2016年7月14日

人間学の縁日  イベントの記録

7月11日に毎年恒例「人間学の縁日」が行われました。心理・人間学入門講義に出ている1年生の中から多くの学生が参加してくれました。先輩学生や教員のふるまう屋台メニューを食べながら親睦を深め合う、とても賑やかな会になりました。

縁日ブログ用ポスター.png
IMG_0904_blog.jpg IMG_0905_blog.jpg IMG_0907_blog.jpg IMG_0909_blog.jpg

2016年6月30日

誰でもあって誰でもない主体──ハイデガー『存在と時間』におけるダス・マン(ひと、世人)再読  お知らせ

FotorCreated.jpg

第21回 新潟哲学思想セミナー(NiiPhiS)

誰でもあって誰でもない主体 
ハイデガー『存在と時間』における
ダス・マン(ひと、世人)再読


講師 池田 喬(明治大学文学部准教授) 


日時 2016年7月22日(金) 18:15~19:45
場所 新潟大学 五十嵐キャンパス
   総合教育研究棟 D-301(旧地域国際交流促進室)

 ハイデガーの『存在と時間』には、誰でもあって誰でもない得体の知れないダス・マンが日常性の主人だという印象的な議論がある。講演者の理解では、この議論は、「規範と責任」という道徳の根本現象は「順応と逸脱」という非道徳的(a-moral)で自然な現象に基づくのであり、その限り道徳はそれ自体では基礎付けられない、という挑発的主張を含む。この主張は、ただし、道徳に対する懐疑論とも無縁であり、むしろ、私たちの道徳生活に現実的なイメージを与える、規範や責任の自然な概念(natural concept)の獲得に貢献する。このことを、アイヒマン事例とヘンリー・ソローの森の生活を手がかりに示したい。


41YDNJ6fBeL._SX368_BO1,204,203,200_.jpg 第21回の新潟哲学思想セミナーは、講師に池田喬氏をお迎えします。池田氏は現象学を専門に研究されており、『存在と時間』をはじめとするハイデガーの哲学を、現代行為論や倫理学、障害当事者研究など実践的・応用的な観点から論じています。今回のセミナーでは、ハイデガー『存在と時間』に出てくる〈誰でもあって誰でもない主体〉について池田氏にご講演いただき、人間の存在と道徳性についてあらためて問い直し、参加者も交えて議論を深めていきたいと思います。多くのみなさまのご来場をお待ちしております。

 

   

◎ 講師プロフィール:池田喬(いけだ・たかし)1977年生まれ。明治大学文学部准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は、ハイデガーを中心とする現象学派の哲学。英語圏の現代行為論・倫理学と現象学の関係、日本の障害当事者研究と現象学の関係についても考察している。著書に『ハイデガー 存在と行為』(単著、創文社、2011年)、『当事者研究の研究』(共著、医学書院、2013年)、『始まりのハイデガー』(共編著、晃洋書房、2015年)他。


◎ 新潟哲学思想セミナー(Niigata Philosophy Seminar:通称 NiiPhiS[ニーフィス])とは 
2009年に新潟大学を中心に立ちあがった公開セミナーです。新潟における知の交流の場となるよう、毎回、精力的にご活躍の講師をお招きして、哲学・思想にまつわる諸問題に積極的に取り組んでいきます。参加費、予約等は不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

主催:新潟哲学思想セミナー(世話人=古田徹也・宮﨑裕助)
共催:科学研究費補助金「人間の「脆さ」に着目した状況依存的かつ相互依存的な行為者概念の学際的研究」/新潟大学人文学部哲学・人間学研究会

お問い合せは古田まで
 mail2image.png

→ポスターはこちら

2016年6月19日

卒業論文構想発表会お疲れさまでした  イベントの記録

IMG_0901.JPG IMG_0900.JPG IMG_0894.JPG IMG_1903.JPG IMG_0897.JPG IMG_0899.JPG IMG_0893.JPG IMG_0892.JPG

2016年6月 3日

国際シンポジウム "Philosophie und Anthropologie um 1800"「1800年頃の哲学と人間学」が開催されました  イベントの記録

ziche2.jpg

去る5月21日ユトレヒト大学のパウル・ツィヒェ先生を講演者にお迎えし、「1800年頃の哲学と人間学」 "Philosophie und Anthropologie um 1800"と題した国際シンポジウムが開催されました。これは、新潟大学人文社会・教育科学系附置「間主観的感性論研究推進センター」の主催で行われたものです。最初に、本学人文学部から、阿部ふく子氏による"Humanismus in der Zeit der Aufklärung: Niethammers Philosophie und Bildungstheorie"(啓蒙時代の人文主義――ニートハンマーの哲学と教養形成論)と題した発表と、栗原隆氏による"Grundlage und Vorarbeiten zur Philosophie des Geistes von Hegel"(ヘーゲル『精神哲学』の基底と前哨)と題した発表が行なわれました。

ziche3.jpg

最後に、パウル・ツィヒェ先生の講演が"Der Mensch zwischen Natur und Kunst ― Zur systematischen Position des Menschen in der Philosophie und Anthropologie um 1800" (自然と芸術との間の人間----1800年頃の哲学と人間学における人間の体系的な位置づけ)と題して行われました。質疑応答は、ツィヒェ先生を中心に活発に行われ、今回は学部生が多く参加したこともあり、学生を交えた刺激的な討議の場となりました。

講演会後は、懇親会が行なわれました。懇親会は、ツィヒェ先生を囲んで終始和やかな雰囲気でした。最後になりましたが、はるばるオランダからお越し下さいましたパウル・ツィヒェ先生に、いま一度厚く御礼を申し上げます。 

ziche4.jpg

[新潟大学現代社会文化研究科博士後期課程・高畑 菜子]

2016年6月 1日

卒業論文 構想発表会  お知らせ

平成28(2016)年度 人間学分野 卒業論文 構想発表会

本年度の人文学部心理・人間学主専攻プログラム人間学分野の卒業論文の構想発表会を、次の日程でおこないます。

 日時 6月 18日(土)午後1時から  

   場所 総合教育研究棟 G415(G棟4階)

 卒業予定の4年生は、構想発表用のレジュメを40部用意して出席してください。 ひとり発表と質疑応答で15分程度を予定しています。

・2、3年生の参加も歓迎します。とくに3年生は来年度にむけた準備になりますので、ふるって参加してください。

・卒業予定の4年生の不参加は原則認めていませんが、どうしても出席できない場合は、必ず卒論担当教員に承諾を得たうえで個別に指導を受けてください。

・発表会のあとに、コンパを予定しています。是非参加ください。

心理・人間学主専攻プログラム人間学分野(2016.6.1掲載)

2016年4月13日

祝・ご卒業!(H27年度)  イベントの記録

3月23日に卒業式・卒業祝賀会が行われました.18名の卒業生のみなさん,(遅くなりましたが)あらためておめでとうございます! 教員一同,新天地での活躍をお祈りしています.また会える日を楽しみにしています.

卒業式は朱鷺メッセで行われました.その後,新潟グランドホテルにて,人文学部の卒業祝賀会が行われました.祝賀会終了後,場所を「いかの墨」に移して,謝恩会が開かれました.すべての参加者にとって忘れがたい一日となりました.卒業されたみなさん,卒業後もぜひ人間学のフロアに遊びに来てください!

(遅くなりましたが写真を追加しました! 6/9)

201603_002.jpg0030_xlarge (2).jpg

0032_xlarge (2).jpg0116_xlarge (2).jpg0124_xlarge.jpg

2016年4月 5日

『知のトポス』第11号刊行  知のトポス

 新潟大学大学院現代社会文化研究科共同研究プロジェクト「世界の視点をめぐる思想史的研究」の一環として公刊された『知のトポス──世界の視点』第11号をご紹介します。

『知のトポス──世界の視点』第11号(2016年3月刊、全210頁)

G・W・F・ヘーゲル「『ハイデルベルク・エンツュクロペディー』の「主観的精神」(ハイデルベルク、一八一七年)」高畑菜子・栗原隆訳

G・W・F・ヘーゲル「「精神の哲学」についての講義(ベルリン、一八二二年夏学期)」栗原隆監訳

ゲルハルト・クリューガー「カントの批判における哲学と道徳(二)」宮村悠介訳 ⇒[PDF

ヴェルナー・ハーマッハー「文学的出来事の歴史と現象的出来事の歴史とのいくつかの違いについて」宮﨑裕助・清水一浩訳 ⇒[PDF


2016年3月20日

シベリア先住民の食卓: 食べものから見たシベリア先住民の暮らし  江畑 冬生

いくつかのシベリア先住民族の伝統知を,食文化の側面から紹介した本が出版されました.「シベリアは酷寒の不毛地帯じゃない!」ということが伝われば幸いです.江畑はサハ民族・トゥバ民族に関して,「馬」「羊」「乳製品」「干し草集め」の4つの記事を書きました.ヨーロッパロシアとも一味違う,シベリア少数民族の文化の一端が分かる一冊です.

永山ゆかり・長崎郁(編)『シベリア先住民の食卓: 食べものから見たシベリア先住民の暮らし』東海大学出版部

2016年2月23日

第20回新潟哲学思想セミナーが開催されました  NiiPhiS

IMG_0662.JPG

 第20回新潟哲学思想セミナーは、講師に石岡良治先生をお招きし、「視覚と言語はどのように齟齬をきたすのか──『視覚文化「超」講義』再論 」というテーマのもと開催されました。以下に、今回のセミナーの内容をご紹介します。
 
 長大な小説などの文章作品を読んでいると、ふと冒頭を忘れてしまうことがあります。これは必ずしも単なる注意の不足や、記憶力の欠陥によって引き起こされるわけではありません。むしろそれは、情景の推移や主題の展開、それらの局所的な因果を詳細に捉えようとし、文面を入念にたどるときほど起こります。逆説的ですが、文章を注意深く読むこと、文章に没頭することが、冒頭部の忘却をもたらしているのです。
このような、物語の因果的な連鎖はどのように把握されるのでしょうか。物語全体はどのようにして一望可能になるのでしょうか。石岡先生はこのような文章作品における「一望性」に着目し、それを映像作品にも応用することで、映像作品における一望性について考察します。
IMG_0661.JPG  石岡先生はまず、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンのイラストを挙げます。これは俗に言う「ピタゴラ装置」の原型です。このイラストでは「ある簡単な作業が次の仕掛けを動かし、その仕掛けがまた次の仕掛けを作動させる...」という様が、一枚の絵の内に完結しています。そのため、我々は一目でその装置の全体図を把握することができます。これはすなわち、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンのイラストには一望性がある、ということを示しています。
 それに対して映像作品のピタゴラ装置はどうでしょうか。ピタゴラ装置では、カメラは装置全体を映すことはあまりありません。映したとしてもほんの数秒です。カメラが映すのは、一連の装置のうちの、因果関係がまさにはたらいているごく一部のみです。そのため我々は、ふと気が付くと装置の「最初の一突き」を忘れてしまいます。ここまでどのような因果関係の連鎖があったのか、思い出せなくなってしまうのです。つまり映像作品においては、全体を一望することは困難なのです。
 IMG_0666.JPG今回のセミナーでは、このような「一望性」の観点を中心に、様々な方向から視覚と言語の「齟齬」を分析して頂きました。此度のセミナー「視覚と言語はどのように齟齬をきたすのか」では、視覚文化論という分野に触れ、古典的な芸術作品から現代の大衆文化まで、日常に溢れている視覚文化への新しい視点を得る貴重な機会となりました。
 最後になりましたが、今回のセミナーのため遠方よりお越しくださいました石岡先生に感謝を申し上げ、第20回新潟哲学思想セミナーの報告とさせていただきます。
[新潟大学人文学部4年・佐野達志]

2016年2月10日

卒業論文発表会(口頭試問)お疲れ様でした  イベントの記録

IMG_0658.JPG IMG_0637.JPG IMG_0653.JPG IMG_0652.JPG IMG_0650.JPG IMG_0647.jpg IMG_0646.JPG IMG_0642.JPG IMG_0641.JPG IMG_0632.JPG IMG_0638.JPG IMG_0630.JPG IMG_0639.JPG IMG_0626.JPG IMG_0627.JPG IMG_0625.JPG

アーカイブ

Powered by
Movable Type 5.2.3