 五十嵐キャンパス
   人文社会科学系棟 F - 161

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